頬を薔薇色に染めて手掛けし恋の悲惨について考えよ / 2



 あのとき彼は、何を言おうとしたのだろうか。

 
 耳元で音が鳴り始める。緊張感を湛えた音楽はワーグナーの"ワルキューレの騎行"だ。昔の洋画で使われていたと言う事ぐらいしか銀時は知らない。だが、それが己が目覚ましのアラームとしてセットしている音楽であると言う事は知っている。
 手探りでスマートフォンを掴むと、布団の中へと引っ張り込んでアラームをオフにする。地獄への行進曲の様な音楽が途切れれば忽ちに朝の穏やかな息遣いが静かな部屋に満ちて行く。
 寝覚めには緊張感があると良いらしい、とかなんとか言ってこの音楽をアラームにする事を銀時に勧めたのは友達の坂本だった。聞き慣れて仕舞えば最早緊張感も何も無いのだが、面倒なので変えずにいる。どうせ機種変更をすれば変わるのだし。
 聞き慣れと緊張感とではまるで正反対ではあるが、アラームの音楽だ、と認識して目が醒めるのであれば別にどちらでも良いと銀時は思っている。
 寝覚めの悪さがいけなかったのかも知れない。眩暈にも似た眠気の残る頭を引き摺って、布団の誘惑を払い除けながら起き上がれば、カーテンの隙間から丁度斜めに差し込んで来た日差しがまだ明瞭ではない視界を叩いてくる。斜め向かいのマンションの狭間を縫って午前中だけ漏れて来る陽光は貴重な日照権の発揮所だ。
 大欠伸をしながら、寝間着代わりのTシャツの隙間から腹を掻いて洗面所へと向かって顔を洗う。続けて銀時は水を拭ったタオルを肩に掛けた侭部屋に戻ると、テーブルの上に置いてあるパソコンの電源を入れた。起動するまでの待ち時間の間に冷蔵庫からハムとスライスチーズと水のペットボトルを取りだし、賞味期限が昨日までの食パンに挟んで頬張りながらパソコンの前へと戻れば、丁度起動が終わった所だった。
 日課のゲームのプレイを少しだけ行い、軽く朝のニュースと今日の天気とを確認する頃には、起床時間から既に一時間が経過しようとしていた。
 「やっべ」
 今日は朝から出なければならない講義があった事を思い出した銀時は、慌ててパソコンの電源を落とすと服を着替える。高速の歯磨きの後に手早く髪を櫛で整え──他人に言わせれば、殆ど意味などないだそうだが失礼な──、鞄を掛けてスマートフォンをベッドの上から拾いかけた所で。ふと柔らかな朝の光に晒されたベランダが目に入った。
 一畳程度のスペースしかないベランダは、洗濯物を干す・ゴミ袋を一旦出しておく、以外の用事では使われていない。その、ゴミ袋を入れておくボックスの上に、見覚えの無い鉢植えが鎮座している。
 (あー…、昨日の)
 記憶を然程に呼び起こす事も無く思い出す。足の悪い花屋に何でか押しつけられた、地味な芽の生えた鉢植え。それは近隣の高い建物の隙間から差し込む日差しの中では、余計にちっぽけで力の無いものに見えた。
 「………水とか、やった方が良いのか?」
 手にしたスマートフォンの電源ボタンを押せば、時刻は早い出発を示す数字を刻んでいる筈だ。然し銀時は少し考えてからスマートフォンの画面を見ずにポケットに押し込み、洗面所へ向かうとコップに水を汲んでいた。
 「いや、願いが叶うとか云々とかじゃなくてだ、やっぱなんか放ったらかしにしとくのもどうかと思うだけだよ?ウン、動物は拾ったら最後まで面倒見ろって先生に良く言われたし?いやコレ動物じゃねーけどさ」
 言い訳めいた独り言は特に向ける相手が居た訳でもない。銀時はベランダの戸を開けると、鉢植えに向かってそっとコップを傾けた。黒い土に水が忽ちに吸い込まれて行くのに思わず手を引っ込める。
 「つーかどんくらいやれば良いのコレ?俺自慢じゃねェけど小学校の頃夏休みの宿題で出された朝顔の観察日記、肝心の朝顔の芽が出る前に枯らしてるからね?」
 確かあの時は、早く朝顔が咲いて欲しくて、先生の見ていない隙に大人の大きな如雨露を持ち出して水をやっていた様な憶えがある。鉢から溢れた水に驚いて逃げ出して仕舞ったのだが、花は疎か芽さえ生えてこなかった所を見ると、種を腐らせて仕舞ったか流して仕舞ったのだろう。幼少時代の切ない思い出の一つだ。
 鉢植えの表面を見回してみるが、矢張り何処にも育て方などを書いたメモやシールの類は見当たらなかった。銀時は量を少々減らしたコップとじっとり濡れた土とを暫し見比べたが、時間も押している最中ではネットで調べる事も出来ない。
 取り敢えず水はやった。陽も当たる。後は何とかなるだろうと決め込んだ銀時は、コップを洗面所に放り込むと靴を突っ掛けて玄関を出た。
 三階建ての、少しばかり年季の入ったアパートだ。階段を下りれば集合ポストがあり、大家の部屋がある。開けられた侭の窓からは朝のワイドショーの音声が漏れ聞こえている。
 元々は大家の部屋の庭だったスペースは駐輪場になっており、銀時はそこに自分の原付を停めさせて貰っていた。
 利用する電車の駅まではスクーターの低速で十分少々。少し急げば鉢植えに拘っていた時間ぐらい取り戻せるだろう。
 大学が終わったら今日はその侭バイトだ。家に帰って来れるのは夜遅くなる。
 ベランダの方を反射的に見上げかけた頭を慌てて戻すと、銀時はかぶりを振った。それこそ、動物を飼っている訳ではないのだ。鉢植えの面倒なぞ今までまともに見た事は無かったが、半日やそこら放っておいた所でどうにかなって仕舞うものではないだろう。
 押しつけられた、中身の知れない鉢植えなど放っておいても良いぐらいのものだとは思うのだが、かと言って目の届く場所にあるのに放りっぱなしにしておくと言うのも気が退ける。
 面倒くせェ。
 そうぼやきはするものの、きっと明日の朝もまた、聞き慣れた音楽に起こされ、電車の時間を気にしながらもあの淋しげな鉢植えにコップを傾ける自分がいるのだろうと言う確信はあった。
 
 *
 
 自分でそんな事を思ったから、なのかどうかは知れないが。
 ともあれ、その日から銀時の朝の日課に、鉢植えに水をやる事、が加わった。水の量は植物の種類や季節で変わるものらしいと後からネットで調べて知ったが、普通の鉢植えなら土が湿る程度で良いと書いてあったので、それに従ってみる事にした。
 翌日には芽が少し丈を増して、更にその翌日には小振りの葉っぱが顔を覗かせた。陽光を存分に浴びれる様になったからなのか、葉が出てからの成長は早く、一枚また一枚と日毎に新たな葉が伸びて茎は丈を少しづつ伸ばした。
 成長がやけに早い様な気はしたが、他に植物を育てた前例を知らない銀時にはそれが異例のものなのか、よくある事なのかも解らなかったし、別段どうでも良かった。
 茎が少し伸びて、葉が拡がる。見た目ではたったそれだけの変化は特別面白いものとは言えなかったが、自分が日々を暮らすのと同じ様に、この植物も生きているのだなと、銀時は漠然とそんな事を思った。
 青々と茂る葉を見て、不意にこの植物の正体が気になってネットで検索してみた事もあったが、結局解らず仕舞いで終わっている。
 まあ、願いが叶う花、なんて如何にも胡散くさい触れ込みにでもしなければ、あの花屋も銀時にこの鉢植えを押しつける気にはなれなかったのだろう。そんな事を考えたくなるぐらいには、鉢植えは地味で、日々細々と葉を拡げる以上に然したる変化を見せてはくれなかった。園芸が趣味の人間はこんなものを日々丹精して楽しいのだろうかと疑問にも思う。
 或いは、花が咲いたら願いが叶う=花が咲く事そのものがイコール願いが叶う、と言うオチなのかも知れない。
 だがそれでも、一度根付いた習慣は容易く銀時の裡からは消えなかった。一週間、二週間と日々は流れたが、その日々の間ずっと欠かすことなく銀時は、同じ音楽で朝を起きて、家を出る前にはコップに水を汲んでベランダに向かい続けた。
 生活と同様にそれは惰性であった。銀時は自分でそう思っている。少なくとも、願いが叶うなどと言う話を純粋に信じていられる様な年齢でもなければ性格でも無かったし、面倒を見続けなければ植物が枯れて仕舞うと危機感を感じていた訳でもない。
 ただ、日課がひとつ増えただけだ。習慣的に読む本や、プレイするゲームが一つ増えただけの様なもの。
 そんな銀時の習慣を有り難がって受け取っていたのかどうかは解らない。水と日光とを日々得続けていた鉢植えは、ある朝に小さな蕾を葉の真ん中に生んでいた。





今更の話→タイトル、「頬を薔薇色に"輝かせて"以下略」だったんですが、間違えちゃったのでその侭でもういいかなあとか…。染めて、だと語感良くない気がするけど…。

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