ロタールの佞弁 「最近忙しくて堪んねぇんでさァ」 隣から飛んで来たそんな言葉に銀時が思わず片眉を吊り上げたのは、そんな唐突な台詞を投げて寄越した張本人が、余りにその内容にそぐわない様子に見えたからだった。 「へぇ。まあオメーらは市民の税金で給料貰ってんだし?ちっとは忙しいぐらいでも良いんじゃねェの」 「旦那ァ、警察なんてヤクザな稼業、暇な方が良いに決まってんじゃねーですかィ」 飛んで来た棘の気配に気付いた銀時は渋面を隠さず、視線を下に向けた。手の中には団子の串。貫くのはみたらしの最後の一つ。串を摘む指へと甘いタレが伝い落ちて少しづつ近付いて来ている。 どうでも良い様に躱そうとしたら食い下がられた所からして、先の唐突な一言は沖田の用意したあからさまな釣り針だった様だ。そこまで解っていてむざむざと釣られる銀時ではない。そもそもそれ以前に、ドS王子と他称される少年の釣り針になど願わくば死んでも掛かりたくない。鮟鱇の吊るし切りの如くに見世物宜しく捌かれ美味しく食されるのは目に見えている。 吊るし上げられた彼の上司が、今まで幾度となく憐れに捌かれているの目の当たりにしているだけにか、その想像は得てして妙にリアルだった。吊るし切りをする側に、飽く迄悪巫山戯で済む程度に乗るのは良いが、吊される側になるのなぞ御免である。 触らぬ神に祟り無し。結論に着地した銀時は、串を横にして、団子を引き千切る様に囓りついた。そうして咀嚼をする素振りで間を置こうとしたのだが、 「とは言え、押し並べて世間が平和だろうが、それはそれで税金泥棒だのなんだの言われちまうんですからねィ。肩身が狭くていけねーや。こちとら市井の平和と安全に毎日忙しく駆けずり回って貢献してるってェのに」 またしてもあっさりと距離を詰められる。どうやら沖田は本格的に、わざわざ銀時にこの話題を振りたくて隣に座り話しかけて来たと言う事だろうか。 (やけに饒舌だしな。忙しいだのなんだのって、見え見えの嘘、って訳じゃねぇよな。嘘じゃねぇからこそ、食い下がってるんだろうし?) 隣の少年の意図が読めない。釣り上げる目的は果たして何なのか。吊るし切りは論外だが、単なる気まぐれ或いは道楽と言う可能性も、ある。 銀時は団子を食べ終えた串を皿に戻すと、指に滴ったタレを一舐めし、それから肩をそっと落とした。 よく晴れた日である。秋の始めの晴天は、夏の終わりを引き摺っているかの様によく大気を温めてくれている。涼しくなった、と思い夏物を仕舞った矢先の──よく晴れた、温かい日だ。 暑すぎもせず寒くもない。団子屋の店先、野点傘の下でゆっくりと茶と甘味を味わい寛ぎたくなる、そんな良い日だった。 客足も少ない馴染みの店だ。緋毛氈のかけられた縁台には銀時一人しかいない。野点傘の作る影と、夏よりは遠くなった陽光の柔い光との狭間で茫っと時を食い潰す内、必然の様に訪れた眠気。逆らう理由も特に無かったので思わず目を細めた矢先。雑踏の中に黒い姿を見つけて、銀時の眠気は一気に醒めた。 黒い、無粋な特別警察の、幹部用の装束には厭になる程に見覚えがある。歩いているのがその中でも己に何らか関わりを持ちそうな手合いだったら、それに因ってこちらの身の振り方と対処とが変わるのだ。良い天気だろうが程良い眠気だろうが、船なぞ悠長に漕いではいられない。 うち一人なら、黙って寝たフリをしていれば関わりもせず通り過ぎて行く。結構な事だ。 もう一人なら、黙って寝たフリをしていても何らか話しかけて来るだろう。鬱陶しい。 最後の一人は、寝たフリなんぞをしていた日には、好機とばかりに『被害』と呼べる『何か』が飛んで来かねない。当人にとっては諧謔味の効いた冗談か挨拶のつもりなのかも知れないが、迷惑千万。 雑踏に混じりきれない黒装束の主は、よりにもよってその三番目だった。やむなし、と銀時は寝たフリと言う選択肢を棄てた。「寝てたんで、風邪なんぞ引いちゃいけねーと思いやして」などとしゃあしゃあと宣いながら湯飲みなんぞ傾けられたくはない。中身が熱湯でなくとも。 珍しく一人きりで歩いていた沖田は、銀時の姿を視界に留めるなり一直線にこちらに向かって来て、そうしてごく自然な所作で相席してきた。適当に挨拶をした後は入れ替わりで帰ろうと不承不承に思ったのだが、手にしていた重たげな鞄を置いて深く座り込み、団子二皿と注文されてはその意図を探らずにいられなくもなる。 (団子一皿の代償が……、単なる忙しいだのなんだのって言う愚痴の訳ァ無ぇだろ。つーかコイツが忙しいとか言う台詞吐く事自体どうなのよ) 沖田は基本的に銀時を敵とはみなしていない(筈だ)。彼の上司の様に、イヤガラセめいた攻撃の対象にはされてはいないのだが、だからと言って油断が出来ると言う訳でもない。 何しろ、好機あらば真剣での斬り合いですら望む所と言う物騒な少年である。その上悪魔の如き狡猾な思考を悪魔の如く無慈悲さで用いて悪魔の如き残酷さで嗤う、そんなドS悪魔なのだ。どの様な火種が何に発展するか知れない。 現に今までも、沖田が万事屋ないし銀時に厄介事を持ち込んだ事も幾度となくある。銀時の「なんか碌でもねぇ釣り針の気配を感じる」と言う警戒心も致し方のない話だろう。 (迂闊に釣られたが最後、) 最期。そんな物騒な予感さえもする。しかも今釣り針に下がっているのは餌ですらない世間話。刺さったら抜けなくなる凶悪な返しに気付かず呑み込んで仕舞いかねない。その癖に針を抜こうとする迄はその存在にさえも気付かせない。 (さて、何で何を釣りてェんだ…?) 思い起こせば、今までの沖田の弁は、忙しい、と言う焦点のごり押し。そんなに忙しいのか、と問わせる事が目的なのだろうか。或いは、こちらは暇、とでも言わせたいのか。然るべき後に、忙しいから手を貸して下せェ、などと言う──厄介事に巻き込む宣言──結論にでも運ぶ気なのか。 「忙しい忙しいって言うが、そりゃオメーじゃなくてお宅の副長サンの方なんじゃねぇの」 真選組の職務の内容など銀時は殆ど知らないが、少なからず見た限りでは、上司にも部下にも問題児を抱えているあの男──副長の土方の方が多忙であった。銀時と土方の魂が入れ替わると言う、頓狂な事故の際にもその事は痛感させられている。 真選組と言う船は、近藤と言う船長の他に土方と言う操舵手がいなければ成り立たない。海図を見定める事も、航路を導き出す事も、あのゴリラ船長には余り向いてはいない。 ともあれ。沖田にとっては上司の名を当て擦りに出される事は好まない事の筈だ。が。 「ところがそうでもねぇんでさァ」 返って来たのは決して変化球ではなかった。ただ、躱す事も出来ない剛速球ではあった。 てっきり「あん人はワーカーホリックのドMですからねィ。一緒にしないで下せェ」とでも返って来るかと思いきや。 「旦那も、俺が愚痴こぼしたくなる程忙しいなんて事ァそうそう無ぇってくらい解んでしょう。その肝心の副長が忙しくねぇから、部下にツケが回って来てんですよ。全く迷惑な話でさァ」 副長、と振った銀時の同意を求める様に、沖田はかぶりを振って、さも迷惑だと言う素振りをしてみせた。 その態度を見て、銀時は己の目算が外れた事を悟った。釣り針が刺さった様な心地を憶え、思わず喉元に手をやる。隣には、相変わらず世間話の調子で続ける沖田。その様子は先頃までとまるで変わってはいないが、釣り人が獲物の手応えに、得たり、と『笑って』いるのを感じる。実際ににたりと笑うのではない。さてどうやって釣り上げようかと思案しているかの様な間。 釣り針が喉に迫る気配をひしひしと感じて、銀時は傍らに置いていた木刀を手に取った。上手い逃げ口上は何かあるだろうか。寸時考えるが、どうせなんだかんだと逃げ道を塞がれる気がする。 触らぬ神に祟り無し。触って仕舞った神は見て見ぬフリをして逃げるべし。 まあ適当な事を言って立ち去ろう。食い下がりに来た人間を捨て置くと言うのも何だが、最後まで聞いて、到底楽しい内容になるとも思えない。 思った銀時は腰を浮かせた。木刀をベルトに挟みながら立ち上がる。 「旦那ァ」 ああそりゃ大変なこって。お仕事ご苦労さん。そう出掛かった台詞が飛び出すより先に、沖田はぽつりとそう投げ、見下ろした銀時の視線の先で、指をくい、と己の足下へと向けてみせた。 そこには、沖田が先頃縁台に腰を下ろす前に置いた、大きめのスポーツバッグがある。ナイロン製で黒一色。筒型に近いその形状は、角張った内容物でも詰まっているのか、歪な形に変形している。 もう一つ付け足せば。見るからに重そうであった。 「……何?」 厭な予感を感じた銀時が呻く様に問えば、沖田が喉の奥で笑う気配。 「俺ァ今、旦那の指摘とは真逆な事にもどこぞの副長が暇してる分忙しいんで、さっさとやる事片付けなきゃならねーんですよ。つー訳なんで、ちっとばかし荷物持ち、手伝ってくれやせんかねィ」 団子、ツケときますんで。 隠さぬ棘を幾重にも絡めてそう言うなり、沖田は財布から取り出した紙幣を皿の下に挟み入れた。団子二皿や三皿で済む金額ではない。銀時の溜めていたツケの幾分かには値する。 「………」 いつもの銀時であれば、幾らツケや気まずさを盾に取られた所で、完全スルーしてその好意の上に胡座をかいてみせる素振りぐらいは出来ただろう。 だが、何度も強調された『忙しさ』。沖田にそぐわぬその原因が、常日頃『忙しい』筈の土方にある、と言う奇妙な点が何となく気にかかった。 何より、釣りはゆっくり釣り針が獲物の喉に落ちるまで待つ手合いである沖田にしては、この遣り方は些かに余裕が無い様に見えた事だ。 単なる出任せでも冗談でも無さそうだ、と言うのは勿論だが。何れにせよそれが真選組の内情に関わる話を原因にする可能性は高い。 なれば、関わるべきではない。どうせ碌な事は起きないのだ。 (迷う理由、無くね?ツケ払ってくれてありがとう。じゃあね、で立ち去る下衆野郎でもよくね?いや銀さん決してゲスじゃないけど。Sではあるけど) ぶつぶつと独り言ちてから、銀時は足下の重たげな鞄を見下ろした。 重かったから持って欲しかった。沖田が持ちかけた、理由は到底それだけではあるまい。 強がりも意地も捨て置いて、余裕も無さそうに一方的に釣り針を投じて来た。と言うよりは捻じ込んで来た。自分と質が同じとは言えないが、同じドSを自称し他称される少年が、だ。 沖田の事を理解出来ているなどとは思わないが──沖田の方が、銀時にこの釣り針を呑み込んで貰いたかったのは確かな様で。それは銀時にとっては少なからず奇妙なものである。 そっとスポーツバッグの持ち手を掴めば、確かに見た目にそぐわぬ重さはあった。だが、重たいからと投げたり他人に押しつけようとまで思う程でもない。 (まぁ、こんぐらいなら構わねェか、別に) 何しろ良い天気だ。午睡に費やすのは心地よいだろうが勿体ない。 もしも雲行きが怪しくなりそうだったら、土砂降りになる前にとっととケツをまくって逃げるだけの事だ。なる様になる。……多分。 なんとか肚を──と言うよりは肚の置き所を──決めた銀時は、「んじゃ行きますぜィ」そう言って歩きだす沖田の後ろへと、重たい鞄と共に続くのだった。 。 ← : → |