傍観者たれホフマン 「ウィルスがな。厳密にゃそのウィルスも天人みてーなもんなのかも知れねーが……、兎に角、宿主つーか感染者の体に適合すると、手前ェ自身の最も棲むに適した構成物に、感染者の身体を構成するあらゆる成分を置き換えて行くんだとよ」 だから、無機物に見えても実の所、この琺瑯の様な肉も骨の様な金属も血管の様な糸も、全部ウィルスの構成した有機物──動きも動かせもしないし痛覚も触覚も無いが一応は生物なのだ、と。 それは、山崎の集めた情報を精査し出たそんな結論を、いつの間にか数日に一遍はここを訪う様になっていた男に向けて土方が話していた時の事だった。 朝から、ぼやけたり疼痛を憶えたりと違和感の酷かった左の眼が。視界の左側が、不意に幕を下ろされたかの様に暗くなった。黒くなった。 余りに唐突な変化で、唐突な崩壊だった。残酷であると思う間も無く。そう気付くよりも早く。 「……」 呆然と、土方は己の掌を見下ろした。たった今己の失ったものを、確認する為に。 「そんな奇病?が本当にあるんだな。しっかし、前にオメーが言ってた様に、一昔前だったら完全に呪いとか祟りとか言われちゃうレベルだよなソレ」 見えたものは予想通りであれど期待には添えなかった。だから土方は逃げる様に頭を巡らせて、急須と湯飲みを乗せた盆を畳の上に置きながら相槌を打つ、銀時の方を咄嗟に振り返ってみる。頭を左回りに動かしたから、視界に男の姿が映るのに少しかかった。 「……どしたよ?」 その不自然な間に聡くも気付いて、銀時は片眉を持ち上げると畳の上に上がって来た。なんだか逃げ道を狭められた気がして、土方は未だ動く右の掌で左側の視界をそっと覆った。それから掌を再び開いて。見る。──否、観る。 「……………」 そうして直面せざるを得なくなった、狭まった視界に。沸き起こった感慨は。 (ああ。そうか) 遂に来たのか。その程度の納得だった。 まあそれはそうだろう。既に左腕はぶら下がる無機物(も同然の有機物)と化しているし、最近では右の膝も軋み初めている。まるでガタが来た機械(からくり)だと思って、きっとその認識は間違っていないのだろうとも思う。 こうして少しづつ損なわれていく己を、恐れない日はない。慣れる日もない。 諦めと等価に抱いたのは惜しむにも似た感傷だった。視界の端にちらつく銀髪を右の眼で追って、土方はひたりと、人差し指で左の眼に触れた。見えないのだから恐怖はない。触れてみても触感がない。 だから、別に触れてみたかった訳ではない。やわらかな眼球の代わりに、固いなにかが眼窩に収まっているのを確かめたかっただけだ。 自らの眼球に無造作に指を触れさせてみせる、そんな異常な土方の行動を目にして、 「……おい、まさか」 銀時の問う声音は少し震えている様に聞こえた。そうだったら良いと何処かでそんな馬鹿な事を考えている己に気付いて、土方は力無く笑みを浮かべてみせた。 「手触りは陶器…いや、硝子玉みてーだな。視神経がどうなってんのかは知らねぇが、取り敢えず見えねェ」 「………………」 息を飲んで黙り込む銀時に、土方は咎める様な笑みを向けた。少なくとも自分ではその心算でいた。のだが、馬鹿にされたと思ったのか、彼はぐっと眉を寄せて険しい表情を向けて来た。口には出す気配は無いが、よく笑えるな、とでも言いたげに見える。 (……解っていただろうに) ふいとそっぽを向いてあからさまな溜息をついてやってから、土方は少し苛々した風を装って言う。 「まあ、何れは来る事だ。覚悟なんざ疾うに出来ちゃいる。ただ、予想以上に早かったたァ思うが」 左腕、と来て、続けて左の眼球に『来る』とは考えてはいなかった。指の末端から症状が表れ始めたのだから、四肢から先に駄目になるものだと漠然と考えていたのだろう。 まだ片目、だが。次には右の眼球も『こう』なるのか。それともまるきり別の場所が唐突に壊れるのか。 全く予想のつかない症状の進行には、感情よりも先に理性での納得の方が追いついて仕舞って、土方は己でも少し驚くぐらいに、酷く平淡で平坦な心地でいた。驚き、は恐らくあるのだろうが、直ぐ様に納得に変わって仕舞う。そう──遂に来たのか、と思う程度でしかない。 まるで体中に爆弾でも付けられている心地だ。だからこそ、次に何が起こるか、と言う恐怖ではなく、次に何が起きても、と言う余裕と覚悟とを持ちたいのかも知れない、が。 だから、実のところ所作や言う言葉ほどには苛立ちも悲観も何もないのだが、そんな土方の様子をじっと見つめて来ている銀時の、その視線に込められた困惑や怒りや──或いは憐憫──、に似たものを感じて仕舞っては、そうそう穏やかではいられなくなる。 「景気悪ィ面ぶら提げてんじゃねェよ。茶」 今度は本気で苛々と。言葉の後半は銀時が己の傍らに置きっぱなしにした盆を指して言えば、彼は「茶」と意表を衝かれた様にきょとんと鸚鵡返しにして、それからややして放置された茶の支度に気付いた。 「…、ああ」 土方の示した苛立ちの理由が何であるのかを察したのか、銀時はばつの悪そうな顰め面を作ると、畳の上に腰を下ろした。湯呑みと急須の乗った盆を引っ張り寄せてどこかぎこちない仕草で二人分のお茶を淹れる。 己では同情の気配なぞ見せる心算は恐らく無かったのだろう。頭の角度を俯き加減にそっと湯呑みの片方を差し出す、銀時のそんな様子を見て土方はそう思う。──だが。 ほんの僅かでも、縋る様な弱味を最初に抱いて仕舞ったのは、誰あろう土方自身の方だ。それについては今思い起こしても、何でそんな愚かで浅ましい事をつい望んで仕舞ったのだろう、と全力で後悔する所である。 そしてそんな土方に、気紛れで──気紛れと言う体裁で──相対する事をこれもまた何故か選んだのは銀時の方の決断だ。どっちもどっち、と言う立場ではあるが、土方は飽く迄『食事を時々作りに来る』程度のお節介しか銀時に求める心算は無い。それ以上の、例えば気遣いや憐れみや同情、共感。その種の感情の一切は欲しくなぞない。それ以上の関わりは要らない。求めるべきでもない。 ただでさえ、『気紛れ』で寄せられた食事を美味いと受け取れているのだ。それ以上はぼろが出て来て仕舞う。己の弱さや恐れる心や、未練、や。後悔が。……きっと。 (今更、無様な面ァ晒したかねェとか、到底言えたもんでもねぇんだろうが…) 目を閉じて、まだ熱い茶を啜れば、重たいものが一緒になって胃の腑へと落ちてくる心地がする。幾ら甘党の男でも、淹れる焙じ茶の味は普通だった。だがもう少し苦い方が土方の好みだ。今の気分と併せてみても。 「なあ」 そわそわと何処か落ち着きなく湯呑みを手の中で弄んでいた銀時が不意にそう切り出すのに、何だ、と視線だけで続きを促す。すれば銀時は土方の方へと身を乗り出して来た。 「んだ、」 迫った距離は少しばかり予想よりも近い。それは他者と相対するのに際して、土方が気心の知れた者や危険の無い者以外に許さぬ距離だった。 別に常に斬り合いを意識している訳ではないのだが、己の身が侭ならぬと知れている今は少々過分な警戒心が湧くも致し方ないだろう。 その警戒心が見過ごしたのは、気付いた時には既に遅い距離だった。腕が知れて素性や目的の知れぬ者を前にして、その空隙を許すには油断が過ぎている。 思わずぎくりと固まる土方の警戒を、手にした熱い茶の所為と思ったのか。或いはそう言う事にしてくれたのか。銀時は思い出した様な動きで、量を減らしていない湯呑みを盆へと戻した。茶の色の水面がゆらゆらと揺れる。土方の動揺のその侭の様に。 「……見ても?」 失くなった左側の視界で銀時の手が揺れる。上手く焦点が合わないからその距離感が解らない。 その、上手く計測出来ない距離感と、こんな事態では元攘夷浪士の男になぞ到底許さなかった筈の距離感。一体いつの間に近付いて来たのだろう。そんな指先が土方の左頬に軽く触れて、そこで我に返る。 「見て、どうすんだよ」 問いを反芻。左頬に辿り着いて動かない指先の存在。漸く銀時の意図が知れて、土方は思わず溜息をついた。こんな、素性は確かに怪し過ぎて擁護出来ないが、不本意ながら人としての性根はまあ真っ当な方だろうと──少なくとも犯罪に好んで手を染める様な質ではない──言う確信だけはある野郎相手に、一体何をびくびくしているのか。 単なる好奇心だ。鏡は見ていないから、左の眼がどんな有り様になっているかは知れないが、言って仕舞えば義眼の様なそれに──手品の様に唐突に眼窩に顕れた様にしか見えないそれに、興味が湧いただけの話だ。 故に、呆れた様に出て来た声音には失望の色がはっきりと滲んでいた。銀時はそんな土方を前に、まずった、と思う気配も無く、諾の応えを待っている。お預けされた犬でもあるまいに。 「…………」 結局土方がそれ以上、明確な是も否も言わずにいれば、業を煮やしたのか銀時の親指が勝手に眼窩に近付いた。まるで片手で頬を包み込む様な触れ方に土方は顔を顰めるが、気にする様子もない。 目が見えていたら恐れただろうか。思うが、生憎と右の目からは、己の頬に触れている銀時の手以外は何も見えない。親指の腹が目蓋を潰す様に触れるのに、睫毛が抗議する様に指を叩く。眼前の視界はゼロだと言うのに、目蓋は未だ『自分の物』らしい。 ぐ、と眼窩に圧迫感を感じる。咄嗟に目蓋が閉じかかるが、きっちり押さえられていて動かない。ひたりと触れた指が硝子玉の様な眼球の表面を一撫で、二撫でして。 「…………」 押し黙った銀時が、やがて呻く様に呟く。 「……な。マジで、見えねーの?痛くもねーの?」 「…だ、ってんだろ。斑な虫食いみてーな進行だとしたら困るが、二つある物の片方が残ってんだから、まだマシなんだろうよ」 腕も、目も。まだもう片方はある。──だからと言って失って良いものではないし、願わくば失いたくなどなかったが。 「…………」 思う土方を余所に、銀時は同情や憐憫と言うには余りにも薄ら昏い表情を浮かべながら、固い眼球の表面から親指をそっと退けた。開かされていた目蓋が抗議する様に震える。 その侭銀時の手は離れて行く、と思いきや、未だ土方の左頬を持った侭、親指がそっと鼻梁を跨いだ。固い剣士の掌が肌に少し痛い。 銀時の親指が、土方の左眼に触れたのと同じ様にして、右の眼窩の縁に辿り着いた。そうして、まるで確かめる様な動きで、隈の目立つそこをじわりと撫でて。 左側とは違う。視界にはくっきりと、はっきりと、自らの眼球に迫る銀時の大きな指が見えている。映っている。 ほんの少しでも力を込められれば、眼窩にその指が潜り込んでいるだろう。その想像も易い。こんな距離は有り得ない。こんな接触は己の身が健常であれ絶対に誰にも赦す筈など無い。 だが、土方の裡に恐れは何故か無かった。ほんの少し近付かれただけで警戒した筈の男の指が、自らを容易く殺せる距離に居ると言うのに。 どこか投げ遣りな心地でいるからか。それとも、何れは見えなくなる眼球など潰された所で意味などないからなのか。──それとも。解らない。……"それとも"?他に何か可能性や選択肢が存在すると言うのだろうか。 「……おい。そっちは未だナマモノなんだ。触んなよ?」 恐れの無い、その侭に。やがて出た声は抗議と言うには些かに淡泊だった。 「あ、」 逆に、静かに咎められた銀時の方は慌てた様に手を引いて乗り出していた身を元に戻すと、行き場を失ったその掌で誤魔化す様に後頭部をわしりと掻いた。 「悪ィ、あんま気分良いもんじゃねぇよな」 「……」 気分とかそう言う問題でもねェ。そう口を衝いて出そうになるのを留めて、土方はそっと息を吸って、吐いた。それが当たり障りの無い意味の所作だとは取れなかったのか、銀時はもう一度「悪い」、そう言い直して来る。 (ああ、やっぱりな) そんな銀時の、消沈にも似た様子を見て──そう、何処か絶望に似た心地で思う。きしきしと。頷く様に軋む左腕をそっと掴んで、土方は。 「万事屋。俺がお前から欲しいのは同情でも憐れみでも施しでもねェよ」 震えそうになる唇を無理に動かしてぽつりとこぼした。いつになく力の無いその様子に、銀時が虚を衝かれた様に、眠たげな目を瞠らせる。 「……土方、おまえ」 「お前の作る飯は美味かった。未だ味覚を感じて、食いもん摂取して生きてる、そう実感が出来た。だから安心出来た。それだけなんだ。それだけで良いんだ」 声が震えた。右の手で掴んだ着物の下で、つくりものの様な左腕がきしきしと揺れる。耳障りに。きしきしと。死の足音の様に。きしきしと。怯える様に。きしきしと。 生きていると実感しなければならない程に。 こんな腕(もの)は生きているものでは決してないと、何よりも雄弁に、痛烈に。示してくる。 見えなくなった左眼に、土方は震える指で触れた。それは紛う事なく、固く冽たい硝子の様な感触を以て己の指の腹をひたりと冷やす。 その表面に無機質に映し出された世界は、然し土方の脳にその像を結んではくれない。 それはもう、生きてはいても土方のものではない。 死んでいるも同然。未知のウィルスとやらが好き勝手に食い散らかし好き勝手に作り替えた、自分の一部では決して無いもの。 怖く無い訳がない。恐ろしく無い訳がない。食い荒らされて、死であって、死ではなく、ただ人形の様に静かに刻を止める、そんな冒涜が──恐ろしくないものである筈が、無い。 「…………………後生だ。解ってくれ」 縋りたい訳ではない。縋りたい。縋りたくはない。 疑問なぞ感じる前に受け入れて諦めたい。何故なのだと叫びたい。無様では居たくない。 怒りたい。怒って欲しい。嘆きたくなどない。 酒でも呷ってみっともなく喚いて、埒を開けて、そうしてその意味の無さに気付いた後には、迫る刻限に怯えるか、怯えながら足掻くか、怯えながら諦めるかしか、残らないと解っていても。 「俺は、お前にだけは、そんな目も感情も、向けられたくはねェんだ」 生じたのが憐憫であれ同情であれ、或いはもっと酷いものであったとしても。構わない。 この恐れを、少しでも遠ざけていたい。 だから、関わらずに関わるぐらいが良い。 お前が『偶然』と言って気紛れに足を運んで来て。飯代を無心しながら俺と万事屋の連中の飯を作って。時に役得と言い張って甘ったるい菓子の一つでもレシートに加わえてやがるのを怒鳴ったりして。 「てめーに、だけは……、」 「土方」 「手前ェで抜かしておいてザマぁねぇ話だが、お前とは…、その、対等……、いや、当たり障りもねェ、そんな関係の侭で居てぇんだ」 制止する様に名を呼ばれたが、遮る様にして土方は続けた。 「憐れまれるのも、怒りを覚えられるのも、縋りたくなるのも、御免だ」 こんな事に、こんな奴の事情に巻き込んでおいて酷い話だ、とは言っていて土方自身とて解っている。そう、最初に思った通りに万事屋稼業を営むこの男、坂田銀時はこんな様の人間を捨て置ける様な男ではないのだ。仮令それが犬猿の仲の気に食わぬ男が相手だったとしても。 銀時に縋る様な期待を、つい出来心で寄せて仕舞ったのは本当に失敗だった。真選組の誰と言う訳でもなく、土方の損失を実害として受け取る事の無い男だからと──甘えが出たのだ。 真選組の人間を前にすれば土方は否応無しに、己の遺さねばならぬ事を、残された限りある刻限の中で考えなければならない、そんな現実を思い出す。彼らの前では、彼らが悲しんだり苦しんだり怒りを覚えたりしない様にと、自分はもう覚悟が出来ているから大丈夫なのだ──と気を張り続けなければならなくなる。 どうしたって、目の前の現実を思い知って、壊れていく己を恐れる間も無く尽くし続けなければならぬ事を、思い出す。 左腕が壊れた。まだ右腕は動くから筆は取れる。だから大丈夫。 左眼が壊れた。まだ右眼は見えるから支障ない。だから大丈夫。 片足が。 片耳が。 口が。 臓器が。 残るもう片方のすべてが。 ──使えなくなった、と。思いながら、悔やみながら、死んで行くほかなくなる。 だが、銀時であれば。仮令どんなにお人好しであろうが、土方が消える事で多少は物足りなさぐらい得てくれるかも知れないが、別段それに因って『実害』の生じない男であれば。 動かなくなる四肢を。己が役立たずになって行くニンゲンである事を。土方は実感しないでいる事が出来る──そう、思ったのだ。 組でも仕事でもない。いつもの、どうでも良い諍いや軽口や罵声を投げ合って終わる、そんな『何でもない』様な関係でさえ、あれば。 「……土方」 子供の癇性めいた仕草で、自らの頭髪をぐしゃりと握り潰しながらかぶりを振る土方へと、少しの間を置いて降って来た声音は──恐らくは土方の期待通りのものだった。 勝手な事を抜かすな、とか。無様でも良いから泣き喚け、とか。そんないつもの説教じみた台詞が出て来そうもない、呆れ混じりの質だった事に、泣きたくなる程に安堵する。 「別に同情なんざしねェよ。まあ多少心配みてーなのはあったからこその飯炊きだけどね?ってもその飯も我が家の食卓にも流用するもんだし、実質飯代てめーに持って貰ってる様なもんで、貧困生活にはありがてぇし──、」 だが、そこまで言った所で、突如銀時は動きをぴたりと止めた。そして、土方がそれに気付くより先に、乱暴に伸ばされた銀時の手が、左の眼球──だったもの──へと強い力で触れていた。 「──」 「……なんて、言う訳無ェだろ」 息を呑む間も無かった。重いトーンになった言葉と同時に、再び銀時の親指の腹が土方の左の眼球に触れている。否、押し潰す様に強く、触れていた。 「よろずや…、」 ぐ、と眼球ではない何かが眼窩を強く圧迫している。この侭強く押し込めば贋物の眼球はころりと飛び出すのではないかと錯覚する程に。だが、感触はあっても痛みは無い。土方はただ茫然と、至近距離で苦々しい声音を紡ぐ銀時の姿を見上げた。 「俺の飯食って、生きてる心地がして安心した、だァ?──ふざけんなよてめぇ。 死にたくねぇ、未練は尽きねぇ、どうしてこんな目に、そうやって泣き喚く方が余程生きた人間らしいだろ?!馬鹿かてめーは!」 ぴしゃん、と頬を張るのにも似た強い銀時の声に打たれて、土方は暫し茫然と瞬きを繰り返してから──こわれた眼球に触れていた銀時の手をそっと押し退けた。 全く、どうしてこんな事になったのか。 後悔にもならない。どうして、こんな。馬鹿げた望みを、馬鹿げた相手に懸けて仕舞ったのか。 「だから…、後生だからって言ってんだろうが、……ッ馬鹿が」 泣きたいのも、喚きたいのも、山々で。それが出来ないから──したくないからこそ、こうしているのだと言うのに。 土方の唇からゆっくりと漏れ出た、滲んだ声に。心の裡からこぼれ落ちる様な懇願に、銀時は苦々しく呻いて、 「……厭なんだよ。他に何て言や良いんだよ。お前が馬鹿みてぇに意地張って一人で尽くしながら、誰にも惜しむ間なんざ与えず、そんなんなって行くのが、」 それからもう一拍おいてから、銀時は土方の両目にそっと掌を被せた。 「…………………厭なんだよ」 その言葉は、土方に残された右の眼から零れた滴と同じ様に、ほたりと力なく落ちた。 口にする事の出来なかった想いの代わりの様にして。 タイトルがちょっとルールから逸れてます…。つまりちょっと予定外に分割された痴話喧嘩(未満 ← : → |