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 後頭部がずきずきと痛む。幾ら髪の量が多いからと言っても夜兎の跳び蹴りをまともに食らって仕舞えば衝撃吸収も何もあったものではない。いてて、と神楽に凹まされた頭皮を撫でながら銀時は拡がった投網を畳んで行く。『猫』を捕獲しようと持ち出したのは良いが今日の戦果は生憎とゼロだったので網の中身は空だ。
 土方が──真選組の副長自らが市井の万事屋へと持ち込んで来た『猫』捕獲の依頼を請けて一週間が経つが、要領さえ得て仕舞えば仕事そのものは結構に楽なものであった。飽く迄万事屋的には、と言う注釈が必要になるが。
 そよ姫に依頼を持ち込まれた時には『単なるデブ猫』と言う認識しか無かった捜索対象の『猫』だが、土方に改めて話を聞かされ、姿形の動画を見せられる事で認識が大きく変わる事となった。少なくとも当初見せられた一枚の写真で憶えた造作の印象と実物とは全く異なるものだったのは間違いない。
 捜索対象の正確な姿形が解れば、何しろ結構に特徴的な見てくれなのだから情報の仕入れ様は随分と幅が拡がった。万事屋は警察の様な広域に渡る正確な情報は持たないが、その分市井に広く顔や話が利く。不確かな人伝の噂話とは言え、それこそ地道な失せ物探しでは結構馬鹿にならないのだ。
 今まで発見した十二匹の『猫』は、野良猫と一緒に混じっていたり、動物好きの人間に可愛がられていたり、野良猫の保護施設に居たり、と言うのが概ねの発見状況だった。今の所は爆発や分裂と言った危険性のある状況には遭遇しておらず、正直言って万事屋に時折持ち込まれるペット探しの類と仕事内容としては殆ど変わらない。
 つまり万事屋の地道な仕事ぶりは『猫』探しと言う事柄に於いては充分に功を奏していたと言えるのだろう。今日に至るまでは順調に、そして楽に事は運んでいた。失踪数の暫定半数となる十二匹の『猫』を一週間足らずで捕獲した功績は万事屋に依頼をした土方でさえも予想外の事だったのか、真選組屯所まで銀時が『猫』を手ずから運んだ所に偶々遭遇した時には、戸惑いと疑いとを隠せない様な表情で口をへの字に曲げていた。
 何だか素直に喜ぶ事の出来ない子供の様な表情だと思ったがその場では敢えてその事は指摘せず、後からメールの文面で少しからかってやれば、
 "てめぇらもやりゃ出来るんだなと感心してやっただけだ"
 と、照れ隠しなんだか隠せていないんだかよく解らない内容の返信がかなり時間を置いてから返って来て、銀時は一体土方がどんな表情でこう答えたのだろうかと想像しては笑いを噛み殺して仕舞った。
 口頭でからかっていたら間違いなく、同じ内容の会話をした所で棘が乗って子供じみた舌戦が始まり、不快な気分を抱えた侭で互いに背を向けていた事だろう。
 『猫』を探すのは万事屋の三人でだが、真選組屯所に『猫』を運んでいるのは基本的に銀時が単身で行っている事で、あの時もそうだったが、土方の方は部下が横に居た。そんな所でからかう様な言葉なぞ投げたら喧嘩になるのは必定だろうと思って、銀時はその場で言いかかった言葉を噤んだ。どうせ後からメールをするのだし、その時にからかってみるか、と。
 それが良い判断だったのか、(デジタルの文字上の事とは言え)土方は怒らなかったし、銀時も土方の様子を想像して存分にニヤついて楽しめた。
 デジタルの文面で喧嘩になると言うのも想像し辛かったが、未だにそれは想像の及ばない侭だ。何しろ銀時と土方との間でこの依頼についてメールでの遣り取りが始まった時から今まで、口頭では容易く起こっていた喧嘩と言うものは一切生じていないのだから。
 (だからって別に仲良くなったとか仲が縮まったとか言う感じはしねェんだよな…。会う度喧嘩、って印象が強すぎるって訳でも無ェとは思うけど)
 思えば力のない溜息が漏れる。銀時が土方と『繋がる』意味と目的とを、共通の『依頼』と言う名目で手に入れられたと、前の見えていない子供の様に浮かれていられたのは僅か数日足らずで、その後は寧ろ『依頼』と言う理由無しには繋がれぬ現実を切開していくだけの日々となっていた。
 携帯電話の扱いにも随分と慣れた。神楽や新八の見ていない時、朝に布団の中や厠でこそこそと素早く『手紙』を認めては何度も読み返して送信ボタンを押す。事務的な内容の他に、朝だからと書き添えた"お早う"、そんな一言に同じ様に返って来ただけで浮かれて、恥ずかしさやら嬉しさやらでのたうち回りたくなる事には変わりは無いのだが。
 一体土方はどんな表情をして銀時からのメールを読んでいるのか。どんな事を考えながら返信を打っているのか。思えば思うだけ、自分と同じ様な感情であって欲しいと言う願望と欲とが首を擡げるのを止める事が出来ない。
 どう控えめに見た所で、こちらに好意的な面など見せてくれた事もない男相手にそんな願望を抱く事が既に負け戦の様なものなのだろうと、そんな事は解りきっている筈だと思っていたのに。
 (あいつが携帯電話なんて寄越すから、)
 呑み込んだ悪態は好意になって解けた。『依頼』と言った所で、繋がるもの(こんなもの)を、そんな理由をくれたから、際限なく感情が欲を見出して暴れそうになるのだ。
 畳んだ投網を袋に仕舞って、銀時は神楽に蹴り飛ばされた後頭部をもう一回撫でた。もう痛みは忘れて仕舞える程度には遠くなっている。
 新八と神楽に、聞き出した情報を元に絞った付近の公園に住み着く野良猫の群れを探させておいて一旦土方にその事を連絡しようとしていたら、銀時が暇そうにしているのを聡く見つけた神楽に思いきり蹴り飛ばされたのだ。幼い子供らが平和に遊んでいる直中に吹っ飛んで倒れた銀時の耳に、猶も制裁を加えようと怒鳴りつけて来た神楽の大きな声が厭に響いて来ていた。
 サボるつもりはなかったと咄嗟に言い訳をしたが、結局捜索配分の最も広い箇所を投網と共に押しつけられて今に至ると言う訳だ。が、取り敢えず問題のこの公園には目当ての『猫』は居ないだろう、と言うのが銀時の結論だった。少なくとも今──或いは今日──は、と言うだけだが。
 そんな、後頭部の負傷の経緯を改めて思い出した所で、銀時はふと袂に手をやった。神楽の足が届くより先に咄嗟に袂に放り込んだ携帯電話は開いた侭だったが、取り敢えず外見的に壊れた所は無さそうだ。弁償とか言う考え以前に、土方との『繋がり』が断たれる事そのものを危惧して仕舞った銀時は心底に胸を撫で下ろす。
 「ん?」
 そこでふと液晶を表示させた銀時の目に飛び込んで来たのはメールの着信を示す表示だった。土方十四郎と言う差出人名に思わず居住まいを正して仕舞う。尤も他の差出人からのメールなぞ受け取った事も無かったが。
 "ガキ共に押しつけて楽してねェでちゃんとてめぇも働けよ、マダオが"
 「…………」
 ふん、と鼻を鳴らして笑う土方の姿さえ透けて見える気のする、そんな文面を何度か読み返した銀時は、頭の中に未だに響き続けている神楽の罵声とメールの文面とを重ねてから顔を引きつらせた。ここは土方の巡回路からも外れた公園だから、あの場面を土方が偶然見ていたとは少々考え難い。少し考えてから発信履歴を見ればそこには自分から土方に対する発信の記録が確かに残されている。勿論銀時には音声通話を発信した憶えなぞない。と、なると、蹴り飛ばされて転んだ時にでも誤作動で発信されたのだろう、その状況を土方がどうやら耳にしたと言う事か。
 「………、」
 "いや違うからね?!サボってた訳じゃ無くて、メールしようとしてたら神楽に見つかって"──、
 咄嗟にそんな文面を打ち込んで送信ボタンを押せば数秒後、
 "解ってる解ってる。"
 そんな簡素すぎる一言が返って来て、銀時は頭を抱えた。メールの文面の向こうに見える土方の表情は、小馬鹿にしている様で、或いは単純に笑っているだけの様で、銀時は返す反応に困り果てて携帯電話をそっと閉じた。浮かんだ反論を文字に起こすのも億劫だったのもあるが、それよりも。
 (句読点が入ってるのが何か、あーはいはい、みたいな感じっつうか…。そう言うつもりで付けてんだろうけどよ…)
 ぶつぶつとぼやきながら携帯電話を袂へ放り込む。交わす遣り取りは増えた筈だと言うのに、一向に狭まる気のしない距離感の正体はそこにあるのだと、気付いてはいても銀時にはそれ以上の『繋がる』理由も手段も思いつかなくて、全てを承知の上だった訳ではない事を今更の様に思い知らされるのだ。
 幾つ言葉を交わしても、下らない遣り取りを好んでも、それで縮まる関係も距離も無かった。それが現実だ。
 『依頼』と言う無機質な共通項が、携帯電話と言う接点で結びつけられた事は慥かに浮かれる程に嬉しい。だが、浮かれて思い知って思い違えてそれでお終い、にはなりたくはない。
 文通でも交換日記でも事務的なメール交換でも何でも良い。不確かなその繋がりを『何か』残したくて、神楽がどうだとか適当な言い訳をつける事で銀時は「メールで連絡を」と土方に願い出たのだ。履歴を見れば、メールボックスを見れば、そこには今日までの土方との遣り取りが克明に残されている。
 だが、それを幾ら読み返せど、辿るのはその瞬間恋に浮かれた記憶だけだ。依頼の終了と言う終わりに向かって互いに進む作業だけの意味しか、そこには刻まれてはいない。
 そこから先の、銀時が求めて仕舞う様な現象や関係性は何一つ存在していない。何かに至るだろう堆積はそこには見えて来ない。
 理由が在るのであればそれを利用してでも進みたい。この距離を近づけてみたい。あの手を取ってみたい。あの声と表情と一緒に同じことで笑ったり怒ったりしてみたい。そんなささやかに過ぎる願望が──今までは気にしない様に努めて来れていた事が──段々とその形を為して来ている実感だけは日毎に増して、土方との距離は全く近付く気がしないのに依頼の終わりだけは少しづつ迫って来る事との齟齬に焦燥さえ憶えて落胆する。
 距離は縮まらない。繋がって仕舞ったからこそ、声は余計に届き辛くなって仕舞った気さえする。漸く少しづつ差した日差しも、銀時と土方との間に拡がる荒涼とした不毛の大地を照らし育てるには、控えめに言ってもまだまだ至らなかったと言う事だ。
 (……ま。結果がどうなろうと、こっちは『猫』探しに励むっきゃ無ェんだけどな)
 依頼を完遂出来なければそもそも、頼りにされたと言う最初の前提さえも覆って仕舞うし、そうでなかったとしても請けた依頼は(それなりに)きちんと片付けるのが万事屋の信条でもある。
 それに、三人で日々『猫』探しに励んで来ている訳だが、実の所請けている依頼はそればかりではない。『猫』探しだけではリソースも余るので、他にも幾つか簡単なものならば並行して抱えているのだ。正直忙しいのは銀時の好む所では無いが、依頼の全く入らない素寒貧の季節を思えばいっそ繁忙期の方が有り難いのは間違い無い。贅沢も情けない愚痴も言っていられない。
 「明瞭なのは仕事だけ、ってな。どこぞの仕事馬鹿副長さんじゃあるめェし」
 態とらしく口に出して言えば、態とらしい笑いがこぼれる。依頼と言う便利な言葉にかこつけて何かを求めようなどと思う者には相応しい、嘘くささだと思った。





(ここまでで10でした…。次かその次くらいから何か動く筈…。

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