?→! / 12 地まで落ちて沈み込みそうな溜息だと思った。 数日振りに目にする土方の顔は大凡健康的なものとは言い難く、寝不足や身体的な疲労と言ったものよりも精神的な意味合いの心労が強いのだろう、溜息に似た深い吐息をこぼしたり色の悪い顔を顰めていたりと傍目に見ても調子の宜しそうなものでは無かった。 少なくとも、メールの文面を見た限りでは全く以ていつも通りとしか言い様の無かった筈の土方の、そんな疲労困憊と言った様子に銀時はあからさまに態度には出さないものの多少は狼狽えた。 それは動揺や驚きないし心配と言った理由からではなく、もっと単純な申し訳の無さの様な──居心地の悪さとなって銀時の胸に刺さる。 「はい。行方不明の個体に間違いありませんね。早速無力化します」 「ああ」 足下に置かれた小さな犬猫用のケージを横目に見下ろしている土方が頷くのに、了承を得た真選組隊士は20糎程度の長さをした薄型のケースを開いた。慣れた手際で中に収納されているアンプルを取り出すと薬液を注射器に吸い出し、ケージの傍らに膝をつく。 ケージの中の『猫』は──ぐれむりんは、物騒な注射器を目の当たりにしても大人しい。弱っているからではなく単に無警戒の状態にあるからだろう。今まで腹も脹れて外敵もいない、一人暮らしの老人の家に入り浸っていたのだから平和呆けぐらいしていてもおかしくない。 ケージの隙間に手を突っ込んだ隊士が、毛玉の様にもふもふとした体毛の中に注射器を突っ込み、プランジャーを押し込む。筒の中の薄緑色をした薬液がじりじりと量を減らして行くが、ぐれむりんは相も変わらず暢気そうな面を曝している。二週間以上も平和呆けしていれば動物とはこんなものなのだろうか。ぐれむりんは自らの生命危機を感じて逃げる時だけは生存本能が強い様なのに、脳味噌の方は余り利口ではないらしい。 今ぐれむりんに注射している薬液は以前土方の言っていた、ぐれむりんの爆発と分裂とを未然に防ぐ薬だ。効果は一過性で一日程度しか保たないものだが、城に無事にぐれむりんを戻す為の保険だと言う。ここ二週間で既に見慣れた光景だ。 「処置、終わりました」 「ご苦労だったな。適当に人員見繕ってとっつぁんの所に運搬する手筈を整えとけ。連絡はこっちから入れておく」 「はい」 指に挟んだ煙草を揺らして言う土方の声音は、常より大分トーンが下がっており張りもまるで無い。顔色の悪さも相俟って病人(か、アブない人)一歩寸前の様な様相だが、部下はそんな上司の様子について言及する気はまるで無いらしく、大人しいぐれむりんの入ったケージを手に取るとさっさと屯所の方へと引き揚げて行った。 今銀時が居るのは真選組の屯所、の勝手口の一つを入って直ぐの場所だ。ここが土方の部屋に最も近いし人目にも付き辛いと言う事で、銀時はぐれむりんを捕獲する度毎回そそくさと密売人か何かの様な心地で此処に入って来ている。 勝手口の先なだけあってか、殆ど裏庭だ。庭とは言ったものの人が潜める様な茂みの類、建物からの視界を遮る様なものは一切無く、塀の付近のところどころに花や樹木がぽつぽつと植わっている程度の殺風景なものである。 当然目で楽しむ風景も身を休める東屋も無い場所なのだが、土方は部下が去っても猶その場に立ち尽くして煙草の灰を地面に落とし続けている。土方が動かないから銀時も「それじゃあ」と立ち去る事も出来ず、居心地の悪さを混ぜっ返しては困り果てて視線を彷徨わせていた。 「……今週は二匹だけか」 やがて、重苦しそうな溜息と共に土方がそうぽつりと呟いた。目線を溜息と共に地の遙か下まで向けた独り言の様な響きであったが、その刺さる場所は目の前に居る銀時の元以外には有り得ない。 他意があったかは定かではない。だがその言葉は、土方の背負うだろう疲労の理由の一端を担って仕舞っていると自負していた銀時にとっては紛れもなく痛烈な一刺しであった。蜂の様に鋭く、抜けても毒が残される。そんな針に似た凶器だ。 「てめぇがいつもぼやいてる事だろ。現場の苦労は机の前の人間にゃ解んねェってな。第一、成果は情報以外に殆ど挙げられて無ェ真選組(てめえら)の言える台詞ですかァ?」 針の痛みに過剰反応し過ぎた、と嫌味を返しながらも銀時は気付いていたが、口から投じられた武器はもう鞘には収まらない。一旦吐き出された言葉を取り消すのは否定か謝罪かしか無い。 「………」 銀時はそのどちらも選ばなかったし、土方もやり返す気がないのか気力が無いだけなのか、応じては来なかった。ただ隈の浮いた目元を眇めて下顎に力を込めたのだけは解った。刃かそれとも棘を呑み込んだ横顔は蒼さを通り越していっそ怒りで白い。 万事屋が依頼を請けて僅か一週間の間に十二匹のぐれむりんを捕獲したのは確かに成果であった。が、それ以降は到底はかばかしいとは言えない日々が続いていた。次の二週間で、今し方土方が口にした通りに未だ二匹しか捕獲も発見も叶っていない。 捕獲した十四匹の殆どは万事屋の探る市井の情報から比較的容易く発見に至っていた。つまり、この江戸市中で人々の目についていた頭数は主にこの十四匹までであって、暫定残り頭数である八匹はそう言った『目』から既に離れた所にやられて仕舞った、と考えるのが妥当だ。例えば、人々の目なぞ及ばない金持ちの好事家の家にでも囲われたり、或いは悪い人間(テロリスト)に捕獲されていたり、と言った可能性。 今日やっとの思いで捕獲した一匹も、一人暮らしで体が不自由で近所付き合いも無い、町中の屋敷に住まう老人の元に居た。偶々出入りしているケータリング業者が『変わった猫』を目撃していたと話に上がった事で発見に至ったのである。 ここから先は万事屋の及んで良いものかは定かではない、と銀時も遅々として進まない『猫』探しに対して思ってはいたが、それを『依頼』として受けた以上は完遂する意気はあるのだ。だからこそ、情報も限界に来た今は町中を地道に捜索すると言う作業に従事していた。それこそ、屯所で顔色を悪くする程に仕事に詰めていた土方にはその苦労は知れないだろうと銀時が自負出来る程に。 土方の疲労の原因は言うまでもなく、『猫』捜索が──本来万事屋の担うべきであった仕事が滞っている為に起こっている弊害だ。メールで多少こぼされた愚痴には、ぐれむりんの全頭数を発見に至らない事でお上からあれやこれやと言われせっつかれ、あまつさえ真選組の足下を掬おうとする輩もここぞとばかりに活気づいているとかで、土方が相当に疲労する原因としては全く頷ける話であった。 銀時としては依頼には全力を尽くしているつもりだが、それが至らない事で『こう』だと眼前に示されれば、土方に対する特別な思い入れも含めて居心地ぐらい悪くなろうものだ。不甲斐ないと殊更に己を責める程に己惚れてはいないが、なんとか助力出来るのであればしてやりたいと思うのは否めない。 そんな所に土方からの蜂の一刺しだ。土方自身嫌味として口にしたのかは定かではないが、一旦口から出た言葉も毒も──そう、易々消えるものではない。銀時に謝る気が涌かないのと同様にか、土方もまた謝罪も撤回もする気は無い様だった。 返す刃を呑み込んだのは理性なのか、それとも疲労で舌が回らぬだけなのか。どちらだろうかと、土方の白い横顔を見つめながら銀時は考えて、それから「は」と短い溜息をついた。失望と呆れの丁度中間の様なその感情表現に、土方の目元がぴくりと揺れる。 「もう『本体』を持ち歩いて探して次々吸収する様にしたらどうよ。セルみてーに」 苛立ちを継続する気の無い銀時のそんな冗談交じりの提案に、然し土方は真剣に固い面持ちの侭で左右にゆっくりとかぶりを振った。 「ンなのァとっくに上申した。だが、お上の所有物を持ち出すのなんざ論外だと老中に頭ごなしに一発拒否されてる」 「……あ、そ」 真っ向から戻って来た返球を、何だか面倒になって銀時は躱した。愚痴程度なら聞いてやっても良いかと寸時思うが、言えと勧めて言う様な男でもないし、疲労するぐらいに仕事が嵩んでいるのであればとっとと切り上げた方が余程土方の為になるだろう。ひょっとしたら銀時が立ち去らないから土方も動き辛いのかも知れない。 またしても重たい溜息をこぼした土方が煙草をくわえて肺一杯にニコチンを吸い込むのを見て、思い至った銀時はそちらにぐるりと背を向けた。手をひらりと振って「ま、精々励むわ」と投げた所で、 「待て」 と短く、然しはっきりと制止され、足を止めて振り返る。 振り向き見た土方の表情には、呼び止めた割には迷いや躊躇いが乗っており、開きかけた口を一旦閉じてはまた開くと言う酷く歯切れの悪い様子で居る。「何だ」と促そうと思ったが留まり、銀時は黙って続きを待った。 沈黙と視線とが何よりの催促になったのだろう、土方は銀時の視線から逃れようとでもするかの様に視線を游がせ、結局最終的には固く瞑った。眉間に皺を寄せた侭暫し動かず、漸く決意が固まったのか目蓋を持ち上げて大層言い辛そうな口を漸く開く。 「……ある密輸業者が『猫』を何匹か捕獲している可能性が出て来てる。密輸業者っても攘夷浪士くずれの連中や天人も混じった質の悪ィ連中だ。指名手配犯も含まれてるから、連中は結構に形振り構わねェ行動に出る可能性は高ェ」 吐きこぼされた内容はそんなに口が重くなる様なものには思えなかった。元よりそう言った連中が関わって来るかも知れないとは土方は既に口にしている。だから少々拍子抜けして「ああ、」と理解を示して頷く銀時に、土方は続けた。 「要するに危険な連中だ。『猫』を追う事でそいつらとてめぇらが鉢合わせる可能性もゼロじゃねェ。いや、寧ろ既に商売敵か邪魔者かと言う認識ぐらいはされてるかも知れねェ。 だから、万一そいつらとかち合う様な事が起きたら、『猫』から手を引いても構わねェ、絶対に手は出さず連絡だけ寄越せ」 解ったな、と念押しする様に重ねる土方の口調は、言うのを散々躊躇った時とは異なりはっきりとした意志の様なものをそこに乗せている。民間人を無用に巻き込みはしたくないと、危険に関わらせまいとする土方の気遣いを銀時はそこから正しく読み取りはしたが、納得するには至らなかった。 『猫』探しの依頼をした相手に、『猫(それ)』から手を引いてでも止めろと言うのは大凡信頼あっての発言とは思えなかったのだ。土方の言いたい事も気持ちも解る。解るが、『依頼』と言うこの漸く繋がった細い糸は簡単に、土方の仕事に対する姿勢や信念だけで千切られて仕舞うものなのだと、思い知らされた気がした。 そこには大凡土方の個人的に過ぎる感情などは乗っていない。銀時にとってはささやかな楽しみになりつつあったメールの上の遣り取りも、土方にとっては『依頼』と己の仕事以上の何にも重ねられてはいないのだと、否応無しに気付かされる。 「へーへー。危険になったらとっととケツまくりゃ良いんだろ。そんなん解ってらァ」 かちんと来たその侭に、投げ遣りに言った銀時の反応に土方は一瞬鼻白んだ様な表情をしたが、直ぐに元通りの仏頂面に戻った。その空隙の揺らぎの中に後悔の成分が見て取れなかった事に、銀時は密かな失望を隠す。 「じゃあな。何かあったらまた連絡するわ」 その『何か』が起こるかは解らないが。続きは呑み込んで、銀時はお座なりに手を振って真選組屯所を後にした。その胸中には酷く消化の悪い物思いがぐるぐると蠢いて銀時の胸を大層に悪くして行く。 依頼は信頼には足りていなかった。土方の思う『危険』をかいくぐってでも、銀時には『依頼』を完遂してやろうと言うだけの気概も信条も揃っていたと言うのに。『依頼』をしただけの民間人に突きつけられる分水嶺は、ここ二週間余りの間に得られたたったこれだけの成果の価値と狭さしか無かったと言うのか。 交わした言葉の数々には色々な感情を込めていた筈だった。楽しいか、楽しくないのか、を問えば間違いなく楽しかった。たったひとつ、たったひとりの相手に繋がった器物の伝える無機質なテキストは、その向こうの相手の想像を様々に膨らませては銀時の心を揺らした。 お早うとか宜しくとかありがとうとか、慣れない相手に向ける言葉は舌にも乗せ慣れないものだ。無機質なデジタルの文面上では容易く伝えられる言葉だったからこそ、本来口に出して言葉にして言うべきだった事を見誤るのかも知れない。 本来の、万事屋と依頼主と言うだけの両者の関係を見誤りそうに──見誤りたくなる程に歪めて見せていたのかも、知れない。 (……最初からこうだったんだろ。何も、何一つも変わっちゃいねェ) テキストの向こうに見えていた気のする、土方の様々な表情の想像でさえ、今となっては銀時の恋心が抱かせた単なる幻想だったのだとしか思えない。否、実際にそれは幻想だ。ただの想像の上に構築された、たのしさ。 吐き出したつもりだった湿っぽい吐息は口中で蟠った。銀時は袂の携帯電話を殊更意識しない様に、空を見上げて大体の時間を計ると見当を付けた方角へと歩き出す。 出来たら頼む、と言われていた鉄子からの荷運びの依頼があったのだ。一日では到底終わらない肉体労働らしいから、『猫』を真選組に運搬する間は留守番させている新八と神楽を、向こうに着いたら電話で呼び出した方が良いだろう。一人で鉄だの薪だのを運ぶのは御免だ。 『猫』探しそのものを諦めた訳ではないが、情報が入らない以上はどうしようもないのだ。万事屋には土方以外にも依頼者がいる。日銭を稼がなければ生活は侭ならない。『猫』探しにだけかまけていれば良いと言う訳ではない。 (危険になんて望んで飛び込む気は無ェよ。飛び込まねェで良いって言われたんなら猶更な) 口中で蟠っていたものは思いの外に拗ねた様な意を作ったが、やはり口から出て行きはしなかった。不満を隠した覇気の無い無表情からはもう態とらしい笑いもこぼれない。 本心を押し込めた嘘には相応しいとは思ったが、弁解も否定もする気にはなれない。ただ、何でこんなにも胸が悪くて、痛い様な心地になるのかと言う答えはどうやっても出て来てくれそうもなくて、その事が銀時の心を画鋲の様に浅く刺しては苛むのだった。 恋愛素人なので解ってない銀さん。 ← : → |