?→! / 15 外に出ればいつの間にか雨はすっかりと上がっていた。白い雲の狭間に陽も薄らと出た昼前の空模様が矢鱈と眩しい気がして、土方は翳した手で目元を覆った。眼球の裏に灼き付いた光が眩暈の様に光を撒き散らすのに思わず目蓋を閉じてそれからゆっくりと頭を戻す。 足下には未だほんの少し湿った土。そこかしこに季節の灌木が植えられており、小さな池には鯉が赤い尾鰭を揺らめかせ游いでいる。贅を尽くしたと言う程ではないが、程々に手を掛けた事の知れる庭だ。 深夜の内に出動した真選組は、山崎の仕入れた情報通りの対象──ぐれむりんの逃走に関わったと思しき主犯の率いる密売人の一人とその仲間の潜伏先を押さえる事に成功した。と言えば話だけならば早いが、実際は民間の宿泊所(ホテル)が現場だった為にそれなりの労と時間とを掛ける事になっていた。万一にでも民間人が巻き添えとなる事態だけは避けなければならないからだ。 兎に角、然程の血を流す事も無く容疑者の確保には成功した。 が、ここまでは予定通り、寧ろ単なる前哨戦だ。本命である主犯の男──嘗て真選組に追われ這々の体で逃走し指名手配となっている──には城内からぐれむりんを逃がした犯人との繋がりが予想されている。更にはテロを目論んでいた嫌疑も掛けられており、捕縛は真選組の面子としても民草の安全確保としても、急務であった。 そして今回の捕り物で押さえた下っ端の一人が、彼らの潜伏先の情報源として土方の嘯いた『名前』に反応した。ぐれむりんを逃がした犯人として疑いのあった幕臣の名だったのだが、どうやら彼らの間に共犯としての意識はあれど信頼関係の様なものはまるで無かったらしい。少し掛けた鎌に引っ掛かる侭、件の幕臣がぐれむりん逃亡の犯人──実際の罪状に近いものは将軍家と幕府への反逆行為だが──と言う事が確定し、夜明け頃には土方は既に第二の現場となる、この幕臣の屋敷を押さえに来る事となった。ああだこうだと揺らがぬ疑いを突きつけ、共犯者の居所を探る為の司法的な取引を経て、何とか事態が一時的に落ち着いた時には最早時刻は昼前と言う訳だ。ずっと屋根の下で刃の無い刀の応酬を繰り返していたのだから、雨がいつ上がったかなど解る筈も無い。 幕臣から聞き出した共犯者の居所──ぐれむりん『盗難』の主犯の男の潜伏しているアジトの場所は聞き出せたが、生憎と共犯者の付き合いと言う点で見るとその情報の確実性は低いと見るべきものでしかなかった。共犯関係の概ねは飽く迄利害の一致に留まっており、それ以上の繋がりを見出すには少々無理があった。 尤も、土方の目的である本丸は、自分と繋がりのあった幕臣が捕縛された事で明日は我が身と危惧した彼らが動く方にある。ただでさえぐれむりんの頭数を揃えねばならない期限の迫る状況だ、真選組が多少『以上』に強硬な手に出る可能性はゼロでは決して無いと言う牽制だ。 最大の懸念だったテロの計画は、捕縛した下っ端から聞き出せそうだと言う途中報告が上がっている。報告を寄越したのが沖田だった辺り、一体どの様な『尋問』が行われているのかと想像するのもおぞましい。 薄ら明るい日差しから逃れる様に首を竦めた土方が、真選組隊士の慌ただしく出入りする邸内へと戻ろうとしたその時、懐で携帯電話が着信を知らせて来た。電話を開いて見れば、発信者は幕臣から聞き出したアジトへと向かわせた山崎だった。 「空振りか?」 《先読みせんで下さいよ。〜…空振りって訳じゃないですが、単刀直入に言ってマズいもんが出て来てます》 基本的にはネガティブを潰してポジティブな思考運びをする土方だが、今回に関しては端から希望的観測は抱いていない。口を開くなり出た発言に山崎は苦々しく言葉を運びつつ、一旦黙った。お互いに『最悪』の要素ばかりを突きつけ合わねばならない会話に嫌気でも差したのかも知れない。ともあれ土方は山崎のそんな様子から、これから受ける報告が現状を更に酷いものにするだろう確信を得て仕舞った為、火も点けない侭くわえた煙草を唇の間で静かに揺らした。 目的の犯人は出て来なかったが、それよりも酷いものとは何があるだろうか、と反射的に考えかけて止める。最悪の底辺の穴掘りを自らするのは余りに不毛だ。 《『猫』の捕獲されていたと思しきケージを発見したんですが、中に水を張った盥がありまして…》 「…………」 水の張った盥、と聞いて土方が真っ先に思い浮かべたのは、ぐれむりんの生態を知る為に見た幾つかの映像の一つだった。一見太りすぎて丸っこくなった猫にしか見えない毛玉が、言葉には形容し難いおぞましさで『分裂』すると言う動画。その余りのインパクトに、山崎が無駄にファンシーな加工を加えて正視に耐えるものにしたのだが、そうでもしなければ捜索の参考に動画を見た隊士たちが次々リタイアしておかしくない、そんな光景だった。 件の動画にも、水気を張った水桶が映っている。別段問題のある部分でも無いから、モザイクも加工も何もされていない。 ぐれむりんの増殖──と言うよりは『分裂』だが──に必要なのは水分だ。ただの水ではなく、一定の温度に調節したものが一定量必要になる為、雨に打たれたり池に落ちたりしても『分裂』する事はまず無い。 ぐれむりんは一定の温度の湯の中に長時間半身以上を浸される事で突如『分裂』を起こす。本来水気を嫌う生き物だからこそ分裂して生き延びる防衛本能でも働くのか、故郷の惑星の生態系の問題なのかは土方には解らないし興味も無い話だ。その生態について関心のある問題は、城から逃亡した後にどの程度の確率でぐれむりんが『分裂』し、捕まえる側の手間を増やすのか、と言う一点に尽きた。 そして得た結論は、偶発的な『事故』でぐれむりんが分裂し増える可能性は度外視しても良い程に低いと言う事だった。もともと分裂する事自体が彼らの生命危機にさえも成り得る現象なので、そう易々と好き勝手に分裂増殖する道理も無いのだが。 だが、中身の既に無い籠の中に水を張った盥が在った、となると。 「……もう既に増えてる、と考えるべきか?」 最悪だ、と言う胸中の言葉とは裏腹にも声は静かで平淡だった。適温の湯を張った盥にぐれむりんを浸し、ケージの中から身動き出来ない様にでもすれば意図的に増殖を起こす事は容易い。山崎がケージ周りの状況からその点を報告して来た事からも、土方が言葉に出して言う迄もなく答えは既に出ているのだ。 《……恐らくは。この場所から持ち出されたと言う事は、『使う』分が確保出来た、と見ても良いでしょうね》 「洒落になってねェな」 《副長、》 今この場で部下に求められているのは、役にも立たない感想や愚痴では無く今後の対応だ。それも、テロの計画の疑惑がある以上は可及的速やかな行動が必要となる。咎める様な山崎の呼び声に舌打ちを返して、土方は火も点けぬ侭にフィルターを噛み潰して仕舞った煙草を口からぷっと吐き出した。 「現場にテロの計画書が残されてるなんて都合の良い事ァ考えちゃいねェ。確保した連中に、この際だ、少々…いや、かなり手荒になっても構わねェ、何が何でもテロの目標を聞き出せ」 山崎の返答は待たずに通話を切った携帯電話を軋る歯同様軋む骨で握りしめて、土方は近くの庭石を靴底で思い切り蹴り飛ばした。 現状手に入っている情報の中にはテロの標的となる様な目的を、犯人らから見出す事は叶っていない。そもそもテロを起こすと言う根拠は山崎の仕入れた情報にしか無いが、このテの分析には土方よりも聡く場数を踏んでいる山崎の『読み』を今更疑う気は無い。仮にテロでは無く密売目的にぐれむりんの『増殖』を行っていただけならそれはそれで被害も風聞も出ないしで結構な事なのだが。 この状況で取れる手段は、土方の指示した通りに犯人グループの人間の口を割らせるか、或いは仕掛けられているだろうぐれむりんを爆破より先に発見する事ぐらいしかない。 後者の最終的な手段としては、緊急事態と言う名目を松平公から出して貰い、城に居るぐれむりんの『本体』を借り受けて街中を捜索すると言う手が挙げられる。当初提案して一刀両断された手段だとはこの間銀時にも説明した通りだが、叱責と始末書と責任取りとその重さとを覚悟さえすれば決して取れない手では無い。 代償として真選組の立場がひとつ揺らぐ可能性は否定できない。将軍家の賜った品物を碌な手続きも踏まずに持ち出す事になるのだ、土方ひとりが頭を下げるだけで済む様な問題では到底済まされはしないだろう。結果良ければ良し、などと言う道理は頭が固くいつも相手の揚げ足を取って陥れる謀略ばかりを巡らせている老獪な連中には通りはしない。将軍に直接打診出来れば早いとは思うのだが、生憎と個人的に将軍と対面し『お願い』を出来る程に真選組の身分は高くは無いし、執政に励む将軍の身も暇なものでは無い。そもそも土方個人にも真選組にも、将軍に利かせられる伝手などありはしない。 八方塞がりにも似た現状への苛立ちの侭に思わず罵声をあげかかった土方の手の中で、突如携帯電話が振動した。面白味の無い電子音が簡潔に知らせる通知は余り聞き覚えの無い、恐らくはデフォルトのメール設定のものだ。少なくとも電話帳に登録されている人間からのものではない。 一体何だと舌打ち混じりに液晶を開いて見れば、そこには憶えの無い番号からのメール通知が表示されている。 山崎などが時折潜入中で常に使う携帯電話を用いれない時の連絡でならこう言った事は時折あるのだが、少なくとも今山崎は潜入中ではないし、部下に取らせている作戦行動の中にもそう言った憶えは無い。こんな時に迷惑メールの類だったら度し難いと頭の端で思いながらもメールを開いた所で土方の表情は不審の色一色に染まる。 本文のテキストは一切無い。添付されている画像はどこかの地図。地図はネットでの検索結果のものなのか、画像には番地や細かい路地までが詳細に記されている。 悪戯にしては妙だし、部下にしては何一言も添えられていないのはおかしい。眉を寄せた侭瞬きをして、それから件名に付け足された"Fw:"の文字列の意味を思い出した時には、土方はこの奇妙なメールの発信者とその意図を瞬時にして悟った。 「──、」 咄嗟に屋敷を振り返り、調査と片付けとに動き回っている部下達に向けて土方は大きく息を吸い込んで声を張り上げた。 「テロの目標地点が解った!『猫』鎮圧用狙撃銃をの装備を許可する、直ぐに現場に急行しろ!」 真選組副長の怒号にも似た声に、疑いや理解出来ぬと言った声を上げる者など誰一人としていなかった。素早く次の行動に移る隊士たちに細かい指示を続けて出しながら、土方は自らも率先して待機していた警察車輌に飛び乗った。万一の爆発の可能性を考慮し、サイレンは鳴らさぬ様各車に命じてから車を出させる。 昼間の市中を猛スピードで走り抜ける警察車輌の群れに、人々は一体何事だと思うのだろうか。真選組と言うチンピラ警察がまた厄介事や揉め事を起こすのだろうかと顔を顰めているのかも知れない。 テロとして増殖し仕掛けられたぐれむりんが『今すぐ』爆発する可能性があるかなど知れないが、それでも土方の心を急かしているのはたったひとつの確信だった。今、この瞬間だけは真選組の風聞よりもその確信を土方は選んだ。 己の感じた可能性とその答えと、相手がそうしているだろうと言う可能性とその断定。 それは、メールを送って寄越した民間人が今正にその渦中に居るだろうと言う、疑いようもない己の勘の告げた、確信だった。 。 ← : → |