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 工事現場の外壁にある出入り口には南京錠とチェーンが掛けられ、侵入者を防ぐ役割は見た目の上では果たしている様に見えた。
 人通りのそれなりに多い街路ではチェーンを切ったりすれば否応無しに人目につく。夜間の内に行ったとして、翌朝には切られたチェーンや開けられた扉に気付かれる可能性も高いし、監視カメラも付近には設置されている。たかだかチェーン一本に任せるには頼り無い様に思える工事現場の入り口だが、意識的に外部からの侵入を防ぐと言う意味さえ果たせるのであれば、錠や扉自体の堅牢さは関係無いのだ。
 頑丈そうな防音壁の周囲をぐるりと見回すだけでは到底内部への侵入が容易いとは思えないものだが、銀時は容易くその内部へと侵入を果たしていた。無論チェーンを切断した訳でも無ければ、衆目に晒されながら防音壁をよじ登った訳でも無い。
 単純に、隣接する建物の非常階段から、防音壁の内側に作られていた足場へと飛び移っただけである。存外に道を歩く人間と言うのは高所に視線を向けていない事が多い。況して昨今では携帯電話やスマートフォンの画面を見つめ俯きがちに歩いている者が多いのだ。高所からの侵入は想像以上に簡単なものとなった。
 防音壁の内側は絵に描いた様な工事現場だ。但し、作りかけのビルが放置された侭となっているそこには通常ならば忙しく立ち働いていたであろう人々の姿は一切無い。
 建築会社が倒産したとか、所有者が夜逃げしたとか──噂はともあれ真相は知れないが、兎に角この建築し掛けの物件が結構に長い間繁華街近くに放逐されている事は確かだ。それこそ江戸近郊の港湾部の放置物件達の様に、計画を引き継ぐにも金がかかるが取り壊すにも無駄な金がかかると言ったジレンマがあるのだろう。時間が経過して仕舞えば仕舞うだけ、半端に放ったらかしにされた建築物など益々に手が付け辛くなるだろうに。
 人の痕跡が、頑丈な人間の手に因る建築物が、そう易々と廃墟と言う姿から無になって仕舞う道理は無い。誰か──同じ『人』が──が手を入れない限りは、栄華もその果てもただただゆっくりと朽ちて無惨な伽藍を晒し続けるだけだ。
 中型の商業施設の階層とその上に住宅を建設する予定だったのか、一階と二階は広々とした空間に戸の類は無く、本来ならばガラスが填められる筈だったのだろう、空虚に晒した穴から風雨や埃を好き放題に通して仕舞っている。
 と、なると一階二階部分とその上との間に階段の類が設置されていない可能性は高い。建築物に爆発物を仕掛けた経験は銀時には無いが、下層を潰す事で上層ごと崩すと言うのがセオリーだろう事ぐらいは想像にも易い。
 ビル未満の廃墟は銀時の訪い以前にも何人もの人間を内に招き入れていたらしく、砂埃の積もった床には幾つもの足跡たちが残されていた。その足跡の主達は低俗な落書きをしたり溜まり場にしたりする事を好む輩では無いのか、そう言った痕跡の類は見当たらない。真っ向からでなければ侵入は容易いが、多くの人間を通している訳では無いのは一応錠前が役立っていると言う事だろうか。
 さて、と銀時は辺りを見回して考える。どう考えてもここから先は土方の言っていた『発見次第連絡を寄越せ』と言う依頼内容を逸脱したものになる。幾ら爆弾(ぐれむりん)の仕掛けられた可能性の高すぎる場所を突き止めたのが銀時だとして、その事を警察である土方に報告するだけで万事屋の仕事は完遂出来るのだから、それ以上まで首を突っ込む謂われは無い。
 ここに到着する前に、銀時は土方の携帯電話へと、手に入れたスマートフォンからメールを転送している。転送主が銀時だと土方には知る術はないが、察しの良いあの男の事だからと心配は端からしていない。
 つまり。
 (一般市民の義務としても、万事屋の仕事としても、通報はしたんだしこれ以上関わる意味なんざ無ェよな…)
 己でそう納得出来る通り、これ以上を関わるも解決するも銀時には理由が無い。
 だが、それでもここまで来て仕舞ったのは何故か、と言えば。
 「………」
 問いてみれば自然と渋面が浮かんだ。我ながら馬鹿馬鹿しいとは思うのだが、これが単なる意地の様なものだと言う自覚は残念な事にも、ある。
 要約すれば万事屋としての分を弁えろと釘を刺された事も、その後に万事屋を直接狙う様な輩が現れた事も、どちらも銀時としては意に沿わないとしか言い様が無いのだ。関わりたいと思って関わったが、いざ深みに嵌れば関わるなと言われ、じゃあ関わらないで行こうと思ったら今度は襲撃紛いの事をされて、結局は関わった事から抜け出せなかった事を悟る。
 そして土方は、そうなった時には『依頼』を忘れて手を引け、と言った。……強いて言えば、だから、だ。
 依頼をしておいて、肝心な所で『依頼』と言う言葉には頼ろうとしない土方も、そんな土方の胃痛と心労とを深めて居るのだろう、襲撃したりぐれむりんを仕掛けてテロを起こしたりしようとしている連中にも、銀時は同じ様に腹を立てていた。
 だから、だ。
 それだけの事でこんな、テロの現場と疑わしき場所に不法侵入して居る己は客観的に見ても愚かでしか無いのだろうとは思う。
 (……だって、何か癪に障んだろ。悔しい、っつぅか…、すっきりしねェ侭だろ)
 呻こうとした言葉は胸中から漏れ出さない。愚痴でも文句でも無い、ただの泣き言だと気付いて仕舞えば酷く子供じみているし馬鹿としか思えない。
 これ以上に関わるなと言われたから。
 それでも、手伝いたいと、関わりたいと、あの男の草臥れた姿を見てそう思わずにいられない程に、銀時の裡にすっかりと根を張って仕舞った土方の存在感は大きかった。
 仮令、土方が銀時の事をどこまでも、警察としての自分達の庇護する対象である一般人の一人としてしかみなしていないのだとしても。それでも。
 これが誠に恋情と言うものなのか、と思えば、肚の底で燻りつづけている厭な感情の正体も矢張り、憤慨なのだろう。
 真選組と言う己の仲間しか信頼していない土方に対して。銀時のメールにはいちいち返信を寄越してくれたのに、結局肝心な所は何も言葉にしない土方に対して。
 同時に、怒りを覚える事そのものが己の理不尽な言い分でしか無いのだと、気付いていても止める事の出来ない自身に対して。
 馬鹿だろう、と乾いた呟きをひとつこぼすと、銀時はかぶりを振って再び辺りを見回した。今は叶わず持て余す己の感情を問い質す時ではない。ここに仕掛けられていると思しきぐれむりん或いは爆発物を見つけ出す事が第一だ。
 気持ちを切り替えた銀時は、早速風雨に晒されっぱなしの建築物の一階部分に入り込んでみた。砂埃の中に転々と残る足跡たちの中から、比較的に新しそうなものを見当付けて追って行く。
 辺りは使い掛けの資材が中途半端に残され放置されている他は、比較的に片付いている。廃墟じみた建築現場に対して片付いていると言うのも妙な言葉だとは思うが。
 扉の取り付けられる予定らしいバックヤードの方へと足跡を追って少し進んだ所で銀時はふと足を止めた。がさごそと、小さい物音が聞こえた気がしたのだ。
 音はするが気配らしい気配は感じられない。人間の話し声なども。耳を澄ませながら慎重に先に進んで行くと、拍子抜けする程にあっさりと目的のものが置かれた広いスペースに出た。
 「えええ…?」
 と思わず銀時がこぼして仕舞うのも無理からぬ話。作りかけの壁と居並ぶ柱しか見当たらないその広大なスペースには、ぐれむりんが五匹も詰められたケージが無造作に置いてあったのだ。
 然しそれは一遍に見つかってラッキー!と言った類の声では無い。寧ろ「どうして」と言った質のものだ。
 その理由は近付いてみれば歴然であった。ケージの中に詰められたぐれむりん達のサイズは、銀時が今まで捕獲して来たものたちに比べて二回りは小さかった。それが、精々一匹分のケージの中にぎっしりと言う言葉が相応しい程の窮屈さで詰められている。分裂増殖させられたのだろうか。
 辺りを一応確認しながら、銀時はケージの傍に近付いてその場にしゃがみ込んだ。中のぐれむりんたちもこの窮屈な環境に耐えかねているのか、ぴりぴりと毛を逆立てており今にも爆発しそうにも見える。
 ぐれむりんは激しいストレスを与えたり自らの生命危機を感じると恐ろしい程に俊敏な動きを見せるが、その時の前兆としてこう言った緊張状態になる。だが、緊張状態のぐれむりんはそれだけでは決して爆発しないと銀時は、以前に見せられた動画から知っていた。
 この状態から爆発に追い遣る為には、一定の騒音を繰り返し聞かせる必要がある。そう、例えばサイレンの音とか、電話のコール音とか。見せられた件の動画でもケージには携帯電話が括り付けられていた。
 「そうそう、丁度こんな感じな」
 ぼやきながらケージをくるりと回してみれば、そこには使い捨てだろう携帯電話が一つ、頑丈なテープでしっかりと固定されている。爆発させる時刻になったらこの電話にコールする、と言う寸法なのだろう。
 取り敢えず外した方が良いだろうとケージを持ち上げて携帯電話に手を伸ばした時、ピリリリリ、と言う電子音が空洞の建物の中に大きく反響した。手の中のケージ内部のぐれむりんたちが一斉に更に毛を逆立てるのに銀時は泡を食いながら括り付けられていた携帯電話に手を掛けるが、その携帯電話は振動もしていないしランプも点灯していないし、何より着信音を鳴らしてはいない。
 はっとなった銀時がケージの置いてあった場所を見れば、簡単なスイッチの様なものが仕掛けられている事に気付くが遅い。
 恐らくこのぐれむりんたちは、爆破予定時刻になれば手順通り爆発させられたのだろう。だが、それ以前にケージを動かすと、予備の、この広いフロアのどこかに仕掛けられた携帯電話を鳴らしぐれむりんの爆発を誘発する罠が仕掛けてあったのだ。
 咄嗟にケージを戻すが、何処からか響く携帯電話の音が止む事は無い。スイッチの配線は柱を伝って建築途中の天井に消えているが、もう作動して仕舞った以上この配線を切った所で意味など無い。
 携帯電話の在処を耳を澄ませて探すが、広いだけのがらんどうのフロアの中では音は反響してその出所を正確に探すのは難しい。
 襲撃者。スマートフォンの中のメール。真選組に手を貸しているらしい万事屋。
 反芻した幾つかの事柄が組み合わさって、銀時は思わず舌を打った。この罠が、ここに駆けつけた者に対して仕掛けられたのだとすれば、連中は恐らく銀時が土方に──真選組にその事を通報する事を想定していたに違い無い。万事屋がぐれむりんの捕獲をしている邪魔な存在であれど、危険を冒してまで直接手を掛ける程のメリットは無いのだから。
 だが、万事屋が真選組と何ら繋がっている可能性があるならば、万事屋から通報を受けてここに駆けつけた真選組がこの罠を作動させるのは寧ろ予定通り。目論みの通りとなる。真選組自体に被害が出るし、ぐれむりんを損失した事でも上からお咎めがあるだろう。大凡良い結果になるとは到底思えない。
 (土方どころか、連中もまさか俺が勝手起こしてこんな所に駆けつけちまうなんて思ってなかった、って訳か……)
 思わず自嘲めいた表情を作りながら、銀時はぴりぴりと緊張状態を高めて行くぐれむりんを見下ろして逡巡した。着信音は未だ鳴り響いている。携帯電話を最後まで必死に探すか、ぐれむりんを何処か遠くに運んでみるか。後者は、一度緊張状態の爆発寸前にまで追い遣られているぐれむりんが、運ばれると言う外的な刺激を受ける事で一気に爆発しかねないので危険だ。
 銀時が選びたいのは願わくば前者だった。とにかくこの音さえ止めれば、後は真選組が駆けつけた時に抑制剤のアンプルを打って貰えば済む。
 逃げる、と言う選択肢が無い事には疑問は特に無かった。後悔も。
 爆発の様子として見せられた動画の威力を思えば、このフロア毎一階部分を倒壊か半壊かはさせて仕舞うだろうとは想像に易い。それでもだ。
 己のやらかして仕舞った事だから、と言う責任感よりも、結局は先程気付いた様に単純な動機しか無いのだと既に解っているから、銀時の決断は早い。
 フロア中を見回して、反響する音をなんとか聞き分けながらそちらと思った方角へ向かって行く。そう遠くは無い筈だ。携帯電話を発見するのが先か、ぐれむりんが爆発するのが先かは解らないが。
 その時、ふと、何か着信音以外の物音を耳に捉えた銀時が振り返ると、ぐれむりんが詰まって毛玉の様になっていたケージに何かが次々命中した。同時に聞こえる、かしゅ、と言う空気を押し出す様な音。
 途端、毛を逆立てて膨らんでいたぐれむりんたちが次々萎んで行く。何度か、捕獲後の『措置』として見たアンプルを注射された時と同じ様に。
 「……」
 べり、と音を立てて、取り敢えず銀時は漸く発見した、柱の上の方にダクトテープで貼り付けられていた携帯電話を剥がした。まだけたたましく鳴り響いているその携帯電話をその侭ぽいと後方に向かって放り投げると、違えずそれを受け取るのは渋面を作った土方の腕。
 土方は携帯電話のディスプレイにちらりと目を落としてから、それを背後に居た隊士に向かって「分析に回せ」と押しつける様にして渡した。
 その面は渋くはあったが無表情にも近く、銀時の方に視線を向けようともしていない。
 「沈静確認。捕獲しろ」
 煙草の煙と共に吐き出したその指示で、いつの間にやらやって来ていた真選組ご一行様方がわらわらと動き出す。その中に狙撃銃を構えて膝をついている者が数人いた。どうやら以前に土方の言っていた、沈静薬を撃ち出す事の出来る、普段持ち出し禁止の装備とはあれの事なのだろう。
 怒鳴られるか、それとも呆れられるか。その二つを覚悟していた銀時は、動き回る隊士達とは異なって無言でその侭その場に佇んでいる土方の方を恐る恐る伺ってみるが、固くなったその表情から読み取れる事柄は殆ど無さそうだった。
 (少なくとも誉められるって事は無ェよな)
 ともすればへの字に歪みそうな口元を堪えて、銀時もまるで土方に張り合う様に無表情に近いものを作ってその場に留まった。
 土方が、銀時がまともに連絡を寄越さなかった事や、単独でこんな所に出しゃばった事に対して怒っているのは明かだったが、銀時にはそれを素直に謝るには余りにも煩雑な感情が詰まり過ぎている。仮令、真っ向から指摘され叱責されたとしても謝れないだろうとは、己の事なので解る。
 やがて、先に口を開いたのは土方の方だった。
 「……連絡を入れるならもっと解り易くしろ」
 「そうしてェのは山々だったけどな、こっちもそうそう余裕無かったんだよ」
 余裕が無かったのはここに駆けつけようとしていたからであって、これは明かに銀時の方が分が悪い。土方はその事に気付いているのかいないのか、それ以上その話題を続ける事なく、ただ小さく溜息未満の息を吐いた。
 「で、俺にメール転送をして来た携帯電話は何処にある」
 掌をひらりと差し出されて、銀時は「ああ、」と頷いた。懐からスマートフォンを取り出して土方の掌に向けてぽいと投げる。
 「コレな。まあ何つうか拾った的な」
 「嘘つけ」
 ほんの少しの笑み──と言うには不審なものを見る様な質であったが──と共に即断され、銀時は肩を竦めながら、襲撃者が未だ伸びているだろう場所を件のスマートフォンを『拾った場所』として土方に伝えた。
 「……まあ良い。その『落とし主』とやらがテロに関わってんのは確かだしな。確保に人をやる」
 襲撃を受けたのだと正直に言ってやれば、土方はその事を気にするだろうか、案じるだろうかと寸時考え、寧ろ、と即座に打ち消す。
 土方の事だ、万事屋が今回の依頼で被害を被ったとなれば、この時点で依頼を打ち切ると言い出しかねない。
 現場に行かれれば直ぐにその事は露見して仕舞うと解っていたが、飽く迄銀時は自らの口で、土方の依頼の所為で巻き添えを食った、とは言いたくは無かった。
 土方は暫くの間スマートフォンを何やら操作していたが、やがてそれを証拠品を保管するビニール袋に放り込んだ。気付けば、周囲を動き回っていた真選組隊士らも、ぐれむりんを無事捕獲(保護)し、撤収にかかっている。
 「……じゃあな」
 「……おう」
 別れも、先に切り出したのは土方の方だった。互いに何かを肚に抱えた侭、然しその確信は言葉に一切乗せる事もなく、ぎくしゃくとした態度で背を向け合う。
 言葉が容易くない事を知っているから何も言わないのか、言う事が出来ないのか。それとも互いに決定的な一言を放つ事をこそ恐れているのか。
 土方は怒らなかった。腹を立てているのは明かな癖に、怒らなかった。
 恐らくは土方もまた、誘き出された先の罠と言う正解に行き当たって仕舞ったのだ。故に、銀時の勝手な行動に対して怒りよりも寧ろ責任或いは後悔を憶えたのだ。
 もしも、自分たちが駆けつけるのがあと少し遅れていたら。その可能性こそが、土方の怒りを削いで舌を動かなくした原因に他ならなかった。
 (……なのに、結局は何一つ言わねェのな)
 憤慨も、文句も、安堵も、何も。
 土方とはあんなに口下手な男だっただろうか。以前までの様に胸倉を掴み合って埒もない馬鹿な喧嘩をしていた頃はそんな風に思った事など無かったのだが。
 強いて言えば、本気の事に程口が重くなる質の男だろうとは思う。だが、本音や大事な事は墓場まで頑なに一人で持って行く、そう言う手合いを笑えない程には銀時も自身を評して頑固だとは言えるので、人の事は大概言えたものではなかった。







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