?→! / 18 きちんと製鉄される前の鉄鉱石は重たい。当然だが内部に含有された鉄よりも余程に。鉱石に鉄以上に不純物が多いのだから当たり前なのだが、それが今回の仕事で銀時の得た実にどうでも良い知識だった。願わくば一生知らなくても良かった、と思ったが、出そうとした不平は事前に提示されていた依頼料にさっくりと打ち消されて仕舞っている。 金では買えない価値がある。そうはよく言うが、その価値とやらは少なくとも鉄鉱石の重さがどうとかそう言ったものではない筈だ。 廃刀令のこのご時世でも、未だに刃と言う物体は存在するし日常的に使われている。実用的な刀そのものではなくとも、包丁だとか鋏だとか言った道具まで数え上げれば各家庭に一つどころの騒ぎではない。 故にか、刀剣鍛冶職人の類が廃刀令に因って一斉に職を失うなどと言った事は無い様だった。無論、侍を標榜する者や趣味人と言った大勢から合法的に刀を取り上げたのだから、全く廃業者がゼロであったなどと言う事は無い。だが、多くの廃業者達から運良くも漏れて存続の道を辿る事が出来たのが鉄子の父の店だった。父とそして兄が死した後その生活は厳しかった様だが、それでも鉄子は無心に仕事に向き合い続けた。その努力あってか今現在まで猶、一般家庭の包丁の手入れからお飾り刀の手入れに至るまで、鍛冶職人である鉄子の腕は重宝され続けている。 父親が高名な職人であった事も手伝って、その縁で鉄子の元には日々結構に沢山の仕事が舞い込む。尤も、父親亡き後、兄亡き後も稼業を順調に続けられたのは鉄子自身の腕に因る功績が大きいとは銀時も知る通りだ。 稀代の、とまでは言えないだろうが、彼女の腕と目は確かなものだ。遠い異星の勇者や魔王でさえも依頼を持ち込むと言うのだから驚くほか無い。余り対人関係の得意では無かった筈の鉄子が一体どう言ったセールス活動を行っているのかは定かではないが、その多忙の所為もあってか最近万事屋に雑事手伝いの依頼が舞い込む事も増えている。 銀時にとっては知己からの依頼と言うのは吝かでは無いものだが、問題はその依頼が金払いに違わず結構な労働力を要するものだと言う事だった。 刀剣を修復したり打ったりする材料となる鋼を仕入れ、運搬する事もその一つであった。ただの運送業の真似事ならば何と言う事も無かったのだが、問題は鉄子の店のある界隈にある。あの辺りはお世辞にも余り治安が良くお行儀の宜しい界隈では無い。鉄子の店自体にやましいものは何も無い(恐らくは)のだが、元々職人が多く住む地域だった為に廃刀令が下された時に付近がその煽りを一気に受けて仕舞ったのである。 鉄子の父の様に高名な職人の店は容易く潰れたりはしなかったが、全ての職人がそうだった訳ではない。彼らは看板を出さず後ろ暗い連中の違法に所持する刀を打つ様になった。そう言った職人が居れば、周囲にはその客も集まるし、同じ様な身の上の者らも自然と集う。そんな連鎖の末に出来たその地域は、今では警察も余り通りたがらない様な攘夷浪士の吹き溜まりとなっている。 ともあれ、そんな地域である為に碌に町の整備はされておらず、車輌の類は易々入り込めないのだ。結果、重たい鋼をリヤカーなどに積載して何往復もする羽目になると言う訳だ。神楽の怪力はこう言う時に実に役立つのだが、あの娘は一人で放っておくと容易く暴走する為、結局は一緒になって荷運びをしながら監督しなければならない。 そして今日は、何でも稀少な鉄鉱石だとかで精練された材料どころか掘り立ての石ころ──としか思え無い様なもの──を運ばされた。更に後日、郊外にある精錬所まで運ぶからまた頼む、と言われて背中や腰の痛みをひしひしと感じつつも安請け合いして仕舞ったのは、金銭とそのほかの労働対価が銀時にとって満足の行くものだったからに他ならない。 数日前に神楽と新八に材料運びの労働を任せた事もあってか、今日の仕事は銀時が単身で行った。先日ぐれむりんの爆発未遂と言う、無駄に肝を冷やす様な出来事を経た後の仕事だった訳だが、だからと言って別に取り立てて何かがあった訳ではない。強いて言えば疲労が更に嵩んだと言う事ぐらいか。休む間も無いと言うのは、安定した収入の普段無い万事屋的には有り難い話ではあるが、何も仕事の無い時と忙しい時とのバランスが悪いのだけは辟易せずにいられない。 運び入れた荷物を前に、バキバキと音が鳴りそうな背中を反らして伸ばしていると、厚めの封筒を持った鉄子が店の奥から出て来た。 「思ったより重労働になって仕舞ってすまない。お礼にはならないかも知れないけど、少し色を付けさせて貰ったよ」 「おう、悪ィね、助かるわ」 背にどっと嵩んで動く気配の無い疲労の重みに比べれば、手渡された封筒の重さなど無いに等しい。それでもそれが等価なものなのだとは社会の定めた道理である。金の重みは良く解っているつもりだが、それが滞納した家賃に向くかギャンブルに向くかは銀時のその時の気分次第であった。 「どうする?休んで行くと言うならお茶ぐらいは出すけど…」 銀時が封筒を懐に仕舞い込むのを見て鉄子が言って来る。予定外の重労働を強いたと言う申し訳の無さがあるのか、少し遠慮がちなその進言に然し銀時は小さくかぶりを振った。空を見上げれば、陽はもう西の空に傾いて、地平から少しづつ生じて来ている灰色の雲に辛うじて引っ掛かっているのが見えた。この分だと夜は雨になりそうだ。 「いや、空模様もご機嫌斜めみてェだし、降られねェうちに帰るとするわ」 「そうか。気を付けて帰ってくれ。今日はありがとう、銀さん」 「なぁに、また仕事あったら呼んでくれや。じゃ、毎度ありィ」 頭をそっと下げる鉄子にひらりと手を振って銀時は歩き出す。懐の重みが久し振りの充実感を伝えて来るのが疲労感の中で心地良い。勤勉に日々労働に勤しむのは性分では無いがこう言ったその日暮らしの成果を感じるのは悪くない。 労働の後だし出来れば思いきり酒をやりたい気分だ。肉の焼ける匂い漂う店内で焼き鳥を囓りながらジョッキのビールを呷ると言う誘惑を思えば口中に自然と唾液が溜まるが、遠く雨の気配を漂わせて来る湿った風がそれを打ち消す。心地よく酔った後、ずぶ濡れになって帰る想像はそれだけで酔いも醒めてしまいそうだ。 (折角だ、コンビニでも寄ってくかね) 呑んで帰るのには向かないが、缶ビールとつまみぐらいはせめて買って行こうと思い、万事屋に一番近いコンビニと帰り道のルート検索をした銀時が方向転換をしようとしたその時、鼻先をふと嗅ぎ慣れた匂いが過ぎった。 そちらに首を向けた銀時が思わずぎょっとなったのは、路地裏の入り口に佇む黒い影の存在に驚いたからではない。 「……土方くん?…〜ちょっと、何してんのオメーこんな所で」 塀にだらりと背を預けた男の顎先は襟の中に沈んでいて、陽の届かぬ暗がりである事も手伝って、銀時の立つ位置からでは土方の表情は伺えなかった。ただ、細い煙がくわえた煙草の先から立ち上っているのだけが見える。 「見りゃ解んだろ。仕事中だ。未だ見つかっていねェ『猫』の捜索以外に何があるってんだ」 ふ、と吐き出される煙に混じった言葉は、聞く場所で聞けば普通の応えでしかない。だが、こんな時間のこんな状況ではそれは酷く空々しい言葉に聞こえた。 「もう期日まで秒読み段階に入ってる。上は諦めムードで『猫』の全頭数が揃って無くても何とかバカ皇子を誤魔化す算段を考えてやがるが、爆発物にも成り得る危険生物が野に放たれてるって事実に変わりはねェ。そいつを発見しねェ限りこの『猫』探しは終わりゃしねェんだよ」 一息に苛々とした調子でそう吐き出す土方の視線は、然し近くに居る銀時の姿を捉えずに何処か遠くに剣呑に向けられている。言葉は、そこに潜ませた棘は、確実に銀時の方へと向いていると言うのに。 「……回り諄ェんだけど何?幕府のお偉いさんの考えもゴタゴタも俺にゃ関係無ェんですけど?」 棘の鈍い痛みを膚で感じた瞬間、銀時の裡に浮かんでいた冷静な思考は忽ちに失せた。問い、共鳴、理解、或いは益体もない世間話や挨拶や冗談、浮かぶ言葉は声の形にはならずに喉のもっと深い所で乱暴に散らされた。 「は。こっちが必死んなって『猫』探してる間、てめぇは暢気にお遣いたァ良い身分だなと思っただけだ」 銀時の挑発的な言動に誘発された様に、土方の言葉は棘から明確な刃へと転じた。責めて嘲る言葉の正体が、先頃の鉄子の依頼の事だと察した銀時は頑としてこちらを見ようともしない土方に対して純然たる怒りを覚えた。 「何、わざわざ後尾け回して人の仕事でも見てた訳?お宅ら上司も部下も揃い踏みでストーカーやってんの? つぅかな、こちとら真選組じゃなくて万事屋だからね。生憎てめぇの依頼が全部じゃねェんだよ」 土方にとって敬愛すべき上司である近藤の話を振れば、大概の場合土方は眉尻を上げて解り易い憤慨を向けて来る。それは銀時の憶えた、土方との喧嘩と言う不器用なコミュニケーションで得たものの一つだった。 今の土方の言葉は銀時にとっては容認し難いものであった。依頼であっても関わるなと言われた、万事屋の矜持や銀時の想いを踏みにじる様ないつかの言葉よりも余程に度し難い。万事屋の仕事を、確かに役人から見れば些末事でしか無い様なそれを、然し誰あろう土方にはそんな風に思って欲しく無いと思った。子供のお遣いだろうが、金を山と積んだ依頼だろうが、万事屋には『そう』では決して無いのだ。 そしてそれは住む場所も仕事さえも違う土方にも、理解を得られている事だと確信していた。銀時が不審者じみた行動で行っていた猫探しにさえも、『依頼』と言う理解を見せてくれた男だったから。そんな男が、万事の仕事を下らないものの様に嘲るのは、厭だった。厭で、赦せない事だった。 「大体な、お上やてめぇらの下らねェ事情を一般市民に押しつけといて、普段の仕事投げてでもそれに従事しろって?一体何様のつもりなんだよ」 厭な、どろりと粘つく感情の儘にそう吐き捨てた銀時に土方が反論を向ける事は無かった。彼はまだ煙を漂わせている煙草を落とすと乱暴に吸殻を靴底で踏みしだく。そうして寄り掛かっていた壁から背を浮かせると、俯き加減の視線をやはり上げる事なく銀時の横を通り過ぎて行く。 「……もう良い。下らねェ依頼して悪かったな。依頼料の未払い分は後日持って行く」 淡々とした土方のそんな言葉が銀時の耳に届いたのは、互いの距離が一息では手の届かぬ所まで空いた所でだった。 銀時が僅かに伺い見るが、土方の黒い背はこちらに背を向けた侭、振り返る気配がある筈も無く。 「…………」 追い掛ける言葉も持たなかったし、土方にも待つつもりは無かっただろう。細長い見慣れぬ鞄を肩に背負い直すと、土方の背中は手狭な隘路の中へと消えて行った。まるで明確な目的地でもあるかの様な動きだが、土地鑑もないこの地域でそれは恐らく無い。恐らくただ単にここから早く立ち去りたいだけだ。そして、気付いて仕舞った以上銀時にもそれを止める気は無かった。 。 ← : → |