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 土方には、町を歩く時周囲を伺い見る癖がある。
 それは警察と言う職業柄、と言うべきなのか、それとも単に生来警戒心が強いだけなのかは解らない。ただ一つ確かなのは、一見涼しげな風情で煙草を揺らし歩くそんな姿とは裏腹に、その意識は目前の視界に入るあらゆるものを油断なく見据えていると言う事だ。
 そんな土方の姿をして沖田は、周囲を威嚇して歩くチンピラ、などと表する。無論土方自身には威嚇などしているつもりは無いし、傍目にそうと解る程あからさまに周囲を見回している訳でも無いのだが、洞察の無駄に鋭い一番隊隊長や監察筆頭の目から見れば『まだまだ』と言った所なのだろう。
 まあやりかたは兎も角、成果が出ればそれで良いのだ、と思いながら土方は昼も大きく回って夕方に程近い街路を歩いていた。通常の巡察ならば部下を一人二人伴っている事が多いのだが、今は遅い昼食に向かう最中なので土方は一人だった。
 遅い昼食と言うより最早遅すぎて早めの夕食と言った方が良い様な時刻だ。自然と早くなりそうな歩調を抑えていつもより注意深く辺りを窺いながら歩みを進める。
 件のペット様探しの話と空腹も手伝って正直な所気は重い。左右にちらちらと視線を走らせ歩く警察の姿はそれこそ『周囲を威嚇して歩くチンピラ』の様な姿なのだろうかと思えば、顰めた表情の侭に溜息がそっとこぼれた。
 江戸の町に野良猫は多い。とは言えそれはあちらこちらを好き放題に闊歩すると言った程ではない。寧ろ多くの人間の生息域には彼らは出没しない。市中で猫を探すのであれば、路地裏や人通りの少ない界隈、公園や神社と言った場所を当たった方が良いだろう。
 ……探す相手が、猫、ならば。
 奴さんは確かに一見猫と言う動物に近い。だが、江戸でよく見かける野良猫とは全く姿形が異なる。似てはいるが、明かに異なるので目立つ。どちらかと言えば金持ちが好んで飼う高級な品種のそれに近いかも知れない。
 そこに来て件の生物は、ペット様と言うご身分もあって基本的に人懐こい。その生物本来の性質は酷く臆病で警戒心が強いらしいのだが、それは人間に対しては殆ど発揮されない様だ。生憎とペット様の脳には、人間=餌をくれる対象、と刷り込まれているのだ。
 因って、迷子のペット様が江戸市中の野良猫に混じって生活しているとは考え難い。寧ろ物好きな人間に保護されている可能性の方が高いだろうと言うのが、問題の生物の生態を知った後の真選組(さがしびとたち)の意見の総意であった。
 つまり、探すのはペット様そのものではなく、人間を当たるべき、と言う事だ。だから土方はいつも通りに辺りを伺い見ながら歩いている。奇妙な動物を拾った、或いは見かけたと言う噂話、もしくはそれを探す人間。それこそただの猫であれば誰の口にも上らない様な事だろうが、生憎と件のペット様は猫に似ているが猫ではない。それは間近で見れば動物に詳しくない人間にも直ぐに知れる事だ。江戸の人間は基本的に噂好き話好きなのだ、恰好の話題に乗っている可能性は高い。
 だが問題は、捜索の困難さより寧ろ事をおおごとにする訳にはいかないと言う前提の方にある。真選組総出で聞き込みでもすれば数日で行方不明のペット様の全頭数を発見出来る目算は高いと言うのに、肝心の『ペット様が行方不明になった』事実を大っぴらに拡げる訳には行かないのだ。故の聞き耳と、必要以上に辺りに意識を向ける行動とに繋がる訳だ。
 (然し、この忙しい中にペット様捜しってのァどうなんだよ……)
 捕り物の真っ最中と言う訳ではないが、最近折り合いの悪い攘夷浪士グループと悪ガキに毛が生えた様な集団たちとの争いが激化している問題が警察内で取り沙汰されているのだ。本来ならばペット様捜索の地道で密やかな作業などよりもそちらに人員を割きたい所だ。
 警察って何だっけ?と思わずぼやきながら歩いていた土方が頭をふらりと巡らせたその時、視界に白い色彩がふと飛び込んで来た。そちらに焦点が合う前に自然と眉根が寄るのは最早反射の様なものである。
 黒の洋装の上に片肌脱ぎの白い着物を纏った男。江戸中を探しても他に類を見ない様な恰好をしたそんな男は、土方の知る限り一人しかいないと断言出来る。
 その万事屋稼業の男は路地裏にある家々の隙間に何やらしゃがみ込んで顔を突っ込んでいた。念の為に辺りを見回してみるが、周囲には彼の他の万事屋の従業員の姿は見当たらない様だ。見回す限りその人家の辺りには人通りも殆どない。
 「……」
 煙草をくわえた唇の間で上下させる事三回。思考はそれよりも短い。土方は小さく嘆息すると、歩く進路を変更して路地裏へと入り込んだ。家と家との僅かな隙間に入り込もうと苦心している様にも見える不審者の背後へと歩み寄って行く。
 「オイ、何してんだ不審者。空き巣の下見でもしてんのか?」
 「人聞きの悪ィ事言わねェでくんない、立派に仕事中だっつぅの」
 背に近付いた土方の気配に気付いていたのだろうか、銀時は全く驚いた風情もなく、振り返る事もなしに隘路に顔をなんとか突っ込みながらそう答えて寄越した。
 彼が横頬を壁にくっつける様にして覗き込んでいるのは、どう見積もった所で銀時や土方の様な成人男性が身体を突っ込むのは不可能そうな隙間だ。縦しんば突っ込めたとしても出られなくなる事は請け合いである。近年の防災対策がまだされていない頃のものなのだろう、家と家とがほぼ寄り添い合う様にして建てられている。
 「仕事ってな。家の隙間に入り込む依頼って何だよ」
 「だから入り込んでねェっつの。覗いてるだけなのが見て解んねェんですか」
 「……風呂でも覗く気か?」
 いよいよ不審さに声も下がった土方に、流石に銀時も慌てた様子で振り返って来る。その顔に大きく書かれているのは憤慨の二文字。
 「覗かねェわ!大体何なのその端から人を不審者扱いする感じは!」
 「いやどう見ても今のてめぇの姿は不審者以外の何者でもねェんだけど」
 横頬に埃汚れを付けた銀時は、土方の胡乱な視線を真っ向から見上げて暫く苦々しげに呻いていたが、やがて溜息を一つ吐き出すと懐から何やら袋を取りだして見せた。
 「賄賂なら受け取らねェぞ?」
 「だから覗きでも賄賂でも無ェって!」
 これ見ろ、と言いながら手渡される透明なポリ袋を勢いに圧され受け取る形になって仕舞った土方は、何やら生臭い臭いのするその袋をまじまじと見つめてみた。中には何やら大振りの乾いた小魚がごっそりと詰まっており、軽い割に嵩張っている。煮干しだ、とは直ぐに解ったが、よくあるおつまみ用に販売されているサイズでは無いと言うのが気にかかる。
 「……煮干し?」
 「そ。出汁用にそこらのスーパーとかで売ってるやつだよ」
 「…………煮干し?」
 解ったなら返せ、と言うジェスチャーを向けて来る銀時に、今一度袋の中の煮干したちを見つめてから、土方は更なる疑問符を上乗せしつつも袋を返した。何度見直した所で煮干しは煮干しだ。危険物や薬物の類ではどうしたって有り得ない。
 煮干しを囓りつつ覗き、と一瞬考えはするものの、その考えは何だか馬鹿馬鹿しくなったので口にはせず、代わりに肩を竦める。
 「珍しいな。てめぇが甘いもの以外を持ち歩いてるなんざ」
 雨でも降るのだろうかと土方は思わず空を仰いだ。己の知る限りの坂田銀時は極端な甘党で、懐には煮干しではなく寧ろチョコレートを仕舞い込んでいたと記憶していたのだが。
 故の土方の疑問に、銀時は小骨でも喉に刺さった時の様に少し厭そうな表情を作ったものの、やがて溜息と共に背中を丸めて、先頃まで熱心に覗き込んでいた隘路──とも言えない隙間──へと視線を投じた。その少しばかり態とらしい仕草に土方は目を僅かに眇める。
 「言っとくがな、俺のじゃなくて猫の餌だからコレ。食用じゃねェ煮干しバリボリ囓る程には餓えてないからね」
 憮然とした表情で、さも心外だとばかりに口を尖らせて言う銀時の側頭部を見下ろした土方は、
 「猫?」
 今己が最も敏感に嗅ぎ付けるその言葉に即座に飛びついていた。その言い方に何か違和感を憶えたのか、振り向いた銀時は当惑した様に片方の眉を持ち上げる。
 「………何、なんかあんの。猫探しちゃいけねェとか言うお触れでも出てんですか?」
 これが駆け引きや取引の場であれば、己の手の内を晒すのは悪手だ。少なくとも警察官僚やお上の偉いさんを前にした遣り取りなどでは土方はこんなあからさまな愚は犯さなかっただろう。
 「いや、」と短く切ってから土方は銀時の覗き込む隙間へと視線を向けて、数秒の間黙考する。露骨に『欲しい』話題に食いついて仕舞った己の、普段ならば有り得ない様な失態を羞じるその反面で、浮かぶ可能性にゆっくりと手を伸ばす。
 市井の噂。猫。万事屋。猫探し。
 「……依頼でもあったのか?」
 まだ僅かの迷いを保った侭そう問えば、銀時もいよいよ不審そうに目を細める。それを見て、これは良くないなと思った土方は小さくかぶりを振って言う。
 「いや…、その、守秘義務とかそう言うのがあるなら無理に答えろとは言わねェ。ただ…その、猫を探すなんて、苦労、するな、と」
 単純な同意めいた言い種の筈が何だか労う様な形になって仕舞い、土方は狼狽えそうになるのを誤魔化す様に煙草の煙を吐き出した。
 「……………俺ァまたてっきり、猫探しとか暇で結構だとかそう言う嫌味言われんじゃねェかと思ってたわ」
 不審さを困惑に変えた様な表情で、銀時は汚れた自らの頬を軽く引っ掻いて笑った。苦笑としか言い様のないそんな様子に、声を掛けた当初の己の言い種を思って土方は気まずい思いを持て余す。
 ペット様捜しと言う余計な多忙要素まで抱えて仕舞った土方らに対して、万事屋の連中は気楽なものだと思っていたのは間違いない。その誤解を純粋に羞じはするが、別に気付かれていそうもないしわざわざ謝るには至らない。そんな己に対しつまらぬ意地だとは思いはするが。
 それはさておき。
 「煮干しで猫が捕まるのか?」
 「あんま勝率は良かねェわな。今もこの隙間に入ってった猫を釣ろうかと思ってたんだが、まあご覧の通りだよ」
 昨今は野良猫に餌をやる人間も多い。猫も肥えているのではないかと思って問えば、案の定か銀時は投げ遣りにそう言って煮干しの袋を懐へと仕舞った。着物の埃を叩きながら立ち上がる。
 「で、何なの。猫探しはおめーの指摘通りに歴とした依頼でやってんだけど?」
 億劫そうに紡ぐその言い方は少し強い調子で吐き出されて、それに頬を打たれた様に土方ははっとなってからかぶりを振った。折り合いの悪い警察に、依頼に励む最中に絡み調子で相対されては気持ちが良い筈は無い。
 「いや、別に職質って訳じゃねェよ。ただ…、その、どんな猫を探してるのか、…とか、」
 気になった、と続けるには余りに言葉の選び方が悪かった。しどろもどろになった土方は間を取る様に態とらしい咳払いをして、最早不審なものを見る目を隠さない銀時をちらと伺い見る。
 その『依頼』の猫とやらは、よもや件のペット様なのではないだろうか。
 もしくは。猫の捜索を万事屋へと依頼したのが、どこの、誰なのか。
 聞き出したい事柄は浮かべど、件のペット様捜索と言う事件自体を隠さねばならない事情もあって、どう上手く言ったものかと土方は大真面目に苦心していた。
 適当な説明を省いた言い種は思いつけど、それこそ『将軍のカブトムシ探しだの猫探しだのお宅ら暇なの?』とでも言われそうで余り気が進まない。
 余計なプライドと言われそうだが、そもそもペット様捜しと言う事自体が真選組の本来の任務とは掛け離れたものであるので、それを恰も通常業務の様に思われるのは、真選組にあらゆる想いを懸ける土方としては業腹なのである。
 銀時はそんな土方の──それこそ不審としか言い様のない──様子を暫し訝しむ様な目で見てはいたが、それ自体どうでも良い事だったのか、肩を竦めながらあっさりと、
 「まあおめーらになら別に言っても良いか。姫様からの依頼…っつぅかお願いだよ」
 そう答えて寄越したので、そこをこそどう聞き出したものかと悩んでいた土方は煙草の煙を思わず変に吸って派手に噎せ返った。
 「、は?!」
 姫様と言えば将軍の妹姫を指す言葉しか、銀時と土方の間に共通した認識は無い。
 どうしてその姫様──そよ姫が、どうやって、とか。何で、とか。色々と聞き捨てならない事はあったが、それより何より。
 「だから、お姫様とウチの神楽は何でか知らねェけどお友達関係だろ?で、知り合いって事で『お願い』して来たって訳だ」
 取り落とした煙草もその侭に咽せて声を上げる土方を見ながら、銀時はその動揺の理由が皆目解らないと言った風情でわざわざそんな説明を添えて来る。一応声は潜めてあったが、思わず辺りを見回して仕舞う土方だ。
 「………猫、の?捜索を?……姫様から?」
 組み立て直した結論を順序建てて再度問えば、銀時は何か疑われているとでも感じたのか、むすりと眉を寄せた。
 「、だって言ってんだろーが」
 「……………」
 色々と聞き捨てならない事も看過しておいては宜しくなさそうな事も聞こえて来た気がするが、それを追求するのは己の仕事ではない。冷たい様だが、お付きの爺やが悲鳴を上げようが胃を痛めようが減給されようが真選組には関係ないのだ。
 故にその辺りは一旦呑み込んで、土方は銀時に「ちょっと待て」のジェスチャーを向けながら寸時の間思索に沈んだ。
 そよ姫が持って来た話と言うのであれば土方の想像した通り、十中八九間違いなく万事屋が捜索を頼まれた『猫』と言うのは、真選組やその他幕府直下の実働機関の幾つかが予期せず抱える事となった件の『ペット様』の事だろう。
 (この際姫様がどうして、とか言う話は捨て置いて、だ…、)
 溜息と苦虫とを混ぜて呑み込んだ表情を銀時の方へと向けながら、土方は眼前の万事屋稼業の男をまじまじと見返してみた。煮干しはともかく、江戸市中を怪しまれる事なく『猫』を探し回る事の出来る人材として見れば、思わず反射で眉を寄せたくなる様な胡散臭い形も頼もしく見えて来そうになるから不思議なものである。
 「オイ、ちょっと聞いてんの?なんでもかんでも人を疑って不審者でも見る様な目で見ちゃいけないって教わんなかったのか?こりゃもう慰謝料として何か奢るぐらいしてくんねェと、」
 「解った」
 「銀さんの疵付いた心も癒されない…って、──え?」
 絡む調子で一歩近付いて来た銀時に土方がはっきりとした首肯を返すと、彼はいつも半分が閉じている目蓋をぽかんと瞠って固まった。
 「何??なんて?」
 「奢るっつぅか…、酒でもマヨでも兎に角欲しいもんを支払ってやる。そこらのコンビニで好きなもん適当に買っててめぇん家に戻ってろ。俺は野暮用を済ませたらそっちに向かうから、領収書だけ用意しときゃァ良い」
 そんなに驚く所だろうか、と思いながらも口早に言う土方に、驚きを通り越して渋くなった表情を面相にありありと描いた銀時は疑わしげな眼差しを向けて来る。
 「何の気紛れだよ?いや気の迷いか?何かあんだろ絶対に」
 「猫探しをしてんだろ?頼みてェ事があんだよ。依頼扱いって言うなら勿論依頼料は払うから心配するな」
 「…………あー。そう言う?」
 何故か両肩を落として、若干恨めしげに言う銀時だったが、断りたいとか関わりたくないと言った気配が取り敢えず感じられない事に土方は密かに安堵した。態度には微塵も出すつもりはなかったが。
 それはそうだろう。万事屋に何かを頼るなど、余程の事でも無い限り二度とはしたくない事である。尤もそれは万事屋達の仕事ぶりに対する問題や懸念と言ったものではなく、土方自身の気持ちの問題の様なものなのだが。
 「…まあ、別に構わねェけど。じゃ、お言葉に甘えて酒でも買って戻ってっから。その侭すっぽかすのは止めろよ?請求書で殴りに行くからな」
 「しねェよそんな事。万一何かあって遅れる様なら連絡ぐらい入れる」
 まだどことなく疑いを保った風に言う銀時だったが、心外だとばかりにきっぱりと言い切った土方に圧された様に、「お、おう…」と歯切れ悪く頷いた。
 そんな銀時に軽く手を上げると、土方は足早にその場を後にした。『野暮用』の思いつきの為に。急いで市街へと出て行くその足取りからは、最早空腹も情報収拾も遠い事になって仕舞っている。
 何しろ、それはきっと、煮干しなどよりも『猫』を探すのには役立つ筈なのだから。







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