?→! / 6



 硬直と言う程の時間は経過していまい。憂いなく疲れも無い、ただ溜息にも似た息継ぎをひとつしてから、銀時は落ち着いた足取りで居間へと戻った。改めて見回す迄もなく室内は万事屋の日常の姿の侭だ。まだ煙草の匂いが残っている事と、卓の上に置き去りにされている小さな携帯電話だけがこの場所に常には決して無い差異をまざまざと描いている。
 社長机の上には余り鳴らない固定の黒電話。手前のローテーブルの上にはこれから鳴る予定の携帯電話。双方をなんとなく見比べてから、銀時は卓の上の携帯電話を取り上げた。人間が持ち歩く事を想定したその器物は成人男性の掌にすっぽりと収まって仕舞う程の小さなサイズしかない。こんなものが人と人とを繋ぐ手段や生活の必需品になっていると言うのだから世の中はよく解らない。二つ折りのそれを開くと、小さな液晶が点灯し現在時刻が表示される。
 軽く指を動かして操作してみる。以前に神楽が携帯電話が欲しいと騒いだ時の事件で、使用は兎も角操作には何となく慣れていたし、機能や操作方法の大体の見当も付く様になっているのだ。幾つか動かしてみて、使用に問題が無いかを確認していく。
 そうして開いたアドレス帳にはたった一件だけ、土方十四郎の名前があった。
 「……………」
 名前と電話番号だけの簡潔な内容。デジタルの文字の刻むそれを暫し見つめた銀時は、不意に動き出すが早いか寝室へと飛び込み、後ろ手に思いきり閉ざした襖に背中を貼り付かせる。
 そうして手の中の文字列をもう一度見下ろして、手にした器物の機能を今一度思い出すなり、銀時は頭に一気に血を昇らせてうがあああと声無き声で天井に向けて吼えた。
 (何これ何このあいつ専用ホットラインみたいな感じ!!)
 血が上って茹だった様に真っ赤になった頭を左右に振って銀時は身悶えた。頭が熱い。顔も熱い。体温も熱い。脳が歓喜と混乱と気恥ずかしさに打ち震えて思考が無意味に空転する。
 その感覚や様子は、恋をする人間のそれによく似ているのかも知れない。
 正直な所この感覚を『何』と言うのか銀時はよく知らないし解らない。ただ一つ確かな事は、己でどう制御しようにも出来ないレベルで、あの真選組の副長職の男に対して矢鱈と肯定的な感情ばかりが涌き起こると言う現象が生じている事だ。
 目つきも口も態度も悪いし、それに相対しカチンと来る事や苛立つ事は今までと全く変わらないと言うのに、それに付随して浮かぶのは煩わしさや嫌悪感ではなく「あいつらしい」などと言った納得や好感情。
 食堂で見かける、マヨネーズを白米に盛っている飯テロ良い所の姿にさえ段々と寛容な心地になって来るのだから、最早不思議を通り越して異常としか言い様のない己の感情の正体とそう言った反応を示す事そのものが解らなくなる。
 何せ、箸が転がっても、土方が箸を転がしていても、兎に角何もかもが好意的で肯定的な──所謂ポジティブな──感情にすり替わって仕舞うのだからもうどうしようもないとさえ思えて来る。
 総じて考えて行けばそれは結局の所好意としか言い様のない感情なのだろうが、それを良く言う恋と言った名前に当て嵌めて良いものかどうかが銀時には解らない。何せ真っ当に色恋などした憶えなぞ無いのだし、それどころか今まで他人に対してそう深く考えるに至った事さえ無かった。
 ともあれ、そんな煩雑に散らかった侭の感情を抱えた所に降って湧いた携帯電話と言う『繋がる』用途を為す機械(手段)だ。鬱陶しく逐一電話やメールなぞ交わさなくとも良いだろうとは客観的に他人を見た時にも、己の感想としても、思う事に変わりは無いと言うのに、その繋がる先に土方が居ると思うだけで鼓動を早める事が出来るのだから、全く現金なものであると思うのだが。
 (いきなり携帯で遣り取りって、昔で言えばアレだろ、文通とか交換日記的な感じじゃん?!)
 そんな考えに至って仕舞えば、手の中の小さな機械(からくり)が何だか酷く大事で得難いものの様にさえ思えて来るのだから本当にどうしようもない。
 仕事の為の物であって、プリペイドの期限が切れれば使えなくなる代物でしかない携帯電話なのだが、それは紛れもなく銀時と土方との間に偶発的にも出来た『個人的』な繋がりだ。恐らくは初めての。
 別に分秒毎に遣り取りをしたい訳ではない。ただ、同じ目的を持って確実な繋がりを持てた事が嬉しいと思えるのだ。
 (えっ何、俺これを使ってこれからアイツとメールとか通話で遣り取りしちゃう訳?世間話とか喧嘩じゃなくて共通の仕事について相談したり報告したりすんの?マジで??て言うかどう話せば良いの、普通にもしもしとか話せそうな雰囲気しなくね?)
 ぐるぐると余り実用的では無さそうな思考が銀時の頭の中で泡の様に生じては消える。思い起こせばそもそも、土方と相対して喧嘩も言い合いも撞着も無しに穏やかな会話で済んだなどと言う事などは今まで思い起こせる限りでは無かった気がする。
 その理由は大概、いつも銀時がふと目を遣った先で、土方がこちらをさも胡散臭いものでも見る様な表情をしているのに出会うからだ。あちらがあからさまに好意的ではない様子など見て仕舞えば、銀時の方の性分もあってつい突っかかる様な物言いになって仕舞うのだ。
 こちらが好意的な本心の侭に話しかけに行っても厭そうに顔を顰められたらと思えば、怖くて悲しくて虚しくて──或いは真逆に怒りが込み上げそうで──堪らなくなるから、結局喧嘩腰のフィルターを挟んで相対するしかなくなって仕舞う。
 (ふ、普通にお喋り??何話せば良いの、マヨネーズの話とか?イヤイヤそんなんどんだけ頑張っても拡げられる気しねーよ!?)
 そもそも、友好的な会話などではなく仕事に使う目的で土方は銀時に携帯電話を持たせたのだとは解っている。解っているが、折角だし何か、おはようとか挨拶程度でも構わないから普通っぽい会話や遣り取りぐらいしてみたい。してみたい、が、結局は何かと言い合いになって仕舞いそうな気もする。
 顔を突き合わせても喧嘩になるが、顔が見えない状態で話をすると言うのも余計喧嘩になりそうな気がする。何しろ顔が見えないと言う事は、相手が本気で鬱陶しそうな表情をしていたとしても気付けない可能性を示している事でもあるのだから。銀時は他者の感情の機微には聡い方だと己で評しているが、ノイズの掛かった電話越しの声からそれを読み取れる自信までは流石に無い。
 両手で握りしめた小さな機械(からくり)。これが仕事の為の道具だとして、土方と何か繋がれる様なものであるのなら、無用な喧嘩などはしたくないものだが──、
 ピリリリリリ、と、突如電子音と微振動が手の中で鳴り響いて、銀時の鼓動が勢いよく跳ね上がった。口から飛び出しかけた心臓を飲み込みながら見下ろせば、両掌で握りしめて凝視していた物体が音を鳴らしながら小刻みに振動している。液晶には発信者の名前──土方十四郎。
 (こ、このボタンだっけ?だよな?)
 手の中でぶるぶると震え続けている機械をわたわたと操作し、通話と思しきボタンを親指の腹で押すと、振動と電子音とがふつりと途絶える。
 「も、もしもし?」
 緊張に上擦った声は己で想像したよりも弱々しい。受話部を押し当てた耳の向こうからは雑踏らしき音が聞こえて来て、確かに手の中の小さな小さな機械(からくり)がたった今、銀時の居る万事屋と土方の居る空間とを繋いだのだ、と言う実感が湧いた。
 それは同時に、今までは偶発的に腐れ縁や喧嘩相手としてしか接点の無かった相手と、何か明確な意味を持って繋がったのだと言う確信でもあった。





短いですが切れ目の都合で…。

  :