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 路地を出て大通りの雑踏の中へと入り込めば、左耳に当てた携帯電話の呼び出し音が様々な雑音に紛れ少し遠くなる。指先を動かして音量を幾つか上げると呼び出し音が耳に戻って来るが、未だ出ない所を見ると気付いていないのか、はたまた操作方法が解らないで戸惑っているのか。
 先頃渡したばかりの携帯電話を前にまさか幾らなんでも気付いていない筈は無いだろうから、恐らくは後者だろう。手の中でけたたましく鳴き声を上げる器物を前におろおろする男の姿を想像して土方はそっと忍び笑った。万事屋を出るなり火を点けた煙草を唇の狭間で揺らしながら悠然とした心地で待っていれば、やがて小さな音と共に電話が通じる。
 《も、もしもし?》
 矢張り想像通り操作に手間取ったのだろう、上がるぎこちない声にほんの僅かの満足感を憶えながら土方は我知らず目元を緩める。
 「猫は見つかったか」
 《見つかる訳ねーだろ?!まだ五分も経ってねーわ、お前どんだけ早漏なの!》
 笑っている事を悟られまいと、出来るだけ何でも無い様なトーンを保ちながら問えば携帯電話の向こうで銀時が声を荒らげるのが聞こえて来る。が、大体を想像して予め耳を少し離していた土方の耳には殆ど届かないので適当に聞き流して、「冗談だ」と鼻を鳴らす。
 「まあ、使い方に慣れとけって事だ。用はそれだけだ、じゃあな」
 《あ、待て、ちょい待てって!》
 不意打ちに成功を見た所で結果としては満足している。短く言い置いて終話ボタンを押そうとしたその時、受話口の向こうから慌てた様に呼び止められて土方は片眉を持ち上げた。
 話を聞き取る事に意識を割く為に歩調を少し落とすと、向かいの道に暖簾を上げているラーメン屋があるのが目に入る。そう言えば結局遅い昼食(或いは早めの夕食)を摂る暇が無かった、と気付いて仕舞えば腹が空腹を思い出して急に物足り無い様な心地になる。時間的にはこれから見廻りと言って良い頃だが、この侭見廻りを挟んで屯所に戻るまで何も胃に入れないと言うのは流石にそろそろ厳しそうだ。
 《あのよ、出来れば通話よりメールに出来ねェか?》
 即断した土方が疎らに人の行き来する横断歩道に進み出て歩き出した所で左耳に銀時のそんな言葉が飛び込んで来て、土方は点滅し始めた信号とその言葉との両方に目を眇める。
 「あ?」
 純粋に疑問を発したつもりが想像以上に不機嫌そうな声が出る。少し早足で横断歩道を渡り終えて、先にあるラーメン屋の暖簾を見ながら土方は小さく舌を打つ。矢張り食事はしっかり摂らなければ精神衛生上宜しく無い。少しの事で苛つくし重たい疲労感も肩の上に乗せっぱなしだ。思考も鈍っているかも知れない。土方は溜息を吐いて耳と肩の間に携帯電話を挟むと、短くなった煙草を携帯灰皿の中で消す。
 何と言われたか。メールの方が良いとか何とか。警察として緊急時の行動を思えば、長々しい報告や口頭では説明し辛い事柄など以外は言葉の方が断然に早い。間違いは少なくなるかも知れないが、基本的に土方にはメールと言う回り諄い動作は好ましく思えるものではない。
 「何でだ」
 一応問いてみる。己の不満はどうあれ、協力を依頼した以上は万事屋側の言い分も訊いてやるのが道理だ。
 《神楽がよォ、生意気にも携帯電話的なもんに興味があるみてェなんだよ。前もそれで色々あったんだが、それはさておいて兎に角だ、目の前で長々と通話とかすんのはちょっと気が退けるっつぅか、》
 神楽は日頃沖田と殺し合いにしか見えない喧嘩(物理)を行ったりする、本物の戦闘種族の少女だ。だが、黙っていれば可愛らしいとしか言えない容姿や年齢に違わず、年相応に『女の子』らしくはしゃぎ回ったりするのが好きな所があるのだと、土方は以前そよ姫と神楽の逃避行を追い掛けた事でなんとなくそれを知り得ている。
 基本的には変わり者でマイペースな娘だが、我を通す所のある神楽が銀時に、携帯電話と言う万事屋経済に大穴を穿ちそうな物をねだったりする事は想像に易い話だ。それを一時的にとは言え所持する銀時が神楽に遠慮すると言う図は寧ろ想像し難かったが、万一神楽に銀時との唯一の連絡手段である携帯電話を奪われたら少々厄介だとは思えた。が。
 「……だからってな、流石に人数分用意すんのは、」
 《だから、メールなら厠とかでもこっそり出来んだろ?勿論、ガチで緊急な時は通話にするから、頻繁な情報とか経緯の報告とか程度ならメールで良いんじゃね?》
 難色を示して語尾を濁せば、丁度潜った暖簾の先で笑顔で迎えてくれたラーメン屋の店主の顔が強張る。それは土方と言う客の浮かべていた不機嫌面よりも、警察の出で立ちその侭だった事が多分に大きいのだろうが。
 入り口を入るなりカウンターだけしかない店を想像していたが、想像を裏切って店内は奥に広かった。夕飯と言い切るにはまだ少し早い時刻だからか客はカウンター席に疎らに数人が座るのみだ。
 土方は一人と言うアピールを人差し指を立てて示しながら、店の奥のテーブル席に向かった。入り口から見える場所に物騒な事で有名な真選組の人間の姿があると営業妨害と取られかねない。
 注文を取りに来た店員の男に、壁に貼り付けてある季節のオススメらしい、桜えびと野菜たっぷり塩ラーメンの写真を指さす事で注文を済ませると、土方は出された水をひとくち含んでから引き続き電話の向こうの声に耳を傾けた。
 《アイツらと別行動するのは効率悪ィし…、毎回メールって訳にはそりゃ行かねぇだろうが、極力?》
 「……」
 水の入ったコップを傾け喉を湿らせながら土方は思案する。銀時の言い分は常の、狡賢ささえ感じられるあの男の言うものにしては余り上手い印象がしない。神楽が気にするから通話は少なくしたい、と言うのは理由と言い分としては理解出来るのだが、そんなものはわざわざ、メールで、などと注文を付けるには余り値している様には思えないのだ。神楽以上に我が強くしたたかな男がそんな事をいちいち気にすると言うのも妙と言えば妙な話である。
 余り回らぬ舌を無理に回している様な様子は少々気に掛かる所だが、ここでごねて本当に携帯電話をあと二台用意する羽目になる事だけは避けたい。
 今ひとつ釈然としないが、注文したラーメンが届くまで長々と話込む気にもなれないのだし、まあいいかと思って土方は頷いた。
 「解った。つぅかお前、ちゃんとメールとか打てんのか?件名に本文を書いたり改行や変換が出来ない口じゃねェの?」
 《ちゃんと出来ますゥ!ちょっと、その小馬鹿にする感じやめてくんない?!》
 「はいはい解った解った。じゃあそう言う事で」
 ふん、と笑いながら土方は、まだ電話の向こうでぎゃあぎゃあとわめき立てている銀時の事は気にせず終話ボタンを押した。小さな液晶に表示されていた表示が通話を示す表示から現在時刻のそれに戻るのを待って、ぱたりと蓋を閉じる。
 (……メールで、ね?)
 どう言う思考或いは打算が銀時にそれを選ばせたのかは土方には想像のしようも無い事だ。手の中の、たった今まで互いを繋げていた小さな機械(からくり)にそれを問いた所で答えが出る筈も無いのだが、艶のある黒色のその表面になんとなく視線を落とす。
 考えても仕方がない、と言いつつも暇に飽かせば思考は回る。そして結局戻って来るのは答えには満たない奇妙な心地がひとつだけ。
 思考に沈む土方の前に、やがて注文したラーメンが運ばれて来るのを表層的な意識だけで確認し、携帯電話をテーブルの上へ置くと割り箸を口で割る。
 いただきます、と手を合わせた所で、マヨネーズを忘れていた、と気づいた土方が懐を探ろうとした丁度その時、テーブルの上に置いた携帯電話が一度だけぶるりと振動した。音に気を付ける場面も多い為、マナーモードにしておく事が多いのだ。
 誰だ、と思いながら蓋を開けば、そこには万事屋と表示されていた。銀時に渡した携帯の番号の登録名だ。渡す前に予め登録しておいたものだ。
 部下の名前や上司の名前とは異なる、見慣れないその字面と差出人とにぱちくりと瞬きをして、土方は今し方受信したメールを開く。すれば、明日からどの辺りを探すと言った内容が存外にしっかりとした文面で書かれていた。無論件名に本文が書いてある様な間違いはしていない。
 通話を切ってからまだそれこそ五分も経っていないのに、と少し感心しながらメールの本文を最後までスクロールさせると、その末尾に、
 "これから宜しく頼む"
 と書かれていた。
 「……………」
 これから。宜しく。頼む。一文一文を刻んで五回読み返してから、土方は不意に項の辺りまでかあっと熱くなる感覚に見舞われて、思わず辺りをきょろきょろと見回した。ラーメン屋の店内には顔見知りもいないし、こちらの様子を伺っている者もいない。それでも土方は僅かに紅くなっているだろう顔を壁の方へと勢いよく向けた。
 「……………」
 それから視線だけを液晶の画面に落として、開いていたメールを閉じると仕分けの操作をし、銀時からのメールが真選組の仕事用とは別の、『猫』と名付けて作った別のフォルダに入る様に設定をした所で──、
 (──って何やってんだ俺!)
 思いきり携帯電話の蓋を閉じて、土方は口元を押さえた。僅かに綻みかかっている表情筋に気づいて仕舞えば、自嘲や混乱の余りに思考を逃避させたくなる。
 (いやいやいや、そうそうこれは依頼用の連絡だから。真選組の任務と一緒くたにする訳には行かねェだけだから仕方ねェよな、うん)
 誰にともなく言い訳を連ねてから、掌の中の携帯電話をちらりと見遣って視線を素早く奈辺へと逃がす。通話では録音でもしない限り言葉はその場限りで(放った効力はさておいて)消えるものだが、メールだと遣り取りの形が残される。それが何だか気恥ずかしいなどと思って仕舞った己が一番恥ずかしいと自覚して仕舞えば堪らない。
 ただの連絡手段の道具である筈の携帯電話が、まるで手紙や交換日記か何かの様にさえ思えて来るのは、土方の裡にいつからか存在していた、銀時に対する仄かな恋情の為せる業としか言い様がなかった。







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