?→! / 8



 土方自身それを明確に恋情であると理解したのはつい最近の事だ。会う度喧嘩か苛立ちしか起こらなかった筈の、土方の気に食わない成分十割で出来ていた男の存在が気づいた時には得難いものとなっていた事を自覚した時は正直眩暈を憶えた。恐らく己の感性に対する絶望感で一杯になったからだろうと今でもそう思う。
 若い頃の恋愛の様に頭がそれ一色になって仕舞う様な事は無かったが、出会う度に、言い合う度に、姿を見かける度に、何処か心が浮き立つ様な感覚に満たされ──自然に、たのしい、と言う事を思い出して仕舞った。知って仕舞った。
 そう気付いた時には最早手遅れで、一度その感情の味を憶えた舌は既に肥えて仕舞っている。多分それは己の思い当たる限りでは、恋情と言うものに最も相応しい感情なのだろうとも土方は知っていた。
 銀時に相対し抱いて仕舞ったその感情に恋の分類を当て嵌めた土方が真っ先にした事は、銀時の事を厭う努力だった。街で見かければ忌々しいと思って、出会って近付いて言い合いを始めればそれに浮き立つ己の感情を忌々しいと思った。そうして、どうやっても消えないばかりか育って行こうとさえする恋をひたすらに呪った。
 どうせ成就出来る恋でもないし、実らせたいなどと最早思う迄も無いと解っているだけに、土方は己の裡で根を張り続ける己の感情をひたすらに恨んだ。
 ………それだと言うのに。
 "今日は四丁目の辺りを探してみる。ついでに、動物好きのババァの知り合いがあの辺に住んでるから話訊いてみるわ。何か知ってるかも知れねーし"
 "聞き込みか。解ってるとは思うが余計な話は漏らすなよ"
 "そんなん言われなくても解ってますゥ(`ε´)"
 文章の末尾に付け足された不機嫌顔の絵文字を見て、銀時の同じ様な表情を想像した土方はくすりと吐息をこぼして笑って──
 (だから!何やってんだ俺は!!)
 ぱちん、と携帯電話の蓋を思いきり閉じた土方は目前の机に勢いよく額を叩き付けた。思わず笑みなぞ浮かべて仕舞った己への激しい自己嫌悪と、絵文字なぞ使ってメールを送って来た銀時への理不尽な苛立ちや怒りとで茹立った脳が振動を受けてぐらぐらと不安定に揺れる。
 (仕事だろこれは!だってのに何なんだ俺ァ、いや野郎も大概だが、……女子か!)
 それは後悔の苦味とも取れる不快な味わいだった。全て己の招いた事、と言うのは百も承知で、それでも感情の置き処が見つからずに苛立っては立ち止まって言い聞かせる。これは仕事なのだと。何か他に意味のある、意味を実らせる為の遣り取りでも何でも無いのだと。
 「………」
 がつがつと猶も額を机に打ち付け続ける事暫し。額がそろそろ紅くなる頃に土方はぴたりと全身の動きを停止させて、のろのろとした動作で顔を起こした。閉じた侭の携帯を再び開く事は出来ない手は僅かの躊躇いの後にはそれを手放して代わりにペンを手に取っている。
 (寧ろ、そんなのァ願い下げだろうが…)
 そうぼんやりと胸中で吐き捨ててから、己が何だか弱り切った表情を浮かべて仕舞っている事に気付いて、土方はかぶりを振って表情を切り替えた。らしくないとか言う話どころではない。幾ら恋情らしきものを不覚にも抱えて仕舞ったとして、別に銀時と仲良く会話をしたい訳ではないのだ。仕事に対する感想以外のものをそこに挟む事自体がどうかして仕舞っているとしか言い様が無い。
 (それもこれも、万事屋の野郎がメールでとか面倒臭ェ事言うから悪ィ)
 責任を転嫁している事は承知でぼやく。神楽がどうとか、上手いとは言えないよく解らない言い分で『連絡は極力メールで』などと銀時が注文を寄越した理由は恐らく、互いに口を開けば喧嘩未満の遣り取りになって宜しくないと思ったからなのだろうと土方は後からそう気付いた。何せその蓋然性については今まで散々に例があるのだ。挙げれば限りない程に、銀時と土方とが向かって口を開けばなんでかんでと火花を散らす羽目になった事は剰りに多すぎた。
 すんなりと伝達事項だけを伝えるならば、面倒な挨拶やら切り結ぶ必要性のないメールの文面で、と言うのは利の面で納得だと、万事屋へ依頼をした翌日から土方は既に感じていた。報告を受けて、返す。軽く一言が乗る。感情は読めない。だが、それが気楽で救いでもあった。
 実際に言葉であれば喧嘩か不快感に至っただろう内容であっても、メールの上では厭な感じは憶えない。想像をすればそれこそ口元が思わず綻んで仕舞う様な、文章故の突き放した易さと柔らかさがある。
 目線、表情、口調、態度。あらゆる観察の必要のある感情の乗らないデジタルの文面と言うのは、その内容を、思う心を斟酌する上では酷く厄介な代物でしかないが、そう言った気遣いの必要性の無い事に於いては逆にコミュニケーションを円滑にしてくれるものらしい。銀時からのメールを受ける土方の場合、その内容物は大体、新鮮な気易さと躊躇いを憶える慕わしさが4:6ぐらいの割合で概ね落ち着いている。
 当然だが、自らの恋情を今すぐにでも放り棄てて仕舞いたい土方にとっては余り宜しい成分の配分とは言えないのだが、無用に言い合いや喧嘩を繰り返すだろう想像よりそれは幾分マシだった。
 因って、実用性の意味では『メールで』と言う銀時の提案は土方にとっても結果的に有り難い事となっているので、幾らぼやいてみた所で矢張り責任の所在は土方自身にあるのだと言わざるを得ないのだった。その事実がまた、無為にメールの存在を──銀時の存在を──意識して仕事に集中出来ない事態を時折こうして起こして仕舞っている土方を更に打ちのめすのだ。本来鋭敏な筈の土方の理性は、今や嵐の中の蝋燭の如くに頼り無いものへと成り果てて仕舞っている。
 読めない感情が、見えない行動が、然し慥かに届けられる奇妙さ。恋情を自覚してから今に至るまで、土方は万事屋の仕事や銀時個人の動向になぞ興味を全く抱いた事は無かったし、知りたいなどと思った事すら無い。思わない様にして来た。
 それでも問題が全く無かったのは要するに、銀時と土方とでは常の生活も過ごす時間も費やすものも何もかもが異なっていて、こうして何かひとつの共通目的の為に互いに協力し合う必要性など無かったからだ。今までは見えなかった事が意識に差し挟まれる。どうでも良い筈の相手の行動についてを考えたり指示を飛ばしたりする。そんな今までに憶えのない奇妙さ。関わり合う、と言う経験。それが土方に憶えの深い感情や感慨を呼び込む。
 それ自体は慥かに悪くはない感覚だ。それでも極力厭いたいものである事に矢張り変わりは無い。然し幾ら銀時に対する恋情を忌避してみてもそれはメールの様に簡単に分類して仕舞える様なものでは無さそうで、それもまた土方を無用に悩ます要因の一つとなり積んでいた。
 いちいちそんなものに煩わされるも馬鹿馬鹿しいとは当初から幾度と無く思った事なのだが、幾ら考えるに飽いた所で悩む原因そのものが失せて仕舞う訳ではないので致し方ない。少なくともこの依頼が──ぐれむりん探しの任務が──完遂されるまでは、痒かろうが羞じを憶えようがなんとかやり過ごす他ない。土方は目蓋越しに眼球を指先で揉んでから思考を切り替えた。目の前の書類山に向かう。いつも通りに。
 万事屋に『猫』探しを依頼して向こう、土方は己の目論んだ通りに通常の任務に集中する事が叶っていた。と言うのも、万事屋の仕事ぶりが──少なくともぐれむりん捜索に於いては──想像以上に見事なものであったからである。
 真選組は人手だけならば多いが、その人員の殆どは剣術や武術に長けた、謂わば荒事に向いた者ばかりで構成されている。それが、『猫』探しなどと言う地味で慣れない仕事に戸惑うばかりであった所に持ってきて、目立たぬ様に行動しなければならないと言う制約まで付いて仕舞っている。そんな状態で能率を上げろと言うのも無理な話なのだ。
 その反面万事屋には実質何の制約も無い上、動物探しなどの仕事にも慣れがあったらしく、依頼をしてから僅か一週間足らずの間で既に行方知れずのぐれむりん頭数(暫定)の半数以上である十二匹の捕獲に成功していた。
 詰まる所、万事屋へと『猫』探しの依頼をした土方の判断は確かだったと言う訳だ。何しろ問題の持ち込まれた先週まで捕獲数はゼロ匹だったが、今では半数なのである。この成果は上々と言わざるを得ない。
 捕獲したぐれむりんは松平の元へと届けられ、既に城に居る『本体』へと戻されていると言う。逃げ出した頭数が二十二匹より増えている可能性は未だ棄て切れてはいないが、何にしても最低二十二匹は集めなければ仕方がない。万一二十二匹以上に分裂していて、二十二匹を戻した所で『足りていない』のならばそれはその時にしか解らないのだ。当然『足りていない』事が解るだけで、何匹足りていなくなっているのかは解らないが。
 『本体』から分裂増殖した全頭数が戻る事で初めて『本体』の生命の保証がされ、それが引いては江戸の外交の運命を握ると言うのだから、取り敢えずやるしかないのだ。
 万事屋の仕事ぶりについては改めて評価するまでもないが、土方にとっても真選組にとっても大いに助けとなっている訳だ。今の所連携めいた行動を取ったりする必要は生じて無いが、この分だと完全に任せて仕舞っても問題無い様な気さえする。
 それは逆に真選組は殆どぐれむりん探しで成果をあげられていないと言う現状を表している事に他ならないのだが、銀時はそれを槍玉に上げたり当て擦る様な事もせず、律儀にも渡した携帯電話を用いて毎日の様に連絡を寄越してくれる。今日は何処を探すとか、こんな情報があっただとか、逃げる『猫』を追い掛ける最中にこんな目に遭っただとかそう言う重要な事から些末な内容までを綴っては送ってくるのだ。使う内段々慣れて来たのか、今では土方が使った事も無い様な絵文字なんてものまで付け足して来る始末だ。文字では伝わりにくい感情を表現しているつもりなのだろうが、何処の女子高生のメールなのだと土方が思わずぼやきたくなるのも致し方のない話である。
 そこに来て土方に顰め面をさせ頭を悩ませているのが、仕事用の事だと己に幾ら言い聞かせてみても感情がそれに追いついてはいないと言う些か情けのない事柄である。なんだか何処ぞの見廻組局長の宣うメル友の様だと思い至って仕舞えば恥ずかしいんだか痒いんだか後悔すれば良いんだかもうよく解らなくなる。
 万事屋がぐれむりん探しと言うこの任務に向いているだろうと見出したのは誰でもない土方自身だし、その連絡手段に携帯電話を貸与する判断を下したのも同様だ。メールを連絡手段に、と言い出したのは銀時だったが、それを了承した時にはまさかこんな事で頭を抱える羽目になるとは思ってもいなかった。
 際限ない溜息をついてペン先で書類の表面をとんとんと叩く。書類仕事は山積みだと言うのに頭が些事に振り回されているものだからどうにも能率が上がらない。長時間同じ姿勢で居た事ですっかりと強張った肩を鳴らしてペンを握り直す。
 銀時らは今頃『猫』探しに駆け回っている筈だ。依頼主である己が碌に仕事に集中出来ず時間を費やしている訳にも行くまい。ぐれむりんを狙っていると思しき輩が動いていると言う情報もある。そちらは山崎に調査を任せているが、真選組としてはそちらにも注意を新たに払う必要があるだろう。時間は有限で少ない。無駄には出来ない。土方に出来る事もしなければならない事も山積みなのだ。
 残り期間は二週間。この侭万事屋が何事もなく全頭数を発見してくれれば、真選組としても有り難いし、江戸幕府にしても助かる。時折こうして仕事を阻害する、銀時とのメール連絡も終わらせる事が出来る。万事屋と関わる事も今まで通りに無くなる。
 それが願っての事かどうかは解らないが、土方に出来る事は目前の任務に兎に角向き合う事しか無いのだ。思考も感慨も後から追いついてくれば良い。そうしたらその時、考える余地があれば考えて見ても良いかも知れない。
 即ち、この恋をどうするのか、と言う事を。





絵文字は使えないので顔文字で代用させて頂きました。

  :