?→! / 9 真選組にとって見廻りは大事な任務の一つである。何しろ真選組の隊士は通常の同心たちと違って街のあちらこちらに詰めている訳ではないのだ。かと言って屯所で通報や緊急出動命令を待っていたのでは突発的な事故や事件には対応しかねる。犯罪を未然に防ぐ意味でも、治安維持の名目に於いても、或いは威嚇に概ね似た意味であっても。欠かす事の出来ない業務なのだ。 そんな見廻りは、真選組隊士の過半数が常日頃行う任務の大半を占める。定められたスケジュールに応じて各員チームを組んで決められた巡回路を見て回るだけだが、断じて散歩の類では無い。油断も怠慢も許されない歴とした治安維持の為の任務だ。 幹部の人間は大概警察車輌での巡察(パトロール)を行うのが常だが、土方だけはその例外に漏れ、真選組黎明の頃から徒歩での見廻りを好んで行い続けている。その理由はと言えば、単純に危機察知センサーの働き易さと言う部分も大きいのだが、大半は趣味と習慣故の事である。 趣味と言うのは語弊があるかも知れない。街を当て処なくぶらつく事を趣味に出来る程土方は暇でも無ければ気が長くも無い。だから寧ろ趣味と言うのはそれが単に任務の名目を持っている故にだ。気分転換に外に出る事も、仕事と言う役割であれば気が落ち着くしそれに努める事で得られるものも出て来る。仕事でなければのんびり散歩気分になぞなれる筈も無い。 黒い制服をこれ見よがしに翻しながら歩く様は大いに目立つ。目立つ故に犯罪の抑止に成り得ると言う利に適った理由はあれど、注視を集める事は土方にとっては剰り好きなものではない。真選組自体が江戸の人間たち全てから諸手を挙げて受け入れられている組織と言う訳では無い、肩身の狭さの様なものも多分にその理由に含まれている。 つまりは趣味と言う分類をしても良い、任務に即した実益が土方が徒歩巡察を行う主な目当てなのである。机仕事や幕臣相手の面倒な会議などで負った鬱屈の気晴らしやストレスの発散と言う目的もその内にかなりの量が潜むのもあって、土方にとって徒歩での巡察と言うのは欠かせない日常業務であった。 さて、そんな土方が巡察に出る時には大概部下を伴う。そも真選組隊士の行動は基本二人一組(ツーマンセル)以上で、と言う事柄が厳命されており、如何に副長とは言えど土方もそれは同様だ(──尤も土方自身は余りそれを遵守してはいないが──)。それがよく沖田と組むシフトになっているのは、沖田の手綱を形ばかりとは言え握っていられるのが近藤か土方の二人しかおらず、内片方の近藤は局長と言う地位もあって巡察を手ずから行う事は無い。……ので、結果的に土方が沖田の面倒を見る羽目になるからである。 だが今日は珍しく土方と沖田は同シフトには配されていない。近藤が松平に呼び出されたので、護衛として共に出て仕舞っているからだ。 その為、今日土方の斜め後方を付いて歩いているのは二人の若い隊士だった。片方はそれなりの期間勤めた者だがもう片方は新入りに毛が生えた程度の者である為、実地訓練も兼ねて伴う事にしたのだ。 ただ両者ともに、普段滅多に無い土方の供と言う事もあってか緊張の色と背筋を伸ばし張り切る意気とが少々強い。背後に何とも言えない緊張の気配を感じながら、土方は常には剰り無い歩き辛さを感じていた。街の人間から時折漂う注視の気配と併せて、何だか酷く落ち着かないものがある。気分転換の見廻りの筈がどうも目論見違いになって仕舞った様だ。 首が動かない程度に、いつもの様に鋭く伺い見る視線を左右へと巡らせてみる。平日の夕時前と言う時間帯の町は仕事上がりの人々で煩雑に賑わっていた。昔ながらの慣習で着物を纏う者は未だ多いが、昨今では和洋折衷や改造着物の類の姿の若者も目立つ。ファッションの類は天人来航以来大きく変化し続けている文化の一つだ。未だ私服は着物と決め込んでいる土方から見れば、着物の袖をギザギザにカットし下にはデニムを履くなどと言った若者の奇抜なファッションとは実に理解し難いものであるのだが、そんな風変わりで賑やかしい景観の中にあっても自らの纏う黒い制服は一際に異彩を放つものなのだろうと思う。 見回す限り江戸の町は今日も平和の一言に尽きるばかりで、恐らくこの制服が目立つ理由とは、忌避される理由とは、長閑で平和な風景に水を差す様な無粋なものと映るからなのだ。 平和を護ると言う事は難しい。町が(見かけだけでも)平和ならば、護る為に剣を下げる者らなど自由気侭と言う名の無法を掣肘する邪魔者にしか成り得ないからだ。平和に慣れきった者はしばしば容易く理性の箍を外す。もっと噛み砕いて言えば、羽目を外す。怠惰なものだが、平和とは飽和するものなのだ。この、一見して平和にしか見えない江戸の町の日常風景の裏にも犯罪とその齎す危険とが蠢いている。それを、一般人の理解しない所で、心で、遵守する事が真選組の役割だ。見廻りも、討ち入りも、将軍の厄介なペット探しでさえもその為の職務だと思えば、どう言った目で市民から見られようが拘わらず、真選組に、土方にとっては淡々とこなす仕事の一つに過ぎない。 と、土方の懐で携帯電話が振動した。賑わう雑踏の中では大凡目立たない電子音が単調な音の羅列で着信を伝えて来るのに、土方は背後を歩く部下らに軽く目で合図を送ってから携帯電話を取り出した。発信者の番号は覚えの無いものだったが、構わず通話ボタンを押す。 《どうも。俺です》 耳に飛び込んで来る音声は何処ぞの老人相手の詐欺かと言わんばかりの簡潔な一言であったが、土方にとってはそれで充分だった。己の携帯番号を知っていて、知らぬ番号から掛けて来て、名乗らず名乗りを聞かぬ相手は土方の知る限り一人しかいないからだ。 「山崎か。どうだ調子は」 平和そのものと言った町並みに視線を遣りながら問えば、土方とは異なり電話の向こうで果たしてどの様な状況下に置かれているか知れぬが、聞き慣れた山崎の何処か気の抜けた声音が返って来る。 《ええ。今の所首尾は上々です。…で。ですね、直接会ってお渡ししたい物がありますんで、後でお時間を少し頂ければと。こっちも時間は余り無いんで、そんなに掛かりませんから》 「解った。俺ァいつものコースを巡回中だから適当な所で追いついて来い。追いつけなかった場合は交差点前の喫煙スペースに居る」 《はいよ、了解です。あそこ煙たいんで出来れば町中で追いつく様にしますよ》 「安心しろ、早足で向かってやる」 手にした煙草の灰を宙に落としながら笑って言うと、土方は心なしうんざりとした風情の山崎の返事は特に待たず携帯電話の終話ボタンを押した。 大通りの交差点に面した大きなビルの真下、歩行者道路と植え込みの狭間のスペースに設けられた喫煙スペースは土方ならずとも喫煙者たちの天国と言っても良い空間だ。かぶき町での路上喫煙はもう特に禁止されてはいないが、それでも基本的には控える様になどと言う中途半端な条例がある所為で若干町中での喫煙者の居心地が悪くなりつつあるのは事実である。そんな訳で件の喫煙スペースは歩行者達には顔を顰められる程、山崎がうんざりと厭がる程に煙が常に充満しているのだ。無論、煙を吐き出す側の土方にとっては何と言う事も無い憩いの空間なのだが。 煙草をくわえ直して、ふと閉じかけた携帯電話を再び開くと、土方はメールボックスを開いた。新着メールは届いていない。そんな事はそもそも既に知れていたのだが指は流れる様に動いて、目は自然と新着メールの表示を探している。 「………っ」 ばちん、と勢いよく携帯電話の蓋を閉じた土方は不覚と羞じとの後悔の直中で紅くなった顔を隠す様に額に手を当てた。ちくしょう、と口中で擦り潰しながら吐き捨てる。一体何度こんな事を繰り返すのだろうか。何でこんなにも浮ついて仕舞うのか。今時十代の小娘でもやらかさないだろう失態としか最早言い様がない。一体どれだけこの馬鹿みたいな恋心に踊らされていると言うのか。 「副長?あの、どうかされました?」 気付けば足まで止めていた土方の顔を覗き込んで来ている、若い隊士の眼差しが──何も知らぬ筈のそれから突き刺す様な眩しさを憶えて、土方は途方もない自己嫌悪に襲われた。職務に忠実で皆の規範となるリーダーとして在るべき副長が、一体何と言う為体なのだ。 「副長?」 「…何でもねェ」 案じる真摯の眼差しから咄嗟に目を逸らし、土方は意識してヤニを深く吸い込んだ。脳髄をぐらりと揺らす眩暈にも似た熱量は己の不甲斐ない様に対する瞋恚だとはっきりと自覚する。 「少しお疲れなんじゃないですか?先輩達の噂じゃ、近々…、その、結構な捕り物でもあるんじゃないかと言われてましたけど、もしかしてその準備で、」 「事の真偽は兎も角口が軽ィのは感心しねェ。況してここを何処だと思ってやがる。町中だぞ」 「……あ、」 己の発言を遮った押し殺し低い声音に自らの失言を悟った、若い方の隊士が思わず口を押さえる。叱責か制裁か、何らかの咎を負う覚悟よりも怯えに顔を曇らせる隊士に向け、土方は「次からは気を付けろ」と短く斬り捨てる様な簡素さでその場を打ち切った。止まっていた歩を再開させれば、慌てた様に後に続く二人の隊士の足音がそれに続く。 自らへの怒りを、丁度良く部下への捌け口にした己に更なる自己嫌悪を積み重ねながら、土方は最早楽になれる事など易々思いつきもしないのだろう、己の愚かしく思慮と度胸とに欠けた性情をひたすらに呪った。これが斬り合いの上での事ならどれ程簡単で楽かとは思えど、それは決して叶う事の無くなった可能性の上の願望でしかない。 殆ど溜息の用しか為さない様な息継ぎをすると、土方は前方に視線を戻して、そこで視界に入ったものに思わず苦虫を噛み潰した様な表情を形作る。 「オイお前ら、」 「は、はい」 今度は全く違う意味でトーンを下げた土方の声音に、背後の二人の隊士がびくりと背筋を跳ねさせる姿が見えた気がした。鬼の不機嫌は容易く拭い難いと認識されている様で、少々のばつの悪さを誤魔化す様に土方は足を止めるとすっかり萎縮の気配を見せて仕舞っている部下たちを軽く振り返った。極力穏やかに聞こえるだろう平らかな声を意識して作って言う。 「少し所用を思い出した。お前らはこの侭巡回を続けろ。屯所には大体時間までには戻る」 「は、…はぁ」 何を言われるかと身構えていた彼らは土方の言葉の意味を受け取るなりぱちくりと瞬きをして互いに顔を見合わせた。疑問を感じれど流石に『所用』の詳細までを問う程無粋では無い様だが、実際の所口を重くしていた大きな理由は先頃の失言に因るものだろう。 軽く頭を下げて二人並んで去って行く部下たちの背中を暫し目で追ってから、土方は携帯灰皿で煙草を潰すと前方へと視線を戻した。その先、通り沿いにある小さなたこ焼き屋の店先にちょこんと置かれた縁台に腰を下ろしているのは編笠を深く被った地味な着物の男の姿。 何気ない歩調で歩いてその目前近くまで土方が近付けば、男は食べ終えたたこ焼きのゴミを近くのゴミ箱へと棄て、店に「ごちそうさま」と軽く声を掛けて歩き出す。ゆっくりとした速度の男がそこから五歩離れる頃には丁度土方がその横に追いついていた。 「何だ、存外近くに居るんじゃねェか。急ぎ足になって損したわ」 「公衆電話、この先の公園にしか無かったですからね。それよりアンタまた部下をいびってでもいたんですか?何か二人共真っ青でしたけど」 「…別に俺ァ何もしちゃいねーよ、人聞き悪ィな。それより一体何だ折り入って」 遠目で部下の顔色まで伺えたとは思えないが、相変わらず無駄に洗練された観察眼だと内心密かに舌を巻きながら土方が促せば、時間が余り無いと言っていたのもあってか山崎は逃げる様な話題転換に大人しく従った。 「指示通り証言を幾つか聞き取ってる最中なんですが、事の直後に職員の男一人が退職していまして。で、その男が」 言って山崎は素早く懐から出した四ツ折りの紙を土方の手の中に押しつけた。煙草を胸ポケットから取り出す時の様な何でも無い様な仕草で土方は受け取ったそれを軽く開いて内容を検分する。 開いた紙面には小さな証明写真と細かく書かれた住所氏名年齢月日の欄があった。要するに履歴書だ。コピーしたばかりなのか印刷の匂いがし、紙もそこはかとなく湿気っている。 その履歴書のコピーの証明写真の部分に何秒か視線を置いて、土方は紙を元通りに折り畳んだ。記憶の通りならば必要なのは写真に写し出されている人相だけだ。経歴や住所氏名など嘘が書いてあるに違いない。 「憶えのある面だと思えば、何年か前に真選組(ウチ)が挙げたケチな密売グループの主犯格の一人じゃねェか。一人だけトイレの窓から逃げて慥か未だ指名手配中だった奴だろう」 「はい。履歴書を見つけた時はまさかとは思いましたけど」 「攘夷浪士(テロリスト)が就活、とはな」 ふんと鼻を鳴らして言う土方の内心は少々苦々しい。一応は逃走中の犯人と言う扱いの人間が、ちゃっかり証明写真を撮影し履歴書を勤め先に持ち込んでいると言うのは警察と言うよりは社会として見て何とも言えない話であった。 山崎が現在聞き込み調査に潜入しているのはとある船舶関係の積荷輸送を行う会社だ。無論件の逃走犯の履歴書を受け取った会社でもある。そこはお上品で頭の良いエリートを必要とする類ではなく、単純に肉体労働を行う業種を取り扱う会社だ。ターミナルに入る船舶の積荷は外宇宙の代物である事が殆どなので、未発見のウィルスに罹る可能性が高かったり、突然えいりあんが暴れ出したりと、実は結構に危険な職業でもある。それらは滅多に無い事故或いは事件たちではあるが、万一遭遇したら生命の保証も出来かねる事態にもなり得る。 そんな所謂、過剰な肉体労働を求められ且つ危険な働き口でもある為、働き手達はそう厳しく素性を問われず雇われると言うケースが多いのだ。犯罪者の一人や二人が紛れていた所で、気付いていたとして、多額の懸賞金でも掛かっていない限りは然程には気にされない事が殆どだ。 そんな輸送会社に山崎が潜入したのは、そんな逃走犯を見つけ出す事が目的ではない。そちらは寧ろ偶然で、本来の理由は件の会社がハタ皇子がぐれむりんを地球に持ち込んだ際の荷の積み降ろしと輸送とに利用した業者だったからだ。 「『猫』の持ち込み後にその野郎が退職したって事は…」 「奴さんは宇宙の様々な生物物品の密売屋でしたからね。あの『猫』の事を知っていたとしておかしくはありません。狙う可能性は充分有り得ると思いますよ」 「……単に『猫』を手に入れて売るのか、テロ目的でもあるのかとじゃ、危険度は段違いだな」 そもそも最初にぐれむりんが城から逃走した経緯からして偶然の事故だとは土方は思っていないし、真選組にぐれむりん捜索の命令を寄越した松平とて恐らくは同じ見解を持っているだろう。何しろ現将軍政権の足を引っ張りたい幕臣など幕府の中には掃いて捨てる程に居るのだ。 更に、逃走したぐれむりんがより『確実』に戻って来ない様にする手を打つと言う事も一応は想定の内だ。が、それらを仕組んだ『犯人』を捕まえるのは取り敢えず土方の仕事ではない。 「…ったく、面倒な展開になって来やがった」 もしも件の密売人の手に既にぐれむりんの何匹かが落ちているとなれば、ぐれむりんの捜索よりも寧ろ不審者や不審物の警備、指名手配犯の捜索にも人手を割く必要が出て来る。 山崎も土方のうんざり顔に付き合う様に苦笑し溜息をついた。 「簡単に片付くと端から思ってなかった人が言いますか」 皮肉だが、理解のある調子で放たれた言葉に嫌味な所はない。その通り、一筋縄で行く筈も無いとは当初から知れていた事である。 そうだな、と頷こうとした土方だったが、その瞬間耳慣れない音の響きを耳が捉えて口を思わず噤んだ。ポケットの内で震えているのは携帯電話だ。つまり、着信。山崎は目の前にいるから他の誰かからだ。 (と言うかこの音、) 念の為にと真選組隊士らのものとは変えておいた着信音は余り聞き慣れが無い。土方が取り出した携帯電話を見遣れば、ディスプレイには『万事屋』の名前が表示されている。だがいつもの様なメールではない。 寸時訝しんだ土方だったが直ぐ様に思い直す。そう言えばあの男は緊急時には通話にするとか言ってはいなかっただろうか。 「もしもし?」 ボタンを押す手は少し急いた。手近に見えたコインパーキングまで移動して足を止める土方を山崎もただならぬ気配を感じたのか追って来る。 《 》 「もしもし?万事屋か?」 《 》 土方は再度声を上げるが、電話の向こうからは何の声もしない。その代わりに雑音の様なものがざりざりと響いている。 「万事屋?どうした、オイ!」 不意に厭な想像が土方の背筋をぞっと冷やした。それは先頃までの山崎との話題を思えば当然の様に至る考えの可能性だった。 何かあったのではないだろうか──? 自らの全身から血が下がる様な音を聞いて仕舞った気がして、土方は震え掛かる舌を噛んで、電話の向こうへと呼び掛けを続けた。 。 ← : → |