Mellow / 1



 タイミングの悪さと言うのは誰にでもある。
 運と言うよりは偶さかの偶然に因って馬鹿を見る、悪いと言うのは大体そんなものの事で、多くの場合それは何故か連続する。幾つか連なってみて始めて、ああ、これは良くない流れだな、と意地悪で悪戯な事象に気付かされるのだ。
 その現象に理屈は無いし名前も無い。ただの、タイミングの悪さ、ツキの無さ、そんな言葉で片付けられる程度のものだ。一つ一つを挙げてみれば大した事の無いものばかりだが、幾つか続くと段々と気分も下向きになる。
 例えば自分が台を移動した途端にその台の玉の出が良くなったり、個数限定の特売品が自分の目の前で売り切れたり、トラックが昨晩の水たまりを跳ね散らして通ったり、食べようと取り出したチョコレートを側溝の中へと落としたり。
 例えば、気分良く飲もうと店の戸を潜った時、そこに出来れば会いたくは無い類の知己の顔を見出して仕舞ったりするとか。
 (……ツイてねェ)
 銀時は呻いて溜息をついた。朝から妙にツイていない事ばかりが続いているかと思えば、ここに来て最大とも言えるツキの無さを発揮する事になろうとは。
 究極のツキの無さとは、人間の姿形をしていて、大変遺憾な事にも知り合い以上の知り合いであって、それも大層面倒な方に分類される奴であって、追記するなら滅多にこの店──どころかこの町どころかこの惑星に居る事の方が最近は少ない筈の男だった。
 そんな滅多にない相手に見事に遭遇出来ると言うのはある意味運が良いと言えるのかも知れないが、少なくとも銀時としてはその結論には否を唱えたい。朝から続いた地味な不運の総元締めが知り合いの姿形を取ってわざわざ目の前に具現化したと言った方が寧ろ頷ける。
 「銀さん?どうしたんです、ぼーっとして」
 珍しくも指名が無かったのか、店の入り口の接客係として姿を見せていたお妙が不審そうに問いて来るのに肩を竦めて返すと、彼女はそこで始めて銀時の視線の先をそっと追った。
 その向く先、店の中央の方に位置する結構にVIP向けの席には、黒いモジャモジャ頭の男が上機嫌で杯を傾けている姿がある。
 「……ああ、坂本さん。銀さんの古いお友達でしたっけ」
 「友達とか止めてくんない。あと、頭のボリュームが仲良さそうとか言うのは止めろよ、傷つくから」
 内緒話の様に口元に手を立てて言うお妙に合わせて同じ仕草でそう言うと、銀時はどうしたものかと頭を掻いた。
 朝からのツキの無さの鬱憤晴らしを兼ねて、パーっと飲もうかと滅多に足を運ばないキャバクラに奮発して来てみれば、ツキの無さの総元締めが居た。その総元締めこと坂本辰馬と言う男は、日頃は宇宙を慌ただしく商いに飛び回っているのだが、この店に贔屓の娘が居るらしく、たまーに地球に戻ると必ずここで飲みまくるのだと、以前本人からも聞いてはいた。
 坂本は声がデカく頭は空っぽで、金払いだけは良いからと贔屓の娘に半ば毟られているも同然なのだが、改めようとは一切しない様な奴だ。うっかり言いくるめられて一緒に飲んだ日には、割り勘で精算されていて偉い目に遭わされた。
 正直見つかったら面倒だし、見つからなくても面倒だし、何よりもうここで女の子にくだを巻きつつに飲む気分でも無くなって仕舞った。出直そう、と銀時が思った丁度その時、行儀悪くも立ち上がって酒の早飲みに興じていた黒い毛玉の頭がこちらを向いた。
 (やべ、)
 黒い遮光眼鏡越しにも何故か目が合ったと確信出来た。銀時が素早く背を向けると、その背に向けて、
 「おー、金時じゃないか、久しぶりじゃのぅ!!」
 そう、無駄にボリュームの大きな声が突き刺さった。
 「ここで会うたのも何かの縁じゃ、一緒に飲んで思い出話に花でも咲かさんか!」
 銀時にとって最悪に近い遭遇も、坂本にとっては懐かしき再会と言った所なのだろう。千鳥足の下駄音が近づいて来るのを悟った銀時は、「どうします?」と目で訊ねるお妙にひらりと手を振ると、今し方通ったばかりの店の入り口に向けて全力疾走した。
 「お?金時、どこ行くがかー?一緒に飲」
 酔いどれた声を耳朶に恨めしげに受け止めながら、銀時は重たい店の戸を自ら開いて外へと出た。
 外には煌びやかな店の内装よりも余程に明るく眩しい、夜に在って目映く光り輝く黄金の町並みが拡がっている。けばけばしい看板や派手な服装の客引き。そこかしこで交わされる、欲を売る声買う声。
 大江戸、かぶき町。夜の盛りを過ぎてもなお猥雑に賑わい、混み合い、日の昇るまでの時間にだけ君臨する一大繁華街だ。
 銀時が出て来た店は、そんな繁華街の中でも比較的に上品な──品格がと言うよりも下世話かそうで無いかの違いの面で──類のキャバクラであった。ある程度の遊びを求める金持ち相手がメインだが、少し背伸びをすれば庶民の懐具合でも楽しめる、調子にさえ乗らなければ結構に良心的な店である。
 ともあれ、出て来て仕舞ったのだから致し方無い。贔屓の娘を置いてまで、坂本が銀時の後を追って来るとは思えなかったが、可能性がゼロとも言い切れなかったので──何分相手は馬鹿で、しかも酔っている──、銀時は足早に賑わう町並みを抜けて行った。
 飲み直すにしても、女の子に酌をして貰う気分でも無くなったし、いっそもっと静かに、飲みたいだけ安酒を呷れる様な店を探すかと思考を切り替え、繁華街の最も華やかな道から少しづつ逸れて行く。
 駅の方へ足を向ければ、終電も近い時間なだけあって辺りは明るいが、人気は繁華街に比べると大分減って来る。慣れた道の更に裏通りへ足を運ぶと、軽飲食店街の並ぶ川沿いの一角に出る。昼間は賑わう通りだが、既に閉まった店の多い今は駅前とは思えない程にしんと静まりかえっていた。
 川は幅が狭く水量も少ないが、万一の増水時の為に堀は深く造ってある。その遙か下の眼下に、何か動く物を捉えた銀時は思わず足を止めてそれを見る。
 水量が少なく浅い川の、高い堀の真下辺り。水の無く僅かの道となったそこを、二人の人間が走っていく姿だ。夜目に遠いとは言え、その男たちが何処か興奮した様子で、浪人なのだろうか腰に物騒なものをぶら下げているのははっきりと見て取れた。
 「………」
 銀時は眉を顰める。十中八九、余り宜しくはないものを目撃して仕舞った。
 その1、誰かに追われて逃げている。
 その2、誰かを追って走っている。
 その3…、
 (誰かを追い詰める為の援軍、とかな)
 至って銀時は顎を掻いた。こんな、降りるも上るも専用の梯子のある場所か、もっと遠くにある堀の低い場所からしか歩く事の出来ない様な場所を、楽しげに息を切らせて走っているのだ。それも得物を携えた浪人二人が。
 殺人現場の目撃者にはなりたくはない。そう正直に思うが、銀時は口中で小さく悪態をつくと川沿いの暗い道を走り出した。
 矢張り今日は何処まで行ってもタイミングの悪い日らしい。どうせ何処へ行っても良くない事が起きると言うのなら、見なかった事にしようが、忘れて仕舞おうが、追いかけてみようが、きっと同じ事に違いないのだ。
 行く先々で起こるプチ不幸の終わりは果たしていつ来るのかと嘆きつつも、見なかった事にすると言う選択肢は銀時の裡には無かった。





意外性、が今回の目標です。

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