Mellow / 11



 「最近いやに勉強熱心ですねィ」
 何の脈絡もなくいきなりそんな言葉を背中からかけられて、土方はぱちりと瞬きをしてから背後を振り返った。
 驚きはしない。大体この声を耳にする時はこんな事はしょっちゅうだし、下手をすると言葉と同時に刀やらバズーカと言った物理攻撃が飛んで来る事もあるぐらいだ。それに比べれば突然問いめいた言葉を投げられる事ぐらい何と言う事もない。
 ……問われた内容次第だが。
 「……何がだ」
 努めて普通に向いた先には、中庭に面した縁側の、障子を半分程開いて顔を覗かせている沖田総悟の姿がある。予想通りの顔は予想通りの表情で、縁側に背を向ける形で卓に向かっている土方の事を見ていた。その様子から見るとたった今やって来たと言う風情ではない。少し前から、土方が集中していて気付かないのを良い事に覗き見る様にして立っていたのだろう。趣味の悪い話だが。
 「何って、ずっと机に向かいっぱなしじゃねーですかィ。巡回に出る回数も減ってるし、まるでヒキコモリでさァ」
 「誰がヒキコモリだ」
 言い種だけを聞けばそれなりに土方の事を心配しているとも取れる台詞なのだが、沖田に限ってはそうでは無い事を土方は知っている。黙って聞いていれば怠慢だとか何だと嫌味が続く気がして、自然と寄った眉間を筆の尻で突きながら、土方は肩を上下させて言う。
 「言っただろうが、自主謹慎中なんだよ」
 「だから、それがアンタらしくねェって話でさァ」
 尤もらしく聞こえる筈の『言い訳』に、然し沖田はさらりとそう繋げて寄越した。含む所は密かにある、痛い所を真っ向から衝かれた形になった土方は胸中でだけ忌々しく舌打ちする。
 発作は今の所、比較的に周期を保っている。それは大体三日から五日置き程度で、時間は余り安定してはいない。そんな頻度で『条件付け』を得なければならない。
 つまりは三日から五日と言う頻度で坂田銀時に連絡を入れ、個人的に会う必要が生じている事になる。それ以外には発作や不調が突発的に起きて土方の身を苛む様な事は無い。
 最初は居酒屋の個室を取ったが、流石にしょっちゅうと言う訳にはいかない。金銭の問題ではなく、単純に不審だからだ。発作の周期がある以上、行動にもパターンが出来る。そうなると襲撃などを受け易くなるし、或いは単純に、元攘夷浪士の怪しい男と真選組副長とが度々極秘に会っている、と言う状況が出来るのも宜しく無い。
 そこで、二度目からは場所は特に定めなくなった。土方は自らに発作の不調の兆候を感じると路地裏やひとけのない廃墟に向かい、そこで銀時を呼び出したり、彼の家に向かいそこの玄関先で済ませたりする様にしたのだ。銀時の方も段々と土方からのそんな呼び出しに慣れたのか、或いは余程暇なのか、電話を鳴らすと決まって即座に応じてくれる様になっていった。
 会って、挨拶もそこそこに痣を舐めて貰って、それでお仕舞い。所要時間は数分にも満たないごく僅かの時間だけ。それが今の土方の要する様になって仕舞った『条件付け』だ。
 毎回、坂田銀時と言う生き物の構成生物の何かを経口摂取しなければならない、となっていたらかなり面倒だったかも知れない。だが、土方が症例の資料を調べ回した結果、どうやら患部に出来た痣様のものに条件付けとなった物質を与える事でも効果が出ると言う事が判明したので、より簡易なその方法を用いる事にした。
 何でも、ある鉱山で大量に働かされていた奴隷に定められた条件付けと言うのが、その惑星にしか存在しない成分を含んだ泥だったと言うのだ。その泥を奴隷たちは、働きながら自ら定期的に痣様の箇所に塗り込むだけで良いと言う寸法だ。確かに、泥を食す訳にはいかないし、一人一人に異なった餌を与えるよりは管理も楽だろう。
 そう考えれば経口摂取だけに条件付けの方法が限っていないと言うのは、実に機能的な話である。確かに、そう言った用途の為に作られた成分であれば、機能制限も可能だろう。
 ともあれ、『条件付け』は確かに効果を発揮しているが、『それさえ守れば』、他に問題は無い。だが、発作が起きた時の己の状況を思い出してみれば、万に一つにも周期では無い時に発作が起きて貰っては困る。土方の職務には基本的に肉体労働や血腥いものが多いのだ、斬り合いの最中にでもあんな事になったら到底命は無いだろう。
 そんな万一の恐れもあって、土方はせめて周期が安定し条件付けの作業に慣れるまではと、自ら言い出した自主謹慎と言う言葉をフル活用し、ほぼずっと薬物の資料と記録との睨めっこを続ける事で警戒していた。巡回や稽古には出るが、発作の鎮まった直後など、ほぼ確実に周期が来ない時を狙っている為、結果的に時間も大分減らす事になって仕舞った。それこそ沖田をして「ヒキコモリ」などと言わしめる程には、その変化が──彼の聡い観察眼には──奇妙なものとして映るのも無理は無かったのかも知れない。
 土方は自らの身に起きている事を、坂田銀時以外の誰にも知られる事の無い様に振る舞ってはいたが、特にこの沖田総悟にだけは絶対に知られぬようにと、固く願っていた。
 何しろ相手はドSの権化だ、土方がそんな面白い──もとい厄介な症状に罹っていると知れば、散々に遊んでくれるに違い無い。勿論それは土方にとって最悪の展開である。同じドSでも銀時の方がまだ、空気を読んでくれただけマシだろうとさえ思う。
 「らしくねェも何もねぇよ。手前ェの勘働きの良さに溺れた挙げ句、軽率な事やらかして隊動かさせてんだ、ちったァ反省ぐらいさせやがれ」
 「アンタが?そんなんでらしくもなく凹んでるって言うんですかィ」
 態とらしく細められた目には、僅かな失望が窺い見えた。あと、更にほんの少しの好奇の色。それらが沖田の裡では土方への不審──今はまだ単なる邪推程度だが──となって形を成しているのはわざわざ問わずとも知れて、思わず溜息が出る。
 「…ま、言う程に引き摺っちゃいねェが、依然逃走中の馬鹿息子は何が何でも捕らえてェんでな」
 言って、ぽんと机の上の資料を軽く叩く。それは件の事件で取り逃がした手配犯を匿っていると思しき組織の調査内容の纏められたファイルだ。
 沖田にこれ以上の追求をされるのは居心地が悪い。自ら秘密を喋って仕舞う様な真似はやらかさないだろうが、なまじ興を惹いて仕舞えば色々と調べられかねない。だから土方は敢えて真っ当な嘘をついた。要するに、一部だけは本当の事を言った。沖田に言わせれば「らしくない」のだろうから、実際はそうではないのだと、態と。
 「それで、引きこもって捜査ですかィ」
 「相手が相手だ、察しろよ」
 表向きにそれなりの力を持つ権力者の、裏にある稼業と言うものは得てして法的には迫り難くなっているものだ。今回のケースはそれに該当している。表向きには真っ白で捜査など殆どしようがない為に裏から色々と手を伸ばす必要があるのだ。それについて土方は一切嘘はついていない。実際にあれやこれやと様々な手段を用いて、件の組織を追ってはいる。
 件の組織は、まあ言うなれば商人である。表向きはそこそこに大きな大店。江戸ではなく地方から進出して来たその大店の取り扱う商品は、交易だ。地球では手に入り難い様々な品を取り扱っている。
 主に惑星間での交易を行っているその大店は、予てより医薬品の密売の嫌疑を掛けられていた。然しそれは表ではなく、裏側の商売の方にだ。
 厄介な事に、この国では認可の下りていない様な他星の薬物や治療法を求める者は後を絶たず、客は裏のルートを巡ってくるそれらを手に入れる為ならば、法外な値段であっても違法な手段であっても厭わない。また、交易で得る潤沢な利益から出る賄賂、各惑星との交渉ルート、金だけは持っている顧客たちの層の厚さなどが捜査の邪魔をし、嫌疑は浮かんでは立ち消えてを繰り返し、証拠すら侭ならない状況にある。
 そんな、表向きは大きな貿易商社だが、当然そう言った密売の裏稼業を担う、専用の、荒事もこなせる人員と言うものが存在する。その組織の幹部が、現在絶賛手配中の──容疑は警官殺しと違法薬物密売である──若者の親と言う訳だ。
 その組織には潜入捜査官を入れるだけでも苦労させられた。挙げ句捜査官は骸となって情報を持ち帰る羽目となったのだ、真選組としてはこの侭殺人犯当人である男を証拠として押さえて、ついでに組織も丸裸にしたい。
 謂わば弔い合戦の様なものだ。実際それが理由で息を撒いている隊士も少なくない。故に土方が、血眼になって地道な捜査活動に励むのもある意味当然の流れの先にある事だ。
 「…まぁ別に、そんならそれで構やしねェんですが」
 土方の誤魔化しを悟ったのか、明らかに「構わなくない」と言いたげな声音でそう溜息と共に締めると、沖田はふらりとした無造作な動作で背を向けかけ、「ああ、そう言えば」そう言って立ち止まる。ほんの僅かだけ振り返る、目。
 「アンタが最近仲良くしてる旦那ですがねィ、どうにも俺は信用なんねェんですよ」
 「……お前ら、ドS同士気が合うとか何とか良く言ってなかったか?」
 言う沖田の鋭い鋭い目は、適当な嘘を投げている様には到底見えず、土方は指摘に驚くより先に酷い違和感を憶えた。確かに沖田と銀時との間に特段の接触は無い筈だが、二人して主に土方いじり(と言うのも業腹なのだが)に余念が無いと言う宜しくない共通点があり、それなりに仲が良い風に見えていたからだ。
 然し沖田は、言っておいて深く追求する気は特に無かったのか、
 「同類みてーなもんだからこそ、妙な勘が働いちまうって事もありまさァ。ああ言う手合いは腹ん中で何考えてるのかが、一番解り難ェんでね。まぁ、俺のも土方さんの役立たずの勘と同じかも知れませんがねィ」
 そう、わざわざ嫌味を添えた、何処か残念そうにも聞こえる調子で静かに言うものの、それ以上を続ける気は無い様で、今度こそ障子を閉じて部屋を後にした。廊下を行く足音が自然に遠ざかり、やがて静かになる。
 「……」
 意図はともかく、取り敢えず沖田の鋭い観察眼は、少なからず土方が銀時と以前より親しくなっている──定期的に会う必要があるのだからそう見えても仕方あるまい──事には気付いている様だ。流石にどんな目的で会って何をしているかまでは知り得ていないだろうが。
 それについて思うところはあるが、どう扱って良いのかを決めかねていると言った所か。
 (………ま、気は付けた方が良いって事だろうな)
 この分だとその扱いとやらが、邪推に働くか興味が失せる方向に傾くかは、土方の行動や言動次第と言う事なのだろう。条件付けの周期を変える事は出来ないが、会う頻度や状況をちゃんと考え、時には普通に飲む様な無駄な行動も偽装として必要になるかも知れない。
 少なくとも、路地裏で、などと言うのは緊急時以外には避けるべき事なのだろう。だが、そうは思っていてもいざ発作が起きると思考も散漫になり、本当の意味で「どうでもいい」と思えて来るから辟易させられるのだ。
 『気を付けた方が良い』、その呟きがかかる位置がどうにもおかしい気はしたが、まあ良いかと土方の思考はするりと不自然な程にあっさりと流れてすぐに形を失って仕舞った。
 土方自身がどう思っていようが、その時になって仕舞えば身体も脳も忽ちに言う事を聞かなくなって仕舞う。"条件付けを果たす為ならば"その一念で他の事から全て意識が疎かになって行く。
 (最初の頃はもう少しはマシな気がしたんだが…、)
 そう思いかけた所で然し、我を忘れて銀時の指にしゃぶりついて仕舞った忌まわしい記憶が蘇り、土方はぶんぶんと頭を左右に振った。あれから条件付けの行為は幾度か重ねてはいるが、あの記憶だけ妙に恥ずかしいのは、それを無意識に、無自覚に行って仕舞った故だろうか。そう、と解っていて行われる『条件付け』とは、そこに土方の明確な──渇望ではなく意思が介在しているかいないかと言う点で異なる。
 それが結局のところ本能に因る現象なのだとしても、或いはだからこそ、我を忘れて縋りつく様な真似など本来はしたくない。
 (想像以上には簡単に行きそうもねェのは確かだ。だが、この効果を消す方法を何とか探す以外に光明なんざ無ぇだろう)
 あれから幾度となく資料を漁り、問題の薬物についてのそれらしい情報を掻き集め続けて来た。だが、そうして得る事が出来るのは既知の情報ばかり。『こう』なった奴隷がその後どうなるのか、までは解らない侭だ。
 だからこそアプローチを、組織から追う方へと変えてみたのだが、そうしたらしたで、件の組織の裏稼業をどう摘発したものかと言う問題に結局は行き当たる。証拠を集める為の潜入捜査は、既に犠牲者を一名出して仕舞った以上、土方の独断で敢行する訳にはいかないのだ。
 「…………」
 煙草をゆっくりと吸って、短くなったそれを灰皿で潰すと直ぐに新しい煙草を取り出しかけ、そこで土方は苦く笑った。
 まるで中毒患者だ、と思う。こうして無意識に次の煙草を探るのと同じ様に、ひとたび発作が起きれば己の身体は無意識に、条件付けが成される事だけを求めて恥知らずな真似をするのだと思えば、実にやりきれない。
 ひょっとしたら、奴隷用に作られたと言う用途を思えば、一度出来た条件付けを解除する方法など存在していないか、無かった事にされている可能性の方が高いのかも知れない。
 日を追う毎に色濃くなって行く、そんな予感を弱気だと振り払い、土方は再び捜査資料へと意識を集中させた。
 吸おうとしていた筈の煙草は、指の間で折れていた。







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