Mellow / 12



 ぜいぜいと、荒く弾んでいた呼吸が段々と落ち着いて行き、やがて溜息にも似た熱い呼気一つを漏らして、弓の弦の様に張り詰めていた全身がぐたりと弛緩する。
 毎度見慣れた光景ながら、毎度骨の抜けた様に脱力して仕舞う身体にはぎくりとさせられる。断末魔の悲鳴を上げて死んだ生き物めいて、その瞬間の土方は精も根も尽き果てた様に、銀時に縋りついていた腕もだらりと落として暫く動かなくなるのだ。
 銀時の家の玄関先だ。それは、そろそろ周期か、と思っていた矢先に掛かって来た電話だった。
 近くまで来ているから訪ねるとだけ一方的に言って、数十分もしない内には仏頂面の土方が玄関口に佇んでいたのはもうこれで一度や二度の事ではない。
 所在なく立ち尽くす土方を玄関の中へと招き入れると、眉間にきつく寄せられていた皺は、不機嫌そうに顰められていたそれから一変し、悩ましく苦しそうな表情を形作る。
 眼はぼんやりとしている癖に、酷い渇望の色をして銀時を見つめ、銀時はそんな土方を促しながら床に膝をつく。すると彼は隊服の上着をもどかしげに脱ごうとするので、それを手伝ってやりながら白いシャツの袖を捲り上げる。
 膚の上に染みついた花の様な模様は、日頃見ればそれが土方を苦しめる烙印の様に不躾なものでしか無い筈だと言うのに、条件付けの際に目の当たりにすると銀時は恭しい様な心地に何故かなって、慎重に優しくそこに口接ける。
 姫の手の甲に宣誓の口接けをする騎士の様な仕草だと、客観的に詩的に言ってみた所で、実際はそんな良いものではないとは薄々銀時自身も気づきつつあった。恭しくだの大事にだの扱ってみた所で、こんなものはそんな綺麗で誠実さを思わせる儀式でも何でもないのだと。
 花弁の形に沿って舌を這わせると、唾液の濡れた跡が、まるで無遠慮な蝸牛の歩みの様に見えて気持ちが悪い。然し土方は目元を紅く染めて、恍惚に震えながらそんな冒涜的な蹂躙を望んで受け入れている。
 背を撓らせた土方の身体が一際大きく跳ねると、彼は糸が切れた様に三和土の上へ膝をついて崩れ落ちた。
 最初はどうして良いか解らずその侭暫くそっとしておいたし、その後も大体似た様なものだったのだが、今日は雨で、三和土が土方自身の靴跡で濡れていた。
 『だから』。銀時は死んだ様に力の抜けた土方の身体を抱き留めて、床板の上へと引っ張り上げた。彼は寝心地の決して良くは無いだろう固い床の布団に横たえられても、されるが侭にぐにゃりと、仰向けに転がされて未だ熱い息を吐き出していた。
 (死ぬ時みてェって言うか寧ろアレだろ…、)
 そう、咄嗟に浮かんだ想像は、土方が聞いたらそれこそ、下世話だ、と顔を顰める様なものだろうか。生きていると言う生命力を吐き出して死す、と言う意味では、仕留められるのも絶頂するのも似た様なものだと思えたが。
 『条件付け』を土方へと与える生活にも随分と慣れた。土方の方も当初の様な遠慮がちな態度を改めて、当然の様に花の浮いた膚を差し出すし、銀時もごく当たり前の様にそれを舐めてやる様になった。
 だが少し気懸かりだったのは、回数を重ねる毎に、周期は変わらずとも土方の反応が変わる様になって来た気のする事だった。
 痣様の模様に銀時が唾液を与えると、そこが急所か性感帯かの様に苦しげに反応するのは最初の時からだった。問題はその後だ。死ぬか絶頂するかの様に恍惚し脱力する、その程度がどうにも当初に比べると酷くなっている様な気がしてならない。
 (依存、とか)
 薬物中毒、と言う言葉に付き纏うそんな現象の名前は不吉に銀時の裡に湧いて、沈んだ。
 ちらりと見下ろせば、床板の上にぐたりと転がる土方は、未だ『戻って』来ていない様だった。半分ほど閉じられた目の焦点は合っておらず、ゆっくりだが温度と湿り気のある呼気を繰り返して肺を静かに上下させている。
 「……」
 苦しそうだ、と思ってスカーフに自然と手が伸びた。払われるかと思った銀時の手は、然し何に遮られる事もなく、白い布をくしゃりと掴む。
 簡単に絞めるも裂くも出来そうな白い喉を晒されても、土方はまだぼんやりと、夢心地の様な風情で動かない。
 膚を少し舐っただけで、仕留めた獲物。或いは、麻痺させ恍惚に堕とした食餌。
 自分がまるで蛇とか蜘蛛にでもなった様な心地がして、銀時の喉は鳴った。歪んだ満足感に憶えた感覚は、その時確かに欲情の意味を成して脳に衝動を促したのだ。
 食欲か性欲か或いは単なる支配欲かも知れない、衝動のその侭に、銀時は土方の薄く開かれた唇からこぼれる吐息ごと食らう様に、覆い被さる様にして口接けた。
 「……ぁ」
 舌が触れた瞬間、土方の喉奥から悩ましい吐息が漏れた。喘ぐ様に丸く開かれる口、眉を寄せて瞑った目を縁取る睫毛がふるりと震えて、訴えて来る。今己が感じているその恍惚を。
 「、」
 じゅ、と酷い音を立てて唾液を吸われ、銀時は土方の両頬を逃がさぬ様に掌で挟み込んで捉えると、口腔での粘膜同士の交わりに夢中になった。与えられる唾液を、その蹂躙を求めて藻掻く土方は必死に喉を鳴らして、滴る唾液を甘露か何かの様に飲み下して行く。
 そうしてやがて、痣を舐ってやった時の様に恍惚の吐息を漏らして、ゆっくりと再び土方の全身は弛緩した。
 唇が漸く離れた時には、ぷは、と思わず大きな息が漏れた。銀時の見下ろす下で、土方は大きく長い呼吸を繰り返しながらも、今度は焦点のしっかりした眼差しで至近の顔を見上げ返して来ている。
 「…………」
 「…………」
 理由も意味もきっと無い、ただの衝動には名前も意味も不要だ。勿論、言い訳も。だから銀時は何も言う言葉を持たなかった。そして土方はそれを条件付けの行為の一つなのだと納得したのだろう。
 双方共に沈黙を保った侭、やがて土方は自らの口元をぐいと拭うと、大きな溜息をついて上体を起こした。その動きに押される様にして銀時も退く。退くしかない。
 彼は捲った腕を仕舞い、襟元のスカーフを正し、放り棄てた上着を拾い上げるとゆっくりと立ち上がった。その仕草に危なげな所や、ぼうっとしている様な様子は一切無く、どうやら条件付けが完全に浸透したのだと言う事を知らされる。
 そうして床に座り込んだ侭の銀時を余所に、上着まで纏って仕舞えばその姿はどこからどう見ても、見慣れた真選組副長の姿で、先頃までの虚脱も恍惚も微塵も感じさせはしない。
 「……世話になった。またな」
 「……おう。じゃ、またな」
 結局最後の最後まで、互いに今の、嵐の様な奇妙な時間には触れずに過ぎた。
 それがただ、『効いた』のだと言う解り易い結果──効果だけを現象として刻みながら。







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