Mellow / 16



 舌打ちと共に、遅々として進展のない捜査の報告書をばさりと机に投げ出す。ただでさえ、予想はしていても予想以上に難航している様な捜査だが、時間の経過があれから経ち過ぎている。普通ならばこれ以上は何の成果も得られないとみなして、捜査を一旦打ち切りにしている頃だ。
 副長が部下の仇討ちに躍起になっている、と、同じく仇討ちに燃えている筈の隊士らからもそろそろ揶揄めいて囁かれ始めている。仇討ちをしたい気持ちには誰も嘘偽りは無くとも、土方の続けている捜査活動からは明らかに無茶や無駄が目立つ様になって来ており、それに不満を憶える程度には誰もが冷静さを取り戻しつつもあった。
 近藤も、奴さんが尻尾を再び出すまで一旦諦めた方が、と遠回しに土方に言って来た。誰よりも部下の命を重んじて、先の潜入捜査員の殉死に最も無念を隠さずに居た彼から見ても、この侭捜査を続ける事は無意味で、土方がやがて無謀を起こすのではないかと慮らずにいられなかったのだろう。
 土方とて、己の捜査命令の判断が実を結んでいない事は承知の上だ。何の成果も得られぬ張り込みや、聞き込みに当たる現場の隊士たちの不満も解る。だからこそ自らでも捜査活動へと繰り出していたのだが、それでも限界はある。
 だが、ここで潜入捜査員を殺した犯人でもある、手配中の馬鹿息子を逃がす訳にはいかない。その程度しか組織に踏み居る隙も機会も無いのだ。現在の所まだ彼が江戸から離れた様子は無い。少なくとも土方はそう確信している。今や下手に地方に隠すよりは賑わう江戸に残しておいた方が安全であると言うのは、犯罪者であれ警察であれ認識は同じなのである。
 (なんとか野郎の身柄を押さえるか、組織が隠蔽に荷担してるって証拠さえ掴めりゃな)
 最終目標を思えば思うだけ、あの夜の追走劇で失敗をやらかした事が我が身に突き刺さる。結局あの顛末からは直接組織や手配犯へと繋がるものは何一つとして得られていないのだ、土方があの時多少無茶をしてでも奴の身柄を確保出来ていればそもそもこんな苦労さえも無かった。
 そんな経緯もあって、土方が己の失態を払拭する為に躍起になって捜査を続ける余り、周りが見えなくなっている、などと現状評されるに至る訳だが。
 (あん時多少無茶してでも捕まえられてりゃ、)
 幾度となくそう考えはするものの、あの場で到底無抵抗とは言えない犯罪者を一人引き摺って、応援が駆けつけるまでの間をやり過ごせたとは思えないのも事実だ。決して一人で多数を相手にするな、逆に一人を数で圧せ、と言うのがそもそもにして真選組の教えである。幾ら土方に優れた剣の腕があろうが、所詮数で圧されれば不利な事は間違い無い。
 (そもそも、普通に考えりゃあの状況、命獲られてたのは俺の方だ。『通りすがりの一般市民』が首突っ込んで来た事で状況は変わったが…)
 ぼやいた土方は半ば無意識に右の二の腕に触れていた。衣類越しには全く何の異常は無いが、そこに刻まれた忌々しい痣様のものが、あれから色々と物事を厄介にして仕舞った。捜査に私的な理由が伴っているのも、私的な時間が割かれる様になったのも。
 (どうせ同じ醜態を晒すんなら、少しでもマシな相手だったと思うべきか…。少なくとも、組の関係者や全くの他人じゃなかったって所だけは、だな)
 だが、と衣服の上から痣の辺りをなぞりながら土方は眉を寄せる。実の所未だに良く解っていないのは、何故こんな薬品が使われたのか、と言う点だ。偶然の出来事とは言え、坂田銀時が『条件付け』の対象になったと言う事は土方にとって「幾分マシ」と言う結果であったが、そうではない場合はどうなって居たのだろうか。寧ろ、『そうではない』想定で使われたのだと見るのが、本来あるべき解答だった筈だ。
 土方があの日あそこで手配犯を発見したのは、捜査活動はしていたとは言え偶々の話だ。男を追い始めた土方を、女が彼の親──組織の首魁に報告した事で、恐らくは息子の救援と同時に厄介で目障りな真選組の副長を葬ろうと目論んだのだろう。
 この時点で事は『偶然』から逸れて、計画的に動いている筈だったのだ。だが、そこにまたしても『偶然』、通りすがった一般市民が首を突っ込んで来て、土方は袋小路に身を潜めて応援が来るまでの時間を稼がざるを得なくなった。
 追っ手は、逃げ場の無い暗闇へと潜んだ土方を見てどう思っただろうか?その答えは恐らく、犠牲が出る事を覚悟した上での狙撃が物語っている通りだ。
 (……つまりは、俺にこのクソ厄介な薬物を盛る事が目的だったって事になる)
 同じ条件であれば、確実に仕留められる様な毒薬や劇薬も、かの組織にならば簡単に用意出来た筈だ。寧ろ市場にもう出回らない様な、『奴隷用』などと言う限定的で稀少な薬品を使う方が余程に面倒くさく、手間も金銭もかかるだろう。
 土方を無力化したかっただけであれば、殺すのが一番早かった筈だ。銀時の妨害が入っていようが、確かにあの時アンプル銃は土方に命中していた。中身が毒物の類であれば、今頃土方はとっくに棺の中だ。
 「…………」
 不意に浮かんだ想像に、冷えた汗が背筋を伝い落ちた気がして、土方は痣を掌でぐっと押さえた。
 偶然が幾つか続いたが、土方を返り討ちにしようとした追っ手は確かに、目的を達していたのではないだろうか…?
 即ち、真選組副長の身を、厄介極まりない薬物漬けにすると言う目的だ。
 偶然そこに入り込んだ銀時が、その薬物の効果の一端を担って仕舞った事で計画が崩れたのだと、したら。
 (使える、かも知れねぇ)
 連中の目的が土方の想像した通りだとすれば、方法が全く無いとは言えない。大分強引な手段にはなるが、上手く行けば匿われていると思しき手配犯の息子も、それを匿っている親も、組織諸共に片付ける事が叶う筈だ。
 然し徒手空拳と言う訳にはいかない。土方は山崎への指示をメールに打ちながら、上着と刀を手にとって立ち上がった。
 条件付けの発作は昨日来たばかりで、今日は頗る調子も良い。
 思いつきでいきなり行動しないで下さいと部下には諫められそうだが、この好条件は他に代え難いと、土方は確信していた。
 
 *
 
 堂々と正面から訪ねて行った土方だが、流石にいきなり取り囲んで刃を向けられる様な真似はされなかった。拍子抜けではあるが大体の所は予想通りだ。両掌をひらりと振ってみせる土方の姿を、倉庫内に居た連中ほぼ全員がぎょっとなって見はしたが、それだけだった。
 件の組織の『表向き』の稼業を行っている倉庫の一つだ。宇宙から幅広く取り揃えた各種の医薬品を、この江戸の拠点から各所に卸す、小規模な物流拠点の様なものだ。
 表向きにはただの輸入業。裏では公然の密輸業。幾つかの『お得意様』とよろしくやる事で、警察や入管の介入を避けて来ていたのだが、そこにいきなりアポイント一つ無しに真選組の隊服を纏った男が現れたのだから、それは何事かと思うだろう。
 「おい、てめぇ」
 倉庫の中を好き勝手に物色し始めた土方を、流石にまずいと思ったのか作業員──チンピラか攘夷浪士かとしか思えない態度と風貌であった──が声を掛けて来る。
 肩を掴もうと伸ばされた手を叩き落として、土方は今にも色めきたちそうになっている無法者そのものの顔ぶれを軽く眺めて、それからゆっくりと口を開いた。
 「てめぇらのボスに取り次げ。真選組副長が、『条件付け』の件で話があると」
 「なん、」
 「良いからとっとと言って来い。見ての通り強制捜査だの言う無粋な武器は持ち合わせちゃいねェんだ。紳士的な話し合いをしましょう、ってだけだ」
 末端の作業員(構成員と言うべきか)らまで状況を把握していると言う事は流石に無かったのだろう、土方を取り囲もうとしていた連中は訳が解らずに顔を見合わせている。その表情からすれば「良いから気にせず殺っちまえ」と結論に至りそうな気もしたが、幸いにもそうなるより早く、奥から新たな声が響いて来た。
 「これはこれは随分と珍しい客人だ」
 堂々と倉庫に立ち入った土方同様に、堂々と迎え撃って出て来たのは初老の男だった。髷に立派な鶯色の羽織袴。皺の目立つ顔立ちは厳めしく顰められている。
 一見すると引退した武家の人間の佇まいそのものだが、この男こそが件の、やくざまがいの裏の人手を一手に取り仕切っている人物だ。蘆名某。写真で見覚えのあるその姿を油断なく見つめながら、土方は咥えていた煙草を摘むと、ふう、と紫煙を吐き出した。
 男は駆け寄ったチンピラの一人から耳打ちを受けると、ほう、と土方の姿を睨め付けた。上から下まで、値踏みでもする様に。『条件付け』と言う言葉から無様な姿でも想像したのか、口端が僅かに上向く。
 「『紳士的』な話し合いを所望とあらば、どうぞこちらへ。但し、物騒な得物はこちらで預からせて頂きますが」
 「好きにしろ」
 言うなり土方は刀を鞘ごと外し、近くに居た男に無造作に手渡した。「雑に扱ったら容赦しねェからな」と凄んで笑えば、強がっているとでも思われたのか、鼻で嘲笑が返って来る。
 あっさりと武装解除をして見せた土方の姿を、男はもう一度怪しむ様に目を細めて見たが、強硬派で知られる真選組の副長が『話し合い』をと言い出す程に追い詰められている、と言う想像が勝ったのか、作業員たちに仕事に戻る様命じると、倉庫の奥へと戻って行く。付いて来いと言う事だろうと判断し、土方も無言でその後を追った。
 (さて、ここまでは上手く行ったが)
 軽い腰の重量に若干の落ち付かなさを憶えるが、まあそれ程心配は無いだろう。蘆名某は恐らくは土方の事を舐めてかかっている筈だ。
 土方の想像した、彼らの目的が全て順調に達せていたら、と言うシナリオに沿って考えれば、自然とそうなるからだ。
 (殺せば早い人間を、然しそうせずに無力化しようとした。つまり連中は真選組も『お得意様』の一つに加える事で更なる安定を買おうとしている)
 要するに、真選組の副長を、特殊な薬物漬けにする事で傀儡化する事こそが目的だったのだと、土方はそう推測した。警察官殺しを有耶無耶に出来るのは警察だけ。ただでさえ独立勢力として厄介極まりなく、商売の邪魔だった武装警察をいっそ取り込みたかったのではないか、と。
 然し事態は一般市民の介入に因って大幅にずれを見た。だが、薬物が効能さえ見せていれば、いつかは土方が『個人的に』泣きついて来るのではないかと言う可能性は僅かでも残されていた筈だ。何しろあの時点では狙撃が成功したのか失敗したのかすら、襲撃した誰にも解っていなかったのだから。尤も、解っていたとしても彼らは全員屍となっているのだが。
 『条件付け』の効能は出たのか、それとも失敗したのか。失敗を見たのであれば、息子を匿い続ける為にも次なる手段を講じる必要がある。日に日に苛烈になる土方の捜査活動を見て、成功か失敗か答えだけでも得たいと、きっとやきもきしていたに違い無いのだ。
 そこに来て突然の『紳士的な話し合い』の申し出だ。きっと背中では何でも無い風情でいようが、その顔は思う様に行った計画に笑いを噛み殺している筈だ。或いは、『条件付け』の発作を今まで土方がどの様に凌いでいたのか、『条件付け』の成分は何になったのかと、色々と考えでも巡らせているのやも知れない。
 (…まあ、ただ一つ確定的になったのは、矢張り輸入元であるこいつら以外には、『条件付け』を解く手段を持っていない可能性が高いって事だ)
 忌々しい解答に駒を進めて、土方は深くニコチンの苦味を吸い込んだ。
 少なくとも、取引の材料に使えると判断されるぐらいには、それを解く手段が無い、或いは少ないと言う事だ。そうでなければ、土方が泣きついて来た時に対価として差し出す価値が無くなる。
 (手段が見つからなかったってのも、納得の行く話だが)
 どこか自棄っぱちに流した思考は、その寸前の何かには引っかからずに諦め混じりに転げ落ちた。それを拾おうとする気力も湧かない。或いは気付きすらしていなかったのかも知れない。
 倉庫の奥を抜け、建物に併設された事務所らしき建物へと入って行く男を追って、土方は歩を進めた。







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