Mellow / 17 通されたのは余り広くは無い、平屋の建物だった。入り口は一つ、窓は無し。正確に言えば窓自体はあるのだが内側から板が貼られていてその体をなしていない。 元々は小さな倉庫か警備員の詰め所か何かだったのかも知れない。部屋は一間しか無く、簡易的な応接セットと書類棚や無造作に詰まれた段ボールなどの存在もあって、三人しか中に居ないのに手狭に見えた。 椅子を勧められたが丁重に断って、壁際の書類棚に寄りかかる様にして立つ。警戒を解かない猫の様な土方のそんな態度に、蘆名某は肩を竦めて笑った。今更何を強がるのだとでも言いたげに。 (まあそりゃそうか。万事休す、で泣きついて来たってのは、業腹だが事実だしな) 尤も、ただ泣き事を言いに来た、訳では無いが。 「仲間には知られちゃいねェ。だから、出来ればこちらにもそう願いたいんだが?」 言って、土方は蘆名の伴って来た部下の方を見た。彼は秘書か護衛か何かの様に雇い主の斜め後ろに控えている。とは言ったものの、先頃倉庫の中で働いていたチンピラ同然の連中と大差ない様な風貌だったが。 「そうは行きませんな。何かと恨みを買う職業柄、護衛と言うものは欠かせないのですよ」 「武装解除した、ヤク中の野良犬一匹如きを恐れると?」 「……」 自嘲と共に出た台詞は自分の想像以上に自棄っぱちな声音で喉から滑り出て、滑稽なその事実に土方は忍び笑った。事実その通りだ。もう一日二日も経てば、この身は骨でも抜けた様に、脳から大事な何かをこぼした様に役立たずに成り果てる。そうなった。そう言う体に、させられた。 「……扉の外で待機していろ」 果たして土方のそんな自嘲の態度が効いたのか、蘆名は護衛だったらしい男に軽く顎をしゃくりながらそう命じると、応接セットの上座に腰を下ろした。護衛は何か言いたげに土方の方を威嚇する様に見はしたものの、命令は絶対なのか大人しく引き上げて行く。まあ言われた通りに扉の外で耳をぴたりとくっつける様に待機するのだろうが。 蘆名は一応名目としては貿易商社の警備部の部長と言う肩書きだったと、土方はそう記憶しているが、少々煽った程度で護衛に席を外させるとは、用心と言う面では余り長けている人物とは言えないらしい。結構な事だが。 「何せ急な来訪なものでして、茶の一つも用意出来ず申し訳ない限りですが」 革張りのソファに身を沈めて、軽く両手を開いて言う。互いに敵同士なのは明らかと言う状況での鷹揚なその仕草は、自らの優位を確信してのもので、土方はふんと鼻を鳴らした。気分が悪い。 「悪ィが茶を楽しむ様な間怠い話は無しだ。簡潔に行かせて貰う」 言って、灰の残る灰皿へと勝手に吸い殻を放り込むと、土方は自らの右腕にそっと触れた。そこに浮かぶ忌々しい烙印を気にする様な態とらしい仕草だが、困り果てていると言う意味ぐらいは伝わるだろう。 「正直、射手が殺されて結果がどうなったのかは知れなかったもので、失敗したかと半ば諦めていた所でしてね。民間人が助太刀に加わっていたらしいとは報告を受けていたものの、随分と気を揉まされましたよ」 やれやれ、と言いたげに溜息をついてみせるその様子に、見事に想像通りだった訳か、と土方は内心の納得と共に目を軽く眇めてみせた。矢張りあの、坂田銀時の横槍で色々と計画に狂いが生じたのは間違いなかったらしい。その結果坂田銀時が居なければ生きるも大変と言う体質になったと思えば、真正面から喜べる話でもなかったが。 「矢張り、てめぇの所の馬鹿息子を追跡しているのが真選組副長、しかも単身だと解った時点で、救援ついでに逆に襲撃する手筈だった訳か」 「……倅には予め、人気の無い場所に逃げる様にとは教えてありました。然し、襲撃とは人の悪い。何とか話し合いが出来ぬものかと思って人を寄越したまでですよ」 「死ぬより質の悪ィ薬なんぞ盛っておいてよく言う」 しゃあしゃあと宣う蘆名を制する様に鋭く言うが、男はいやらしく片頬を歪める様にして笑い返す。薬の効能を土方が思い知っていると言う事実が、優越感を煽るのだろう。 ここまでは大体土方の想像した通りだった。もっと早く至っていればとは思うが、そうなったらなったで、相手の思惑になど乗りたくはないと意固地になって仕舞っていた気もする。 そもそも、条件付けの作業が安定して来て、一方で捜査活動が二進も三進も行かなくなっていたからこそ、どうしてこんな薬品を盛られたのだろうと考えるに至ったのだから、それも結果論だが。 ともあれ、相手が己の思惑に土方がかかったのだと思ってくれるのであれば話は早い。 「で、そこまでして『話し合い』したかった内容は」 問いに、蘆名はまたしても笑う。聞くまでもないだろうにと言う事だろう。実際土方でなくとも誰にでも容易に想像のつく話だが。 「倅を見逃して欲しい」 「見返りは」 果たして、想像通りのその申し出に、土方は努めて静かに返した。件の倅とやらは、潜入捜査官であった真選組の人間──土方の部下の一人を殺害しているのだ。否、土方でなくとも言語道断の話である。 人としてもそもそも殺人事件なぞ犯す時点で問題だが、親馬鹿もここまで極まると呆れたものだ。尤もこの男の場合は、馬鹿な息子に本当ならば首輪でもつけたいと思っているのかも知れないが。彼の立場を愚かな息子の行動が危うくしていると言うのは間違い様の無い話だ。 「副長殿の現在置かれている状況、相当に厄介なものと察しましょう。それに対する情報と言う事では?」 「回り諄ェ。『条件付け』を消す方法を教えてやっても良い、だろうが」 自分で言った通り、飽く迄『話し合い』の体裁でも通すつもりなのか、或いは単に面白がっているだけなのかは知れないが、土方は舌を打つと腕を組んだ。焦れた様に、ソファに座す男を睨み付ける。 目論見が最初から最後まで成功していれば、土方には本来交渉などする余地は無かった。一方的に薬を盛られて、一方的に何か別の薬物か何かを条件付けとして設定されて、後は数日も監禁すれば逆らう事も侭ならなかった筈だ。 然しそんな、最悪の想像からは免れた。かと言って現状が最良だとも到底思えなかったが、土方の想像し得る他のあらゆる可能性から取捨するとなると、恐らくは最もましなものであったと、何故か確信さえ抱いてそう思えた。 「……それで、飲んで下さると?」 寸時不毛な思考に落ちていた土方は、蘆名のそんな声音にゆっくりと我に返る。選ぶ余地など無かろうと思いつつも、土方に人並みにはあるだろう躊躇いや葛藤が解答を渋らせていると感じたのか、声には探る様な、疑る様な色が乗っている。土方は小さく息を吐くと、棚から背を浮かせた。 「俺の一存だけでは難しい話だ。捜査を打ち切るのは簡単だが、流石にてめぇの息子の手配を解くって訳には行かねぇからな、精々出来るだけ目立たない様に過ごさせてくれ」 「…では現状の捜査は打ち切ると言う事で宜しいですかな」 明確には頷かず首を軽く竦めてみせる土方に、然し一応は納得したのか、吐息を一つ。 「見返りの方は」 「その前に一つお聞かせ願いたい。一体『何』が条件付けの対象に?これだけ長期間を過ごして来たと言う事は、条件付け成分は既に幾度となく摂取している筈ですが」 「………」 促す土方に向けてそう問う、顔に下衆の勘繰りはあからさまには出てはいなかったが、ただ不快感を憶えた土方は鼻の頭にむっと皺を寄せた。特定の成分を定期的に摂取しなければ理性も意識も溶け落ちて、ただの動物じみた生き物に成り果てる、全く趣味の悪い代物だ。仮に条件付けの対象が水や食料など日常的に摂取するものだとしても、定期的に発作を起こしてそれを欲するのだから、そんなものはどうした所で枷にしかならない。 「あれも一応は貴重な商品でしてね。その昔はとある惑星で当たり前の様に労働階級の奴隷に用いていたそうですが、法で禁じられて以降生産を行う技術は途絶し、辛うじて現存しているものも非常に少なく、まあその、値が大層張るものでもありまして、使われた事例も余り伝わっておりませんので、参考までにと思ったまでです」 無言で睨む土方に怖じ気たと言う訳では無いだろうが、蘆名は態とらしい愛想笑いを浮かべてみせた。 要するに、薬物を取り扱う業者としては臨床例を知りたいと言う所だろうか。無論話すつもりなど土方にある筈もない。 (あんな事、) ともすれば思い出すだけで脳髄がくらりとしそうな酩酊感を思い出す。発作の最中の意識は曖昧だが、何をしていたか、何を欲していたか、それがどんなに芳醇な感覚であったかと言う記憶だけは残るのだ。それが甘いか、苦いかは解らない。土方は無言の侭かぶりを振ってそれを振り払った。 「それで、条件付けを解く方法は」 「残念ながら手元には無いのですよ。だが、そう遠くはない内に用意出来るとは約束しましょう」 「、」 どう言う事だ、と言いかける土方を制すように掌を向けて、蘆名。 「今し方申し上げた通り、貴重で稀少な品なのですよ。幾ら我が社であっても今すぐに入手すると言う訳にはいかない。ですが、恐らくはこの分野での商いでは、この国にうち以上に長けた業者は存在しないでしょう」 貴重で稀少。土方は重ねられたその言葉を反芻する。 「まさか、同じ薬物が解毒薬にもなるって事か…?」 「ご名答です。まぁ厳密には解毒ではなく食い合うと言うか相殺と言うか…」 とにかく、とそこで言葉を切ると、蘆名は商人でもないのに余程に商人らしい調子で目を細めると続ける。 「丁度良いでしょう。副長殿が取引に応じてくれていると、こちらが確信する為の期間の様なものです。件の品を入手したらお渡ししますよ、早急にね」 く、と喉を鳴らしてみせる男を土方は歯噛みしたい心地を堪えて睨んだ。握った拳に自然と力がこもる。 解毒薬になり得る、件の薬物を入手する算段は確かに土方側には全くない。仮に密輸業者や貿易商社を押さえた所で、貴重で稀少と言わしめるそれを易々手に入れられるとは到底思えない。況して違法な品であれば尚更だ。 伝手と言う意味で言うのならば、この密輸業者は薬物関係に長けていて宇宙との取引も盛んだ。件の薬物を入手する目的であれば他の何れより近道と言える。それは疑い様のない事実だろう。 (つまり、その間は取引通りに捜査を取り止める事は必至、いや、下手すりゃ本当に取引に応じているかを試す目的で無理難題を寄越されかねねェ) 余裕の──勝利の笑みを浮かべてみせる男を前に、土方は舌打ちを堪えるのが精一杯だった。 思えば当初は有無を言わさず土方を傀儡にする算段だったのだから、解毒薬など予め用意してある筈が無い。そして現状確かと思える解除方法は連中の手の中と言う事になる。 然しその時、懐の中の携帯電話が震えた。伝わった振動に、土方はまるで胸でも撫で下ろす様に懐に手を当てた。実際そんな気分であった。 (タイミングが良すぎだろうが…!) 「どうぞ?」 携帯電話の着信を知らせるそれに、蘆名が鷹揚な仕草で促して来るが言われるまでもない。土方は掌の下のそれをそっと出してディスプレイを見遣る。それが予想していた部下の名前である事に自然と笑みが浮かんだ。 「俺だ」 《副長、作戦は成功です。そこから近い埠頭の詰め所でした》 「そうか」 結論だけを聞くと、頷いて土方は通話を切った。さて、直にここにも捜査の手が入る。残り時間は恐らく余り多くはないだろう。気付かれぬ内に最後の一つをこなさなければならない。 土方が自らここへ来た、最大の目的を。 「なに、」 つかつかと蘆名の座すソファへと歩み寄ると、有無を言わさずに土方はその喉元を鷲掴みにした。落とさない程度の力でソファの背へと男の体を押しつけ、片足で膝を踏みつける。骨の軋む音に、掴んだ喉が声も上げられず震えた。 「さて。たった今入った部下からの連絡でな、大事なお坊ちゃんは張っていた真選組(うち)の人間が確保したそうだ。残念ながらこれで交渉は決裂だが、てめぇにはまだ一つだけ俺に命乞い出来るかも知れねェ取引材料が残されている」 言って土方は声を出せず息苦しさに悶える男の顔にぐいと頭を近づけた。 「一応言っておくが、ブラフじゃねェぞ。埠頭の家の一つで身柄を押さえたとよ」 ぐ、と息を呑む気配。男の顔が、息苦しさからだけではない苦悶の表情を形作る。 土方は、蘆名が庇っている息子を恐らく自らの近くか目の届く範囲に置いているとまず仮定した。それは半ば勘であったが、己の勘働きには自信がある。だから幾つかの後押し材料を踏まえてそれを確信した。 殺人を犯し手配されていながらも、女に会いに遊びに繰り出す様な馬鹿な若者だ、真選組が苛烈な捜査活動を続けている間は、これ以上手間を取らせない為にも、近くに匿っているだろうと。 そして土方が直接蘆名の前に現れる事で、取引の為と解っていながらも、万一の強引な捜索を考えて一旦余所の、短期間の間の潜伏が出来て、見つかり難い場所へと移動させるだろうと踏んだのだ。 今までの捜査の中でも商社の関係している建物や倉庫に張り込みは置いてある。山崎以外には土方が無理矢理追い込み漁に出た事は伝えていなかったが、部下たちはきちんと仕事をこなしてくれた様だ。 ともあれこれで、警察官殺しの手配犯は逮捕出来たし、隠匿に関わっていたこの密輸業者にも捜査の手を入れられる。更に言えば、蘆名は土方に対しての取引と言う点での優位性を失ったと言う訳だ。……残るたった一つの可能性を除いて。 「条件付けの解除方法は、さっきてめぇが言った方法以外には無ェのか?」 足を踏み鳴らしでもされたら、物音に気付いて扉の外の護衛が飛び込んで来るだろう。動きを制する為にも膝を踏みつける足に力を込めながらも押さえた声で凄めば、蘆名は苦痛を示して脂汗の浮かんだ顔を逸らせた。拒否とも否定とも取れる動作だ。 少しだけ喉を掴む手の力を弱めれば、「ない、」と掠れた声音が返って、土方は舌を打つ。 現状この男の持ち得る取引材料としては限りなく弱い答えだ。息子が逮捕されたと知って自棄にでもなっているのか、嘘をついて時間稼ぎをする素振りさえ見せない。 条件付けの解除方法は、言われた通りに元の薬品以外にはあり得ないのだろうか。そうなると土方がそれを入手出来る可能性は低い。そして、条件付けを解除する事が出来なければ、土方は一生涯に渡って、坂田銀時を傍に置いておかなければならなくなる。 「ふ、」 と、苦悶の表情を浮かべる男が僅かに気の抜けた様な息を漏らした。見れば、彼はあからさまな嘲弄の気配も隠さず笑った。土方は手に力を込める。 「然程に困らずに長期間を過ごしたが、解きたい程には厄介。はは、一体何が条件付けになったのやら。ドブネズミよろしく下水に逃げ込んだそうだから、泥水でも啜って生き延びているのか?」 野良犬にはお似合いだ、と笑う声が、捨て台詞だとは解った。だが土方が手に込めた力を緩める事は無かった。 苦しみが無かったとは到底言えまい。やがて泡を吹いて動かなくなった男から、土方はゆっくりと手を放した。 「………」 これが最後の一つ。やっておかねばならなかった口封じ。当初から目的の内だったそれは、悔いも無ければ衝動的な感情も無く、淡々と行われた。後始末の手筈も折り込み済みだ。 そう。これで、土方が厄介な薬漬けにされた事を知る者は、己自身と、坂田銀時の他にはいなくなるのだ。 。 ← : → |