Mellow / 20 目的の艦は江戸湾の片隅に停泊していた。港には他に何隻もの船が停泊していたが、件の快臨丸は艦とは言っても宇宙航行に堪え得る艦なので、通常の海を渡る船とは矢張り大きさからしてまず違う。まるで海洋用の船たちを威圧する様なサイズのそれは、今は定期メンテナンスも兼ねての長期停泊らしく、特に慌ただしくも無さそうに黙って海の上に浮かんでいた。 流石に乗船用のブリッジを勝手に渡る訳にもいかず、見張りに当たっている乗組員を適当に捕まえて、快臨丸の副官を名指しで指名する事にした。面倒だが、もしも揉めたら坂本の名を出すしか無い。そう身構えていたのだが、以前幾度か関わった事もあってかその乗組員が銀時の顔を憶えていた様で、特に怪しまれる事もなく、あっさりと取り次がれる事に成功して仕舞った。 招き入れられたデッキへと上がれば、直ぐに陸奥は船室から顔を覗かせた。相変わらず陽光が余り得意では無いのか、目深に被った笠と、すっぽり全身を覆うマントに包まれた出で立ちだ。感情の読み難い表情を向けてくる彼女に向けて、銀時がひらりと手を振って見せれば、首を竦めて返された。 「これまた珍しい客もあるもんじゃき。艦長なら生憎留守じゃが、それについての話では無さそうじゃのう」 「まぁバカ本の行き先なら知ってるけどな。そうじゃなくて今日は、『千鳥』の総督の娘で元海賊のおめーに用があんだよ」 千鳥、と言う単語に陸奥の顔がほんの僅かに顰められた。別段呪われた過去などとは思っていないだろうが、余り愉快な思い出話の多い過去と言う訳では矢張り無いのか、陸奥はそんな用向きを告げて寄越した銀時の姿をじっと値踏みする様に見つめる。合わせて来る剃刀めいた視線からは逃げず、銀時もまたじっとその目を見つめ返した。 「……解った。バカ艦長の居所と引き替え、と言う体でなら話を聞くぜよ。まぁ立ち話もなんじゃ、船室へ入るぜよ」 ややあって、先に諦めたのは陸奥の方だった。鋭い視線はその侭にそう溜息混じりに言うと、彼女は客を手招く所作をしてから艦の入り口に向けて歩き出した。銀時の抱えて来た事情が深刻なものだと判断しての譲歩か、それとも単なる親切なのかは解らないが、ともあれ易々上手く行くとは思っていなかっただけに、胸中でそっと胸を撫で下ろすと銀時は前方に揺れる陸奥のマント姿を追いかけた。 * 『千鳥』とは宇宙海賊の組織の一つの名で、その昔は名の知れた──無論悪名の方だ──奴隷商の名でもある。 宇宙は広く、多くの未開拓惑星も存在している。それらを領地として奪い合うのも宇宙の戦の一つだ。領地はイコール資源であり、資源は国力に直結する。本土から遠く離れた惑星であろうとも比較的にアクセスの容易な宇宙文明の中では、歩兵を繰る様な戦の常識は罷り成らない。 そこがどれだけ飛び地であろうと、どれだけ文明に乏しい地であろうと、より多くの資源を得る事が出来れば、限りなく勝者に近い立ち位置を得られるのだ。 資源の名はアルタナと言い、それこそが宇宙文明を生み出した礎でもある。多くの戦は良質な資源を得る為のもので、幾つかの条約や監視機構が生まれるまでは、惑星間による資源の奪い合いは苛烈を極めたと言う。 多くのアルタナを保有しており、そこそこの規模を持つ地球の様な星は本来占領領土としての価値を見出され、多くの惑星間での奪い合いの対象となってもおかしくない存在であった。実際、開国を渋っての攘夷戦争の中には、どれだけ多くの地球人を殺してその支配する土地を奪うか、と言った側面も存在していたと言われている。 然し、アルタナ保全協会の介入を受けて、地球は最終的には独立した惑星としての発展支援を受ける事となった。実質的に傀儡政権となりはしたが、大きく政治的な介入や横槍を受ける事もそう多くは無く、基本的には自治権を保っていられたのは大きかったと言えよう。 何しろ、そうでなければ今頃地球の人間たちの全ては、宇宙海賊の奴隷船に乗せられ、広大な宇宙のあちらこちらへと売られていた筈だったのだから。 ともあれ、惑星を手に入れると同時に手に入るものは、エネルギー資源であるアルタナは元より、鉱物や植物などの天然資源、そして労働資源である『人間』だ。故に宇宙中で領土争いの盛んであった頃から、奴隷売買と言うのは酷く需要の大きい存在なのだ。 地球は戦禍から成る大きなダメージこそ受けはしなかったが、不平等に結ばれた開国条約はあらゆる面で地球人に優しくなく、一部の天人は条約を盾にして我が身を護りながら、公然ではない行為を用いて地球で好き勝手な搾取を始めた。『千鳥』もそんな組織の一つである。 千鳥は主に地球で手に入る手軽な資源として、『人間』を取り扱ったと言う。違法な手段で拐かされたり、食い詰めて売られたり、行き場を失いその道を選ばざるを得なかったりした者らが、日々商品として、言葉通りの『物』同然に扱われていた。 そんな千鳥の総督の娘として育ったと言う陸奥は、当たり前の様にその商売を引き継いでいくつもりだったが、坂本との出会いが彼女を変えた。今では奴隷を扱うなどと言う非人道的な商いなど、頼まれたとしても絶対にやらないだろう。 ともあれ──千鳥は既に消滅した組織だが、幅広く奴隷商売に手を広げていた事は事実だ。当時の陸奥がまだ少女と呼べる様な年齢だったとしても、一船団を率いていた手腕とその知識は確かなものだろう。伊達に組織を継ぐ者として現場で育てられてはいまい。 少なくとも銀時の知る限り、奴隷商売の経験者として最もその方面に精通している者は他にはいない。陸奥にとっては快い評価では無いだろうが、銀時としては藁にも縋る気持ちであった。 「『散華』ぜよ」 果たして陸奥は、銀時の、仔細をぼかした要点だけの説明だけを受けて、そう一言で返して寄越した。特に考えたり悩んだりする様子も無い、見事な迄に明確なそんな解答に銀時は改めて、目の前の女性が本物の宇宙海賊だった事を妙に納得して仕舞った。 「その昔一部の金持ちや好事家が作らせた代物じゃき。本来の用途は個人的なもので、人間を『飼う』為の薬ぜよ。生憎とわしの船では使った事ば無かったが、千鳥の他の船では用いられておったきに、話には聞いちゅう」 言うと、艦内の自販機で購入した緑茶の缶を小さく煽って、陸奥は椅子に腰掛けた侭、壁際に立った銀時の方を見遣った。知りたい情報はこれで良いのか、と言う言外にはしない問いに、銀時は頷きを返す事で続きを促した。 「名称の通り、皮膚の注入箇所に花の様な形をした痣様のものが出来るのが『散華』の特徴じゃが、これがいわゆる中毒症状を引き起こし続ける『核』でもある。……と言うのも、痣に見えるものの正体こそが、皮膚の内側に巣くうナノマシンじゃきに」 思わぬ言葉に銀時は眉を寄せた。「ナノマシン?」余り聞き慣れのしない単語に鸚鵡返しにすれば、陸奥は掌をひらりとこちらへ向けてみせながら続ける。 「例えばこん掌に薬剤を注入するとする。薬剤の中身は奴隷薬として作成された『散華』と言うナノマシンじゃ。それは皮膚のその場に留まって巣(コロニー)を構成する。これが花の様な模様に見えるもんの正体と言う訳ぜよ」 そこまで言うと陸奥は片手に持ったお茶の缶を傾けた。開いた掌の上に薄い色をした液体がこぼれる。 「『散華』のナノマシンは、この様にして最初に与えられた物質に反応して活動を開始する。その活動とはある成分を自己生産する事じゃき。よくある麻薬の類と同じで──開放感、高揚感、多幸感、快楽、愉悦、そう言った効能をもたらす成分を生成し、習慣性を以て脳に作用する仕組みになっとるんじゃ」 掌から滴ったお茶が床を濡らすのも気にせず、陸奥は濡れた手を軽く振ると懐から取り出した手布で拭った。 「ナノマシンは一定周期その物質が与えられなくなると、脳に作用するそれらの成分の生産を止める。それに因って脳は酷い飢餓感や焦燥感を憶えて中毒に至るっちゅう訳じゃき。麻薬を生成するものが自分の体内にある状態になっちゅうから、普通の薬物中毒と違って症状から抜ける事は絶対に出来ん。奴隷を個人的なペットや下僕として扱うには申し分ない性能と言って間違い無い代物ぜよ」 「………」 陸奥の口調は淡々としたものであったが、そう言った効能を持った薬物を用いる事など言語道断だと感じてはいるのか、説明は事務的で簡潔であった。内容を一旦脳内で咀嚼する銀時の顔は自然と曇る。 つまりは土方の右腕に刻まれた、あの花の様な痣はナノマシンの巣で、坂田銀時の構成物質と言う『条件付け』をその箇所か体内に摂取する事でそのナノマシンは土方の脳へと、快楽や開放感と言った麻薬物質を送り込んでいると言う事だ。 そしてそれが途絶えると、いわゆる所の発作が起きる。『条件付け』を与えれば、ナノマシンは再び脳内へ麻薬物質を送り込む──完全な悪循環の構図が出来上がっていると言う事にもなる。体内に中毒の素がある以上、普通の薬物と違ってそれを断っていれば禁断症状が何れは消えるなどと言う事も無い。 「…そんな奴に、条件付け?ってのを続けたとしたら、どうなる?」 白々しい問いは幾分乾いた声で紡がれたが、陸奥はそれをわざわざ指摘する様な真似も気付く様な素振りを見せなかった。ただ銀時のそんな問いに、今度は少しだけ考える様な仕草をしてから言う。 「自ら抜ける事が不可能な以上、一度でもその効能に浸ったら泥沼じゃからの。ナノマシンを取り除くか、共存するか以外に解決方法は恐らく存在せんじゃろう」 「取り除くって、どんな手段がある?」 「一つは、同じ『散華』の株をもう一度与える事じゃき。『散華』は同種の株のみが毒になる仕組みになっとるから、互いに食い合い綺麗さっぱり消す事が出来るぜよ。じゃが、『散華』の生産技術は疾うに失われたと聞いちょる。現存数もそう多くは無いじゃろうからの、手に入れるのは易しい話ではなか」 「一つって、他には?何かねェのか、裏技みてーなもんとか」 銀時の口から続けて飛び出したのは、自分でそうと解る程に追い縋る様な声音だった。苦みが余りに強くて、そして重い。陸奥は先頃例として示してみせた自らの掌をもう一度示すと、今度は空いた方の手でその手首をとんと叩いてみせた。 「後は、物理的に『散華』のナノマシンの巣を身体から取り除く事ぐらいぜよ」 陸奥が自らの手刀で叩いた、その手首から先──ナノマシンに犯された掌がぽとりと切断されて落ちる、そんな幻想をそこに見て仕舞い、銀時は顔を顰めて目を游がせた。 同じ薬か、肉ごと削ぐか、諦めて受け入れるか──酷い三択もあったものだと忌々しく思うのと同時に、『条件付け』を軽い侭で何とかとどめておけなかったのかと悔いる気持ちが沸き起こる。行為をエスカレートして行った要因は間違いなく銀時の心当たりの内であったし、その事に因って土方の依存度が高まって行って仕舞った現実は変えようのない事実だ。 「解く方法が真っ当に存在しないからこその、『信用ある』奴隷商売の薬として用いられたとも言える。使われた者にはまっこと気の毒な話じゃがの」 「………」 どこまでも実用的な説明は、銀時の裡にあった僅かの希望や楽観的な心地を現実的に削ぎ落とすには十分で、銀時は改めて直面した失望に強く慚愧の念を憶えずにいられなかった。 陸奥への礼もそこそこに快臨丸を後にすると、銀時は最後の頼みを辿ってあの暗渠へと向かった。懐中電灯で辺りを隈無く探してはみたが、流れる水の中にはもうアンプルの破片一つ残されてはいなかった。 同じ薬物を手に入れると言う手立ては、これでほぼ失われて仕舞った。そうなると、残された手段は──、 。 ← : → |