Mellow / 5 小走りに駆け寄って来た地味顔は、その地味過ぎる面相がある意味で特徴と言える男で、銀時の知る限りでは、地味な癖に土方直属の何かと便利な部下と言う認識だ。 真選組の内情になど銀時は詳しくはないが、士気の問題やら何やらで土方が己の負傷や不調を部下に易々気取られない様に振る舞う事が多いと言う事は、それとなく知っている。 今回の件がそれに該当するかは解らないし、土方がどう思っているのかも解らない。だから銀時は、取り敢えず土方に纏わる事の大体はこの男に任せておけば間違いがないだろうと言う己の判断に従って行動する事にした。 「オイ、坂田、」 「負傷者一名お届けだ。薬物らしいもん撃ち込まれてるから、とっとと病院連れてくなりなんなりしてやれ」 無理矢理引っ張って来られた形になった土方が文句らしきものを言いかけるのには構わず、銀時はその背を押して地味顔の真選組隊士の前へと突き出した。念の為と思って潜めた音量に、期待通りに彼は表情一つ変えずに実に素早く状況判断を下す。 「了解です。もしもし?山崎だけど、病院行くから車輌回しといて。直ぐ上に向かう」 前半は銀時に向けて頷いて、続きは手にした携帯電話に早口でそう言うと山崎は、自分の話題と言う事で顔を顰めている土方の背に軽く触れて促した。何しろ病院に向かうにしても、堀から上がらなければ車に乗る事も出来やしないのだ。撃たれた薬物次第ではそのタイムロスですら仇に成り得る。 「大した傷じゃ、」 「大事は取りましょう。解っとるでしょう?」 土方は自身の負傷をおおごとと取られるのが余程に厭なのか、それとも現場に残って指揮を執りたいだけなのかも知れないが、露骨に厭そうな顔を隠さない。山崎はそんな彼に向けてただ諭す様にやんわりと言うが、その口調はそれ以上の反論も抵抗も許さないものだった。 土方は銀時に負けず劣らず意地っ張りな質だが、下らない自尊心を抱えて現実を見る事が出来ない様な男ではない。山崎に強くではなく静かに言われた事で逆に冷静になったのか、唇を噛んで押し黙る。 反論が返らない事で一応は上司の了解を得られたと判断したらしい山崎は、現場に居てさりげなくこちらを伺い見ていた幹部服の人間に向けて仕草で何か合図の様なものを送る。意味としては、ここは任せた、と言った所だろうか。 「旦那は怪我は?」 舌打ちをする土方を改めてやんわりと促してから、山崎は銀時を振り向きそう問いて来た。すっかり蚊帳の外の気分になりつつあった銀時は、一瞬何を問われたのか解らずにきょとんとしてから、「ああ、」と掌を上げてひらりと振ってみせる。 「手ェかすっただけだ」 答えてちらりと自らの左手を見遣れば、悪足掻きに伸ばした手の、人差し指が注射銃の針にかすって浅い擦り傷を作っていた。血は出ていたがほんの僅かだ。見て直ぐに知れる、軽傷にも至らない小さな怪我。 「そうですか…。じゃあ、取り敢えず俺たちはもう行きますんで。後日改めてお礼に伺うと思います」 「いや別に良いわ面倒臭ェし。まぁ軽く包むか菓子折で良いから」 「ちゃっかり要求してんじゃねェか」 歩きながら振り返った土方が呆れ調子で言うのに、「じゃ、そこんとこ宜しく」と戯けた調子で返すと、銀時は既に制圧を終えて片付けの様相を呈している現場を振り返った。そこにあるのは、底の浅い河川に転がる幾つもの亡骸たちと、捕らえられて縄を打たれている者らとの間を、黒服の警察たちが慌ただしく動き回っていると言う光景だ。 「………」 命を奪り合う光景なんて矢張り碌なもんじゃない、とは思うが、この太平の世にあってそれを良しとする生き方を選んだのが彼ら自身である以上、そんな感想も感傷も他人事でしかない。 町の下で密かに流れてその役割を果たす暗渠の様に、多くの人の見えない所で、少なくはない血が流れる事で動く事象もあると言う事は一応知っているつもりなのだが。 (……全く。ツイてねェにも程があんだろ) 喉奥から漏れぬ言葉の代わりの様に、小さな傷を作ったてのひらを見下ろして溜息をつく。余計なお世話か過分な干渉か。そうして得たものがこれでは世話がない。 現場の始末に立ち働く真選組の連中も、度々巻き込まれる一般人の存在に慣れて仕舞ったのか、指揮を続ける幹部服の男でさえも銀時の存在に特に注意を払おうとはしていない。どの道、事件でも無いのだから証言を求められる様な事も無いのだろうが。 なんとなく手持ち無沙汰な心地になって辺りを見回す内、上の街路を一台の車輌が走り去る音が聞こえて来た。どうやら負傷者は無事に搬送されて行った様だと、そんなに慌ただしくアクセルを踏んでいった訳でもない音に小さく息をつく。 そうしてから、動き回る黒服の集団から離れて、銀時は堀から上がる道を探そうと川縁を歩き出した。もうこんな所に立ち尽くしている理由も無くなった。 さて、これで目の前で死なれるやも知れないと言う最悪の後味は取り敢えず回避出来た訳だが、どうせなら生きていてくれれば良いと思う。気紛れと運の悪さと偶然とが手伝っていても、一応は護ろうとした命なのだから。 * 「有り体に言えば、他星での人身売買などで用いられる成分です」 直接生死に関わるものではないのでその点はご安心下さい、と前置いてからの医者のそんな言葉に、土方は己のすぐ横に佇む山崎と思わず顔を見合わせた。 「…ええと、つまり?」 「主に用途は奴隷にです。逃走防止用として使われるんですが、余り効率的ではないと言う事で、最近では殆ど使われていないどころか、生産すら取り止めになっているとか。市場に既に回っていた分は未だ少しぐらいはあるかも知れませんが、まぁ滅多に出回る物じゃありません」 おずおずと発せられた山崎の問いに、そう澱みなく答える老いた医師。「つまり?」、と言う答えにはなっているかも知れないが、知りたい情報を含まない説明に二人は再度顔を見合わせる。 病院である。それも、深夜まで開いている個人の開業医だ。大きな病院はこんな時間では既に閉まっているし、救急扱いで運び込まれる訳にも行かないと言う土方の抗議を受けて、山崎が渋々選んだのがこの病院だった。 真選組の人間も少なからず世話になる事の多い、斬り合いでの負傷やちょっとした不調や病などでよく利用している小さな病院だ。ただ一人の医師は些か老いてはいるが腕は確かで、あらゆる専門分野にも長けており、出産から骨折まで何でも患者は拒まないと言われている。 そんな老医師は天人の薬学にも詳しく、土方の撃たれた傷口を見ただけでどんな薬品が使われたのかと言う判断をあっさりと下したのだった。 「薬を打った箇所に、花の形に似た痣様のものが出る。これは同様の症状は他に無いですからね、間違い無いでしょう」 そう言うなり、何やら塗り薬の様なものを患部に塗りたくって、それから最初の台詞である。 「奴隷の逃走防止って…、具体的な効果、症状はどの様なものなんでしょうかね?」 口端を下げた土方に代わって山崎が続けて問うのに、医師は手元の机の上に無造作に置かれていた本の山から一冊を引っ張り出し、ぱらぱらとページを繰って言う。 「奴隷を従順にするには暴力的に扱うのが最も効果的です。ですが、そうなると奴隷の質が落ちて仕舞う。または、暴力を恐れて逃亡するかも知れないし反逆を目論むかも知れない。 それなら自ら奴隷が逃げない様にするのが一番良い。暴力を振るう必要も逃亡を警戒する必要も無く、奴隷が進んで主の元から逃げない選択を取り続ける事こそが一番良い。この薬はその為の餌を作る様なものです」 「………中毒性がある、って事か?」 塗り薬をたっぷりと塗られた小さな傷を見下ろして土方が呻くのに、医師は曖昧な首肯を返した。合ってはいるが満点と言う訳にはいかない、と言いたげに、開いた本のページへと視線を落としながら続ける。どうやら見ているのは薬物症状の一覧か何からしい。 「まあ近いです。つまり、この薬を使われた対象──この場合は奴隷ですが、は特定の『条件付け』を必要とする体質になるんです。条件付けが一定期間行われないと、僅か数日で発狂に至る様ですね。これでは奴隷もとてもじゃないが逃げられないでしょう」 「「………」」 あっさりととんでも無い事を言われた気がして、土方と山崎は絶句する。確かにそれなら直接は生死に関わらないかも知れないが、実際問題としては死ぬのと大差ないのでは無いだろうか。いや、下手をすればそれよりももっと質が悪い。これをどうすれば「ご安心下さい」になると言うのか。 土方自身も幾度となくこの小さな診療所に世話になって来ているからこそ、老医師が、幾ら老いているとは言えまだ耄碌している訳では無い事は知っているし、藪では無い事も知っている。寧ろ信頼に置けると思っていたからこそ今宵門を叩いたのだ。そんな医師の診断を疑う気には、常ならば到底なれないのだが、今は見立て違いであって欲しいと心底に思う。 「…その、条件付け?と言うのはどう言ったものなんですか?」 沈黙から現実逃避に転じかかっていた土方の意識を呼び戻したのは、山崎のそんな問いだった。医師は粗方の概要を読んだのか本をぱたりと閉じて、それから土方の腕にべっとりと塗られた半透明の塗り薬──に埋もれた患部を──をちらりと見た。 「条件付けは人それぞれです。薬物投与──まあ厳密には薬ではないんですが、とにかくその際に設定するものでして、例えば特定の食物を摂取するとか、特定の香りを嗅ぐとか、特定の成分を与える事で制御されるものです。要するに薬物を投与された対象が、与えられるそれが無ければ生きていけない状況になる様なものを条件付けとして設定すると言う事です」 またしても明確な、欲しい解答ではない医師の説明に、土方は苛立ちを隠せず舌を打つ。こちらは死活問題だと言うのにそんな、状況が絶望的だと言う情報ばかり寄越されても困る。少しでも明るい材料は無いのか。 「そもそも、その痣様に見えるものは薬物の効能による身体の反応ではなく──、」 「あー、その、俺の場合の…『条件付け』ってのは、どうなるんだ?」 また何か説明に入った医師を遮って土方は、より絶望的になるかも知れない覚悟と、少しでも実りのある話を欲する甘い考えとがない交ぜになったそんな質問を投げる。若干の怯えの響きが乗っていた筈の問いに、然し医師は、 「土方さんの場合は薬液が体内に入っただけですからねえ。条件付けが同時に設定されていない限りは特に問題はありませんよ。何か与えたりしない限りは、放っておけば薬物(それ)は体内から自然に排出されます」 「え」 思わず目を点にする土方に構わず、「風邪だから安静にして下さいね」と言うのと同じ調子でそんな、今までの絶望感をあっさりと無かった事にする様な診断を口にする。 「一応念の為に無菌ゲルで摂取箇所を塞いでおきましたから。湿潤療法ってご存じですか?傷口を擬似的な皮膚の様なもので覆う事で、自らの体液で素早く傷を癒す方法です。ご自分の体内の物質なら条件付けにはなりようがありませんから、痣様のものが消えるまでは絶対にそのゲルを剥がさない様に。固まってますので水やお湯に濡らすのは大丈夫ですが、擦ったりしないで下さいね。もしも剥がれたら、そこに触れた成分が条件付けとして反応しかねませんから、くれぐれも注意して下さい」 「……はぁ」 死か死に近い状況ではないのか、と言う絶望的な話から一転して、『何ともない』と言われたも同然の流れに今ひとつついて行けず、土方は間の抜けた声で頷いた。もう一度右の二の腕を見下ろせば、そこには寒天の様にぷるんとした半透明の塗り薬──否、無菌ゲルとやらがべたりと皮膚の上に拡がっている。試しに指先で突いてみると、固まっているとの言葉通り、塗られた当初のぬるぬるとした感触は無く、少し柔らかな弾力が返って来た。透けた半透明のゲルに覆われたその下には、直径三糎程の薄紅い痣の様なものが薄らと見える。 「……」 助かった、は助かったのだろうが、どうにも拍子抜けした。果たしてそれは山崎も同様だったのか、彼は「はぁー」と声に出して大きく息をつくと、 「条件付けって言っても、マヨネーズの摂取とかだったら副長の場合は簡単ですね」 そんな風に茶化して笑う。やかましい、と普段なら小突き倒す所だったが、土方も安心していたのもあって、ふんと鼻を鳴らすだけにしておく。冗談を言って笑えるだけ良いと言う事だ。 「今後万一、痣様の痕がいつまで経っても消えないとか、不調を感じたらまた来て下さい」 小さな診療所を経営する老医師だが、藪ではないしその腕にも診断にも信頼がある。今まで大小様々な負傷で世話になって来た事をも含めて改めてそう思うと、お決まりの様な言葉に見送られながら土方は山崎を伴って診療所を後にした。 。 ← : → |