メルトローズ / 3



 つむじに置いた人差し指をくるりと回せば、捻くれた髪の少しが指に絡まる。その侭指を持ち上げてもくるくると指にまとわりつく髪は離れない。パスタでももう少しフォークに巻き辛いと言うのに。
 指先を更に引っ張れば、引っ掛かった様な感覚を頭皮に軽く残して漸く髪が指を解放して、見当違いの方向を向いて収まる。いや収まってはいないが。断じて。
 むう、と手にした手鏡と睨めっこしながら、銀時は今日も今日とて好き放題の方角に跳ね回った己の頭髪を摘んで溜息をつく。
 果たして何処由来なのか、本人の性格同様に捻くれているなどと称される銀時の頭髪は、この国の人間としては奇異な色彩をしている。そこに加えて髪の一本一本が細めで量が多いので、少々ボリュームの乗って見える髪質と相俟って、良くも悪くも人の憶えは良い。
 最近では天人やら染色やらで色々と人の髪色はバリエーションに富んでいるので、初対面の人間に髪色の事で不躾に眺められる事はほぼ無くなったが、この髪質の方はそうも行かない。いちいち『天然パーマ』『モジャモジャ頭』などと口さがない連中が表す度に、好きでこんなものを頭の上に抱いてる訳じゃないと猛烈に反論したくなる。
 髪結い床の親父なんかは、「銀さんの髪は捻くれてる代わりにハゲる心配はきっと無いよ」などと慰めにもならない事を言って寄越したが、いっそ禿げても良いからさらさらのストレート気分を味わってみないと時折思わないでもない。いや禿げるのはお断りだが。これも矢張り断じて。
 その点、銀時とは異なって、世間様の言う所の『恋人』と言うものに当たるであろう土方の髪質は結構なストレートだ。色も銀時の様に奇異なものではなく、この国の生まれであると直ぐに知れる黒色をしている。銀時ほどに一本一本が細い訳では無いが短く綺麗に整えられたその手触りは頭頂から項まで指が滞りなく辿れる程に滑らかで気持ちが良い。前髪が額の内側に寄ると言う妙な癖はあれど、正直な所羨ましいと少々思わないでも無い。
 が。そんな土方の髪を触る事も掴む事も銀時の大好きな事だから、土方が綺麗な黒髪ストレートの髪質で良かったと掛け値無しに思っているので、羨ましい反面で嬉しかったりもする。故に妬みは無い。然しそれは冷静に反芻すると何とも恥ずかしい話である気がするので本人にはそんな事実、口が裂けても言うものかとは思っているが。
 要するに客観的に評して仕舞えば恥ずかしくて居た堪れなくなる程に、銀時は土方にベタ惚れなのである。髪を撫でる事の許される、そんな両者の関係を表す所作の一つにさえ陶然として仕舞う程に。
 ともあれ、そんな土方の髪に白髪が交じり始めた、と言うのは銀時にとっても由々しき話である。未だ若いと言っても二十代後半。そこに持って来て何かとストレスと気苦労の嵩む職場環境。時に身体生命の危機も起こり得る業務。土方は仕事の不満や問題を銀時との関係には決して持ち込まないから気付き辛いが、それこそ白髪が浮く程に気苦労が嵩んでいたのかも知れない。恐らくは本人も気付かぬ内に。
 手鏡の中の己が浮かべている、どこか悄然とした様な表情を睨み返して、銀時は手遊びに弄っていた髪から手を離した。爪に引っ掛かってぷちりと髪の一本が抜ける痛みに溜息を吐いて、爪の端に引っ掛かったそれを引っこ抜いて棄てれば、本体から抜けて猶捻れたそれはきらきらと白く光に透けて床の何処かに落ちて見えなくなって仕舞う。
 この髪色では白髪が交じっても解らない、などと土方には笑い飛ばされたが、まあ実際その通りなのだろう。確かに一見すれば白髪頭にしか見えない自らの頭髪の色に対する自覚はある。だが、銀時は自分で髪の色を銀色だと吹聴して回った事など無いが、銀色だと表してくれた人が居たからそうなのだろうと思っている。名前が銀時だから、容姿にかこつけた名付けなのだと思われている節も幾人かにはあるが。
 白でも銀でも、白髪頭になっても然程に(見た目に)支障が無いのは確かだろう。だからと言って望んで白髪頭になりたいと言う訳では無いが。何と言うか、元の髪色と『白髪』と言うものは矢張り違うと思うのだ。主に気持ちの問題で。
 土方が疲労の挙げ句にそんな白髪になったとしたら、銀時は矢張り哀しいと思う。瀝青炭の様に綺麗な艶をした黒い髪が台無しになって仕舞うから、と言う意味だけではなく、土方がそんなに参って仕舞うまで全く己に何も出来なかったのだろう事実に直面するのが辛いのだ。
 逢う度に互いに激しく、欠落した愛情と時間の空白とを埋める様に激しいセックスに興じるが、銀時の目的も土方の欲しいものもそれだけでは無い事は解っている。恐らくはお互いに正しくそれは認識出来ている。単純に二人を確固たる鎖で繋いで安堵を共有出来る、その為に取る手段の中で最も手っ取り早かったのが、性欲を顕わにした無為の交わりと言う形であっただけの事だった。
 それでも一時無我夢中で貪って貪り合う行為の波が引いて仕舞えば、後は互いに似つかわしくないと苦笑し合える程の穏やかな戯れや睦まじさに興じるだけの余裕と酔狂さ、そして再びの飢餓感が生じる。
 知った充足の味をその身全てで味わい尽くし、求めて、吐き出し合って、獣と獲物との時間が終わる。そうして繋がっていた身体が離れる時の様な虚無感を忘れる為に──互いをこうまで強く結びつけるものが単なる肉欲だけではないのだと言い聞かせる様にして、食事を摂ったり酒を呑んだり言葉少なな、然し確かに共に居ると確信出来る時を過ごすのだ。
 そこに土方が、真選組と言う彼自身の望んだ束縛から解かれて初めて得る『何か』がある事は、銀時も改めて問いてみた事は無いが解っているつもりだった。だからこそ、埒も無いただの日常かそれ以下の時間であっても、それが土方の心の安らぎ所になってくれれば良いなどとらしくもない思い遣りを以て接して来た。その為もあって外の宿ではなく、銀時の住まいであるこの家での時間を過ごす事を滅多には譲らない様にしている。
 土方にとってもこの家で過ごす事には、人目を憚る理由などもあって不満は無いと言う。それもあって銀時は己が土方を、多忙の日々から解放してやれているのだ、と自負さえしているぐらいであったのだ、が。
 黒い髪の狭間にほんの少し、得知れぬ色彩だからこそそれは酷く目立って見えた。根本から色を失った数本の髪。土方には猛反発されたが、あれは確かに見間違いではなかったと思う。
 (……なぁにが、安らがせてやれてる、んだかなあ……)
 思って溜息をつく。渋面の顔から絞り出されたそれは苦悩の響きさえ伴って重い。
 小一時間前に土方は万事屋を出て帰宅、もとい出勤して行って仕舞った。次のオフ日を、順調ならば、と注釈を付ける事は忘れず教えて寄越してから早朝の町中へと消えて行ったその背を、駆け寄って抱きしめて支えてやりたくなった衝動を銀時は寸での所で堪えた。既に獲物を独占し食い散らす事の叶った獣の時間は終わったのだ。獣は眠り、今はもう己は密かに恋人を甘やかし安らがせる事の出来る──それしか出来ない──、坂田銀時と言う男でしか無いのだから。
 自負さえしている程だった、逢瀬で銀時の得ていた多幸感は、果たして土方を僅かでも楽にしてやれていたのだろうかと今となれば疑いさえも憶えて仕舞う。互いに安らぎと充足とがあった事は間違い無いのだが、それでさえも土方の負っている様々な心労や疲労を取り除けてやれてはいなかったのかと思い知らされた気がして、銀時は胸の奥に複雑な掻痒感を憶えた。
 それは不快に掻き毟って仕舞いたくなるもどかしさの形作った感情だ。いっそ全てから解き放ってやりたいと、奢った勘違いをしてはそれを打ち消す。それが過ちで誤りである事なぞ解り切っているし、望む処では決して無い。
 銀時は真選組と言う場所で、その為に身命を賭し戦う生き様を選んだ土方の事が好きだった。己と同じ様に、必死に抗って戦って自分の居場所を手に入れ、そうしてそれを護ろうとする勁さが愛おしかった。
 それでも、時にほんの僅か──気付かず通り過ぎる程の僅かな歪みに、物足りなさを憶えずにいられなくなるのだ。嵩んだ疲労を全身に背負って隈を浮かせてこの家を訪れる土方の姿を目にする度、歓びと等価の失望が銀時の心を襲う。仕事が入ったと、逢瀬を断る電話を受け取る度、空いた孔にぽかりと落ち込んで行く様な虚無感を思い出す。
 独占欲。嫉妬。或いは焦燥。恐らくはそう呼ぶべきなのだろう感情たちを、銀時は普段は上手く飼い慣らして来ていたし、土方の前ではおくびに出した事さえ無い。
 然し今はそれがどうしてか上手く行きそうもない。我慢出来る痛みとは異なった、不快な痒さに似たものを持て余しながら、銀時は手にしていた鏡を机の上へと戻した。態とらしく声に出して溜息をもう一度ついてから、椅子に大きく背を預けて天井を見上げる。
 今更。大凡理性的とは言えない、合理的でもない、沸き起こった感情の手綱を握り損ねるなぞ実にらしくない話だ。
 きっと、土方の身に己が知らぬ様な瑕疵や苦悩があるのだろう事実に、気付くことの出来なかった、気付いたとしても何の気休めも与える事の出来ていなかったのかも知れない己が余りにも不甲斐なく思えたから、それで少し落ち込んでいるだけだ。
 土方に言ってみたとしても、それは奢りすぎだと窘められて終わる程度の話だ。そもそもにしてあの男は肝心な所で人に弱味を見せたがらない奴なのだ。銀時が、甘やかしたいなどと態度に表そうものなら益々に意地を張って強がるに決まっている。
 だがそれが、本心からの拒絶などではなく、弱味を晒したと己に不甲斐なさを憶える土方の性質故のものなのだと言う事ぐらい銀時は知っている。知っているが、解っているが、少しだけ、悔しい。
 三度目の溜息は押し殺した呻きに変わった。それは惰性を知る故の苦悩だ。諦めきれないものを抱える事に飽いて草臥れた、そんな理性と紙一重のものを孕んだ獣の唸る声。
 「……っし、」
 勢いをつけて頭をかくんと正面へ戻すと、銀時は立ち上がって肩を鳴らした。ソファに丁寧に畳み置かれていた、情人の脱いで行った白い着流しに袖を通すと自分でも見慣れたいつもの姿形になる。
 時計を見る。針の示す時刻は未だ普段己が起きるには少々早い時刻であったが、二度寝をするには遅すぎる。そうこうしている内に新八が未だ寝惚け眼を棄て切れていない神楽を連れて出勤して来る筈だ。神楽の匂いに気付けば納戸で寝ている定春も直ぐに起きて来るだろう。それまでに気持ちをいつも通りの万事屋の坂田銀時に切り替えねばならない。
 そうやって三人と一匹揃って、また万事屋のいつもの生活が始まる。万事屋の電話が鳴るか、依頼人がやって来るかなど解らないが、滞納している家賃の催促の声が飛んでは来るかも知れない。忙しいと言えるかはさておき、退屈では無い。そんな日常。『いつもの』日々。
 土方に今度会う時には、とびきり栄養のつくものでも作ってやろう。草臥れている様ならセックスを少し控えめにしても構うまい、兎に角気付かれぬ程度に休ませてやりたい。
 疲労を抱えながらも自分の元を土方が訪ってくれる事は純粋に嬉しいが、それが原因で余り休めていないとなるとそれこそ本末転倒だ(とは言え、土方が真選組の事を削ってまで銀時と会う方を選ぶとは思えない話なのだが)。
 はた迷惑な部下や上司に挟まれ困らされながらも、そこで土方が笑っていられるのであれば。そして時々己の手を取ってくれるであれば、銀時にはそれで良いのだから。
 
 万事屋が居て、真選組が居て、かぶき町の皆が居る。
 浮かんだ光景は確かに幸福の肖像の様なものであったと言うのに、それを酷く遠くから眺めている様な寂寞たる心地を不意に憶えて、銀時は胸をそっと押さえた。
 またその奥底で何か、感情にもならない衝動めいた何かが蠢いた様な気がした。







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