たなごころ / 3



 「毛布を抱いていると安心する安心毛布病、略してモフモフ病です」
 数時間後の事である。調査を頼んだ山崎が、手元のメモを読みながら寄越したそんな報告に、土方は浮かんだ正しい感想の通りに眉を思い切り寄せた。
 「報告になってねぇ」
 明らかな上司の不機嫌顔に、然し山崎は珍しくも鼻白みはしなかった。もう一度ちらりとメモを見下ろして肩を竦めてみせる。
 「…って言われましても、幕府の発表した正式名称の通りなんだから仕方ないでしょう」
 「仕方なくねぇだろ、大体何なんだそのモフモフって」
 「まあ要するに、特定のものをずっとモフる…と言うか抱きしめていないと極度の不安症状を引き起こす病気です」
 抑揚少なくそう言うと、山崎は視線を恐る恐る土方の顔からずらして行き、笑いだしそうとも苦しそうともつかない微妙な表情を形作った。
 その視線の先に何が見えたのかなどわざわざ問い返さなくとも解る。はあ、と溜息と同時に煙草の煙を吐き出した土方は、己の背中にまるで背後霊の様に貼り付いている男に意識を向けた。土方の腰にがっちりと逞しい両腕を巻き付け、額を肩口に乗せて、石の様にぴくりとも動かない、坂田銀時へと。
 
 *
 
 「流行り病ですからねィ、旦那もどっかそのへんで貰って来ちまったんじゃないですかねィ」
 朝の見廻り中に、思わぬ厄介事と厄介者とを背負う羽目になった土方に、沖田は簡潔にそう言うだけで済ませた。面白がってはいる様だが、混乱と悪寒とを通り越して無の境地に至って仕舞った土方の反応の無さがつまらなかったのか、特にそれ以上何かを言い募るでもない。
 問題の厄介事と厄介者とは、見廻りを早々に切り上げて屯所へと戻る土方の腰にがっちりとしがみついて、離れる気配はまるで無い。振り解こうとしても、無駄な馬鹿力でホールドされた身は縄抜けの様に簡単に行くものでは無く。
 結果、どうやら流行病の罹患者だしと諦めて、銀時をその侭『くっつけた』状態で土方と沖田は屯所への帰路についたと言う訳だ。
 そして隊士らに奇異の目で見つめられながらも自室に戻った土方が、山崎を蹴り出す勢いで情報収集にやり──沖田の説明はネットのニュースと言うだけあってか的を射なかったのだ──、昼を僅かに過ぎた頃に漸くその報告を受けたと言う経緯なのだが。
 「モフモフ星人の保有している固有のウィルスで、彼らが種として身を守る為の自衛手段として、長い年月をかけて自然発生した株の様です。それに罹ると、自分の可愛いと思ったものをモフっていないと駄目に……、まあ現状見ての通りです」
 言いながらも山崎は、土方を背後からがっちりと抱え込んでいる銀時の姿からそっと目を游がせた。傍目に頓狂な画なのは確かなのだろうが既に、背後の存在を黙殺した方が楽だと思考停止した土方の気に留める事ではない。現実逃避の余りに開けた、一種の悟りだ。
 「総悟の言う通り、それにこいつが罹ったとして、何でそのモフモフとやらじゃなくて俺なんだ。イヤガラセとしか思えねぇ」
 「……まあつまりは旦那がその、土方さんの事を…ええと、か…、かわいい…、と…、思っていたと、……言う事でしょうかね?」
 途中何度も口元を引き攣らせる山崎に、その目の当たりにしている恐ろしい光景に、多少は同情を憶えないでもないが、土方にしてみれば、無の境地を決め込んでいるとは言えども当事者だ。真選組副長と仲の悪い万事屋の男がぴたりとくっついていると言う様を客観的に見る事が叶わないと言うのは、土方にとって多少の救いにはなっていたのかも知れないが。
 一応は問いの様になった山崎の言葉に、土方の肩口に額を当てている銀時は「可愛いんだよ、どうしようもねぇだろ」と余り明瞭では無い声の呟きを返した。
 ぞわ、と呪いの言葉を受けた土方の背筋が粟立ち、山崎は笑顔を引き攣らせながら心なし背を反らせた。そうして少しでも距離を取れるのであれば俺も取りたいと心底に思いながら、土方は力無くかぶりを振る。
 「…やっぱイヤガラセ以外の何でもねぇわこんなん」
 そうでもないと説明がつかねぇ、と喉奥で凶悪に呻くと土方は項垂れた。すれば、少しでも距離が開く事を許さないとばかりに腕の力が強くなり、掌が押しつけられる。
 引き剥がそうとする度銀時は土方に益々強くくっついて来るし、本気で体術を駆使して打ち払おうとすると、それ以上の本気で抑え込まれるので話にならない。いちいち負けを確信させられる悔しさに堪えかねたのもあっての、土方の辿り着いた結論こそが諦め──もとい無視を決め込む事だった訳だが。
 少し苦しくなった姿勢を身じろがせて、土方は灰皿を引き寄せて煙草の灰を落とした。まるで安全ベルトか何かで固定されてでもいるかの様に、動作一つ一つが侭ならない。
 「…で、治療の目処は立ってんのか?幕府も対策には一応乗り出してるみてェだが」
 「感染力は結構ある様なんですが、幸いにも患者から患者への感染はない様ですね。一応は準エピデミック指定として対処に当たる模様です。症状も生死に関わる大事にはなり難いんですが、何分この通り、患者が日常生活も侭ならなくなって仕舞いますからね、比較的に速やかな終息と治療法の確立とが、」
 「つまり全く治療については進んでねぇと」
 「……まあ現状では。わざわざ治療せんでも、放っておけばその内ウィルスが勝手に死滅して完治する様ですし」
 目を細める土方に、山崎は露骨な溜息をついてみせた。俺に当たらんで下さいよ、と言いたげな態度である。それから彼は咳払いを一つして、手元のメモへと再び視線を落とした。
 「先程説明した通り、これはモフモフ星人固有のウィルスで、彼らの種の保存の為の一種の進化と言えるものです。
 文明を持つ大体の生物は、モフモフした生き物を可愛いと認識する傾向がありますからね、モフモフ星人が他星からの侵略を受けそうになっても、侵略者たちはウィルスに罹るとモフモフ星人たちが可愛くなって、侵略どころか手放せなくなって仕舞う、と言う寸法の様ですね」
 かわいい、と思うものを抱きしめていないと安心出来なくなって錯乱状態に陥る、などと言う症状に罹って仕舞ってはそりゃ侵略も何も無いな、と自分なりの納得を無理矢理引き出して、土方は頷いた。何にしても余り危機感のない画だとは思ったが。
 「尤もその所為で逆に、モフモフ星人を愛玩動物にしたくなると言う問題も発生したんですが、モフモフ星人的には脆弱な自己種の保存の為ならばそれも構わないと言う見解の様で」
 「何そのニート生産システム」
 完全家畜化した生物は人類の庇護無しに生存出来ないと言う話がある。モフモフ星人とやらは聞く話、文明種である筈だ。それでも自らの種の保全の為のウィルスを生産し、他種族に自らを庇護させるとなると、それは一種の寄生生物と言えるのかも知れない。
 (可愛さ、と言う特色だけで得た生存戦略か。ぞっとしねぇ話だが)
 眠気は疾うに失せているが、思考する脳が疲れているのかそれとも単なるストレス由来か、軽い頭痛を憶えた気がして、土方はこめかみを親指で揉む。
 「近年ではモフモフ星人も文明種族として進出して来たので、他星へ行く時には出国時に自主的に自分たちの体内のウィルスを抑制するワクチンを接種する事で、無闇な感染を抑える対策を取っていた様なんですが、」
 「注射嫌いのモフモフ様がいらっしゃったと、そう言う事か?」
 「ええまあ。入国時にも検疫はあるので、それを見過ごした地球(うち)の入管の方にも責任があるって事で、今大騒ぎですよ」
 結果、モフモフ病は現在江戸で大規模に蔓延中。問題の発生源と見られるモフモフ星人たちは既に強制送還されたらしく、これ以上の感染拡大の心配は無いが、モフモフ病に罹って仕舞った人々は、主に犬や猫と言ったモフモフ分を求めてのたうち回っていると言う訳だ。
 ある意味侵略戦争されてる側じゃねぇか、と胸中で役立たずの入国管理局に向けた悪態をついて、土方は自らの背を──正確にはそこに貼り付いているのだろう銀髪頭を指さした。
 「そもそも俺の何処がモフモフだってんだ。こいつの頭の方が余程モフモフのクソ天パじゃねぇか」
 「ですから、モフモフかどうかは重要じゃなくて、えっとその、先程も言いましたが、か、かわいい?か、どうか…と言う判断基準なので、患者に因って症状には多少の差異が出る事もあるかと」
 またしても口ごもりながら山崎は答えるが、土方にとってそれは既に論外としか思えない話である。かわいい、と言う言葉と土方十四郎をイコールで繋ぐには、間に地球一周するぐらいの紆余曲折を経ないと到底無理だ。況してやそれが、互いに悪態をついたり喧嘩腰で会話をする事が当たり前の様な、とにかく折り合いの悪い万事屋の男の感想からなど、宇宙がひっくり返ったってあり得ない。
 「……とにかく、有効なワクチンもありませんから、時間経過でのウィルスの死滅を待つしか…」
 「………」
 それが結論と言う事なのだろう、どこか同情的に思える生ぬるい山崎の視線を受けて、土方は頭を抱えて項垂れた。なんでこんな事に、と呻くその背にぴたりと密着している銀時の、体や掌からじっとり伝わる熱い体温が煩わしい。
 「        」
 「……………」
 また呪いの言葉が何か聞こえた様な気がしたが、土方の疲労しきった脳はそれを聞き取る事を放棄した。





ライナスの毛布。

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