たなごころ / 6



 風呂は仕方無いので、狭い中交互に浴槽と洗い場とを使う事で何とか解決したのだが、問題は厠であった。
 何しろ銀時は当たり前の様に土方を『持って』入ろうとしたし、
 「膝上に乗ってりゃ良いだろ?別に見えねェんだから良くね?」
 などと捻子の外れた事を言い出したので、流石に土方も思わず拳が出た。刀が手元にあったらそちらが使われていたのは言う迄もない。
 「何の下品なプレイだ、ふざけてんじゃねェぞクソ天パ」
 「いやだから!おめーを抱えてないと駄目なんだって!それもこれも全部おめーが可愛すぎんのが悪ィだけだろ、諦めやがれバカヤロー!」
 至近距離の土方の拳をあっさりと回避した挙げ句、遂には開き直ってそんな発言を──銀時自身もモフモフ症状を幾分落ち着いて理解出来る程度には慣れて来たらしい──投げて寄越した男に、土方は最早憤慨を通り越して眩暈すら憶えたのだが、とにかく土方にしては根気よく説得をして、厠の間は直ぐ外で待つ、と言う事でこれも何とか折り合いを付けた。
 勿論の事ながら、これらの言い争いの間も新八と神楽は同じ屋根の下に居たし、生ぬるさと僅かの同情(や呆れ)とを混ぜた態度を隠しもしていなかったのだが。
 それでも慣れは慣れと言う事か、単に四六時中奇妙奇天烈な光景に驚いていては身が持たないと割り切ったのか、銀時が何処へ行くにも土方を抱えて行動しようとする事にも、強めの抱擁と頬擦りにも、次第に特別な反応すら見せなくなって来た。
 矢張り人間慣れと諦めが心を頑丈にするのだな、とそんな事を思う土方である。
 取り敢えず土方が真選組副長としての仕事を休業中である事に合わせて、銀時も万事屋の仕事には出ていない。大の男一人を抱えた状態では、浮気の調査も猫の捜索も大工仕事も出来やしないのだから仕方の無い話だが。
 真選組から今回の『依頼』に大して金は払われているが、依頼がある中わざわざ休業する必要は無いとの事で、新八と神楽は、彼らに出来る程度の仕事ならこなしに出て行くし、依頼が何も無ければ買い物や遊びにも出て行く。
 ともあれそんな事情の所為で、結果的に土方は万事屋の寝室で延々と雑事に向き合い、その土方の付属物状態になっている銀時も、日がな一日中ずっと土方に抱きついていると言う状態になっていた。
 背中は熱いしてのひらは温かいし銀色の天然パーマは頬や項にくすぐったい。慣れたくもないが慣れるか、或いは極力意識しない様にするほかないと決め込んだ土方である、呪いの言葉の不意打ちにはいちいちどきりとさせられるが、それ以外は何とか、ほぼ完璧に近い無視が出来る様にはなった。
 基本短気な所のある己にしては大した忍耐力を発揮しているものだと思いながら、ペンを置いた土方はまとめた書類をファイリングして、両腕を大きく上に伸ばした。いつもより自由の効かない姿勢で仕事をしているものだから、余計に身体が疲れている気がしてならない。
 「お疲れさん」
 「言うなら茶ぐらい煎れろや。どうせ暇ならよ」
 背中に押しつけられた額の更に寄せられる気配と共にそう言われて、土方は吸いさしの煙草をくわえて鼻を鳴らした。貼り付いていないと駄目だと言う前提の所為で、邪魔なばかりで茶坊主にもならない男に労いの言葉など貰っても嬉しくも何ともない。
 新八が居れば、山崎ほどとは言わないがそれなりに甲斐甲斐しく茶の一杯ぐらいは持って来てくれる所なのだが、今日は趣味のアイドルの追っかけ活動があるとかで留守にしている。神楽は神楽で定春を連れて昼から遊び歩いている様で、未だ当分帰ってくる気配は無い。尤も神楽が居た所で茶など入れてくれる様な事はないのだが。
 「台所まで付き合ってくれりゃ煎れてやらァ」
 言う割には億劫そうな息を吐く銀時。そこからは動きたくないと言う意思がありありと漏れ出ている。一緒に立ったら立ったで接近し過ぎな電車ごっこの様になって面倒だし、結局自分も動いているのに大儀そうに銀時に『茶を煎れてやった』などと恩着せがましく思われるのも癪だ。土方は天井に向けて煙草の煙を吐き出すと、手を伸ばして灰皿へと灰を落とした。
 「……いちいち面倒臭ぇなあ。それなら手前ェで煎れるも同じじゃねーか」
 喉は渇いているし一息もつきたいが、背中に錘が常時貼り付いている状態では、どうした所で楽になどなれる気もしないのは確かだ。
 世に蔓延中のモフモフ病の感染被害は、拡大が無い代わりになかなか症状の終息を見せない。今日もニュースで、職場に特例でペットを連れ込む事を赦された患者のインタビューなどが行われていた辺り、社会的に認知度が求められていると言う事は未だ先は長い可能性が高いと言う事だろうか。はあ、と嘆息すると同時に両肩を落として、土方は全く取れる気のしないばかりか嵩を増して行く一方な気のする疲労感を持て余した。
 「……お疲れさん?」
 もぞ、と背中で銀時の頭の動く気配と同時にそう声を掛けられる。先頃の、労いらしい「お疲れさん」とは異なって疑問系だった。つまりは「疲れているのか?」と問いたのだろう。「そりゃあな」と無造作に応えると土方は目元を軽く揉んだ。肩凝りと眼精疲労とで軽い頭痛がする。
 「ふーん…」
 訊いておいて余り気の無さそうな相槌と共に、銀時の顎が肩口に乗って来る。頬を擽る様に触れる柔らかい銀髪の感触に目を眇めた土方は半ば無意識に、近づいた顔から自らの顔を背けた。
 土方がそうして露骨にそっぽを向く形になったから、と言う訳では無いだろうが、腰をホールドしていた銀時の腕がもぞりと動いた。
 「んじゃまぁ休みなさいよ。膝ぐれェなら貸してやっから」
 言うなり、ぐい、と両脇に差し入れた腕で腰を僅かに浮かされ、土方は不安定なその姿勢に息を呑んだ。倒れる、と咄嗟に思うより先に、銀時が少し後ろにずれてその胸で土方の後頭部を受け止める。
 「は、?」
 思わず間の抜けた声を漏らした土方の眼前には、逆さまに己を見下ろしている銀時の顔。
 (──、)
 てっきり、不意打ちを決められ狼狽する土方の姿を見てにやけ面でも浮かべているかと思いきや、存外に真剣そうな表情がそこには在って、何故かぎくりと息を呑まされる。
 熱いてのひらが頤を擡げた。反らされた首筋を指がやんわりと辿って行く動きに、土方は弱点を晒し触れられていると言う事実に本能的に身を竦ませ、それが大袈裟な程にびくりと全身を跳ねさせた。
 まるで怯えている様だ、と思うが、硬直した指先は畳に付いて身を支えようと凝り固まっていて動かせない。至近距離で出会った真正面の顔は目を逸らせない。
 よろずや、と声にはならず唇だけが上下してその意を伝えようとするのだが、降って来た溜息に似た息遣いと共に塞がれてそれすら叶わなかった。
 「──……」
 寸時の間だけ交わった吐息の証明している、その空隙に土方が瞠目したその瞬間、土方の後頭部は寄りかかった銀時の胸からずるりと滑り落ちて、果たして先刻の言葉通りなのかその膝上にゆっくりと降ろされる。
 「………」
 白昼夢の様な一瞬に、呆然と見上げる土方の手から煙草をそっと抜き取って灰皿へと放り込むと、銀時は自らの膝の上に乗せた土方の髪をぐしゃりと掻き混ぜた。
 そうして目元を優しい仕草の掌で覆われて、そこで漸く土方は「休め」と言う先頃の銀時の言葉を思い出した。
 確かに座りっぱなしよりは楽ではあるが、男の固い膝など貸された所で、況してやその枕が髪を──これもモフモフと言う事なのか──撫でている様な状態で休める気などする訳もない。
 (……何、が)
 喉は渇いた侭なのに湿った唇が寸時戦慄くが、疑問を形にするのは憚られた。意味を露わにする気は矢張りしない。だから土方は掌の下で固く目を瞑った。
 「……可愛いんだよ、この野郎が」
 ぼそ、と囁かれるいつもの呪いの言葉は然し、視界を封じられているからかいつもよりはっきりと耳に飛び込んで来た。







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