たなごころ / 7



 「すっかり慣れちまいやしたねィ」
 「……何がだ」
 ソファの向かい側に、無駄にふんぞり返る様な姿勢で座した沖田が言うのに、土方は眉間に皺が寄るのを自覚しながらもそう返した。いい加減白々しい事だとは思うが、いちいち意識するだけ腹も立つので仕方がない。
 言う迄も無いが、ソファに腰を下ろした土方のすぐ真横には、今日も今日とてモフモフせずにはいられない症状を呈している銀時が引っ付いている。
 「慣れきって無自覚になっちまうのはそれはそれで結構ですがねィ」
 肩を竦めて口元だけでぬるく笑うと、沖田は手の空かなかったと言う山崎の代わりに持って来た、土方の暇つぶし──もとい、雑務用の書類山の入った紙袋をちらりと見遣った。その量は多いが所詮は雑事ばかりである。体よくサボりやがってとでも内心では思っているのかも知れない。
 「なんなら代わってやりてェよ」
 「真っ平御免でさァ。暑苦しいのは勘弁願いてェんで」
 ぐい、と人形か何かの様に引っ張り起こされ、真っ向から抱きしめられる形になりながらうんざりと溜息を吐く土方だが、最早いちいち動作で無駄な抵抗はしない。肘程度をくれてやった所で収まる銀時ではないのはここ数日で解りきっている。
 「ああそうだ、朗報って言うべきか悲報って言うべきか悩ましい所ですがねィ、完治した患者もぼちぼち出て来たそうで」
 不意に思い出した様にそう言うと、沖田は勝手に卓の上に置いてあったリモコンを手に取り、テレビを点けた。時刻は夕方に差し掛かる頃で、幾つかの局番では既にニュースが始まっている。
 沖田が適当にチャンネルを回して行くと丁度良い塩梅に、本日のハイライトを順を追って紹介している番組があり、『モフモフ病終息に向かう』と言うテロップが目に入った。
 暫く見ていると、やがてペットらしい小型犬を抱えた中年女性の姿が映し出される。どうやらこれが患者らしい。インタビュアーが終息に向かっているらしいモフモフ病の話を振るのに、《早く治って欲しいとは思いますが…ああ可愛い可愛い》と頻りに犬をぬいぐるみの様に抱きしめている。
 「これのどこを見りゃ終息とか言えんだよ」
 様子だけを見れば、現在土方にべたりと貼り付いている最中の銀時と確かに似た様なものである。余り成果の無さそうなインタビューはそこそこに、画面は医療関係者のコメントに切り替わっていく。
 《元々ウィルス自体がモフモフ星人の生存戦略に因るものなので、モフモフ星人本体が居なければ言って仕舞えば不要の存在なんです。その為、個人差はあるとは思いますが、感染源が居ない以上は徐々に症状も収まって来ると思われます》
 「さぁ…。俺にそんな事言われても困りまさァ。まあ医者の言う様に、個人差ってのがあるんでしょ」
 「そもそもその個人差って奴の振り幅が大きすぎんだよ、このモフモフ病とやらは」
 役に立ちそうも無い情報を流し続けているテレビを、沖田の手から奪い取ったリモコンで消すと、その動作で少し離れた事が気に入らなかったのか、土方の身体は銀時の腕で更に強くホールドされる。
 車の急停止で、シートベルトが体に食い込む様なものである。ぐぇ、と喉奥で呻く土方だったが、忌々しく銀時の頭部を睨み付けるのみに留める。むきになって抵抗して、本気で抑えようとしても効果が無いと言うのは思いの外に堪えるのだ。
 おまけに、くぐもった声で「可愛い」といつもの様に囁かれて、口元が引き攣る。こればかりは慣れないし慣れたくもない。
 「個人差って言や、旦那のこの症状も随分奇抜な『個人差』ですよねィ。何か心当たりは無ェんで?」
 そんな呪いの言葉が聞こえたのか、心なし空虚な笑みを浮かべて、沖田。その思いも寄らない発言に、土方の口端がぐっと下がる。
 「……はぁ?ある訳ねェだろうが。つーかどう言う種類の何の心当たりだよ」
 「ですから旦那が、可愛さなんて言葉からかけ離れる以前の問題の、何をどうした所で連想も結びつきもしようが無い筈の土方さんの事をそう宣う理由でさァ」
 「………」
 沖田の言い種は、余り口にしたくないのかただのイヤガラセなのかやけに遠回しであったが、要するに銀時が土方をモフモフ病の対象に選んだ事に、何か訳があるのではないかと言う事だろう。
 理由、と一言だけを反芻してから、土方は仏頂面を形作ってかぶりを振った。
 「……矢張りある訳もねェ。こいつの症状がそれこそ『個人差』とやらでおかしい事になってるだけだろ。天パ頭がモフモフ同士変な風に作用でもしたんじゃねェか」
 「…まあ、直に治るってんならどうでも良いですがね」
 無責任にもそう言って立ち上がる沖田を、土方は忌々しげに見遣った。ならば始めから無駄に藪を突いて行くんじゃねぇよと思いながら密かに舌を打つ。
 「心当たりがもしもあるからって、それでこのモフモフとやらがどうにかなる訳でも無ェだろうが」
 見送る必要があると思った訳ではないが、何となく立ち上がって、玄関へと向かう沖田の後を追う。そんな土方の腰に腕を回した侭、銀時も自然とくっついて来る。
 踵の潰れた靴に足を突っ込みながら、ちらりとだけ振り返ってみせる沖田の口元には、彼らしくもない柔い笑みが刻まれていた。楽しいとか可笑しいと言うそれではなく、何処か同情的な気配がそこには漂っている。
 「……心当たりがあんならもっと楽なんじゃないかと思っただけでさァ」
 「? 何が楽なんだよ」
 意味が解らず眉を寄せた土方の顔を見上げると、沖田は爪先でとんとんと三和土を小突いて小さく息を吐いた。溜息には足りず息継ぎには短い程度のそれが何処へ向けられたものなのかは解らない。ただ彼は次の瞬間には土方のよく見慣れた、人を食った様な笑みを浮かべていた。
 「慣れるのに、でさァ」
 そうして沖田の向けた意味深な視線は、土方にべたりと貼り付いている銀時の方へと向けられるが、土方の左肩に額を乗せて俯いている銀時と沖田の視線が出会う事は無かった。
 だがそれが、銀時と沖田の二人が良く見せる、土方をからかおうとする時の質に似ている事だけは解って、自然と頬が引き攣った。このドSコンビは時々まるで示し合わせたかの様に調子を合わせるのだと、今まで幾度となくその被害に遭って来た土方の経験則が警鐘を鳴らす。
 「…慣れたかねェって言ってんだろうが」
 露骨に深々と嘆息する土方だったが、銀時からの攻撃は予想に反して無かった。──…周囲に構わずモフモフ症状を呈している事こそがある意味攻撃だったのかも知れないが。
 「でも慣れちまってんでしょう。不本意だってのは解りやすが、適当な所で諦めをつけちまうのも肝要ですぜィ」
 「………」
 慣れたくはないと言う土方の感情とは裏腹に、実際は慣れているのか慣れようとしているのか。悪足掻きをするよりも滑稽な画を平然と晒す方がいっそマシだと思っていた事を揶揄されている気がして、土方は苦々しく年下の部下を苦々しく睨んだ。
 「じゃ、もう暫く頑張って下せェ。応援はしねーですが、する気が無ェ訳じゃないんで」
 「いらんわ」
 土方の明らかな渋面を引き出せただけで満足したのか、無駄に朗らかに笑って手を振った沖田が万事屋の玄関から出て行くのを結局は最後まで見送って仕舞ってから土方は、背中にいつも通りの熱い体温を寄り添わせて左肩にモフモフとした頭をもたせかけている銀時の頭を、握った拳で小突いた。
 「楽かどうかってんなら、慣れるよりはてめぇがとっとと治った方が良いに決まってんだろうが」
 深々と肩を落として言うが、銀時は相変わらずの熱い程の体温を持った掌で土方の腰を引き寄せた。先頃テレビに出ていた患者が小動物を撫でていた時にも似た仕草で、着物の上からわさわさと撫でて来る。
 「俺ァ別にこの侭でも良いんだけど」
 「……てめぇは病気の当事者だからな。まともな答えの期待なんざしてねェ。つーか動くな気持ち悪ィ」
 何しろモフモフ病患者は、モフモフする対象に安心毛布的な精神的安定を憶えているのだ。言っても無駄、釈迦に説法。同意の返事など期待はしていなかったが、他人事の様ですらある銀時の言い種に少し腹が立って、土方は心なし乱暴な足取りで万事屋の居間へと戻った。
 時間が経てば病は治る。あとどの程度かかるかは定かではないが、それだけは確かだ。慣れるべきではないし、慣れる必要性も感じられない。
 (最初からそう思ってた筈じゃねぇか…)
 憮然とそう胸中で呻く様にこぼして、土方は沖田の持って来た『仕事』の詰まった紙袋を手に取った。無駄や迂遠を費やすぐらいならば、少しでも自分の為に何かが出来る方が良い。







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