ナグルファルに捧ぐ花 / 10 テーブルの上に置かれていた柿ピーの袋を、勝手に取って勝手に中身を探る。掴み出した掌に乗ったそれの、一粒を摘んで口へと放り込めば、少しだけ辛みのある、何だか懐かしいと感じられる香ばしい味がした。 「まさかアンタが自発的にスタンドに興味を持つなんてねぇ、ギン」 「イヤ興味とかじゃねーから。単に訊きてェとかそう言う奴だから。已むを得ずとかそう言う感じだからねどっちかって言うと」 く、とコップに注いだビールを煽って言うお岩の満面の笑みにうんざりとそう返すと、銀時は盛大に溜息をついてみせた。 幾ら緊急事態の様なものとは言え、本当は半透明なものに興味など持ちたくはない。レイの説明を疑ったりした訳ではないのだが、人間の視点からの話が聞きたくて、こうして仕事上がりの夜にわざわざ銀時はお岩の部屋を訪ねていると言う訳だ。 「レイにも一応軽く訊きはしたんだけどよ、スタンドそのものの意見より、まだ辛うじて現世にしがみついてる生き証人ババアの方がもうちょい解り易く噛み砕いてくれるかも知れねぇなと」 「人に物を尋ねるのに随分な態度じゃないか。アンタの中にまた閣下を憑依させてやってもいいんだよ?」 「すいません僕スタンドの事とかよくわからないので色々教えて下さると助かります」 にやにやとかなり本気としか思えない声音で言われて、銀時はあっさりと白旗を振った。ついでに土下座ポーズも取ってみせる。 銀時のしおらしい態度に満足でもしたのか、お岩はそれ以上を続けはせずに「で、何だって?」と促して寄越した。柿ピーを奥歯で噛み砕いた銀時は、少し考えながら口を開く。 「ひじ…、十の奴、レイに『見える』様にして貰った…つーかされたっつーか、まあ兎に角感度スゲー事にされたろ?」 微妙な表情を浮かべたお岩が溜息をつく。 「アンタが言うと何だかいやらしく聞こえるねぇ」 「そっちの感度は多分元から高ェから。前に飲み屋で潰れてたあいつの項に氷放り込んだら「ふに゛ゃっ」とか猫みてーな声上げて飛び起きたからね」 「そんな情報要らないからとっとと続けな。話聞いてやらないよ」 犬猫でも避ける様な仕草と共に言われて、「混ぜっ返したのはおめーの方だろうが」と銀時は呻いた。一度そっと息を吐いて仕切り直す。 「…で。レイ曰く、三十六天の隅っこだかなんだか、兎に角そう言う存在が今のアイツには見えていて、何か心を許しちまってるみてーな感じなんだよ」 紡いだ銀時の言葉の先で、お岩がそっと目を細める。どうやら矢張り心当たりはあるらしい。構わずに銀時は続ける。 「レイは何でもないものだから気にする事はねぇって言うんだが、昨晩あいつの寝込みを変な黒い靄みてーなもんが襲ってるのを、俺は多分『見て』る。 そんな事もあったしで、俺としちゃ、やっぱ『見えて』ねぇ『それ』の善悪の判断はつけかねる訳だよ。あいつもあれで甘い所や迂闊な所もあるし、『それ』がもしも…その、悪霊?みてーなもんを寄せてねぇとは言い切れねェって次第だよ」 「………」 出来るだけ簡潔にと思って一度に言い切った銀時であったが、内心は何だか言い訳じみている気がしてならなかった。己の言葉が、果たして誰に、どう言う意図でそう聞かせたいのかは判然ともしないのだが、どうにも嫌な気分がしてならない。言葉が吐いたそばから泥か何かになって行く様な、そんな感覚だった。 不快感を紛らわそうと喉を鳴らす。そんな銀時の様子を見つめるお岩は黙った侭、ビールをそっとあおった。 「…成程ね。道理でスタンドたちがいつもより騒がしいと思ったよ。やっぱり善くないものが入って来てたんだね」 「!じゃあ、」 「早とちりするんじゃないよ。善くないってのは、アンタの『見た』ってものの方さ。『見えてない』方については、私もレイと同意見さね」 思わず顔を勢いよく起こした銀時の鼻の穴めがけて、お岩は柿ピーを指で弾き飛ばして来た。咄嗟に避けきれず、器用に鼻に縦向きに刺さったそれに銀時は顔を顰める。 「見えてないものの方っつーと、カオ○シっぽいやつの方だろ?見えてねぇのに、善いとか悪いとかどうやって判別してんの」 柿ピーの刺さった穴と逆の穴を指で押さえて息を吐き出しながら、片眉を上げて問う銀時に、お岩は事も無げに、 「そりゃ、『見えていた』んだから解るよ」 と答えて寄越した。どう言う事だ、と訝しんだ拍子に鼻に力が入ったのか、柿ピーが飛び出る。 「昔はね。私が子供の頃は、『見える』程度が今よりも強かったのさ。調子が良い時は、神霊の類だって『見えた』事もあった。勿論、十が見てるその、アンタ曰くのカ○ナシっぽいってものもね。薄くだけど見えていたんだよ」 だから解るのさ。そう続けてまたビールを口に運ぶとお岩は眉を寄せた侭の銀時の顔をじっと見て、それからかぶりを振る。 「それが出来れば苦労もないんだろうけどね。『見える』ものを『見えない』者へと説明するのも、理解を得るのも、一筋縄でいくことじゃあないんだよ。 でも、『見える』からこそ理解者を欲して仕舞う。だけど、『見えない』者にはそれは支離滅裂な妄想と大差無い。『見えない』から、怖がるんだ。怖がって、そんなものは無いと拒絶する」 「…」 鋭い針の様なお岩の言葉に、銀時は我知らず顔を顰めた。 『見えない』から、それに不安の責任を押しつけて仕舞おうとした、理解のない者の言い訳。先頃感じた不快感の、恐らくはそれが正体だ。 「そこで初めて行き当たるんだよ。だから三界は隔てられているんだって事に。彼岸と此岸の区別がつかなくなっちまったら、人はそのどちらにも居られないんだって事に。だから、『見える』事を殊更に意識して、これはまつろわぬ存在だと納得する。違うものだと言い聞かせる。 そうでないと私みたいに、霊とだけ交わって生きる様なものになっちまうって訳さね」 しみじみとそう言うと、お岩は苦そうな面持ちでコップに残っていたビールを全て干した。 「話が逸れちまったね」 そう言い置いてから、柿ピーの袋を取り上げ、その中身を卓袱台の上へとざらざらと出した。拳にひとつかみぐらいの量が出た所で、お岩は小さな柿ピーで出来た山をざらりと掌で崩す。 「このピーナッツの一粒ぐらいしかいない存在なんだけどね。普通の人間は死んだらなんやかんやで成仏する。でも、偶に上手く成仏出来ずに迷子になっちまう子が居る。そう言うのが、ギン、アンタの見た『善くない』ものに運悪く食い散らかされちまうと、あの憐れな子たちになるんだよ」 「善くない、のが俺が見た、悪霊?カオナ○みてぇな方が、それに喰われた奴、の、残り?」 銀時が反芻して言うのに、お岩は鷹揚な仕草で頷いてみせた。 「言っちまえば食い残しの滓。卵で言えば殻みたいなもんだね。意思も人格も喪って、そこらを漂うだけの、言葉通りの『滓』。だから当然、何も出来やしない。しようともしない。在るだけで、何れはぼんやりと消えちまうだけのものだよ」 「…………」 『それ』に意思がないと言うのであれば、土方が『それ』を見ていたとして、それこそ顔の無い様である、有名な映画のキャラクターっぽいらしい造形を見て、怯えや畏れこそ抱けど、心を寄せたりする筈がない。 レイから聞いた時銀時が直感的に感じた様に、もしも土方が『それ』憐れんだのだとしたら、憐れむなりの理由があった筈だ。ただの死者の『滓』であると言う事以上に、憐れみを憶える程の根拠が。 そして、『それ』が自ら自分たちを憐れな存在であると示したのでは、そんな事が出来ないのであれば、何者かがその事実を土方に聞かせた、と言う新たな不穏の可能性が生じる。 考え込む銀時を余所に、お岩は摘み上げたピーナッツをそっと山から除けた。それよりは沢山入っている、柿ピーの方を口に放り込む。 「ただね、生前の記憶も意思も無いのに、自分たちの嘗て求めていたものに引き寄せられる性質があるらしくてね。それが生前に良い感情から生じたのか悪い感情から生じたのかに関わらず、消えちまうまでの少しの時間を、引き寄せられたそこで過ごす事が多いんだよ。意思も未練もなく、ただ、強いて言えば──寂しいから、なのかもねぇ」 例えば、と言い置いてからお岩は続ける。 「母親を求める子供だったものなら、母親適齢期の女性の周囲に寄り添ってただふらふらしていたりする。存在が『滓』の様に薄いから、何も出来ないししない。救いようもないし、救われようもない。誰かに気付かれる事すら無い。幽霊であっても気付かずに通り過ぎちまう」 「……わぁったよ。見えねぇからって短絡的に『それ』が悪ィんじゃねぇかって、一方的に決めつけてたのは間違いねぇよ。悪かった」 重ね重ね『害はない』と強調して言われるのに、銀時は遂にがくりと肩を落として呟いた。別に謝罪などは求められていないのだろうが、レイやお岩の言う事が正しいのであれば土方の怒りようも納得がいくと思ったのもある。 「そもそもね。十の見ているって言う子らは、多分江戸から十にくっついて来たものだからね」 「……え?」 風呂場で銀時を睨んだ、土方の剣幕を思い出していた銀時は、不意に放たれたお岩のそんな言葉を一瞬聞き流しそうになって、慌てて訊き返した。 「くっついてきた、って」 「ここは人里離れたスタンド温泉旅館だよ?死にたて、喰われたてほやほやの霊や『滓』が居る訳ないだろう?だから、江戸に居た時から既に十の周りにそいつらは居たのさ。『見えない』から誰も気付かなかっただけで」 思わずぎくしゃくとしながら言う銀時の青ざめた顔に、とどめを刺す勢いで、お岩はまたしてもそう、事も無げに言って寄越した。 (…え?エ??いや待って、幾ら『滓』だのなんだの言った所で、元々は死んだ人間な訳だろ?そんなのが易々とくっついてくるもんか…?) 自分にもくっついていると思った訳ではないが、何となく背中を気にして仕舞う。 お岩の譬え話では、母親を恋しがる子供ぐらいの年齢の霊の『滓』なら、母親の様な年齢の女性の傍に行くと言う話だった。 では土方は?死者が『何』を思って、意思のない『滓』となってなおそれに引き寄せられたと言うのか。 (いや、それ以前の問題だろ…?江戸なら確かにこんな田舎に比べりゃ、当然人死には多い。毎日の様に何かの原因で誰かが死んではいる──、が) 土方の顔を思い出す。畏れていた筈のそれらを、少し後には平然と受け入れていた。そいつらが──『滓』となったそいつらが、己の周囲に居る事を、受容していた。 死者。そして土方が、貶されて怒る者。何処か遠い目で見つめる者。声を掛けずには、赦せずには、居られない様な、者たち。 死してなお、未練ですら無くなってなお、『それ』らが土方へと寄り添おうと言うのであれば、それは。 「………つまり、殉職したあいつの部下とか、そう言う連中だったもの、って事か…?」 思わず呟いた、銀時の声は僅かに震えて、固かった。喉に舌が貼り付きそうな乾きに、喉さえ鳴らない。 それを当てはめて思い起こしてみれば、確かに納得は行くのだ。理解も。 「……さぁね。私は江戸での十の事は知らないから何とも言えないが、縁の在る者って可能性は高いだろうよ。勿論、何度も言う様にそれ自体に害はないんだけど、『それ』がここに来た事で、触発されたのか、山から善くないものが出て来ちまったのは確かだよ」 そこで一旦言葉を切ったお岩は銀時へと、「見たんだろ?」と投げて来る。 「……ああ。多分。…いや、『見』た。『見えて』た」 幻か夢かと一時は疑いもしたそれを──土方の布団に覆い被さる様にしていた、黒く不定形な気持ちの悪い塊を、曖昧なその輪郭通りに脳裏に描いた銀時は、はっきりと頷いた。 説明は出来なかった。信じても貰えなかった。銀時にも『見えて』いたのだ、起きてさえいれば、土方にも『見えた』筈のものだ。 つまりは、確かに、土方に害をなそうとしていたものが、土方自身には気付かれない様にして、忍び寄っている、と言う事だ。 ネタバラシと説明パートその1。 ← : → |