ナグルファルに捧ぐ花 / 13 「まあ、清めはある程度出来たし、入んな」 お岩にそう仕草で促されて、銀時は土方を抱え直すと玄関を上がった。ここ連日ずっと務めて来たぼろ旅館だが、今は何故だろうか、妙に冷えて、不気味にさえ感じられる。 冽い廊下を渡って一番近い、従業員用の部屋に入ると、流石に旅館の女将と言うべきなのか、お岩が手際よく布団を敷いて待っていた。そこに横たえた土方の顔を覗き込んで見るが、血の気の薄い白い色をした彼の顔はと言えば、よく出来た面か、或いはまるで死に顔の様だった。思わず指を口元に近づけて呼吸を確認して仕舞う。 「大丈夫なのか…?」 息遣いは細かったが、確かにあった。呼吸はしている。鼓動も感じる。だから生きている事は明らかなのだが、それでも怖気は消えず不安は蟠って晴れない。見慣れた筈の整った面相は、顔色の白さもあってただ眠っているだけにはとても見えない。 「何せ、連れていかれかけてるんだ。この侭にしておいたら、そう遠からず十は魂を奪われて、死ぬよ」 連れていかれる、と言うよりも、死ぬ、と言う妙に現実味のある言葉でそう言われる事で、改めて目の前の現実の意味を理解する。銀時はゆっくりとお岩を振り返った。 「連れていく、ってのは、具体的に『何』がなんだ?」 教えてくれ、と頭を下げる銀時の前にそっと正座すると、お岩は腕を組んだ。ちらりと、眠る土方の姿へと視線を走らせる。 「まぁ、簡単に言や善くないものさ。実は私も十のこの様子を見るまでは、悪霊の類だと思ってたけどね、もっと性質の宜しく無い──いや、厄介なものかも知れないよ」 真剣な声でそう言うお岩の表情は固く、難題に直面した哲学者か何かの様に見えた。決して見えぬ答えを探す探求者めいたその黒い目は、どこか痛ましさを携えて、静か過ぎる呼吸を繰り返している土方の白い顔を見つめている。 「…十があの子らをくっつけて来ちまった所為で、それが刺激されて動き出したのは間違いがないよ。だけど、十がそれを『見える』様になっていなければ、関わる事も無かっただろう。それについては迂闊に、『感』の無い人間にチャンネルを開かせたりしたレイの責任だからね、きつく叱りはするが──して仕舞った事は消えやしない。アンタが十の名をそれに知らせちまった事も、取り消せる事じゃない」 「………それを言われると、アイツを半ば無理言って誘って連れて来たのは俺だしで、ただの堂々巡りだろ。今必要なのは責任の所在じゃねェ、もっと建設的な話だ」 「…………そうだね。その通りだけどね」 困り果てた様な呟きであった。お岩は顔を顰めながら、立ち上がると窓辺の障子を開いた。硝子窓の外は漆黒を塗り拡げた夜の闇がただただ続いている。昼間に見れば、白い雪に地表を覆われた山腹から山頂までが壁の様に聳えている筈なのだが、その色や形さえも今は見る事が叶わない。 「正直な所を言うとね。私にもよく解らない。ただ、それが善くないものである事しか言えない。……いや。それさえも本来ならば人間如きが判別して良い基準なのかも解りやしない」 まるで謎かけの様なお岩の言い種は、勿体振っていると言うよりは、自分でもそれを確かな答えになると思ってはいないと言う、迷いや疑いから生じたものなのだと、その様子から何となく銀時はそう感じた。 なまじ、スタンドの中で暮らしていた者だからこそ、それの善悪を勝手に人間が、人間の価値や基準で定めて良いと思えないのかも知れない。 だが、今はそんな事を言っている場合でもない。土方の魂がその『善くないもの』に握られている以上、何とかしてそれを止めさせなければならない。 そうしなければ、きっと、土方は。 (死ぬ、と言われた。その通りに。なっちまう…) 「……じゃあ、善とか悪とかはさておいて良い、どうすりゃこいつを取り戻せる?どうすりゃ、護れる?」 銀時は強い口調でそう言ったが、お岩は小さくかぶりを振った。拒絶なのか、躊躇いなのか。或いは解らないのか。何れにせよそのニュアンスが否定的なものである事に違いはない。 「何か、ヒントとかは無ェのか?!スタンドの誰かが知っているとか──、そうだ、レイなら何か解るんじゃねぇか?」 「ギン」 言って、立ち上がりかけた銀時を制する様に、お岩の静かな声。 「十の『見た』ものは、レイやそこらの普通のスタンドには見えちゃいないんだ。だが、見えていないだけで、居る場所は地続きだ。それは、その気になればただのスタンドなんて食えちまう様な存在だ。あの子やお客を巻き込むのは、この旅館の主として承伏しかねるよ」 「………」 きっぱりと言われて、腰を浮かせた侭銀時は決まり悪く目を逸らした。スタンドたちに助力を求めて、もしも何かを教える事が出来たとしても、そのスタンドが喰われて──消えて仕舞う事が有り得ると言う事だ。成仏する為にこの旅館に集った人々の魂が、それも侭ならずに喰われて消えて仕舞うと言うのは、幾らなんでも後味が悪すぎる。 普段ならば、巻き込んだとしても俺が護ると言い切る事が出来た。無論、出来れば誰も巻き込みたくはないが、巻き込んで仕舞ったのであれば、銀時にはその責を取るだけの覚悟はあるし、出来る。 幽霊には幽霊の世界の理があると言う事か。解ってはいたがもどかしい。見えない、出来ないだけに、もどかしい。木刀の一振りで解決出来る様なものではないから、無力感にただ腹が立つ。 (…それでまず、責任の在る場所の話をしたのかもな) 誰が悪い、誰になら何かが出来る、と言う問題ではないと、ひょっとしたらお岩はそう言いたかったのかも知れない。そのお岩もまた、難しい面持ちで悔しそうに畳の目を見つめていた。 くそ、と銀時は呻いて座り込んだ。目を瞑り眠る土方を見る。この侭ここで待っていれば、またあの不気味なやつが現れるのだろうか。それとも、土方自身が何かに操られる様にして何処かへ行くのか。 「……ん?待てよ、」 雪原をふらふらと歩いていた土方の姿を思いだした所で、銀時は顎に手を当てた。頭に引っかかったその光景を描きつつ、お岩の開けた障子の向こうへ顔ごと視線を向ける。 夜の雪山。闇一色の世界。雪原に続いていた足跡。嘘の様に止んだ吹雪。何かに引かれる様にして歩いていた土方の、奈辺を見つめる眼差し。 「…なんだい、何か妙案でも出たのかい」 言ったきり黙り込んだ銀時に、お岩が問いかけてくる。軽く顎を引いて頷くと、銀時も窓辺に向かった。闇一色の中では僅かと伺えない、山の稜線のある筈の場所を見上げる。 「…………なぁ、こいつはさっき、何かに操られる様に、何かに引っ張られる様にして、歩いてた」 「ああ。そう言ってたねェ…」 突然何を言い出すのだとばかりに困惑を浮かべるお岩の姿を見下ろし、その侭土方の姿を見て、それから再び銀時は窓の外を見た。 雪に沈んだ山は、夜の何も見えない闇の中でも、当然だが昼間見た時と同じ様にして存在している。積雪に埋もれた森を抱えた、冬の雪山だ。遭難を希望でもしない限りは登山などする様な場所ではない。そして逆に、標高はかなりある筈だが、峻厳な岸壁が人間の立ち入りを阻む様な、そんな質のものでもない。 そこを、土方は何かに引かれる様にして、と言っても、素足で歩いていた。土方を連れて行こうとしていたものは、その足で、歩かせたのだ。 「こいつは、一体何処に向かってた?向かわせられていたとしても、『そこ』に辿りつく前にくたばったりしたら意味はねェ筈だろ?そんな事になるぐらいなら、とっととその辺で魂を喰ってるんじゃないのか?」 堰を切った様にそう紡ぐと、銀時は硝子窓にばしんと掌を当てた。外の冷えた温度が伝わって来るのに、頭に浮かぶ熱が冷めそうだ。冷静に思考する脳の下で、鼓動が少し早い。 例えば雪山に獣が住んでいて、餌はこの旅館にあったとして。旅館が獣にとって安全であれば、その場で餌を食うだろう。 だが、旅館が獣にとっては安全ではなく、餌を取り戻そうと猟師でもいるのだとしたら。獣がそれを知っているのだとしたら。 餌をくわえた侭戻れるのであれば、猟師のいるここではなく、安全の保障された巣穴に戻ってから喰うのではないか。 「それが、こいつに取り憑くなり操るなりして、ここから連れ出した。俺みてェな邪魔者に発見される事のない、安全に、落ち着いて、食える場所へ。そしてそれは、こいつのこんな軽装でも立ち入れる様な場所だって事なんじゃねェのか…?」 幾ら操られていたとしても、土方自身は人間だ。寒い場所をこんな薄着で歩き続ければ低体温にかかって遠からず死んで仕舞う。とてもではないが、山を登って行ける様な状態ではない。 「喰う為に連れて行く…か。確かにその通りだね…」 銀時の言葉を反芻したお岩はそう呟くと、部屋の押し入れから旧そうな地図を取り出して来た。スタンド向けの観光パンフレットと言う事はあるまいが、少し簡略化されたこの周辺の図の様だ。 「見ての通り、ここは幾つかの霊山に囲まれた場所だ。それだけにスタンドの集まり安いスポットになって、この旅館が出来た。そこの山も、昔は修験道の神聖な地で、辺りの住民たちの信仰の拠り所だったって話も聞いた事がある」 「……信仰?」 鸚鵡返しにした所で、銀時の顔をちらと見上げたお岩は息を吐いた。指先で地図の上の山を指す。 「ギン。アンタのその推測が正しくて、それがこの旅館から山へと十を連れて行こうとしたって言うんなら、それは山に旧くから居着いている『何か』だって事に他ならない。それこそ『善い』とも『悪い』とも判別出来ない様な、もっと大きな『何か』だ」 神妙な顔であった。そこで一旦言葉を切ったお岩の様子を伺い見ながら、銀時は恐る恐る呟く。 「……何。ひょっとして、カミサマとかそう言うのじゃないよな…?」 銀時の、少し上擦った問いには答えず、お岩はそっとかぶりを振ると、再び背筋を正して座り直した。 「…ちょっと、この辺りの昔話でもしようかね」 それが本当にあった事なのかどうかは解らない。 だが、もしも『そう』なのであれば、きっと助けに──いや、ヒント程度にはなる筈だ。 そう言い置いて、お岩は口を開く。銀時は無意識の内に背筋を正して意識の全てをそこに向けていた。 捏造祭り順調に開催中。 ← : → |