ナグルファルに捧ぐ花 / 15



 吹雪は止んでいても積雪が消える訳ではない。歩く度に足は踝まで沈み、型を取っている様に深い足跡を残す。気温が低い深夜だから、雪は心無し凍り付いた様に固い。一歩を進むのにも酷く疲れる。
 まるで除雪車にでもなった様な心地で、銀時は白い息を吐き出した。
 雪中行軍では寒さよりも暑さの方が厄介なのだと、攘夷戦争時代に北国出身の浪士からそんな事を訊いた事があった。銀時らが主戦場としていた地域では、季節もあっただろうが、辺りが真っ白になる程に雪に降られた事など無かった。だから話半分に、そんなものなのか程度にしか思っていなかった。
 (それが、今はどうだよ…)
 噛み締めた奥歯の狭間で呻く。よもやそんな話も忘れかけていた頃に、雪の直中を必死になって歩く羽目になろうとは。
 ぶ厚く着込んだ防寒具の下で、己が汗をかいている気配はある。だが、防寒具を脱げば忽ちに体が冷えて凍えて仕舞う。
 雪の中を歩くのは疲れる。そして熱い。つまりは体力を消耗する。かいた汗の分だけ水が欲しいと思っても、雪をその侭飲料水として扱う事も出来ない。飲料水を携帯しても、気をつけなければ凍り付いて仕舞う。冷えきった水を飲むのは今度は胃腸に負担をかける。
 「〜つーかそもそもだよ、深夜に雪深い山の中を登山とか、完全にただの自殺志願者だよねコレ。そりゃ怪談の一つや二つ生まれるわこんなん!」
 思わず叫んで頭を抱える。体の動きに合わせて懐中電灯の明かりが躍り、闇の中に白い雪の照り返しを反射させてちかちかと眩しい。
 「……」
 叫んでみようが愚痴ってみようが、昔の役にも立たない記憶を思い起こしてみようがどうしようもない。最早進む以外の選択肢はないのだ。肩を落とした銀時は、己の口元から吐き出される白い呼気から、体温よりも遙かに冷え切っているのだろう外気を感じて、沈んだ足を持ち上げた。また一歩、前へと進む。
 両手を空ける為に肩に取り付けてある、懐中電灯の眩しい筈の光だけが夜の中での唯一の光源だ。人工的な光は提灯などのそれより余程に強い筈だと言うのに、広い闇の中で雪原をぼやりとしか照らし出せていないと思うと酷く頼りがない。茫漠と続く白い世界は、一歩でも間違えれば本当に遭難しかねない様な危険性を孕んでいると言うのに。
 闇に飲まれそうな危うさ。だが、その闇にこそ向かわねばならないと言う矛盾。怖れ、或いは畏れにこそ辿り着かねばならない答えがある。解り易い救済の技法なんてものはなく、未だあやふやで理解の叶わないそこに、果たしてどう向かい立てば良いのか。
 
 *
 
 「カミサマとか幽霊を信じるかい?」
 昔話でもしようか、と言ったお岩であったが、開口一番投げて来たのはそんな問いであった。銀時は思わず顔を顰めた。何の冗談だとしか言い様がない。
 「おいバーさん、スタンド温泉とかやってる人間の台詞じゃねぇだろそれ…」
 「質問は私がしてるんだよ。アンタは答える側さ。どうなんだい、ギン」
 「……」
 思いの外真剣な声で、無駄口を封じる様にぴしゃりとした調子で重ねられて、銀時は鼻白んだ。目を游がせてみる、視界の限りに取り敢えずそう言ったものは見えていない。見えないだけで「居る」のかも知れないものはさておいて、己で「居る」とはっきり断言出来る様なものは、見えない。レイも夜は休んでいるのか姿を見ていない。
 この小さな部屋に居るのは、銀時と、お岩と、眠る土方だけだ。それらの何れも、生きていて肉体のある人間だ。
 銀時には不本意ながら、そう言ったものを「見る」感はあるらしい。それは再三経験して来たし、お岩やレイにも以前のスタンド温泉騒動でそう指摘されている。本職(?)の者が言うのだから、少なくともそれが銀時の妄想の類ではないのは確かなのだろう。
 ただ、正直な所を言うと、出来るだけ見たくはないし、意識したくもないものだ。願わくば見えない方が良い様なものだ。
 なまじ見えるから嫌なのか、見えない筈のものだから嫌なのか。それは解らないが、兎に角銀時はそう言った半透明の類とは距離を置きたいと常々思っている。
 「…………居る、ってのは、…多分。居る、んじゃねェか、なー……とは……、思わない、でも、ない……かも知れねェかなー…、って…」
 かなり濁した銀時の物言いに、お岩は呆れた様に溜息をついてみせた。
 「随分と往生際が悪いねェ。それはそれで折り合いをつけちまった方が、怖がるよりも楽だろうに」
 「こ、ここここ怖がってなんざねェから。ただ、スタンド的な半透明なものを許容するのも難しいとか、そう言う意識があってなかなか、ってだけだからね」
 言いながら引き攣った口元を人差し指で掻いて、銀時はお岩の呆れ顔から視線を彷徨わせた。何と言われようがこればかりは変え難い。形のない不確かなものを怖がると言うのは本能的に仕方のない事だと思う。幽霊ではなくスタンドと敢えて言い代えているのも、その方がまだ安心出来るからだ。
 「つーかそんな事より、」
 「余計な口を挟むんじゃないよ。それで、居ると信じているのかい?」
 言い募ろうとした所で重ねられた問いに、銀時は寸時、適切な言葉を探してみたが、「多分」以上の言葉を紡ごうとすると、それは是と言うも否と言うも躊躇われる様な答えにしかなりそうもなかった。そうと断言出来る程に言い表せる言葉も感覚も、荒唐無稽か曖昧模糊。恐らくそれは、世界の何処を探してもそれに対する明確な答えが無いからなのだろう。
 「………スタンドに関しては。…カミサマってやつは──、解らねェけど、少なくとも…、そう、としか思えない様な、超常的?スーパーナチュラル的?な…、ものや、現象は………、ある、のかも知れねェ、とは」
 自分で言いながらも、混沌とした言い種であるとは思った。だが、それ以上に上手く言えそうもないし、かと言って断言する訳にもいかない。
 人智を越えた現象は世界に起こり得る。それだけは確かだ。ただ、それが人為以外の、何者の仕業に因って引き起こされているとか、何かの気紛れに因って与えられるとか、そう言った明確な答えや方向性は無い。筈だ。
 それは、よく宗教的な救済や崇拝の意味で使われる『神様』と言うものではない。銀時はそう言ったものを信じてはいない。だから、単に人の知恵の外、人の支配出来る現象の埒外で何故か現出する事のある現象だけを、信じてはいないが認めてはいる。
 「……まぁ、そうだね。私も大体同じ意見だよ」
 銀時の遠回しに過ぎる答えに、然し意外にもお岩は好意的な表情で頷いてみせた。それからゆっくりと見遣る、死んだ様に静かに眠っている土方の姿を捉えるその目には、それよりももっと複雑な──憐れみに近いが、もっと別種の譬えの要りそうな感情が宿っている様に見えて、銀時は酷く落ち着かない心地を味わう。
 「実はね。私はこんな稼業をやっちゃいるけれど、明確にスタンドってものが『何』なのか──『誰』なのかは解っちゃいないんだよ」
 物憂げな口調でそんな事を言い出したお岩に、銀時は暫し呆気に取られた。仮にもスタンド温泉などをやっている者の台詞とは思えない、と言う先頃のツッコミが再び浮かぶが、問いを何か浮かべるより先に、言葉が続く。
 「例えばだよ。ここには家康公のスタンドが保養に来るけどね、じゃあ東照の宮で祀られている大権現様は一体『何』だって事になるだろ?温泉に浸かりに来る様なスタンドが、仮にもカミサマの座に居る様なものと同一だなんて、おかしな話だと思わないかい?」
 「………」
 言われて銀時の脳裏に浮かんだのは、かの三英傑や金柑頭や宣教師のスタンドであった。ブリーフなど穿いて歩き回っていたあいつらである。
 家康公に関してはそれらより少しばかり威厳はあった気がするが、それでも矢張り、カミサマになった存在と言うよりも、ただのスタンドの一人と言う感じでしかなかった。
 「幽霊、特に死後時間が経って、直接に生前の彼らを知る者も途絶えると、もうそれは伝承のレベルになるんだよ。とっくに当人は成仏しているのに、創り上げられた伝承の形になって、顕れて遺る。それが当人の幽霊なのか、そうでないのかは問題じゃない。それ自身が、そう言う意味のある形になっているだけで、それが昨年までと同じ幽霊(ひと)であるのかも、誰にも解りやしない」
 「………じゃあ、あの家康とか信長ってのは、戦国時代に生きて来た当事者じゃ無ぇって事で?しかも、毎年違うやつがその家康とか信長ってのを名乗ってるって事か?」
 お岩の言葉を幾度か咀嚼して、銀時は呻いた。何だか話がややこしい事になって来た気がする。土方を助ける為になる様なものだと思っていたのだが、思わぬディープな話になっているのではないか。
 そんな予感もあって相槌は控えめになったのだが、お岩は深々と頷くと、何とも形容し難い笑みを口端に乗せてそっと息を吐いた。それこそ憐れみの様だった。
 ──否。憐れむものをこそ好意的に受け止める、一種の諦めや停滞を感じる様な。
 「此岸に強い念を抱えてしがみつこうとしない限り、人は成仏するものなんだよ。寧ろそうさせる為にこの宿はあるんだ。幾ら戦国時代の英雄だろうが、いつまでも現世に居座り続けていたら、それは摂理に反する事でしかない」
 成程と銀時は頷く。確かに、成仏する為にこの宿に訪れる者らが、毎年通う様な事になって仕舞ったら、それは成仏でも何でもなくなる。
 つまりお岩の言葉を借りれば、毎年来ると言うあの三英傑やら歴史上の偉人やらは、現世に遺る伝承などから形作られた存在であると言う事だ。誰かが、或いは何かが、そう言う形を取ってここに顕れ、そして成仏していく。
 (毎年、大河で違う役者が同じ人物を演じてる様なもんか…?)
 混乱しては来ていたが、銀時は自分なりの納得を取り敢えずそこに置く事にした。間違っているかも知れないが、自分なりの解釈と言う奴だ。わざわざ問いを挟んで混ぜっ返す気にはなれない。
 「仮に成仏しないとしてもね、途絶えない連続性を一つの自我が何百年も保って来ていたら、それはもう人ではないものだよ」
 「………」
 そこに放たれた言葉に、銀時の脳裏を咄嗟に過ぎったのは師の後ろ姿であった。或いは、師によく似たものの。
 永劫に「その人」で在り続ける苦痛。人の分を越えた存在でさえもその現実を前にいつしか澱まずに居られなかったのだ。人の意識であれば、きっとそれはもっと容易く崩れるものだろう。
 仮に三英傑が成仏せずにずっと此岸に留まり続けていたら、そのスタンドはとっくに何か違うものになっている。それも、お岩のニュアンスを聴く限りでは、余り良い方向性ではないのだろうが。
 レイがまだ生前の彼女の侭に留まっていられるのは、そんなに年月が経過していないからだ。恐らくだが、彼女はお岩が人生を終える時に共に成仏するのではないかと、そんな気がする。
 「此岸を越えた時点でそれは人の理の外の存在になる。この温泉に来る様なスタンドは、未だ此岸に、人である事にしがみつきたい、そんな未練を抱えている。だからお客様は恰も生前の様に人である事を模倣して振る舞い、満足したら成仏していく」
 それが流れなんだよ、と続けたお岩に、再び成程と頷きかけて、不意に我に返った銀時は声を荒らげた。先程から話が、どうも遠回しになっていっている気がする。眠る土方のか細い息遣いが、いつ途切れて仕舞うかも解らない様な状況だと言うのに。
 「〜だから、何か昔話ってのがヒントになるかも知れねェんだろ?!スタンド談義とかそんなのは良いから、本題に入ってくれねェか」
 声は我ながら情けない程に焦燥を隠せもしないものだった。泣き言の様だと思って少々情けなくなるが、今はそんな事を言っていられる時ではない。銀時の得意な──木刀片手に解決出来る様な事では無さそうな以上、手がかりは他人に求めるしかない。
 銀時のそんな焦りを間近に見て、お岩は「せっかちだねぇ」と小さく呟くと、一度かぶりを振った。馬鹿にすると言うより、言い倦ねているだけなのだろうとは銀時とて解るのだが、悠長にも見えるその仕草に不安が嵩む。
 「アンタも自分で言ったろう。カミサマとかそう言うのじゃないよな、って。だから訊いたんだよ。信じているのかって。そうしたらアンタは、そう言う人智の外の現象は在ると、そう言ったろ」
 本当に、善でもなく悪でもなく、ただの『カミサマ』としか言い様のない現象が、土方を喰おうとしてる張本人だと。そう言う事になるのだろうか。
 そこで銀時は、今までの話を反芻した。
 この辺りは霊山と呼ばれ信仰のある地だった。だからスタンドの有象無象が集まる。
 遠い昔の偉人の模倣をするスタンドが居る様に、善悪のどちらでもない、カミサマを標榜して仕舞うスタンドも居ると。そう言う事なのだろうか。
 「……………いや、そんな『カミサマ』が──信仰の果てに伝承として遺る様なものが、人を喰おうとするのか?」
 仮にも祀られてきたものが土台(ベース)にあるのだとすれば、そんな祟り神の様な縁起の悪いものが果たして遺るのだろうか。各地の土着の伝承の例を思えば、そう言ったものを調伏したものこそ祀られて然るべき存在の筈だ。
 「だから、昔話なのさ。人を望んで喰う様なもの、喰わせる様なもの。今の時代にはとてもじゃないが残されちゃいないが、昔は当たり前の様にそうされて来た」
 「………供物」
 ぼやりとした意識の侭に言葉にして、眩暈がした。銀時は咄嗟に、眠る土方の顔を見る。
 雪の中をふらふらと何かに惹かれ歩いていた土方の様子。飾る様に髪に挿されていた椿。
 「人身御供の風習があったそうだよ。私の時代にはもう無くなっていたけれど。山に宿ると信じられていたカミサマの様なものに定期的に人の命を捧げ──響きが良い様に、娶らせる、なんて言い換えていた様だけど、若い男女や子供を捧げていたんだ」
 勿論、カミサマなんてものは居やしない。ただ、そうだと思って繰り返されていた。その伝承の侭に、一種の英雄的な存在として、人の命が捧げられていたのだ。
 「十がこの場で喰われなかった事、連れて行かれようとしていた事。それらを合わせてみれば、恐らく十を喰おうとしているものは、十の事を供物として喰らうと言う習慣(ルール)に縛られている。
 だから、山の何処かに居る『それ』に、十の代わりの供物を捧げるか、或いは──」
 それは多分、幽霊に纏わる人間としては比較的に控えめな言い方であった事は、多分に間違いはないのだろう。銀時はお岩の言葉にゆっくりと頷くと、硝子の窓越しに、聳えるているのだろう、雪深い山を見上げた。





ブリーフ3ほか著名スタンドの皆様は勝手に解釈。

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