ナグルファルに捧ぐ花 / 16 江戸に平和が訪れてから向こう、真選組の役割は大幅に減った──かと言えばそんな事もなく。寧ろ逆に『治安維持を担う』警察組織の一つとして、今までの場当たり的な過激な討ち入りではない統制された作戦行動や、他部署との連携及び協力態勢など、一組織では余り縁の無かった様な行動を要される様になり、結果的に新たな訓練や指導要綱が増えた。 何でも、治安維持と言う名目に護られて武力を保持する組織とは、巷間平和になると煙たがられるものなのだそうだ。その為、出来るだけ市民に、真選組が『安全な』組織であると思わせなければならない。今までの様に悪評をこそ畏れの代名詞と出来た頃とは状況が変わったと言う訳だ。 もう既に組の評判なんて下の下だろうと土方は馴染みの警察庁長官にそう皮肉げに投げはしたが、そこをなんとかして、せめて下の中の下ぐらいにはしろと返された。 平和の逆風を前に軍縮となったら、護るものも護れない。いざと言う時に抜く事の出来ない刀など何の役にも立たない。 平和と言う病が蔓延すれば、人はそれに麻痺して行く。痛みに鈍感になり、当たり前の様に与えられる篤きを尊ばなくなって行く。そうして停滞した道徳観念の欠如からは犯罪が生まれる。そうなった時の為に、護る為振るえる刃も正義感も義務感も途絶えさせてはならないのだ。 そんな訳で土方としては警察庁長官の松平の言う事に異を唱える理由は無かったのである。古きものに縛られるばかりの組織にも、時には風が通る事ぐらいは必要だ。 一年ほど前の事だった。そう言った目的で大幅な隊士の増員があった。隊士と言っても現場で実働する者よりも、後方支援や事務方に務める者がその殆どを占めていた。 一応入隊試験…と言うか基準で剣術の段位の有無や実技試験は設けているものの、そこに拘っているばかりではいつまで経っても人員など増やせない、と言う進言もあり、その時の新規入隊者たちにはそう言った、武術の心得だの、実戦的なものは一切求めない事にした。 どうせ現場に出ないのだから関係無いだろう。土方は渋々とそう思う事にしたし、近藤や他の幹部たちも概ね同じ所だった。 そうして、訓練や任務を幾つか経て、後方支援も事務処理も段々とまともな形になって来ていた。 その内管理職も本格的に置こうと、そう土方が思ったのは丁度そんな頃だった。何分今は副長が事務方及び後方部隊取締の管轄を兼任している状態だ。現場で体が二つある訳ではないので、前線に後方にと情報が前後に揺さぶられるのだ。堪ったものではない。 後方支援部隊の人員たちは、電子機器なども駆使する業務の性質上か、若者が多かった。あの酷い戦いを学生や市民として見上げながら何とか生存を果たした彼らは、漸く訪れた平和の尊さと、真選組がそれを牽引し護る任務にある事とを誇りに思っている様だった。 ──彼らの死に顔を、土方は今も憶えている。 * 先頭車両の鳴らすクラクションの音が響く。 雨の降りしきる中、尾を引いて途切れた音に続けて、幾つもの棺が火葬場へと運ばれていくのを土方は、船出か何かの様だと思って見ていた。 正装で、居並んでそれを見送る真選組の姿を、人垣の中に見え隠れするカメラは、報道は、人々は、果たしてどう捉えたのであろうか。 冷たい様だが、土方には、そこに並ぶ者らの裡には、一種の慣れに似た感情があった。 但しそれは、悲しみを感じない、死を悼まないと言う酷薄さを宿したものではなく、どう受け流せば、どこで泣けば、誰に嘆けば、どこへ収めれば良いのかを知った者ら特有の鈍化だ。 麻痺ではない。麻痺するには至らない、慚愧の念をどう抱えれば少し楽になるのかを、積層された死と言う事象の中に見出して仕舞っただけだ。 事を為した建前が何であったのかなど知らない。ただ、誰かのエゴの唱えた思想が、正義が、後方支援部隊の作戦車輌に爆発物を仕掛けると言う暴挙を行わせた。そしてその結果が花を捧げられた棺の群れと言う訳だ。 前線では斬り合い、後方では爆発。若い組織であれば直ぐ様に混乱を来しかねない状況であったが、そこは矢張り死線をかいくぐってこの平和に漕ぎ着けた、真選組だ。冷静に、或いは冷淡に、目の前の脅威を斬り伏せてから、燃え盛る背後を振り返った。 横倒しになった車輌を包む炎と黒煙とが、そこに何があったのかを、そこで何が潰えたのかを、物語っていた。 痛ましきテロの犠牲者。 国の為に尽くした英雄。 きっとそんな風に称されるのだろう彼らは、現場でただ冷静に的確に動いた真選組への批難や不審と言った、人々や遺族の感情を糧に荼毘に付される。 若い者らの死を装飾し、その嘆きや無念を代弁する声に、怒りや反発を覚える隊士たちは多かった。彼らの最期も、最初も知らない癖にと口々に憤った。 だが、ここでそれに向かい立つのは悪手。行動でついた悪評は行動で返すしかない。土方は組の為に、彼らの死を真の意味で無駄にしない為にと言って、日々奔走し続けた。 謝罪。賠償。釈明。対策。カレンダーを予定で真っ黒にしながら日々を過ごしていく内、年末年始を越える頃には漸く色々な事が片付いて、落ち着いて来た。世間の目や興味も既に薄れて静かなものであったが、土方は未だまともに決まらぬ、犠牲者たちの後任となる部隊の青写真を慎重に扱っていた。 (再発防止の為には、後方詰めだからと言って前線と指揮系統を分割していたら駄目だ。どちらも同じ様に警戒し、機材の整備を個々でこなせる様教育して──) 組織をより良いものに護る為。江戸を正しく護る為。それが成せるのならば、仕事の一つや二つ喜んで増やそう。それで済むのであれば安いものだ。 今が峠だ、が踏ん張り所での土方の信念である事を良く解していた地味な監察の部下は、そんな上司の背中に露骨に溜息をついてはいたが、それが心配を由来としたものであると言う事ぐらい、土方にも解っている。 そんな時に、すっかりと己が身の内の存在となっていた、万事屋稼業の男が訪れたのだ。 * (……少し、遠ざかりたかった、ってのは多分、ある。嫌になったとかじゃなく、ただ──疲れたかな、って思ってた時に、言われたのは間違いねぇ) 仰向けに転がって、見上げた薄暗い天井に向けてそう吐きこぼす。肚の底で重たい感情がもたれたのか少しばかり息苦しい様な錯覚を覚えている。 この息苦しさの追って来ない所まで行きたかった。連れていって貰いたかった。 だから、バイトだろうが、本当にただの休みだろうが、そんな事はどちらでも良くなった。ここに至るまでの土方の経緯や葛藤を知っている者の居ない、忌憚なく言葉を交わせる男と過ごせる事が出来れば良いと、ただそう思って、銀時の仕事を手伝う事にしたのだ。 よもや、幽霊温泉旅館での業務だとは流石に想像もしていなかったが。 (まあ、真選組での仕事以外の事に向き合えるってのは、気晴らしと思や、丁度良いのかも知れねェが…) 流石に、何ヶ月も延々一つの後悔を引き摺っていられる程に優雅な生活は送っていないので、夜も眠れないなどと言う繊細な事はないのだが、それでも気鬱が幾分かでも晴れると言うのは快い。況してやそれが、好意的に思う人間と過ごせる時間であると言うのならば尚更だろう。 「………それが、一体何の因果か何だか、こんな訳のわからん事態になってるって…?」 天井を見つめた侭、手だけで首元を探れば、荒縄の様なものは相変わらずがっちりと首に巻き付いていた。軽く引っ張ると、梁に通された部分がゆらゆらと揺れる。 取り敢えずこの訳の解らない事態に、土方が今この場で出来る事など、恐らくだが、ほぼ無い。と言うのも、このお堂の様な場所が、今の己の意識が、果たして正しい現実に居るのかどうかの判断すらつかない状況だからだ。 ひやりと寒さは感じると言うのに、それ以外の感覚は何だか遠い。時間の感覚も曖昧で、そもそもにして部屋で寝ていた筈がどうやってこんな見た事もない場所に来たのかの記憶すらない。 そうなると、いっそこれはスタンドの仕業で起きている夢か何かなのではないかと考えた方が、なんとなくマシな気さえする。 そう腹を括って仕舞えば、後は成り行きだか何だかに任せるしかない。そう結論に着地した土方に今出来る事はと言えば、ここに姿の見えない銀時に向けて愚痴でもこぼすか、後は精々、思い当たりのありそうな事や懸念を浮かべてみる事ぐらいしか出来ないのである。 (あの、レイって女にチャンネルだか何だかを開かれた時──) 「……」 思い起こしかけた所で背筋がぞわりと冷えて粟立ち、土方は勢いよく背を起こした。両の腕をさすりながら、しんと冷えて静かなお堂の様な建物の中を落ち着かなげに見回す。 最後に、少し恐る恐る見たのは、先頃うねうねと入って来た黒い影の様な手、そして覗き込む眼の浮かんでいた、扉だった。 あの不気味な存在を目の当たりにしたのは先頃ので三度目だ。ただ、黒い影の様な姿、と言う事以外に共通点がないから、見た三度全てが同じものなのか、それとも違うのか、土方には判別のつけようがない。 一度目は、レイにチャンネルを開かれて『見える』様にされた時。世界が波打つ様な感覚に翻弄されてすぐ、レイの遙か後方に、見上げる程に背の高い黒い影が佇んでいるのが『見え』た。ただ廊下を歩いている様に見えたそれは、土方の視線に気付いた様にくるりと振り返って── (……やめよう、思いだしたくもねェ) 再び鳥肌が背筋を駆け上るのを感じて土方はかぶりを振った。不定形な黒い影の中に在った眼が合ったと思ったその時、幸運にと言うべきか、気絶出来た。 『見える』様になって一番最初に見るものとしては少々刺激が強すぎたと言わざるを得ない。後から思い起こすだけでも、あれがそこいらのスタンドとは訳の違う存在だと言うのは、素人の土方にでも何となく解る。 そして二度目は、浴室掃除の時。言語ではないもので語りかけられた。ただ、言語でも文字でもないのに、何故かそう『言っ』ているのだとは解った。 「…………」 今一度、土方は辺りを見回した。だが、視界のどこにも、薄く小さなものたちの姿はない。あれから連日土方のすぐ後ろをついて回っていたものたちは。 (……あの、黒い奴は『言っ』た。あいつらは、俺に付いて江戸から来た、と) 成仏に至れず欠けた小さなものたち。 土方の後をついて回って、何も思わず望まずにただ辺りをふらふらとしているだけのものたち。 部屋の隅の暗がりでじっとしているその姿に、畏れと不気味さを憶え、そして教えられてからは憐れみを抱いた。 恐らくはそれすら無駄な感傷であるのだとは思う。だが、そうせずにはいられなくて、声をかけた。 「…こんな偶然が、ある訳はねェだろう」 結びつけるのは愚かではないと思う。寧ろ、そうだと仮定した方が筋は通る。銀時の背にはこんなものたちはついて回っていなかった。死霊を影に引き連れて歩くのは、矢張り死の匂いを未だ漂わせている自分だった。 死に顔を憶えているから。無念を問いかける空虚な骸たちを見たから。だから。 せめて、あの小さなものたちが消えて仕舞うまで見送るのが、出来る限り最期を見届けるのが、自分のせめてもの務めなのかも知れないと、土方はそう思ったのだ。 せつめいパート。 ← : → |