ナグルファルに捧ぐ花 / 3 「てめぇにしちゃ珍しい事を言い出すかと思えば、やっぱり何かしら裏があったって訳だ」 お岩に従業員用の制服を投げつける様にして持たされ、部屋を追い出された所で、盛大な溜息と共に土方はやれやれと言った様子で吐き棄てた。 裏、と言う訳ではないが、一応そう嫌味っぽく言われるに値する思い当たりのあった銀時は、後ろ頭を掻きながら決まりの悪さに思わず目を游がせた。土方の職業柄、と言う訳ではないと思うが、威圧的に見つめられると──睨み付けられると言った方が良いか──どうにも居心地が悪くなっていけない。 「…だから、それに関しちゃ悪ィって…。なんつーか、情けねぇっつーか、格好つかねぇだろ。家賃未払いの形にバイトとか」 「…………てめぇが格好悪いのなんざ今に始まった事でもねぇと思うが。変な見栄張るのなんざ余計にだせェわ」 土方は数秒の間何やら眉間に深い皺を刻んだ侭押し黙り、それからやがて諦めを見た様な調子でそう言うと、客室に続く廊下へと足を向けた。部屋だけは客室の一つを使う様にと言われたので、そこに取り敢えず荷物を置きに向かうのである。 何しろここはスタンド温泉旅館な訳で、従業員の寝泊まりする専用の部屋などある訳がない。半透明ではない『人間』の従業員は普通の部屋で普通に布団を敷いて寝る事になっている。 それにしても相も変わらずぼろぼろの旅館である。床板は二人が歩く度にぎぃぎぃと厭な音を立てて軋み、そこかしこに蜘蛛が巣を作っている。この風景には流石に土方も顔を顰めたが、特に何も言葉にはしなかった。そう言うものだとでも思ったのかも知れない。何しろ変な所が潔い男だ。これから働く職場に難癖をつけても仕様が無いとでも考えたのだろう。多分。 「──、」 ぼろぼろの床に穴の空いた障子。薄暗い廊下。不気味に響く家鳴り。スタンド温泉でなくともお化けの出そうな風情である。思って頭を巡らせた銀時は、そこをふらふらと漂っていた幽霊もといスタンドと目を合わせて仕舞い、思わず無言で仰け反った。 「…あ。どうも」 何となく挨拶をして仕舞うと、あちらさんも無言で会釈を返して来た。そんなに悪い幽霊(ひと)では無いのかも知れない。と言うか客だ。 よくよく見回してみれば、宿の至る所から幽霊の気配がしている。実体が無いのに気配と言うのも全く妙な話だとは思うが、そう言うものなのだから仕方がない。部屋の中では、それこそUNOでも盛り上がっているのか、賑やかな声が漏れ聞こえて来ていた。 解ってはいたが矢張り強烈な場所である。余りそう言った、半透明の類の得意ではない銀時としては、もう二度と近づきたくはない場所の一つだった筈なのだが。 (背に腹…、いや、泣き面に蜂…) げっそりと肩を落として歩く銀時を、数歩先で立ち止まった土方が振り返った。訝しげな顔をして、唸る様に言う。 「何で仕事前からそんなに疲れてんだよ。バイトってのはてめぇで呑んだ話だろうが、腹ァ括れ」 バイトに来たのは銀時の方だった筈だと言うのに、土方の方がすっかりとやる気を出していると言うのはどうした事だろうか。「ンな事ァ言ってもよ…、」ぼやきかけた所で、銀時はふと気付いた。 (……アレ?確かこいつ、幽霊とか苦手だったんじゃね…?) 本人から直接そうと聞いた訳ではないので確かな事とは言えないのだが、少なくとも銀時はそうなのではないかと思っている。 以前蚊の天人が真選組の屯所に現れて騒動を起こした事があったのだが、その時、如何にも怖くない様に振る舞ったりして怖いのを必死で誤魔化すと言う、ベタな反応をしていた気がしてならなかったのだ。銀時自身似た様な事をしていただけに、余計にその確信は深い。 然し目前で眉を寄せて銀時の様子を見ている土方からはそう言った雰囲気は微塵も感じられなかった。それどころか、真横を幽霊が通り抜けてもそちらを見すらしない。銀時の方はと言えば、幽霊の動きをいちいち気にせずにはいられないと言うのに。 この温度差には憶えがある。以前──と言うか初めてここに新八、神楽、お妙とやって来た時だ。幽霊を見ては動揺して挙動不審になっていた銀時や新八とは裏腹に、神楽とお妙には全く動揺一つ無かった。 ──これはもしかして。 「……アレ…、あのさ…、おめーひょっとして、見えてねぇやつ…?」 おずおずと銀時がそう問えば、土方はきょとんとした表情をその顔に作った。 「何の話だ?」 「…………」 間違い無い。確信した銀時は思わず壁に向かって項垂れた。見えていないと言うのに苦手と言うのはどう言う事なのか。否、或いは、見えないからこそ苦手なのかも知れないが。 (見えてねぇってのはそれはそれでうらやま…イヤイヤ、結構な事だとは思うが……ってそうじゃねぇ、それじゃそもそも仕事にならねェんじゃねぇのか…?) 何しろスタンド温泉なのだ。見えないとなると、接客の類、挨拶や応対は不可能だ。然し、かと言って土方に、お前はここで働くのは無理だ、と言った所で納得は難しいだろう。何しろ『見えない』のだ。 おまけに、銀時がバイトをしている間自分だけ休むと言うのが気にいらないのか、自分も働くと言い出したのだ。土方の負けず嫌いスイッチが入っている以上、丸め込むのも困難に過ぎる。 どう説明すれば良いのか。銀時が頭を抱えたその時、項垂れ見つめていた目の前の壁から、にゅっと見覚えのある気のする顔が生えて来た。 『久しぶりだね、ギン』 「ぎゃあああああああ!!」 長い黒髪の狭間から除く感情の無い眼に見つめられて、銀時は思わず仰け反って絶叫していた。その動きで生じた隙間から、その幽霊はにゅるんと出て来たかと思えば廊下にひょいと立った。尤も、足は無いから浮いて見えるのだが。 目深に伸びた黒髪。白装束。如何にも幽霊ですと言いたげな天冠。確かに見覚えのあるその姿に、銀時は口をぱくぱくと上下させた。驚きやら何やらでなかなか声が出て来ない。 「れ…、レイか。久しぶりじゃねーか…」 『アンタは相変わらずみたいだね。また借金の形に売られたんだって?』 何とか喉奥から言葉を搾り出した銀時が、恥ずかしいリアクションをして仕舞った事実に蓋をしようと、態とらしく咳払いをしているのを見て、レイは余り表情の変わらない顔で、然し少し笑っている様だった。 「借金じゃねーよ、家賃な」 『払っていないんならどっちも同じじゃないの』 幽霊とは言え、半透明とは言え、一応は見覚えのある顔に気安く言われた事で、銀時は何とか落ち着きを取り戻す事が出来た。そこでレイは相変わらずきょとんとしている土方の方を見る。 『こちらは初めましてだね。アンタはわざわざバイトに来たって感じじゃないけど…』 「イヤイヤ、一応ツレと保養に温泉に来たっつー設定だからね。バイトは飽く迄ついでっつー扱いだから」 こほんと再び咳払いをしつつそう訂正する銀時に、土方はむっとした様に嘆息した。 「誰が何のツレだって?」 「えっ違うの」 どさくさに紛れて余計な事を口走って仕舞った。思った銀時は口に手を当てるが、土方の様子はそこまで怒っていると言う雰囲気でもない。どちらかと言えば、レイの事を気にしている様である。 「……まぁ違わねぇでもないか。連れ立って来たって意味ではだが」 渋々と言った調子でそうは言う土方だが、矢張り初対面の他人であるレイがそんな話を聞かされどう思うのかと言う事を気にしているのだろう。歯切れが悪い。 「…で、知り合いか」 「知り合いつーか、あの女将の家族っつーか、まぁ従業員の大先輩とでも……、って」 言いかけた所で銀時は、土方と、レイとを交互に見遣った。土方は今確かに「知り合いか」と訊いた。つまりは。 「………アレ??見えてんの?何で?」 レイは確かに半透明だ。半透明でなくとも白装束と天冠と足のない佇まいから、彼女を見て『幽霊』と言う言葉を連想しない者はないだろう。そのぐらいに目に見えて明らかな、あからさまな、『幽霊』の姿形だ。 するとレイは銀時の疑問を直ぐに察したのか、事も無げに頷いた。 『あぁ。私はちょっと解像度を上げてるんだよ。一応従業員だしね、人間のお客も時々迷い込んで来るから、その方が不便が無いのさ』 「解像度って何?!そんな簡単に出たり消えたりすんのスタンドって!」 『少し力のある幽…、スタンドなら誰だって出来る事さ。ホラ昔よく心霊写真とかあったろ』 「具体的な例え話はやめろォォ!」 写真に写るアレやソレが幽霊の側の意志に因るものだったなど、怖ろしくて考えたくもない。思わず耳を塞いだ銀時は、訳が解らないと言った様子でいる土方をちらりと見た。それからレイの方を向いて小声で、どうやら土方が『見えない』側の人間らしいと説明する。 『成程。見えない方の人だったか。そう言う人の場合は、私らが現世の解像度を上げると、補正されてちゃんとはっきりと見えちまうって事がよくあるらしいんだよねェ』 言ったレイの人差し指が土方に向けられる。実体が無いから透けて仕舞うそれを、然し土方は少し仰け反って避けた。そうしてから、何やら自分が議題にされていると気付いたのか、顔を顰めて銀時を睨む様に見る。 「お前らさっきから、見えるだの見えねぇだの一体何なんだ」 除け者にされていると感じたのだろう、むっとした顔は露骨に土方の不機嫌さを表してはいたが、銀時はレイと寸時顔を見合わせた。正直に言うべきなのだが、言ってはいけない様な、そんな微妙に悩ましい感覚であった。 「えーと…なんつーか、その、」 『「幽霊(スタンド)」』 躊躇いながらも紡いだ銀時の言葉と、レイの呟きとは綺麗に唱和し土方の耳に届いた筈であった。然し土方は「はぁ?」とますます眉を寄せて仕舞う。 「いや、何言ってんだてめーら」 呆れすら混じった顔に見つめられて苦笑いするほか無い銀時の横で、レイの姿がふっと消えた。 「…へ?」 そして、思わず呆気に取られる土方の前に、今度は天井からレイの姿が逆さまにゅっと現れる。 『簡単に言うとこう言う存在さ』 「ぎゃあああああああ!!」 先頃の銀時と全く同じ悲鳴を上げた土方が、壁際まで後ずさる。その表情筋は盛大に引き攣って、顔色は青冷めて白い。 「な、なん、な、ん、なん、」 ぱくぱくと口を上下させた土方は、逆さまのレイの体が元の位置へと戻ってから、待て、と言う様に片手を突き出してかぶりを振った。解り易い拒絶のポーズだなと銀時はぼんやりとそんな事を思いながら、取り敢えず黙って見守る事にした。と言うかフォローのしようなどない。 土方の様子はと言えば、目に見えて動揺も露わに、挙動不審そのものである。目の前で確かに幽霊としか定義しようのないものを見て仕舞ったと言う現実と、それをどう受け入れるか、受け入れないか葛藤しているのか。 「いやいやいや。幽霊とかスタンドとかそんなんいねーから。いねぇから見えねェんだろ。普通の事じゃねェか…」 土方はレイの姿から目を游がせながら、ぶつぶつとそんな事を呻いている。どうやら現実逃避の方が勝ったらしい。 『見えないからいないって論にはならないんだけどねェ…。どうする、ギン。この侭じゃ埒が開かないよ』 「……しゃーねぇ。なぁオイひじ…、じゃねェや、十。訳あってここに宿泊するのは殆どがこのレイみてーなスタンドだからよ、おめーはやっぱ休んで保養に励む方が…、」 肩を落としつつも銀時は、ここに軽い気持ちで土方を連れて来た己を悔いながら、当初のプラン通りに土方を休ませる方向に説得を試みてみる事にした。然しここまで拒否されると、幾ら見えないとは言ってもゆっくりと休む事は難しいかも知れない。 そんな銀時の前に、すっとレイが進み出た。彼女は滑る様な動きで、現実逃避に熱心な土方の前に立つと、 『えい』 と、酷く軽い言葉と共に、その眉間の辺りを指で突いた。 「?!」 どん、とかなり大きな音がした気がした。衝撃が吹き抜けるとか、そう言った感じだ。だが、幾ら幽霊であっても指の一突きだけでそんな衝撃が走る訳がないし、もし本当にそれだけの勢いで突かれたら土方の頭が消し飛んでいる。 「ってぇぇ…!」 思わず目を剥く銀時の目前で、然し土方の頭は消し飛んでも吹き飛んでもいない。そればかりか仰け反ってすらいなかった。だが痛みはあったのか、突かれた辺りを掌で押さえている。 果たして今走った衝撃は何だったと言うのか。 どう言う事だ、と問う様に銀時がレイを見たその時であった。 「……、え」 同じ様に、どう言う事だ、とか、何しやがる、とか、そう言う言葉を紡ごうとしたのだろう、レイの方を見た土方の目が、然しレイの姿より上、そして遙か遠くを見上げて、小さく呻いた。 そして次の瞬間には、土方はばたりと仰向けに倒れていた。 「っお、オイひじか…、じゃなくて十?!どうしたんだ一体!」 慌てて銀時が土方の上体を抱き起こして叫ぶが、完全に気絶しているらしくぐにゃりと脱力した手応えが返って来るのみだ。 銀時は思わずレイの方を──否、それより少し上、遙か遠くを見た。然しそこには何もない。土方が確かに凝視していた筈の所には何も無かった。 視線を戻せば、レイは少し驚いた様な表情をしていた。相変わらず解り難い顔つきではあったが。 「なぁ、今何かしたよな…?」 恐る恐る問えば、レイはこくりと頷く。 『感の無い人間にも幽霊(私ら)が見える様に、一時的にチャンネルを開いただけなんだけどねェ…。ひょっとしたら素質でもあったのかね、三十六層ぐらいまで軽く『見透し』ちゃってたみたい。私ら普通の幽霊じゃ見えない様な存在(モノ)を見たんでしょうね』 「三十六って何が三十六!?見えない存在って何?!そんな常識ですみたいに普通の会話で出て来るやつじゃねーだろ絶対!」 『まぁ、ざっくり簡単に、幽霊の解像度のレベルみたいなもんだと思いなさい』 「だからそもそも何が解像度?!三十六レベルもあんの?!いや逆にそれしかねーの?!」 土方を抱えて吼える銀時に、矢張りレイは事も無げな調子を変えない侭言うと、『とにかく』と言葉を切った。 『『見える』のは一時的なものだから安心なさい。働くって言うからそうし易くしただけだから。必要無いってんなら閉じてあげるわよ。その人──十の事はさておいて、アンタはバイトに来たんでしょ。とっとと部屋に荷物と十を置いて来て、仕事しなさい』 じゃないと女将に大目玉を食らうよ、と脅かす様に付け足すと、レイは元来た様に壁をすり抜けて消えていった。 取り残された形になった銀時は、三十六レベルのスタンドだか何だか、一体何を見たのやら、完全に気絶していて当分復活しそうもない土方の顔を見てから溜息をついた。矢張りスタンド温泉など、人生で何度も来たいと思うものではなかったし、来て良いものでもなかったのだ。 土方くんは幽霊見えない人だと思います。 ← : → |