ナグルファルに捧ぐ花 / 7



 朝の厨は目の回る様な忙しさだ。スタンドの厨房係がてきぱきと作る食事を従業員のスタンドたちが手際よく盛りつけて行くのに、盆に敷き詰めたそれを抱えて、宴会場に置いてある膳へと運んでいくのが銀時の仕事である。
 食事はスタンドが作っているだけあって何れも半透明なのだが、それを振る舞われるスタンドの側が、それを在るものと認識していれば『食べる』事が出来るらしい。あちらの世界の理は銀時にはよく解らないし解りたくもないのだが、盆や膳が軽いと言う事だけは重労働の中で一つだけ安心出来る点であった。
 「てっきり、白飯を盛って箸刺して出すんだと思ってたわ」
 『ああ、仏飯の事ね。あれも、ご飯そのものじゃなくて、その空気をお供えしているって言う意味があるらしいわよ。その辺は宗派で色々異なるから最近のスタンドには難しくてねぇ』
 それで、この仙望郷ではスタンドの食事はスタンドが作ると言う方針になったと言う。
 『それにここはお供えものを頂くんじゃなくて、スタンドたちが保養に来るって場所だからね。生前の様な振る舞いを皆好むのさ』
 盆を器用に両手に持ったレイが言うのに、銀時は「へぇ」と曖昧に頷いた。盆に重みは無いが、何故か倒れたり転がったりはするのだ。軽いと思って油断している訳にもいかない。それに、余りスタンド絡みの話に詳しくなりたい訳でもない。
 「それで、東照大権現やらブリーフ3やらまでわざわざあの世からお越しって訳か。どんな偉人も、現世に舞い戻って現を抜かすたァ、酒と肴の魔力ってのは凄まじいもんだな」
 『アンタが言うと妙に説得力があるよ』
 くつくつと笑いながらの、皮肉げなレイの言い種に「け」と銀時はそっぽを向いた。酒に呑まれるのは、酒を楽しめる大人の性の様なものだ。
 そう言えばバイトに励んでから酒は飲んでいない。温泉に浸かりながら酒を楽しむぐらいはしたかったのだが、何分ここにあるのは何もかもが半透明だ。仕事の合間にちびりとやりたくても出来やしない。
 (温泉に二人して浸かって、冷やした日本酒をきゅっとやりてェなぁ…)
 宴会場に並べられた膳に、盆の上に用意された小皿を並べながら思わずぼやく。と言うか、土方まで頑固にバイトを手伝うと言い出さなければ、せめてあいつにだけはそう休ませる事も出来たのになと思って、銀時は空になった盆を顎の下に抱えて嘆息した。
 宴会場には半透明の膳が並んでいる。前回の、東照大権現様とまではいかないが、数えてみる限り宿は盛況の様だ。
 「そう言や、繁忙期は盆や彼岸じゃねェのか?こんな真冬に来るスタンド客様ってのはどう言う客層なんだよ」
 不意にそんな疑問が湧いて、思わず銀時はそう口にしてから、しまったと顔を顰める。スタンドに詳しくなどなりたくないと再三思っているにもかかわらず、余りにもここのスタンドたちが当たり前の様に存在しているから、つい『そう言うもの』である事を忘れて仕舞う。
 『今の時期は、まだあっちに行っていない様な連中が多いわよ。死に立てなのか、成仏出来ていないのかまでは、お客様それぞれの事情があるし、解らないけどね』
 銀時の顰め面には気付かなかったのか、レイは少し真剣な表情でそう言った。彼女もまた現世にとどまるスタンドだ。現世にとどまり続けると言う事がどう言う事なのかは銀時には解らないが、何か思う事があるのかも知れない。
 湿っぽい空気は苦手だ。頭を掻きながら銀時は立ち上がると、空になった盆を全部重ねて積んだ。
 「宴会場の準備は出来たし、戻るか。次は厨房の片付けを手伝わねーと、お岩のババアにまた難癖つけられちまわァ」
 『そうだね。あぁ、そうだギン。十の方はどうしてる?仕事、慣れたかしらね』
 「ん?ああ、」
 言って、時計を探すが見当たらない。まぁ自分たちが仕事をしていた時間を思えば、風呂場の掃除はもう終わる頃だろう。とっくに終わって部屋に戻っている頃かも知れない。
 『女将も、あまりスタンドに触れない仕事を選んでくれてるみたいだけど、やっぱりちょっと心配だからね。『見える』様にした手前はさ』
 レイが少し申し訳なさそうにそう言うのに、銀時はふと、抱えていた疑問を思い出した。歩きながら口を開く。
 「ひじ…、十がよ、初日の夜頃からなんかずっと、カ○ナシみてーなのが居るとかなんとか言ってんだけど」
 『カオ○シって何よ』
 「いやだからジ○リの神隠し的なやつに出て来るなんかこう、…とにかく、そう言うアレみてーなもんらしいんだよ。で、それに始終付きまとわれてるみてーなんだけどよ…、」
 盆を抱えた侭、顔だけでジェスチャーを無理矢理作って説明する銀時に、呆れに似た顔を向けたレイであったが、少し考える様な仕草の後にふっと小さく息を吐いた。溜息だろうか。
 『実はね。昨日十に、『見える』事が心労になっちゃうなら『閉じ』ようかって、申し出たのよ』
 「え」
 レイの言葉に銀時は目を丸くした。それは全くの初耳だった。レイが言わなかったのはともかくとして、土方も銀時に何も言っていない。
 『けれど、大丈夫だ、って断られたわ。最初にスタンドの姿を見て気絶してた人とは思えないぐらい、はっきりとした調子でね。だから、私もそれ以上は何も言わなかったんだけど…』
 「………」
 土方が断ると言う所までは何となく想像がつく。バイトに付き合うと言った手前、『見えなく』なったら仕事にならないと言う懸念もあるのだろう。だが、意固地になっているにしては、余りにはっきりとし過ぎている気がする。
 矢張り、本人曰くのカオナ○の様なものを見て、話しかける様になる様な、何か変化があったと考えた方が良いのだろう。
 『ギン。アンタの言うその、カ○ナシとやらについては、少なくとも私には見えなかった。普通のスタンドはそこまで深い層にはいないって言ったろ。だからもしも十がそれを見てるんだとしたら、それはもっと深い層に居るものよ』
 何となく、空気がひやりと冷えた気がした。錯覚に過ぎない。解っていても、銀時は小さく喉を鳴らす。
 見えなく、理解も出来ないから、対処も出来ない。それは『居ない』のと同義だからだ。
 幾度も思った事だ。土方にとって『居る』ものであっても、銀時にとっては『居ない』。
 土方は銀時には見えない『何か』を見ている。『何か』に話しかけて、笑いかけてまでいる。慕わしさでもなく怯えでもなく、なにかもっと別の感情、或いは感傷でそうしている。
 『チャンネルを開いたのは確かに私だけど、それを見続ける事を選んだのは十の意志と言う事。普通のスタンドを怖れても、それを怖れない事を選んだのも、十の、自分の意志』
 言って、足音なく近づいて来たレイは、銀時の抱えた盆の山から何枚かを、器用に取って自分で持ち直した。幽玄の物質は、同じ幽玄の存在にも、重みを感じさせないらしい。
 「……じゃあ、その、深い場所?レベル三十六とか、そんな所に居るってのは、一体何なんだ?」
 銀時はともすれば湧き起こりそうな不穏な気配を保った激情を、拳の中へとそっと握り込んだ。
 『…………見当は、つくんだけどね』
 短くそうとだけ返すと、レイは足のない体で廊下を再び進み出した。立ち尽くして仕舞った銀時の横を通り抜けて行く。
 (……なんだ、それ)
 振り向く。呻いた筈の声は喉奥に引っかかって出て行かない。遠くなるそれが、遠く感じて仕舞うそれが、何故か酷くこわいと感じられると言うのに。それが上手く、形にならない。
 見えないそれを、解る、と言うものと。見えないそれを、解る事の出来ないもどかしさ。
 『本来はね』
 不意にそう言って、少し先でレイが立ち止まった。
 『幽霊なんてもんは、現世にはそう長くとどまれる様なものじゃないんだよ』
 だから。
 そう紡いだ言葉の先は、然し続かなかった。
 大丈夫。見逃せ。赦してやれ。気にするな。──きっとそう言う類の言葉が続いたのだろう、そんな感覚だけが、銀時の胸を何故か酷く悪くした。







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