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  カラの水槽 / 6



 「邪魔するぞ」
 近藤は仕草以外に挨拶も無くそう言い置いて、山崎はただ軽く頭を下げるのみで、銀時の億劫な仕草に促された二人は万事屋の中へと入って来た。茶筒を持った侭廊下に出て来ていた新八は彼らを見送ってから冗談めかした口調で、
 「お茶の用意をし始めた所で良かったですよ」
 そう言ってから水場に戻って行った。
 さて、茶葉の在庫は足りてただろうか。銀時は溜息未満の息を吐くと黒い二人の背中を追って居間へと戻り、相変わらず酢昆布を囓っている神楽の横へと座るとテレビを消した。特に促されずとも近藤と山崎はその向かいに腰を下ろす。そうして望まぬ客人たちと向かい合えば、なんだか先にも同じ様な事があった気がすると思えて来てうんざりとして来るが、取り敢えず先に口を開く事にした。
 「で、方策は固まったの」
 「それなんだがな、万事屋…、」
 (……あーその言い辛そうな感じやめてくんないかな)
 難しげな面持ちで切り出そうとする近藤の表情から、状況が己と真選組の望んだ方向性には行かないのだろう事を瞬時に察した銀時は、不快を示して目は細めたものの黙って続きを待つ事にした。
 「結論から言いますと、副長の血中からはウィルスやナノマシンと言った類のものは発見出来ませんでした。その他の健康診断も頗る良好。一言で言うと、『何も異常は無い』と言う事です」
 「警察(ウチ)の緊急依頼って名目で感染症研究所に持ち込んだんだ、ケツ叩いて急がせはしたがその検査結果に信頼性はある」
 山崎の言葉を補う様に、近藤。警察の権力を全力で駆使して調査させられたとは言え、研究所側に嘘の報告を寄越すメリットなど無いのだから、土方の身が医学的、科学的見地から言って『健康』だと言う事に間違いはないのだろう。
 そこまでの理解を示して銀時が頷いた時、新八が茶を持って戻って来た。迷惑な来客分の茶まで盆の上には用意されている。サイズもデザインも不揃いな湯飲みが全員の前に行き渡ると、新八は盆を抱えた侭卓の隅っこに正座した。
 湯飲みに真っ先に手を伸ばした神楽がずず、と音を立てて茶を啜るのに促された様に、山崎も一口だけ茶を口に含んだ。舌の滑りを良くしたかったのだろう、味わう間も無しに湯飲みを卓へと戻すと、話を続ける。
 「ちょっと整理しますね。通常人体の発熱とは、体内の免疫の正常な働きに因るものです。つまり『健康』である副長が発熱しているのは、例えば風邪や流行病に対する免疫反応では無いと言う事なんでしょう。
 あと、発熱を本人が認知した日の内に、解熱剤の類は無理矢理言いくるめて服用して貰いましたが、見ての通りその効果も出ていません」
 やや身を乗り出して言う山崎の神妙な顔と、横の近藤の厳めしい顔とを軽く見比べて銀時は肩を竦めて見せた。わざわざ解り易く纏めて貰っても、一体どう反応すれば良いのやら解らない。
 「高熱の理由は一切解らない。けど、水に入ってると楽そうだ、と?」
 「はい。熱中症の症状に少し似てると言えますが、あちらは血中の温度が低下すれば自然と体温も低下するんですが…、まあこれも見ての通りで」
 「幾分楽そうでも熱が下がる気配は無し、と」
 いちいち納得を示す相槌を打ってやれば、山崎はまるで同意を得られた子供か何かの様に急いた様子で頷いた。
 「副長は屯所に居た間も水だけは度々欲していました。けど汗ひとつかいていないので水ばかり飲ませるのは危険だと言う見方もありまして。それでも全身に水を被せたり水風呂に放り込むなんて事はしていなかったので、その効果の程はさっき初めて明かになった訳ですが、」
 そこで山崎は言葉を一旦切ると、ちらりと壁越しに風呂場の方を伺う様な仕草をした。ほぼ無意識だったのだろうが、困り果てましたと言いたげなその様子に銀時は俄に嫌な予感を憶えた。次の言葉を聞きたくない様な。そんな予感だ。山崎がここまで銀時の納得を相槌として打たせて来たのは恐らく、この先の言葉に対する布石だったのだろうと直感する。
 眉間に小さな山脈を築く銀時に気付かぬ訳もないだろうが、山崎は一呼吸置いてから続ける。
 「…つまり現状はっきりしているのは、副長の身は体温の低下をと言うより、『水』を欲しているらしいと言う事です。結果的に水があれば副長の体温は下げられ、生命活動が保たれている」
 身体が自然と水を欲するのは生物や植物の本能だ。どんな生物も水分無しにはまともな生命活動を行えなくなる。だが、水を通してしか熱を逃がせない、と言うのは普通では無い。況して自ら汗をかく事はなく、外部の水分のみが必要などと言うのは少なくとも人体としては明らかに異常な事だ。
 銀時の理解を待つ様に少しの間を待ってから、近藤は呻く様に口を開く。
 「恐らく、無理に外を歩いたりした事で一気に悪化したんじゃないかと思う。今のトシの状態じゃ屯所に戻るにしても病院に入れるにしても、水槽でも持って来ない限りそれは無理そうだと言う事だ」
 「水槽って…、しかも土方さんが入れるサイズなんて無茶過ぎですよ」
 「……」
 新八の驚きの反応と真逆に、沈黙と共に大きく溜息を吐き出した銀時は嫌そうな顔を隠さず真選組の二人へと向けた。次の言葉は恐らく正しく予想出来ている。
 「万事屋、頼む。水道代も銭湯代も依頼料も払うから、件のナマズ天人が捕まるまでの間で構わねェ、トシをここの風呂場に置いといてやってくれねェか」
 「……」
 概ね予想とは違えぬ近藤の神妙な言葉と共に垂れられた頭に、銀時は居心地悪く目を游がせた。恐らく銀時が余り乗り気ではない態度を隠さずに居たから、近藤としては半ば勢いで頼むつもりでこうしているのだろう。土下座とか頭を下げるとか、こう言う、私情と自尊心を秤に掛けて易々跳び越えて仕舞う様な依頼人は一番厄介だ。
 頭を下げると言う行為は誠意の表れでもある。だが同時にそれは一種の押しつけがましい行為でもある。よくある、"男がこれだけ頭を下げてんだ、頼む!"…と言う類の奴だ。逆に言えば、そうしなければならないと言う程度には、真選組に他に手段と頼る手とが咄嗟に出て来ないのだと言う表れでもある。
 銀時は頭を下げる二人の男から視線を逸らした侭どうしたものかと呻いた。新八はおろおろと「ちょ、二人とも、頭なんて下げないで下さいよ」などと声を掛けているが、頭を垂れる二人の姿勢に変化は無い。
 銀時とてこれだけ頭を下げられていては気分も良くないので、いつもの様に安請け合いをして仕舞うべきだとは感じていた。だが、どうしてだろうか、浴槽の中の生物を預かると言う事に言い知れない不満や不快に似た何かを感じていて、その感情がこの依頼を易々請け負う事を許してくれずにいる。
 その正体を探ろうか寸時迷ってから、銀時は嫌な沈黙を断つ様に「はぁ」と、あからさまに声に出して息を吐いた。どの道この依頼人たちは色よい返事を銀時の口から聞くまで頭を上げはすまい。ならば余計な細かい事は後で考えた方が多分良い。飽く迄これは金入りの良い依頼だと思ってこなせば、一時の不満や不快感ぐらい何と言う事も無くなる。
 真選組に取れる手だては現在の所少ない。土方を運んで帰るか、それ以外か。
 巨大な水槽を用意して、水を満たして、クレーンでも無ければ到底堪えられないその重量の物体を運んで来て、万事屋の浴槽から土方を移して、運搬して帰る。或いは水槽を用意するのを断念して万事屋の浴槽を無理矢理くり抜いてそれごと土方を持って帰るにしてもほぼ同じだ。
 一連の手順はどう計画を練った所で尋常じゃないぐらいに目立つし、手間も労もかかる。ついでに言うと、真選組の副長が浴槽だの水槽だのから出られなくなったと言う、情けない上に致命的な事実も知れ渡る事になるだろう。
 どうした所で、現状が露見する事は良い方向には動かない。そうなると、土方を運んで帰る以外の手──即ち現状維持が最も望まれる形になる。つまり、近藤の願い出た通り、土方を無理に動かさずこの場に隠して置いておくのが最良と言う訳だ。
 理屈も道理も理解は出来る。金も出るのだから万事屋としては満更悪いものではない筈だ。
 「まぁ依頼っつーなら、出すもん出してくれりゃ構わねーよ?でもそれ、どんだけかかる目算なの」
 快諾とは言えないだろうが、一応銀時の口からはっきりと了承の言葉が出た事に、近藤はぱっと顔を起こして破顔した。
 お前ならやってくれると思っていた!と言いたげな顔をしているのが若干気に食わない所であったが、承諾する類の言葉を返しておいてやっぱり気に入らないから止めます、と言う理由にそれは少し弱い。
 「恐らくそう長期戦にはならんだろう。調べに出したら、宇宙に他に類の無い天人だった様だからな、目立つなら見つけ易い筈だ。それに、あちらさんも逃げている以上は追われている自覚があるって事だ。そう言う奴は必ずどこかでぼろを出すもんだ。
 もしまた金魚に擬態してたとしても、外来種だったから目立つだろうってトシも言ってたからな、なんとかなるさ」
 全く説得力のない言葉だとは思ったが、新八も山崎も特に突っ込まない。
 確かに近藤の言う言葉は自信どころか、確実に捕まえる目算すら無いと告白している様なものだったが、銀時にはそんな事よりも気に懸かった事があった。
 (逃げた…ってか、何だかあのナマズ野郎、喜んでいた様に見えたんだよな…?)
 ──己に血中からも出ない様な未知の伝染病の類があって、それを接触した者に伝染して、それを楽しみ喜んでいる愉快犯…?
 ナマズの様な顔から表情が碌に読み取れたとは言えないが、それが果たして『犯人』像なのか。解らず銀時は眉を顰めた。
 「お風呂がマヨネーズまみれで使えない間はどうすれば良いアルか?酸っぱいお風呂は私嫌ヨ」
 そこに、今まで酢昆布を囓って話を静観していた神楽がぽつりと呟いたので、銀時は犯人像の無駄な想像を追い掛けるのを中断し、人差し指を立てると近藤の方へと向けた。
 「さっきそこのゴリラが銭湯代っつったろ。うちの風呂が…、まあ別にマヨまみれって訳じゃねーけど暫く使えねェのは間違いねェからな、その間好きなだけ銭湯や温泉に行って下さいって話だよ」
 「いや温泉とは言ってませんよね」
 「キャッホゥ!私アネゴと一緒にまた銭湯行きたいアル!背中流しっこするネ!」
 山崎のツッコミは続けて上がった神楽の歓声にあっさりと掻き消され、更に続けて近藤の大きな声とガッツポーズ。
 「何!?お妙さんとチャイナさんが銭湯に行くなら、俺も護衛で行くしかあるまい!何しろ銭湯は危険だからな、入れ墨者が出たりヘドロさんの一家が出たりする可能性は拭えん!」
 「いや近藤さん、アンタ仮にも局長なんだから状況考えて下さいよ。土方さんが倒れてるのに姉上のストーカーを続けるとか、控えめに言っても最低ですよ」
 新八の辛辣なツッコミに近藤は「ぬぐっ」と苦悶を漏らして歯噛みする。そんな目前で繰り広げられている概ねいつもの光景を、銀時はやれやれと何処か冷めた心地で見ていた。新八のツッコミに同意を憶えて仕舞ったのも己の事ながら少し不可解ではあった。
 風呂とは言え、己のプライベートエリアに、他人以上に仲の悪い男を上げた挙げ句、暫く置かねばならないと言う事はどうやら想像以上に銀時の胸を悪くしている様だった。
 否、正確にはそんな狭量な基準だけでは無いのだが、それは一言で言えば『気が重い』、そうとしか表せそうもないものだ。何しろ、相手と仲が悪いと言う明確な理由も良く解っていない。単に、嫌われているのだろうなとは何となく解るのだが。
 先頃水風呂の中の土方から向けられた、明かな拒絶の気配を思い出して銀時は密かに首を竦める。土方が内心嫌がろうがなんだろうが、近藤の決定と言えば彼の性格上それに逆らう事は無いだろう。土方がそれで一人鬱屈を深めて行くのは銀時の知った事ではないが、腹の裡の不満の材料にされていると思うとそれはそれで業腹だった。
 そこでくいくいと袖を引かれ、銀時は再び落ちかけていた埒もない思考から引き戻される。見遣れば神楽のうきうきとしたご機嫌顔があった。
 「ねぇねぇ銀ちゃん、風呂上がりにコーヒー牛乳とフルーツ牛乳飲んで良いアルか?」
 「ん?ああ、真選組の奢りだからな、好きなもん飲んで良いぞ。でも一日一本にしとけ。腹壊しても知らねーぞ。俺は大人だからイチゴ牛乳三本は行っちゃおっかな~」
 「ちょっと二人とも、余りたかるのも良しましょうって。元はと言えば銀さんが怪しい金魚すくいの屋台なんて引き受けたから悪いんですし」
 新八に呆れた様にそう責められ、銀時ははいはいと怠さを隠さずに頷いた。確かに、水槽へと土方を転ばせた事については自分にほぼ全面的に責任がある…と言えなくもない。
 「とにかく、こちらも全力でナマズ天人の捜索には当たりますが、旦那方もそれとなく探って頂けると助かります。かぶき町と言う一点に於いてなら、警察(俺ら)より万事屋の方が頼りになりそうですから」
 取りなす様にへらりとした表情で(大凡警察とは思えない様な事を)言う山崎に、近藤と新八は頷いて、神楽も同意を示して勢いよく挙手する。利がどの程度になるかの目算などつかないが、果たしてそれが己の気鬱を払拭出来るかどうか、そこには一旦触れるのを止めた銀時も「へーへー」と自然に重くなる声で応じた。
 水に濡らされた箇所の修理補償は得た。銭湯に行くのは面倒だが金は出される。更に依頼として報酬も受け取れる。冷蔵庫の中には高級な栗羊羹も入れられている。
 (……なんだよ、良い事尽くしじゃねーか)
 総合すればそう悪い内容ではない筈だ。風呂一つ貸すだけの事と思えば破格と言っても良い。
 それでも銀時の気が今ひとつ浮かないのは、果たして折り合いの悪い人間を同じ屋根の下に置いておくと言う事に対する、不満や不快さに因るものなのか。
 先頃追い掛けて途中で停止した思考に明確な解答を出すのも憚られて、結局銀時はその部分に蓋をして仕舞う事にした。結論付けて不快感をあからさまに得るぐらいなら、少しの間だと堪えて飲み込んでおく方が良い。
 (まあ…、アイツにとっちゃ災難どころの話じゃねェんだろうけど)
 大好きな仕事も出来ず、折り合いの悪い人間の家の風呂に世話になるなど、あの不遜で自尊心の高い男には堪え難い鬱屈を生むだろう事は容易く想像出来たが、それを憂いてやっても意味はない。本人がどうしても嫌ならば、自ら這いずってでも水の中から上がって自力で帰るしかないのだ。
 選択肢は既に断たれているも同然だ。気の毒だとは思うが、かと言ってしてやれる事も出来る事も無い。精々、元凶になるナマズ天人を発見する手助けをしてやるぐらいの事しか。
 「旦那、件のナマズ天人の人相とか憶えてましたら、モンタージュ作成を手伝って欲しいんですが…。何しろ副長の証言しかこちらには無いですし、監視カメラの映像は夜なのもあって不鮮明だしで、出来るだけはっきり容姿の解る情報が必要なんです」
 丁度、思考の合間に入って来た山崎の言葉に、これ幸いと銀時は逃れる事にした。適当に請け負うと机の上に置いてあるメモを一枚千切ってそこに鉛筆で、軽く崩したナマズの絵をさらさらと書き付ける。
 「変な顔アルな」
 「……ほんとまんまナマズって事ですかこれ」
 銀時の手元を覗き込んで、神楽と山崎。確かに余り上手いとは言えない似顔絵(?)だが、憶えている限りを書き付けたつもりだ。だと言うのに下手だと責められている様に聞こえて、鼻の頭に皺を寄せる。
 「太ったガキの体にナマズの面が乗ってた、としか言い様が無ェんだよ」
 「うーん…、確かに副長の証言通りですけどねえ…。こんな天人居るのかなあ」
 首を傾げながらも山崎は銀時の書き付けた落書き未満の絵を、きちんと畳んで手帳に挟んだ。信じ難いと言いたげではあったが、情報は情報として採用するつもりの様だ。
 「じゃあとりあえずこれ、前金…って言うか当座の用にどうぞ。出来れば依頼にかかった費用については領収書等用意して下さると助かります」
 「わぁってるわぁってる」
 卓の上を滑らせる様に差し出された、二つに折るには悩む程度に厚みのある封筒を受け取ってひらりと振る銀時に、新八が不安げな目を向けて来ていたがそれは黙殺。前金と言うには多い金額だが、これには真選組副長の身の安全の保証も含まれている。何か起こる前から浪費しようとは、流石に銀時も思ってはいない。
 ともあれこれで依頼は成立した。風呂場に何かが居る事と、町中でそれとなくナマズ天人を探すと言うだけの簡単な話。
 直ぐに解決するだろうと、近藤の気休めではないが銀時もそう思う事にした。







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