秘すれば花 / 10 今日も同じだ。眠ればそこに居た。夢を見ようと思わなくても、それはそこに描かれていた。 酒の味がするとかしないとか、店が現実に存在するとかしないとか、そう言った疑問とは全く別に、その男はいつでもそこに居た。曖昧な筈の夢の中で、まるで定められた配役の様に必ずそこに居た。恐らくは銀時の望んだ侭に。思った侭に。 声を掛ければ土方は銀時の方を見る。どこか憂いを湛えている風にも見える横顔が、こちらを振り向くその刹那に柔らかく綻んで、酒の合間に投げる下らない会話に応えてくれる。 その反応も態度も、銀時の望んだ『夢』だ。これは夢を食い潰す時間なのだから、全ては銀時の思う侭に望む侭に動く様に出来ているのだ。現実では決して有り得なかった事だからこそ、『夢』でのみ有り得ている光景。 この奇妙な夢を見始めて数日、銀時は朧気にこの現象を理解しつつあった。例えば店主は何日ツケが続いた所で文句一つ言わないし、一度ぐらいは味わってみたかった銘酒を頼めば支払いを疑う事も無く注いでくれる。尤も、銀時自身がその銘酒を飲んだ憶えが無い為に結局幾ら口にした所で味も香りも何も解らない侭なのだが。 だが、どうしてかこの夢を見たくないと思った所でそればかりは上手く行かないのだ。眠る前に酒を浴びる程飲んで、夢なぞ見れないぐらい深く泥酔していたとしても、意識が一度現実を離れれば脳はこの『夢』を見ている。 だからきっとこれは無意識で己の望んだ願望の世界なのだろう、と半ば捨て鉢な心地で銀時はそれをそう理解し受け入れる事にして仕舞った。味の無い酔えもしない盃を重ねて酩酊した心地になって、隣に座る男と楽しい時間を共に過ごしたいと言う、埒もなく碌でもなく最悪でしかない夢見だが、それで別に現実的に何かが損なわれる訳では無いのだから構うまい、と。 (抗ったって見ちまうもんなら仕方ねェだろ。仮に、もし、何か血迷って、『そう』だってんなら、) そこまで考えて、喉から出掛かった何かの絶叫を銀時は味のしない酒と共に一気に干した。苦しい。どうしたって出ては来ないその言葉が胸を灼いて、どろどろした感情と一緒くたになって臓腑の底へと落ちて行く。融けてくれはしないと解っているのに、呑み込むしか出来そうもない。 「万事屋、そろそろ飲み過ぎだ」 とん、と叩き付ける様に置いたコップを見て土方が僅かだけ顔を顰めて言うのに、 「良いんだよ、大した事ァ無ぇよこんくらい」 そう答えながら銀時はいつの間にか手元に出現している一升瓶を傾けている。普通ならこんなものが客の手元に出される事は無いだろう。ただ銀時が望んだからこうなっているだけだ。 どうせ飲んでも酔えない酒だ、とは思ったがそれは口にはせず、銀時は酒を舐める様にして喉を湿らせた。アルコールの力ではなく、目の眩む様な激情に理性がぐらりと揺れる。それは憤りに似ていたし、諦めにも似ていた。 現実の飲み屋はこうでは無いし、こうは行かない。「銀さん、いい加減にツケ払ってよ」と店主は苦笑するだろうし、隣で飲んでいる土方とだってこんな風に穏やかな時間なぞ過ごせる筈も無い。 だからこれは夢で、『夢』でしかない。 ただ、思う侭に望む侭に描く事の叶う『夢』。 それだと言うのに。 『夢』に描かれた登場人物と言うだけの土方に──、現実のあの男との齟齬を覚えれば覚えるだけ、どうしようもない様な想いが沸き起こる。苛立ちや納得や諦め、或いは目の前にぶら下げられた薄汚く容易い願望。 (『そう』、だってんなら──) 向ける視線に振り返る気配。困った様に笑みを寄越してくれる土方のその腕を引いて、想いを伝える──否、もっと直接的に、組み敷いて踏み躙ってみたらどうなるのだろうか。恐らくは変わるまい。これは『夢』だ。銀時の願望が形を為した夢だ。現実の土方がその侮辱に怒り震えようが、『夢』の土方は大人しく銀時の暴力的な欲も感情も受け入れてくれるに違いない。文句を言わない店主や好き勝手に飲める酒と同じで。 これはそう言うものだからだ。『夢』に見た身勝手な願望の結実だからだ。 想像は易いのに、銀時が憶えたのは己への激しい失望だった。現実に出来たかも知れない恋が、然し叶わない事が解りきっていたからと言って、『夢』にその代替を求めるなど。 『夢』だからと言う免罪符を握り締めて、自らの願望を押し通そうとする、など。 何でこんな夢を見るのだ、と幾度問いたか解らない。それでも夢は『夢』として目の前に再生される。己の身勝手で歪んだ願望をただただ突きつけて来る。 「万事屋」 もう一度窘める様に言われ、伸びて来た手が猶も一升瓶を傾けようとする銀時の手をやんわりと止めた。夢の中だと言うのにつまらない所ばかり己の自由に出来ないと言うのは何なのか。寸時そう思って苛立ちはしたがそれを一旦は堪え、銀時は酒をカウンターへと戻した。夢の中とは言え──否、『夢』だからこそ、現実と同じ様に土方と言い合いや喧嘩などしたくは無い。 止まった銀時の動きに土方がそっと息を吐き、安堵した様な気配と共に手が引っ込められる。 黒い隊服に身を包んだ男の手だ。刀を握って、掴み合いの喧嘩をして──銀時の危機と思われた瞬間には躊躇う事も無く伸ばされた手だ。 規律とか信念とか、何かを明確に護る事を誓った手は、今は銀時の荒れそうな感情を宥める為に使われていた。深酒を止めて、これ以上の鬱屈を深めそうな思考を留めてくれた。 「──……」 だから、だろうか。気付いた時にはその手を掴んでいた。「万事屋?」不思議そうに首を傾げる土方の顔からは目を逸らして、銀時は恐らくは今この己の為に存在しているのだろう掌を捕らえる。 己の望みの描いたものを、捕らえる。 「オイ、万事屋」 掴まれた手を見つめて土方は言葉を重ねる。「悪ィ悪ィ、何でもねぇ」と笑って離す事の叶う、それは最後の機会だったに違いない。そうするべきだった良心の促す機会だったに相違なかった。 然し銀時は土方の手を掴んだ侭席を立った。ぐいと強く引っ張れば、手を繋がれた形になっている土方の腕も自然と引っ張られて席から腰が浮かぶ。 ツケ、と断る迄も無く、店主の声は追って来なかった。酔客たちも誰もがこちらを気にする事は無い。都合の良い沈黙と無関心とに見送られながら無言で暖簾を潜る。 「……万事屋、」 引っ張られて店の外に出た、土方の唇が紡ぐ狼狽の言葉。何を今更。『夢』に創られた願望ならば、既に解りきっているだろうに。それとも己が必死に理性を働かせようとしているのだろうか。決してこちらを振り向いてくれる事などない現実の土方への恋情を大事にしろとでも言うのだろうか。 何を、今更。 これだけ違いを突きつけながら。 これだけ望ませておきながら。 夜の町に引き摺り出されながら、土方は大人しく銀時に引っ張られる侭に続いて来る。これが無意識の葛藤だと言うのならば随分と易いものだ。 「夢なんだろ。おめーは」 「え、」 不意にそう言い放てば、土方が絶句する気配が返る。嗤いたくなる心地を堪えて振り返ると、そこには強張った土方の畏れとも笑みともつかない表情が在った。 強張った掌を強く握る。びくりと返る怯えにも似た指先の動きに、こんな良心を擽る真似を己の理性が創るのかとほとほと呆れ果てる。 『夢』の癖に。 「俺が見ている、都合の良い『夢』だ。そうじゃなきゃ、手前ェがこんな風に俺に気を許して傍に居て共に時間を過ごしているなんて事、有り得ねェだろ?」 息を呑んだ土方の視線が答えを拒否する様に游ぐが、そこから否定の言葉は出て来なかった。 強張った指がこわごわと折り畳まれる。応えとも取れるその所作に銀時は仄暗く意地の悪い歓びを憶えながら、その手を引いて歩き出した。 程なくして望んだ様に目の前に顕れる連れ込み宿に、矢張りどうやった所で『これ』は夢でしか無い、都合の良いものなのだと失望しながらも。その足は止まらなかったし、降って根付いた衝動も最早消える事は無かった。 どうせ夢なのだから。『夢』を思って願望を叶えるそれは、きっと自慰の様なものと何ら変わらない。手前勝手な衝動に理性的な言い訳をつけて申し訳なく感じてみた所で、これはただの、夢だ。 …あれ、割と下衆銀? ← : → |