秘すれば花 / 11 腕を引かれて越えたのはきっと何かの境界線だったのだ。そこに提示されていたのは、引き返せるか、諦めるかと言う最初で最後の選択肢。 背後で扉が閉じてオートロックの掛かる音。境界を閉ざし外界を隔絶した無機質なその音に、土方は己の選択が恐らくは誤ったものであるのだと感じた。そうでなくとも責める声は裡からも外からも響いて嘲る。恋慕を棄てようと言う思いは何一つ変わらぬその癖に、今ならば、と、夢ならば、と浅ましく囁く声がそれと同質の響きを持って土方の理性を散々に打ちのめして行く。どうとでも進んだ所でそこには効力など無いのだからと嘲笑う。 腕が離れたかと思えば今度は背を押され、室内へと足が進む。自然と視界に明瞭に飛び込んで来た室内の光景は酷く即物的で解り易い。窓は無く、部屋の中央に置かれた大きな寝台と、備え付けの小さな戸棚が一つ。壁紙は様々な色の照明を生えさせるのだろう押さえた白い色調で、エンボス加工の連続模様が仄明るい灯りの下で不気味な薄い影を描いていた。 見回す限りでは、ごく普通のラブホテルの類の様だ。こんな光景が直ぐに『夢』に浮かぶ程には銀時はこう言った施設を利用した事があったのだろうか。考えてから、下らない事だと思って直ぐに止める。思考の逃避にしたって余りに無意味で馬鹿馬鹿しすぎる。 選択などきっと疾うに誤っていた。『夢』だからと肯定した事より、身勝手な夢をそこに描いた事より、庇えなかった事より、獏人を取り押さえるに失敗した事より、取り逃がした事より──、それよりもずっと、もっと以前から、間違えて仕舞っていたのだ。 坂田銀時に恋情を抱いたのだ、と自覚を抱くよりも、もっとずっと以前。憧れや張り合いや妬心や執着と言った負を──負と言う特別な感情をそこに赦して仕舞った時だ。きっとそれが最大の、取り戻せない過ちだ。 (こんなのは、悪ィ夢だ。……人の悪い、夢だ) 寝台の前まで進んだ時、背後からぐいと隊服の上着を掴まれて土方は僅かに蹌踉めく。それを支える様な素振りで背後から回される腕に、触れた体温に、憶えた歓喜は忽ちに自嘲に変わった。 「土方」 囁きに似た声が耳朶に吹き込まれる。その吐息の熱さを膚の上に直接感じて仕舞い、ぞくりと背筋を走るのは憶え深い劣情だった。寝台の上の安っぽい光沢のあるシーツも、雰囲気を高める薄ら暗い照明の色も、背に触れている体温も、目に映るあらゆる全てが土方の心を打ちのめす。醜い己とこうなる事を赦した事態へと、激しく後悔を憶えている癖に抵抗をしようとしない愚かな結論の物語る、願望。強まる嘲りの心に目蓋を強く閉じて、土方は引っ張られ促される侭に上着を両の肩から落として脱ぎ捨てた。 これを身に纏った姿が、銀時の見た土方十四郎のイメージだったのだろう。それを純粋に嬉しいと思う。己を『そう』描いていてくれた事に、伝わりはしないだろうが感謝する。それこそ現実逃避の様に。そうして逃避の意識の侭に『そう』在るべき己ごと脱いで棄てた。 解り易い言葉の代わりに、背後からベストを割り開いて白いシャツの釦を乱暴に飛ばした手が土方の皮膚へと無遠慮に這い回ってくる。体温を持った厚い男の掌に触れられる、憶えもしない感触に然し土方は危機感も嫌悪感も湧きはしなかったし、銀時の方も同性を抱こうとする事に何の躊躇いも無い様だった。 「どうせ、夢なんだ」 そんな銀時の動きと同時に吐き捨てられる様に響いた声が、そんな異常な事態を肯定する言い訳であって理由。それだけしか此処には無いのだと悟った土方は、薄く目を開いて頷いた。 そうだ。現実の自分たちであったら、こんな事はしない。こんな事は有り得ない。 銀時は鬱陶しそうに迷惑そうに土方の事を見ては、嫌味や皮肉と言った言葉を投げたり、そうでもなければ全く無関心に通り過ぎるだけの男。 土方はそんな男にいちいち喧嘩腰で応じては、威嚇する犬の様に無様に喚き立てて関心を惹きたかっただけの下らない男。 これは『夢』だから。銀時は、夢として都合良く描かれる様振る舞った土方に、勘違いをした情を乗せただけの事。いつも喧嘩をしている相手が『夢』の中で妙にしおらしく好意を寄せて来ていた事に、単に興を惹かれた程度の事。 「ッ、」 膚を這い回る手の動きに思わず身じろげば、土方のその動きを利用して銀時が身体の位置をずらしながら体重を掛けて来た。押され促されるそんな動作に逆らわず流されれば、土方の尻は寝台に落ちて続け様に背が艶のあるシーツに迎えられる。 ぎ、とスプリングの軋む音をさせて、寝台に膝を乗り上げた銀時の顔が間近に迫る。熱と情欲とを孕んだ目が見ているのは、『夢』だ。現実に在るべき存在ではなく、単なる夢。 「現実のおめーより、今の手前ェの方が、」 「…………」 その言葉は多分酷く土方の心を疵付ける筈のものだったのだろう。然し自嘲に浮かんだ笑みには何一つ情動の類が溢れ出す事は無かった。力なく笑んだ無表情。そこに覆い被さる銀時の唇が寄せられ合わせられるのを黙って受け入れながら、土方は理性と思考とをそっと放棄した。 無意味だからだ。そんなものを保って見る『夢』ならば、初めから、空いていた隣席に座る様な真似などしていない。 これは、『夢』だから。免罪符の様にそう繰り返しながら。 スカーフを抜かれ、顕わになった首に強く吸い付かれて喉を反らす。身体をひとつひとつ探るかの様にあちらこちらに触れて回る手に土方はその都度反応を返して男の情欲を煽って熱にひたすらに流されて行く。 「万事屋、」 腿を割って、下腹に到達した手に咎める様な声が出る事が馬鹿馬鹿しかった。この期に及んでまだ往生際の悪い理性が、そちらの方が正しいと解っていても忌々しい。こうしていても逃避を赦そうとはしないのだろう己自身こそが愚かしい。 銀時は呼ばれた事を催促とでも取ったのか、ふ、と口角を持ち上げると土方に腰を浮かす様命じて、膨らみ始めていた下着を足から抜き取って仕舞う。ふる、と外気に晒された土方の性器は既に芯を通して震えて飛び出し、銀時の笑みを益々深くさせた。 そこで銀時は自らも着衣を煩わしげに脱ぎ捨てると、汗に湿った銀髪を掻き上げて下着を下ろした。顕わになった、土方のものと同じ様に形を作っている銀時の欲の証に歓喜するよりも思わず喉が乾いた音を鳴らす。それは未知に対する恐怖だったかも知れないし、満ちる時を望む期待だったのかも知れない。 「一緒に触って?」 笑みと共に放たれる強請る様な声。おずおずと見上げれば、銀時は横たわる土方の膝を担いで腰を持ち上げると、自らも膝を浮かせて兆しかかったた性器同士を押しつける様に重ね合わせた。 「ッ…!」 自分の足の間で、腹の上に形を作ったものが浅ましく揺れている。そればかりかそこに同じ器官を押しつけられている。身も蓋も無い様なそんな光景を目の前に晒されて、常識的な理性よりも単純な羞恥心で土方の頭にかっと血が昇った。 「ほら、触れって。自分の扱く時みてェにしてみ」 「ぅ、…んん、」 ごりごりと互いの性器を擦り合わせられる感触と視覚のインパクトに羞恥よりも強い眩暈を覚えながら、土方は言われた通りに銀時のものと自らのものとを握り合わせた。触れ合う刺激と、掌ではない固く熱いもの同士の擦れる感触が堪らなく気持ちが良くて、徐々に夢中になって手の動きを早めて行く。 「そうそう、上手上手」 からかう様に降ってくる銀時の声と息が弾んで来ている事にまたしても背が甘く疼くのを感じて、土方は重なって擦れる性器の熱と感触とに集中した。鼻に掛かった声を上げながら互いの欲望を混ぜ合わせて、溢れる二人の先走りを指に絡めて、楽しんだり加減したりする余裕も無く、近付く絶頂に向けて一気に扱き上げて行く。 「ンっ、も…、ぅ…ッ!」 「も、イキそう?」 問われてこくこくと頷いて手の動きを早めれば、合わせて銀時も腰の動作を速めた。互いの雁首が裏筋を通って強く激しく擦れ合うのに土方は息を呑んで首を振った。銀時の呼吸が応じる様に荒くなって、絶頂が互いに近い事を膚で直接感じる。 「、ッいく、も、、──ッ」 「っ、ひじかた……!」 ぎゅう、と合わせた性器同士を強く押しつけて下から絞る様に扱き上げれば、慣れた放出感が脳を熔かして腰を甘く痺れさせる。それとほぼ同時に銀時の性器も弾けていて、背を反らした侭土方は最後まで放出を絞り上げる己の手をどろりと濡らして滴る熱に酩酊に似た心地を憶えた。常ならば一気に熱の引く所の筈なのだが、理性が働き出すどころか益々に酔って、余韻に意識かぐずぐずと崩れそうになる。 放出を終えて萎えた銀時のものが同じ様な状態になった己のものに重なっていて、互いに濡れ光ってひくひく震えているその様は何か原始的な二匹の軟体動物同士が交わりあっている様にも見えた。 そしてその二匹の雄はお互いに尖端から噴き出した精液をとろとろと混ぜ合わせ、柔く握った侭の土方の手を濡らして腹の上へと滴らせていた。その様子は余りに解り易過ぎて酷く卑猥だと土方は思うのだが、何故かそこから目を逸らす事が出来ない。 「……あー…、コレ良いわ。なんつーか…、興奮しねェ?」 やがて一息ついて腰を下ろすと、土方の腹に飛び散った二人分の精液を指で混ぜ伸ばしながら銀時がそう言って笑いかけて来る。なんだか心を読まれた気になって、土方は無言で己の汚れた手をシーツにぐしゃりと押しつけ拭った。明け透けに雄同士の欲望を見せつけ合う姿は酷く倒錯的で、羞恥を忘れた子供の様な解放感を伴っていて、同じ様な動作とは言え自慰をする時よりも大分夢中になっていたし興奮していたのは事実だったからだ。 ふう、ともう一度息を吐くと、銀時は土方の身体をころりと転がして俯せの姿勢を取らせた。膝を立てて尻を持ち上げる事を促すと、用意されていたかの様にいつの間にかその手の中にあったローションをどろりとその狭間に垂らされる。 「一応ほぐさねェとな。夢の中ったって、…具合悪ィのも厭だろうし」 「ひッ、!」 尻肉を伝い落ちる冷たさや滑る不快感よりもリアルな感触が、お座なりな宣言と共にそこに触れるのを感じて思わず悲鳴の様な鋭い声が漏れる。他人に触れられる事など通常無い場所を無遠慮に探られる感触など当然だが土方の憶え知らないもので、ぐにぐにと後孔の窄まりを銀時の指が押しては広げているその意味は、そこに入り込む隙を伺う動作なのだと本能的に理解する。 「、」 寸時得体の知れない恐怖に竦む身と裏腹に、好きに焦がれて仕舞えと囁く己の裡の声があった。男としてそうやって身体を割られ繋がる事など、想像だにした事さえ無かったし望んだ事なぞ無かった。銀時に──焦がれた男に『そう』される想像などした事が無かった、筈なのに。 夢だから。夢だけど。『夢』だからこそ。 そう繰り返す愚かな免罪符が縋ったのは、何れ棄てる恋情に同じ様な感情が向いてくれた──向く様に仕向けた卑怯な『夢』と言う建前。 (俺が、現実の──、こいつの知る、土方十四郎(俺)じゃ、無いから、) そうであってもそうではない様に装った、正しく『夢』でしか無い存在だったから。 罪滅ぼしだとか、使命感だとか、責任感だとか、そんなものたちを理由にして、これを夢だと思っている銀時の都合の良い様に振る舞う事で己の願望をこそ通させた。 これは、夢だから。 「あ、ぅ…、んッ!」 ぐねぐねと、括約筋の抵抗を拓いて、反射的に収縮しようとした内壁を押し退けて侵入して来る銀時の指に土方は息を詰めた。どうしたら良いのか解らない異物感に喘ぐ様に息をして痛みを堪える。 痛かったのは肉体の方だったのか、それとも心の何処かだったのか。 これが、夢だから。 背後で息を荒らげる銀時はこれを夢だとしか思っていないのに。この土方十四郎を『夢』の産物だからこそ、己の欲をぶつけて抱こうとしているのに。 一度目覚めれば、現実の土方十四郎は忌々しく気に食わない鬱陶しい存在だとしか、思われていないと言うのに。 体内を荒々しく掻き回す指がやがて抜け出て、そこに代わりに熱の塊が押しつけられる。その熱さこそが銀時の欲そのものだと思っても、土方の心は空虚に落ちて少しも浮き立つ事は無かった。 貫かれて、浅ましく身体がその異常な行為に快楽を得ようと反応をしても。 「 」 喘ぎ泣く中で紡いだ声は、きっと背後から土方を抱いて犯している男の心にはきっと届く事はもう無いのだと、土方は朧気に理解していた。 夢は醒めて終わる。そしてその『夢』を覚ます事こそが己の果たすべき責だった。 棄てる筈の恋が、醒めるだけの夢に変わった。それだけの事。 。 ← : → |