秘すれば花 / 3 夢の中で笑っていた顔は、今はいつも通り──否、いつも以上に酷い顰め面を形作っていた。 落胆した訳ではないが、反射的に銀時も同じ様に口端を歪めてみせた。知らぬ訳でも無い顔にいきなり出会い頭に「げ」と言いたげな表情をされれば自然とこちらからも友好的に類する感情も失せようものだ。 土手の方に続く、僅かに傾斜のある道路だ。車道とを掠れたラインだけで隔てられた歩道は余り広くは無いが、車も人通りも殆ど無い為に全体的に閑散とした印象がある。 河川が近い事もあって、道路に隣接した家々は民家よりも個人の小さな工場などの建物が殆どで、朝早くから仕事に勤しんでいるのか低い機械の唸る音が何処からともなく響いて来ている。 そんな道を歩いていたらしい二人組の黒服と、そんな道に丁度出て来た銀時とは予め身構える事も出来ずに道の角でばたりと鉢合わせる羽目になった。黒い頭と少し下に栗色の頭。漂う煙草の苦い匂い。見覚えのある連中だと銀時の脳が認識するよりも早く、その片方、銀時とほぼ同じ高さにある顔が露骨に顰め面を作った。夢の中では柔和に笑んでいた筈の目元や口元は強張り、眉間には易々埋まりそうもない深い縦皺が刻まれる。 険の強すぎるそんな土方の表情から何か不愉快を表す言葉が出るより先に、或いは不快感に程近い言葉を銀時が紡ぐより先に、口を開いたのは平淡な風情をいつも通り保っていた沖田の方だった。 「どうも、旦那。珍しいですねィ、こんな朝早くに」 「珍しいってのは会う事に掛かってんの、それとも朝早いってとこに掛かってんの」 土方に向けかけた苛立ちを直ぐ様に、その隣で口を開いた沖田へと向けて銀時は唇を尖らせるが、沖田は意に介した様子も無く肩を竦めて「ご自分の胸に訊くのが一番じゃねーんですかィ?」などと空惚けてみせた。確かに銀時が午前も早い内から活動している事は日頃の生活態度を考えて見るまでもなく珍しい若しくはイレギュラーな事である。先頃の、新八や神楽の三文芝居の責め調子さえ無ければこんな所を歩いている理由なぞ無い。 とは言え幾ら警察とは言え沖田が(一応)一般市民の銀時のそんな日々の生活リズムを知り得ている筈も無いので、純粋に朝の遭遇が珍しいと解ってて揶揄したと言う程では無く、単に意外だと感じた程度の話と言った所だろう。 一体自分はこの少年にどんな人間だと思われているのか、と考えかけた銀時だが秒と迷わずその思考を放棄した。馬鹿馬鹿しい。考えてみるまでもなく知れている。まるで駄目なオッさんに程近い何か、だ。きっと。 「お宅らこそ何。朝からのんびり散歩ですか?」 無駄な思考を振り切った銀時は態とらしく辺りを見回す仕草をしてみせた。言う迄も無くここは町の中心からは大分逸れた道だ。人通りも殆ど無く、目当てでも無い限りは巡回など必要と言った場所では無い。 あからさまな揶揄めいた銀時の仕草に、土方の目の下が僅かに震えた。然し彼が反論か怒鳴り声を上げる前に、またしても沖田がそこに割り込んで来る。余程暇だったのか、はたまた──例えば朝から無理に連れ出されて来たとかそう言う──気に食わない事でもあったのか、いつになく積極的である。 「旦那は散歩かも知れやせんが、残念ながら俺らは職務中ですぜィ。ま、詳しい事は言えやせんが、聞き込みみてーなもんです」 不完全とは言え沖田から真っ当に聞こえる答えがあったと言う事は、それは嘘ではなく本当の事で、銀時が訊いても楽しくは無いし関係も無く、また無意味だと言う事でもある。端から自分に関係があるなどとはこれっぽっちも思っていなかったし、嘴を突っ込もうとも思っていなかった銀時だが、触れる事をきっぱりと拒否されたのだから、世間話も程々に打ち切る事にした。 「へー。そりゃお忙しいこって。また一般市民を巻き込まねェで貰いたいもんだね」 だと言うのについ突っかかる調子の言葉が出て仕舞ったのは、銀時がちらりと見遣った土方の様子や態度があからさまに不満気な様子に見えたからだ。喧嘩や言い合いになると面倒だと思っているのだが、己に過失の記憶が無いのに不機嫌そうな態度を取られると矢張りそれなりに腹が立つ。 寧ろ、本来ならば謝罪の類があってもおかしくない心当たりの方があるのだ。 「っ…、それ、は」 そんな前提があった為につい出た棘は、それを軽く出した銀時が少し驚く程に効果を発揮した様だった。土方は向けられた棘に反論も逆上もせず、それどころかあからさまに狼狽える。 「なんでィ。土方さん、アンタまだ旦那に謝りの一つもしてなかったんですかィ。そりゃいけねーや、事は賠償請求モンですぜィ。旦那ァ、このパワハラ上司を訴えるってんなら喜んでお手伝いしますぜィ?」 すれば忽ちに沖田の目が厭らしく細められる。言葉通り鬼の首を獲ったと言わんばかりのその様子に土方は痛い所を衝かれた事を珍しくも隠そうともせず、ぐ、と言葉に詰まってたじろいだ。 「……、」 険を失い游いだ土方の視線が銀時の方をちらと伺い見て、それから気まずそうに逃げて行く。逸れた眼差しに驚いたのは言葉を発した銀時ばかりではなく、それに乗った沖田とて同様だったらしく、瞬き数回の後に思わず両者の視線が出会う。 (何ですかィ?) (俺が知る訳ねーだろ) 無言の(恐らくは)そんな遣り取りの末に銀時が土方の方へと顔を戻せば、彼は足下に遁がした視線で自らの靴先を睨み付けて、それからゆっくりと躊躇いがちに口を開いた。 「……その、」 重たく吐き出し辛そうに出て来たその言葉は、言いたくない、と言うより、言い辛い、と言った方が良く──申し訳の無さそうな調子に聞こえた。大凡いつでも尊大そうで自信に溢れた男の態度や様子にそれは相応しいとは言えない。 「具合とか…、調子が悪ィとか…、何か、問題は起きてる、のか」 ぼそぼそと歯切れが悪そうに紡がれた言葉を三回は咀嚼して、銀時はそれが己の身を案じる類のものだと漸く気が付く事が出来た。益々に眉を顰める沖田の不審そうな視線には取り敢えず応えず、問われた内容を脳内で反芻する。 関わった、と言うよりは巻き込まれた。だが別に怪我を負ったとか、取り戻し様のない負債を背負ったとかそう言った害は生じていない。土方の『申し訳なさそうな』問いに値する様な、体調の悪さや具合の悪さなどと言ったものには銀時には一切心当たりが無かった。少なくとも、心配されるに至った原因の中には生じていなかった。 「い、いや特に何も起きちゃいねェけど?」 何故か動揺して出たしどろもどろになりかかる言葉を何とか、何でも無い風情で紡ぐが、それを受けても土方の表情は相変わらず晴れない。先頃まで険を深めていたその顔は、今では気鬱な何かを背負って仕舞ったかの様に重たく沈んで仕舞っている。 「…………そう、か」 頷きはしたものの、土方は何処か溜息に似た息継ぎをして、それから傍らで眉を興味や不審に寄せている沖田に気付いて、何でもない、と言った仕草をしてみせた。何でも無くはあからさまに無さそうだと言うのに。 (え、何この俺が悪いみたいな感じ。え、何で??) 鬼の首は獲ったと言うより獲られる迄もなく勝手に転がって来た。果たしてそれを拾って良いものかと考え倦ねた銀時の口から咄嗟に出たのは、 「何、それとも慰謝料とか払ってくれんの?確かに迷惑料とか請求しても良い感じだったけど」 「、」 鬼を怒らせてみようとする言葉であった。或いは怒れば土方はこんな、彼にしては不自然としか言い様のない消沈した様子から忽ちに脱するのではないかと思ったのだ。そして銀時のその目論みは見事に当たった。──半分だけ。 土方は寸時奥歯をぎりりと鳴らし、何か反論しようとした言葉を無理矢理に呑み込むと、舌打ちをして銀時の横を通り過ぎた。いつもならばあからさまに怒鳴り声でも上げただろう期を呑んだのは、先頃土方に唐突に生じた『申し訳なさそうな』それに由来するに違いない。 「とっとと行くぞ、総悟。時間が勿体ねェ」 肩に僅か、服が擦れる程度触れただけで別れの言葉も無く通り過ぎた黒い背中を、眉を寄せて見送る銀時に沖田は軽く肩を竦めて同意の意で応じた。それから少し遠ざかった土方の姿を伺いながら声を潜める。 「…旦那は本当に何も無ぇんで?」 「この間の?ああ、何も起きちゃいねェよ?」 「そうですかィ、」 幾ら思い起こして見た所で怪我が出来る訳でも負債を思い出す訳でも無い。正直な所を改めて告げる銀時からは不審な様子が出る筈も無い。沖田はそれを疑うでもなく頷きはしたが、意趣の深そうな表情を土方の方へとちらと投げて曖昧そうに笑う。 「…ま。一般人を巻き込んだとか、らしくも無ェ事気にしてんですかねィ?すいません旦那、素直に謝れねェ上に人の心配も碌に出来ねェ不甲斐ねェ副長で」 続けられた言葉は沖田にしては珍しく土方の事をフォローする様な類にも聞こえて、銀時は気にしていないとかぶりを振るしか無かった。 。 ← : → |