秘すれば花 / 4 事の発端は二日前の話だ。 真選組が捕り物で追い掛けていた天人が、偶々にその場に居合わせた銀時を人質に取る様な真似をした。だが結局は誰にも然したる被害を出す事も無く、問題の天人を捕らえる事で片が付いた。 銀時の被った被害はと言えば、その天人の所持していた光線銃の様なものを浴びた程度である。当初は、レーザー兵器の類かと辺りは騒然としたものの、その懸念は呆気なく外れた。何しろ、浴びた箇所には怪我一つ、汚れ一つ付いてさえいなかったのだ。被害と言うには無理がある程、余りに何も起こらなかったし残さなかった。 そもそもレーザーだのと言った所謂光線兵器は宇宙広しと言えど未だ明確に実用化されてはいない代物だ。光線の類で生命体を肉体的に損傷する事は些かに効率的とは言えないと言うのがその主な理由である。 仮に、例えば放射線や危険物質の類を含んだ光線を指向性を以て放つ事が出来たとして、それが片手に収まる小さな銃から発射されるとは到底考え難い上に、諄いが効率面での釣り合いが取れないのだ。同じ、生命体を損傷する事だけを目的にするのであれば、鉛玉を撃ち込むなり剣で叩き斬るなりと言った物理的な損壊を与えた方がずっと早い上に確実だ。 銀時を撃った銃は確かに奇妙な形をしていた。少なくとも鉛玉の類を撃ち出す様には見えない形状だった。そしてそこから実際に発射されたのも光としか言い様のないものだった。 とは言え、先に述べた通り光線の類で人体を損壊すると言うのは難しい相談である所に持って来て、頭部を光(それ)で撃たれた筈の銀時にも何の異常も見受けられなくけろっとしていた。念の為に検査をするとか言われ病院へと半ば無理矢理に担ぎ込まれたが、そこでも矢張り何の異常も発見されてはいない。 被害無し。その一言が全てであった。 因って、天人の所持していた問題の光線銃は単なるオモチャの類だろうとみなされた。真選組に包囲され、やっと捕らえた人質もまるで動じなかった為に、オモチャと言えど破れかぶれで撃つほかなかったのだろうと。 ちなみに、宇宙艦などに搭載されている極大質量のエネルギー砲はそもそも光線兵器に属したものでは無い。かのビームサーベ流もエネルギー兵器の分類である。 それはさておき。 状況を説明するなら、捕り物に巻き込まれ人質にされた挙げ句光線銃で撃たれた、としか言い様が無い状態では確かにあった。が、肝心の『撃たれた』部分に於いて銀時には何の損失も負傷も実害も生じていない。警察の捕り物に『巻き込まれた』のが事実であれど声高に被害を訴える事が出来る程の問題は生じていない訳である。まあ出る所に出れば安い慰謝料──と言うよりは迷惑料か──ぐらいふんだくれるかも知れないが、そんな事で真選組(連中)に無駄なしこりなぞ持たれたくないし、仮にも知り合いと言って良い連中を相手に厚顔に端金をたかるつもりもそもそも無い。何しろ実際に被害が無かったのだからそれで問題は無い。 故に。 (なんであんな景気悪ィ面して心配?的な事されてんの??) 帰った万事屋で、新八や神楽に冷たい目を向けられながらも殆ど一日中、銀時の頭にはそんな疑問が浮かんでは消えて思考の中枢を占拠し続けていた。あの後当初の予定通りに昼寝と洒落込もうとはしたのだが、一度活発に渦巻き出した思考の波濤と言うのは想像以上に煩わしく、到底暢気な眠りになぞつけそうになくなって仕舞ったのだ。 不毛だとは思う。だが、一度気になって仕舞った問いに正しい答えを返せる者は生憎と目の前には居なかったし、居たとしてどうせ何も問う事なぞ出来ないのだろう。 (実際出来てねーし…、) 喉から出ない言葉ごとアルコールを胃の腑に流し込んで、銀時は酒臭い溜息を吐く。味などしないし酔いもしないのだろうと思っていたそれは然し、ぬるま湯の風呂にも似た穏やかなばかりの酩酊感を与えて来る。旨いかどうかなんて解らない。ただ、気分だけが良い。 酩酊感に崩れそうな意識を掻き集めて密かに視線を横に流せば、そこには今朝方見たものとまるで同じ光景が在る。 「どうした?」 見覚えがあるのか無いのか解らない飲み屋の中、盃を傾ける手を止めた銀時に気付いてそう問いて来る男の姿まで、まるで同じ様に再現されているその有り様を思えば──やはりこれは夢としか言い様の無いものなのだろうと銀時は思う。 つまり、一日中銀時を煩わせ続けて来た問いを本来向ける相手は、目の前には座していても『ここ』には居ないのだ。 男の表情は、これもまた変わらずに穏やかで柔らかかった。その様子からは到底昼間目にした様な不機嫌と不快感とをない交ぜにした気配は全く感じ取れそうもない。銀時の知る本来の彼の持つ火の様な気性はなりを潜めていて、水の様に静かな気配を保っている。 何をどう考えて見た所でそれは矢張り、銀時のイメージしている、或いは記憶している土方と言う男にはまるで合致しそうにない。良く似た他人とでも言われた方がまだ納得に易そうだ。 「んや、何でも」 力も険も無い目元の形作った、強いて言って笑みに類する土方の表情から銀時はそっと目を逸らす。見た憶えの無い表情は見慣れないのを通り越していっそ気持ちが悪い。似合わないとか言う問題ではなく、見た憶えなぞ記憶に無いからこそ気味が悪いのだ。 要するに──夢の中とは言え、己の想像力がこんな光景や表情や相対を描いている事自体が、だ。見た憶えが無い以上、似合わないとか似合うとか言う判断もそもそもおかしな話だとしか言い様が無い。理解がそもそも出来ないからひたすら困惑しか無く、どう言う意趣の夢を見ているのだと己の首根を掴んで問い質したいぐらいだ。 (こんな慣れない上に訳解んねェ状況で、更に訳解んねェ疑問とか言い出せる気なんざしねェっつうの…) 内心頭を抱えて喚きたい気分ではあったが、夢とは言えすぐ隣に余り仲の良く無い(筈の)相手が居るのだ。己の動揺を問いと言う形にする様なみっともない真似なぞ晒したいものではない。 それは最早何に対する意地なのかさえ知れない。己の想像が創り出したのだろう夢の中の土方に対しての見栄なのか、そんな夢を見ている己に対しての抗議なのか。 寧ろ逆に、夢ならばこそ醒めて消えるものなのだから、恥だろうが何だろうが平然と晒せそうなものなのだが、何故かそうする気にはなれなかったし、何よりその想像は酷く馬鹿馬鹿しい。己の夢を相手に一体何を問えと言うのか。起きている時に自己分析でもした方が未だマシな答えが返るだろう。 「酔いでも回ったか?」 「…っあー、多少は?」 軽く首を傾げてこちらの顔を覗き込もうとして来る土方の視線から身を逸らす事で逃れ、銀時は曖昧にへらりと笑ってみせた。酔えない酒に酔っているとは言い難かったが、酔いの回った素振りで天井をそっと仰いで掌で目元を押さえる。 だから慣れねぇんだっつーの。喉奥のそんなぼやき声は形にならないから何処にも行けずに胸の底に残留した。夢の中の出来事に遠慮をするなど無駄としか言い様が無いとは思うのだが、これが記憶に全く無い癖に妙にリアルな印象のある場所と状況だからか、銀時は己の感情も行動も持て余して困り果てる。居心地は凄く良いのに居慣れない。自分の夢の癖に、とぼやいてみた所でどうにもなってくれそうもない。 (そりゃあやっぱ…、配役が訳解んねぇからだよな) 思って再びこっそりと隣席を伺い見れば、小さめの猪口に唇を付けている土方の横顔が其処には在る。否、──居る。 目を閉じて、ほんの少し擡げた顎に反った喉。流し込まれた酒を、こくり、と飲み下す小さな動き。溜息にも似た息遣い。 旨そうに酒を飲むものだ、と思った。こんな風にして見た事など無い筈の土方の姿は、然し何も違和感無く銀時の裡に落ちる。普段銀時の記憶に在る時の様に、怒ってなければ、喧嘩をしていなければ、きっとこの男はこんな風に旨そうに酒を飲んで、隣に居る誰かに向けて笑うのだ。 そして、その『誰か』には己は決して成り得ぬのだろうと、銀時は漠然とした感覚を以てその事実に気付いた。 これは土方の、銀時の決して見た事の無い姿だ。見る事など決して無い姿だ。実在しているとも知れない姿だ。だから、これは想像以上の何にもならない。見て比べて落胆する現実の風景しか銀時の憶えには無いから、想像上の土方の姿に落胆する筈などある訳が無い。 ではこれは何なのだろうか。決して見る事の無い筈の有り様を描く、そんな夢の正体とは一体。 「………そんなの、」 呟きは小さく、そして力無く意味を失って吐き出された。浮かびかかった答えは肯定するには余りにも頼りが無く途方も無い成分に満たされ、不快感さえ伴って腑の底に蟠る。 答えと同時に浮かんだものは朝方に見た、眉間に深く皺を刻んだ顰め面。心配らしきものを口にはしてみせたものの、それは沖田にからかう様に促されて仕方なしにこぼした言葉だったに違いない。渋々と言った態度からは、本来ならば面でさえ向き合わせていたくはないと言った土方の感情さえ透けて見えていた。 果たして、現実がああだから、夢ではこうなのか。 (…そんなの、『俺が』知る訳ねーだろ) 吐き捨てたかった感情が口に出なくて良かったと思う。きっと情けなくてどうしようもない様な声が出て仕舞っていただろうから。 仮令それが、夢の中の事であったとしても。銀時の都合の悪い事には何の反応も示さないのだろう、夢の中の土方にであっても。聞かれたくは無いし問われたくも無い。 隣で旨そうに酒を愉しんで居る男に倣って、銀時も盃を煽る。面倒な思考はもう、酔えない酒の齎す心地よい酩酊に任せて消して仕舞おうと思った。夢の中で酔えない盃を傾けて、酔った気になって笑い飛ばして仕舞おうと思った。 そうでなければ、この想像に、夢に、落胆して仕舞いそうな気がしたのだ。 。 ← : → |