秘すれば花 / 7



 それは恐らく恋情では無かったと思う。
 正か負か、どちらかと分類するのであれば紛れもなく負に針は振り切る。
 例えば、負けたくない、とか。越えたい、とか。個として存在を認められたい、とか。人の名前や顔すら碌に憶えようとしない男の裡に、慥かな一人として認識されたいと思う感情は、きっと最初は己にあった負けず嫌いの性分から生じただけのものだったのだ。
 それは恐らく恋情では無かった。
 慕情でも無かった。
 願いも、望みもただ一つ、独り善がりな子供じみた感情から生じたものでしかなかった。
 言うなれば負。
 執着と言う、負の感情。
 あの男を越えるも、倒すも、認められるも、羨望するも、ひとつ憶えた執着から育った感情だ。
 気に食わない。
 意に沿わない。
 負けたくない。
 勝ちたい。
 越えたい。
 近付きたい。
 見て欲しい。
 理解したい。
 そうして生じた、坂田銀時と言う男にそんな風に憧れ、焦がれた執着がやっと辿り着いた感情。
 それは恋情では無く。恋情には満たない、満たす事の出来ない一方通行の情動。無様なぐらいに心を揺らし捕らわれて仕舞った遣り場の見つからない想い。
 ……それは恐らく恋情では無かった。
 恋情によく似た、ほど近い、然し全く異なる自分だけの感情。
 いつか得そうで棄てたものとは異なった、ひとりきりの感情。
 想われたなら拒絶するか受け入れるかをすれば良い。想うなら拒絶するか受け入れるかを選んで貰えば良い。だが、どちらも必要無い、欲しく無い、何と分類すれば良いのかも解らない負で出来た想いは矢張り、片恋とは到底呼べない執着(ところ)からなに一つ進まない凝った感情或いは想いの形から変容する事は無かった。
 この、想うに飽き、焦がれるに呆れ、形にする事を諦めた、恋にさえ満たないものをなんと名付けたら良いのかすら解らない。
 
 だから、土方はその感情を何処にどうやって棄てれば良いのか、未だ解らずにいる。
 
 *
 
 『夢』などと言うものが、一体どうすれば『商品』となるのか。
 夢の集積所、と言う言葉を山崎の寄越した調書から拾った所で、土方は顔を顰めた。該当する部分を二度読み返してみるが、その言葉から全く意味が掴めない。夢、も、集積所、も解る。だが、その二つが並んだ言葉の意味が解らない。聞き覚えも無い。想像も及ばない。
 「んだ、そりゃあ?」
 得も知れぬ言葉の味わいに思考が停止を余儀なくされる。文章とはひとつ意味が拾えないとその指す所を見誤る事もある。単に勉強不足なだけなら辞書でも引けば良いが、これは恐らくそう言った類の言葉ではあるまい。
 とん、と調書を指先で叩いて土方が思わず呻くのに、山崎は自分の所為ではないと示す様に軽く肩を竦めた。大袈裟なその動作に固い衣擦れの音が鳴る。
 公務員の基本的な就業時間の終了に当たるだろう夕刻を疾うに過ぎた今は、もう夜半と言っても良い時間帯なのだが、山崎も土方も未だ隊服姿でいる。その理由は単純に、昼の捕り物から連続した公務が続いているからだ。そしてそれは未だ終わりを見ていない。
 「そう言われましても。件の獏人から聞き出した内容がそこにまとめた全てです。依頼人の求める『夢』を、対象の夢にコーディネイトして見せる事がまあ、言うなれば『商品』て事ですね」
 「……それは解らねぇが解る。理屈…に関しちゃあ、問うだけ無駄なのも解るんだが、」
 苦労の末の捕り物にて、問題の天人こと獏人を聴取して得た調書の内容を簡潔にまとめて言われるが、土方の知りたいのはそこでは無い。と言うかそのぐらいは読み取れている。解らないのはピンポイントな一言だけだ。『夢の集積所』などと言う言葉は少なくとも地球には存在していない単語の筈だ。と、なるとそれは獏人特有の能力に対する現象を示す単語を地球流に翻訳したものだ。
 思わず苦々しい声が喉奥から出て来る。宇宙は広い。天人の種類や進化の過程は、最もパターンとして多い、知能だけで他の種を圧倒する方向性に向かった『人類』だけには決して留まらない。
 猿が人間種族に進化した様に、動物や植物と言った生命が同様の進化を遂げたと言う惑星は数多い。だがそれらは生物として知能と文明に特化しただけの結果であって、種として特異な存在であったとは言えない。その知性が平和に向かったり戦争に向かったりと言った指向性が数々生まれたとして、それは種そのものに対して何らかの特異性をもたらすものではない。
 夜兎の様な種は戦闘行為に特化した進化をしてはいるが、それは別段生物として不自然な進化を遂げ生まれたものではない。生存に不必要なまでに研ぎ澄まされた動体視力や怪力、生存本能と言った能力は、彼らの文明と環境にただ適応し、先鋭的な定向進化を遂げていった結果の事だ。
 だが宇宙の中には、そう言ったごく当たり前の進化とは異なり、人類には計り知れぬ能力や形質を持った生物が稀に生まれる。
 魔法としか言い様の無い能力を持つ種。個々の精神構造を持たず種全体で一つの意志として存在する種。不定形の姿をした種。他惑星の生物に乗り移り星を滅ぼす種。極小の病原体と化し星を喰らう種。
 宇宙では希少種或いは変異種とされる彼らは基本的には怖れられ、宇宙開拓時代に滅ぼされた種も多く存在したと言う。それらから逃れた者らも、惑星間の行き交いに因ってやがて少しづつその数を減らして行った。変異に因って生じた種と言うのは往々にして短命である上、種の生存競争に弱いと言う脆弱性を持ち合わせているものだ。
 獏人はそんな希少種の天人だ。彼らは能力として夢を支配する何らかの力を持っている。その仕組みなど人類がどれだけ首を傾げた所で、真っ当に説明などつかぬ話なのだ。
 それでもどうしても人は理解不能の事象を前にすると、その理屈を己にも理解出来る辻褄として組み立て思考しようとする。故に、無駄だと解っていても土方は苦々しく頭を捻らずにいられないのだ。
 「具体的な話としては、獏人がその能力を使った対象は深い昏睡状態──と言うより、一種の幽体離脱の様な状況になる様です。死んではいませんけど。で、その抜けた精神?みたいなもんですかね。それは獏人の言う『夢の集積所』みたいな所に行く。で、獏人はそこに自ら入り込んでその精神の見る『夢』を、依頼通りに拵える、と」
 ふと『夢の集積所』などと言う、己がつい先頃疑問にして仕舞った、聞き慣れない響きを聞き取った土方は調書を読むのを止めて山崎の方を見た。そこが今ひとつ理解出来ない為にメカニズムを順序建てて理解するのに苦心しているのだ。
 その事を少し控えめに言えば、山崎はうーん、と唸って天井を見上げた。少しの間考える素振りをしていた彼はやがて、何かを提案する時の様に軽く指を立てておずおずと言う。
 「サーバとかクラウドとか、なんかそう言うものだと譬えれば良いんじゃないですか?現象はともかく、獏人にとっちゃ、多分そう言ったニュアンスのものなんじゃないでしょうかねえ…」
 言われて土方は片目を閉じて額を揉んだ。要するに、人がパソコンなら、データとも言える精神性の一部がネットを介して余所のサーバなどに再現され、そこで獏人に書き加えられたり何なりをされている、とでも置き換えて理解すれば良いのか。
 今ひとつ納得がいかない。が、そう言うものだと思うしかない。納得は出来ずとも意味は何となく伝わったので、土方は取り敢えず無駄な思考にリソースを割くのを止める事にした。思考を止めた事に何だか疲れた心地がして、溜息をひとつ。
 「……まぁいい。兎に角だ、それで昏睡状態に陥っている被害者ってのは、その──、幽体離脱みたいになった精神が『夢の集積所』って所から戻れなくなっている、と言う事か?」
 「恐らくは、そう言った現象が起こったんでしょうね。厄介なのはその『夢の集積所』に外部からアクセスする手段を持つのが獏人と夢を見ている当人だけだと言う事と、昏睡状態が長引けば死に至る、と言う事ですね」
 頭に浮かびかけた問題を先に言葉にして言われ、土方は調書を机にばさりと乱暴に投げ出すと煙草をくわえた。苛々とまとまらない頭にはニコチン摂取が覿面だ。火を点け息を吸えば慣れた苦味が脳に軽い酩酊にも似た心地を冴え冴えと齎す。そんな正反対に感じられる奇妙な感覚の狭間では冷静な思考がゆっくりと回り始めている。
 未だ獏人の身柄は真選組の留置所にあるが、それも残り一日の話だ。正確には半日と少し。天人相手の拘留期限は生憎と長くはない。特にこの星は天人に徹底的に優遇された不平等条約の下にある。この条約を目当てにこの星で犯罪や無法を働く天人も多いぐらいだ。同じぐらいに、優遇された働き口や暮らしを求め真っ当に移住する者も多いのだが。
 拘留期限が過ぎれば獏人の身柄は惑星連合に引き渡され、それから母星への強制送還となる。母星では謹慎程度か、あって執行猶予付きの懲役の判決が下されるだろうが、もう地球からは手も口も出せない事は確かだ。
 これまでの調書の結果から見ると、昏睡事件は獏人の見せた『夢』とやらに原因がある。それが更に『夢の集積所』などと言う人類にとって未知の領域に至るとなると、医学も科学も手を出しようがない。
 つまり、昏睡状態に未だ陥っている人々を元に戻すには、獏人の能力に因る協力が不可欠と言う事になる。だが、地球には他に獏人は移住していないし、獏人の母星とも付き合いが無い。かと言って一度捕縛した容疑者にその権能を振るわせるのは厄介だ。その能力を利用して何かをしないと言う保障も無い。厠に行きたい、と言う犯罪者の手枷を外す事ですら危険で慎重に判断し取り扱わなければならないと言うのに、手枷を外すどころか特異な能力を使わせると言うのは如何なものなのか。
 (だが、昏睡の先にあるのが死ならば、手段なんざ選んでられねェ、か…)
 かかっているのは人命だ。そしてこちらには掛けられる猶予は殆ど残されていない。選択の天秤の片方に置ける様なメリットは一切無い。
 その結果、天人が母星で受ける罪状がどれだけ軽くなろうとも。他星での傷害、が、他星での傷害未遂、となってほぼ無罪になろうとも。
 「……司法取引を持ちかけて、事件解決の協力を、但し威圧して『申し出』ろ」
 江戸を護る、と言う警察としての当初の目的は、治安を乱し昏睡事件を起こした天人の捕縛で既に叶っている。これ以上の訴追は警察の領分ではないし、土方の望む所でもない。法に因る裁きと言うものに土方は信頼感など抱いていないし、性格上大した正義感も持ち合わせていないのだが、いつの頃からかその認識や考えは少しづつではあるが変化している。以前までの土方であれば、司法取引の命令ぐらい何も悩む事なく当然の様に口にしていた筈だ。
 日頃意識してはいないその『変化』とその理由を思い知る事は余り好ましい事ではない。脳裏を過ぎる銀髪頭を意識して仕舞い込み、土方は不機嫌顔で山崎に指示を続けるが、山崎はそれを苦渋の決断故のものと取ったらしい。苦い決定に特に反論する事もなく、命じられた通りの任に直ぐについたのだった。
 
 
 その後、すっかりと観念したらしい獏人は取引を了承し、昏睡状態だった人々を自ら夢に入ると言う能力で全て呼び戻し目覚めさせた。
 これに因って謎の昏睡事件は解決、危険な商売を行っていた天人は真選組の手を離れ、入国管理局に因って母星に強制送還措置をとられ、事は全て片付いたかに見えた。
 ……忘れられていた問題が発覚したのは、その直ぐ後の事になる。





説明と繋ぎのターン。7って言うか6.1…。

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