あまいはな / 2 江戸の町は開国以来目まぐるしい発展を遂げて来た。 本来ならば何百年とかかった進歩の時間を僅か数年程度で成し遂げたのは、その開国で訪れた天人らの持ち込んだ文明の数々であり、その文明を効率的に実用化に漕ぎ着けたのは、江戸の中央にどんと聳えるターミナルのもたらしたエネルギー資源であった。 ターミナルの威容は江戸の大体どこに居ても、少し開けた場所や高台に出れば拝める。遠くから見るとその光景は、大樹の周りに広がる人工の森の様にも見える。 大樹の裾野の如くに拡がる木々──ビル群の濫立は、江戸の発展を支えた政治の中枢機構や大企業をその裡に抱えており、そこから離れる毎に空を遮る建築物は少しずつ数を減らして行き、山の手を超えると多くが軒の低い、旧来見慣れた江戸の町並みに近いものへと転じていく。文明の利器は各家庭のあらゆる所に行き届いてはいるのだが、街区の整備まではまだ行き届いていないのだ。 銀時の住まうかぶき町は中央にほど近い地域にあり、繁華街にはビル群、そこを少し離れると未だ発展の少ない市街地と、町の風景はなかなかに極端だ。かぶき町と言う雑多な土地柄をよく表しているとも言えるかも知れない。 舗装された道路に出ると、それまでごつごつと尻を打っていた衝撃が遠ざかる。万事屋のある地域は、上下水道もガス電気も行き届いているのだが、まだ道路も全てがアスファルトで整備されている訳ではない為に原付で走り出すと暫くの間は乗り心地の悪い思いをさせられる。毎度の事なのでもう慣れたが。 それでも交差点を曲がってある程度大きな通りに出ると少し気が楽になる。道の舗装具合は勿論なのだが、人の好き勝手に往来する街路は運転者にとって結構に気を遣わされるものなのだ。何しろいつ何時子供が飛び出して来たり、老人がミカンを転がしたり、事故に遭った振りをする当たり屋が出現するかも解らない。そんな町の風物詩──或いは治安の問題──は、文明がどれだけ流入しようが易々変わるものではないのである。 車道を忙しなく行く車輌の間を飽く迄安全運転で抜けて通り、新しい建築物の居並ぶ繁華街へと入っていく。まだ日の高い時間帯だ、夜はネオンで毳々しい町も、白々とした陽光の下ではどこか精彩に欠ける。 多くの店はまだシャッターを下ろしていて、その合間で観光客向けの店や食事処だけが開いている。テレビで紹介されたとかで行列を作っているラーメン屋をちらりと見て、俄に沸き起こりそうになる空腹感を溜息と共に振り捨てて、銀時はハンドルを切った。すっかりと頭の中に叩き込んで仕舞った地図では目的地まではそう遠くはない。 * 立ち並ぶ雑居ビルの間に、ぽつりと捨て置かれた様な古びた家。玄関から伸びる大谷石のブロック塀の前に原付を停めると、ヘルメットをくるんと手で回してハンドルに引っ掛けておく。 玄関の横にある郵便受けはガムテープで封じられ、鬱蒼と庭木の茂る家には人の気配がしない。だが銀時は構わず、勝手知ったる我が家の様な足取りで門扉を押し開けると、袂から取り出した鍵を差し込んで古そうな玄関戸を開錠した。 「お邪魔しまぁす」 戯けた調子でそんな一声を掛けて、三和土でブーツを脱ぐ。家の奥からは客人を迎えようと誰かが来る気配も無く、日中の街の雑音たちの中で壁ひとつに隔てられた静寂に包まれている。 すん、と鼻を鳴らすと埃っぽい匂いが鼻をつく。掃除の最中に舞う埃の匂いではなく、年月の堆積を感じる様な古い匂いだ。畳、壁、柱と言った建材、古びた新聞や本の少し黴びた様な匂い。 忘れられたかの様に凝っていた空気特有の、どこか物悲しさや寂しさを感じさせるそれは、放ったらかしの倉庫や廃屋のにおいである。 ブーツから足を抜くと、廊下に手をついて立ち上がる。つい先日掃除したばかりの床には埃っぽさはないが、この独特の匂いの中では、役目を終えて今にも朽ちて仕舞いそうな危うい錯覚を憶えていけない。 いつも片肌式に羽織っている着物をさっさと脱いで、これもまた先日綺麗にしたばかりの長押にハンガーで引っ掛けると、半袖の腕を捲る仕草をしながら銀時は「よし」と頷いた。本日の仕事開始だ。 一戸建ての家屋は少々レトロな趣の物件だが、年季は些かに足りておらず、まだまだ『古民家』などと言う格好の付きそうな言葉は合わない。 築年数からすると、開国すぐに開始されたターミナル建築と共に市街地の整備が行われた時の物件の一つだろう。 ターミナルから程よく距離のあるこの辺りは、幕府の命令で土地を接収する事も出来ず、かと言ってここに居住していた者らの江戸時代の家屋をその侭使わせておく訳にもいかず──スラム街の様になるのは必至だった──、家を新築し宅地整備に協力するならその侭住み続けて良いとかなんとかの措置をしたのだとか何とか、依頼を受ける際に聞いた気もするが余りよく記憶してはいない。 ともあれ古さとしては少々中途半端な時期のもので、朽ちる侭に任せて易々崩れて仕舞う様なものではなく、取り壊すにも費用がかかる様な物件であった。 家主の老婆は、電話帳で見つけたのだと言って万事屋に依頼を寄越した。直接尋ねて来た訳ではなく、病院の公衆電話からである。 つい先日重たい病で入院した老婆は、そう長くないと宣告された残りの生を、ひとりきりで暮らしていた古びた家の中ではなく、新たな知り合いの出来た病院で過ごす事を選んだ。 身寄りはなく、その家も決められた期日には取り壊される。万事屋が頼まれたのは、その前に家屋の中を片付けて欲しいと言う仕事だった。 土地の売却は既に決定しており、売却で出た金銭は病院で過ごす最後までの時に充てると言う。 「どうせ取り壊すんなら、そういう業者が片付けでも処分でもやってくれんじゃねぇの?」 依頼の詳細を聞くべく直接病室を訪っての銀時のそんな問いに、老婆は咳き込みながら少し寂しそうに笑ってこう返して来た。 「生きて来た証…とでも言うのかしらねぇ。どんなものでも構わないの。私と赤の他人の万事屋さんが、これだって思うものを家からひとつ見つけて、それをここに届けて頂戴。他のものは大したお金になるものなんて無いけれど、全部好きにして良いから。それを依頼料としてどうかしら?」 要するに、取り壊される前に家を生前整理したいと言う事だ。それに何やらよく解らない話が付属しているだけの事。 特殊清掃とまではいかないが、似た様な、廃屋状態の家の片付けや蔵の掃除と言う依頼を請けた事は以前にもある。そう面倒な事にはならないだろうと踏んだ銀時は、定められた取り壊しの期日までに、依頼人の家を片付け、証だか何だか、とにかく物品を一つ届ければ良いだけだ。 高価な物こそ見つからないかも知れないが、どうやら家主の老婆は物を大事に扱う性分だった様だ。昔から所持していた物、収集品や美術品などには、状態次第で以外な高値がつく事もある。それっぽいものを古物商、もといリサイクル業者に持っていけば幾らかの金銭にはなるだろう。それで労働に見合ったものになるかどうかは定かではないが。 そんな経緯で、片付けの仕事を始めて三日目になる。取り壊し業者が入るのは未だ先で、不動産屋にも片付けの話は通してあるのだが、無用なトラブルを避ける為にも出来るだけ早く終わらせたい所だ。 初日こそ活動範囲の掃除から始めて酷く苦労させられたが、もう大分要領を得て来て勝手も解っている。 入口の近くにある四畳半の小さな部屋は壊れた襖を既に取り外してあり、茶箪笥などの大きな家具は既に運び出して処分し終えている。 襖を壊したのは神楽で、フワッとした依頼の品を「これじゃないか」「あれに違いない」と散々引っ掻き回してくれて片付けが全く進みそうもなかった。 頼りになると思われた新八も、掃除となるとつい生来のモッタイナイ根性が働いて仕舞うのか、丁寧過ぎて仕事の進みが宜しくない有り様。 その為、結局仕事は銀時がほぼ一人でこなす事になった。食器や飾り物や着物と言った目ぼしそうなものだけ、一日に見つかった分を新八の家へ持ち込み、そこで価値や依頼の品についてを話し合う事にしている。 今日は押入れの掃除だ。布団などを粗大ゴミとしてまとめる作業が主になりそうだから、気をつけてやらねばなるまい。依頼人が忘れているだけで、枕の中に通帳や印鑑を仕舞ったり、などと言う事をお年寄りはよくやらかすのだ。 慎重に、取り出した枕を手で探っていると、ふと、壁にかけられたカレンダーが目に留まった。二ヶ月前の月の侭、捲られる事もなく淋しげに壁に垂れ下がるそれを何となく見上げる。 (月日が経つのは早いもんだ、ってか…) この月の頃は夏も終わったと言うのにまだ暑さを引き摺っていた頃だろうか。具体的に天気や気温や物事を思い出そうとしても余りはっきりとは蘇って来ない。少なくとも思い出とか呼べる様な事物への遭遇は無かった気がする。 思いも出せない様な月日。積んだ生き様。それらから比べれば、ほんの暫くの間、まともに姿を見ない事も、話をしない事も何と言う事はない。元より毎日の様に接点があったと言う訳でもないのだからなおさらだ。 「……欲深になるもんだなァ…」 逸れかけた物思いを、ぼす、と枕を叩く事で遮って、銀時は嘆息した。取り敢えず枕の中には通帳も印鑑も金品も入っていなさそうだ。 (布団を出して、雨が入らない様にゴミ袋に入れて三和土に置いといて、そんで帰りに粗大ゴミ用のシールを買って…) 作業の手順を考えながら、銀時は押入れを漁る事に専念する。取り敢えずここにあるのはただの古びた布団程度のものだから、とっとと終わらせて次の事に移ろう。 意図せずメタい言い訳っぽくなってますね月日とかなんとか…。 ← : → |