あまいはな / 5 モーター音を喧しく鳴らしている掃除機のスイッチを切ると、辺りは一気に静かになった。 ふう、と嘆息して掃除機のハンドルから手を離すと、銀時はそれまで騒音対策で閉ざしきっていた窓を全開にした。 機械で埃を吸っても宙に舞う埃までは吸えない。それどころか掃除機の排気の風で余計に散り放題になる。埃っぽい部屋に流れ込む空気に目を細めてマスクを口元から下げる。町中の空気に清涼感などある筈もないのだが、それでも幾分心地よい。 部屋の、見える所はそれなりに掃除は行き届いていたのだが、やはり家財の裏や隙間となると話は別だ。家主が年寄りともなると、わざわざ家具の位置を変更したり、退かしてまで掃除をしたりする事もほぼ無い。何年分か何十年分か堆積した埃は、昨今の、たった一つの吸引力があって持ち運びも手軽な掃除機などでは到底対処出来る量ではなく、万事屋からわざわざ掃除機を持ち込んでの作業となって仕舞った。 それでもゴミの紙パックを一度交換する羽目になっている。二個目の今も正直開けるのが怖い。いっそ原始的にお茶っ葉でも撒いて箒で庭へと吐き散らした方が良かったかも知れない。 「や。流石にそれこそ近所迷惑でさァ。家屋同士の離れてる田舎ならまだしも、こんな住宅密集地でそんな事をやった日には、警察(うち)にまで苦情処理願いが来るんで勘弁して下せェよ」 思考にごくごく自然に入り込んで来た声に、銀時は口をへの字に曲げた。聞こえて来た方角に視線をやれば、庭向こうの塀の上に、見慣れた黒い隊服が座っているのが目に入る。 「おまわりさーん、空き巣の現行犯ですよー。て言うか心読むのやめてくんないほんと」 「だから、人聞き悪ィのはやめて下せぇって。俺ァただの…、えーとアレだ、仕事。巡回の途中でさァ」 「巡回って言葉も咄嗟に出て来ないって、もうそれ職務でも何でもなくね?」 両手で筒を作って態とらしく言う銀時に向けて、ひらひらと実に気のない様子で手を振ってみせた沖田は、無造作に座っていた塀から飛び降りた。当然の様にこちらの、庭の中へと向けて。 「巡回どころか、いよいよただの不法侵入だよ?他人様の家に押し入って良い道理とかあんの?令状は?」 ポケットに手を突っ込みつつ、縁側に佇む銀時の方へと、明らかに何か意図を持って沖田は歩いて来る。その様に憶えるのは碌な予感ではない。本能ではなく経験でそう感じる。 何も無い訳は無いだろう。それは確かだ。彼の今までの性格上、何だか身構えて仕舞うのは已むなしと言え、あからさまにそう看破されるのも癪だ。 沖田は奇矯な行動こそ取る少年だが、その行動の標的でさえ無ければ基本的には無害な存在である。銀時とはドS同士馬が合うと言うのもあって、喧嘩に似たコミュニケーションを要する土方よりも余程気軽に相対出来る。…筈なのだが。 「旦那が空き巣の現行犯なら問題無いんで」 「だから、依頼で掃除してるだけって言ってんだろーが」 そう。過日の遭遇ではそう説明した筈だ。沖田がそれを忘れているとも思えない。否、忘れていなかったからこそ、銀時が依頼でここに居る事を確信して、それでわざわざ訪ねて来ているのだ。 それは、町中で遭遇するとか、行きつけの団子屋で遭遇するとか。そう言ったものとは話が違う。場所を問わず会いに訪ねて『来た』、つまり、沖田には銀時に何らかの要件があると言う事だ。そして銀時にはわざわざ仕事先まで訪ねて来られる様な思い当たりは無い。 (そうなると俄然、嫌な予感しかしねェんだよ…。イヤガラセの類ってのは考え難くとも、面倒とか、面倒とか、はたまた面倒とか…、) 明らかに拒絶混じりの表情を向ける銀時に構う様子一つ見せず、沖田は勝手に銀時の足元の近く、申し訳程度のスペースしかない縁側に腰掛けた。 窓は開け放し。寄りかかる壁もない。茶も、甘味も出ない。目の前には野放図な小さな庭と大谷石の塀。その向こうからは町の賑わい。 何も無い。座して、寛ぐにも休むにもサボるにも。何にも値しない。 「……」 「……」 その儘互いに無言の時間が過ぎる。掃除機はもう止めたし、埃っぽい室内に急いで戻る用事も窓を閉ざす必要も困った事に思いつかない。水道も出しっ放しではないしお湯も沸かしていない。窓を開け放した儘の様な姿勢で立っているのが馬鹿馬鹿しくなるぐらい、そこから離れる理由が出てこない。 「…………で?茶なんか出ねぇ、こんなあばら家に何か用」 たっぷりと四分間は沈黙してから、銀時は諦めた様に口を開いた。気まずくなってどちらかが先に口を開きたくなる程度の間に、結局折れたのは銀時の方が先だった。 「家に用がねェって事ぐらい知れてるでしょうに。いえね、旦那に感想を訊いておこうかと思いやして」 膝の上で手のひらを組んだ沖田はそこで初めて横に佇む銀時の顔をちらと見上げて寄越した。 「感想」 鸚鵡返しにすれば、彼は「へェ」と頷いた。組み合わされた指の一本が、珍しくも少し忙しなく己の指の背を叩いている。リズムでも取る様な、己の思考に沈む様な、そんな仕草が五回続いた所で、銀時は沖田に向けて肩をすくめてみせた。 「感想って言われてもな。何の?ひょっとして銀さん気づいていない内にタバスコ入りのもんとか食わされてた?」 無論そんな憶えはないし、神楽や新八が代わりに被害に遭っていた様子もない。だから少し態とらしくなった言い種に、沖田は指の動きを止めると、目をすいと細めた。これも珍しく解り易い。僅かに乗ったのは苛立ちだ。 「…旦那も気にしてると確信はあったんですがねィ…。それとも俺の見込み違いでしたか」 トーンの沈んだ声に、これはからかう余裕もからかわれる気もないなと判断した銀時は、正直に、本来真っ先に浮かんだ思い当たりを口にする事にした。元々回りくどい話などわざわざしたいとも思っていない。 「…………まぁ、他に多分ねェだろうなってのは消去法で出たけど、何で『それ』を、おめーが訊きに来んの?」 だが、矢張りそこは解らない。『感想』ならばある。確かに。悪夢の様に見る程には引っ張られた、気になった、嫌な『感想』だが。 「端的にどうぞ」 「……」 問いには答えず『感想』とやらの提出をなおも求める沖田を呆れ混じりに見下ろす。悪態が出るより先に漏れたのは大きな溜息。銀時は頭を掻いて、被っていた埃よけの三角巾をむしり取った。 「…他人とコミュニケーション取る気ゼロ。淡白っつーかもう職務以外無関心ってレベル。どうしたの、あの子。性格変わっちまう様な何かでもあった?」 銀時が、ここ数日溜めていた愚痴でも掃き捨てる様な調子でそう言うと、沖田は何やら訳知り顔でそれに頷いてみせた。 「…ですよねィ…。一見仕事に従事してるだけなんで、真選組(うちのなか)ではまぁ解り難ェんですが、旦那なんかから見ると明らかでしょうねェ」 「解り易い、のが、違う角度で解り易くなった感じだよ。何を打っても響かねェってつまらねェ意味で。で、何があったんだって?」 急かすのも余裕がない様で業腹だったが、元々話を強引に振りに来たのは沖田の方である。そして銀時は『それ』に対する感想と意見とを提出しているのだから、答えを貰う権利はある筈だ。そもそもにして気に懸かって仕方のなかった事であると言う、明確に痛い部分もあった。 「ここん所ストレスとか何か色々溜まってたみたいなんですよ。まあ別にそれ自体は、カリカリ苛々してるだけで問題は無いっちゃぁ無ェんですが、やっぱやり難ェでしょ?爆発し易い爆弾を抱えた上司とか。で、職場環境の改善が必要だと思ったんでさァ」 果たして別段焦らすつもりはなかったのか、沖田は組んでいた指を解くと頬杖をついた。溜息でもついてみせたのか、両肩が上下する。 「……その言い方だと、おめーが何かあの子にした事が原因って聞こえんだけど?」 すらすらとした説明調子に、銀時は眉を顰める。どうも話がおかしな事になっている気がしてきた。 「いっそ楽にしてやろうかと思いやしてねェ、喜怒哀楽を感じなくなる呪いをかけ、」 呪い、と言う荒唐無稽な言葉が脳を滑っていく。同時に、沖田が今まであれやこれやと、呪いの人形やら何やらを持ち出していた(邪悪な)記憶の数々も。 「やっぱりてめぇの所為じゃねェか全面的にィィ!!」 「だから、『人聞きが悪い』って言ってんでしょうが。土方さんにそう言いやしたらあん人も旦那と同じ様な反応を寄越しやしたよ」 思わず怒鳴り声を上げた銀時をさも煩そうな表情で見上げる沖田の表情に、悪びれた所は何もない。だから余計に腹が立ってやりきれなくなって、銀時は頭を抱えた。 「で、それ以来ですかねィ、無感情の不感症みてーになっちまいやして」 「……だからそれは全面的にてめぇの責任だろうがァァ!」 「時間が経てば解──、消えるとは思うんですがねェ、仕事に支障も出て困るんですよねィ。怒鳴り声上げて怒り狂うならいつも通りの副長だ、で済むんですが、淡々と怒るもんで、不気味ったらありゃしねェ。そんで、無理の反動でまた更にストレス溜め込んで行くしで、もう処置無しでさァ」 へら、と嘲る様に紡ぐ沖田の怒りなのか心配なのかもよく解らない言葉に、銀時は怒鳴った反動もあって脱力を憶えた。窓に寄りかかって額を揉む。 「だから、おめーの自業自得だろうがそんなん…」 「まぁそうなんですがねェ…、もしもこの間のあん人の塩対応を気に病んでたらいけねぇと思いやして、旦那にはお伝えしておこうと思ったまでです」 言い終えると、ぽんと膝を叩いて沖田は立ち上がった。埃っぽくなった隊服を軽く叩いて、言うだけ言ってすっきりしたとばかりに「じゃ」と無造作に手を振って、塀を軽々乗り越えて去っていく。 「………あの野郎…」 どうしろとも、どうしてほしい、とも言わなかった。だから余計にたちが悪い。 (本当に、呪いなんざかけてどうすんだよ…。それで何がどうなるって訳でもねェだろうが。それで野郎が楽になれるなんて訳も、絶対にねェだろうが…) 脱力を思い出して縁側にしゃがみ込んで、銀時は小さく呻く。 答えはどちらでも良い。沖田は、仕事の支障などとこれっぽっちも考えてなどいないだろう。 だから、感想などと言って寄越したのだ。意に添わないと感じている事など解っていて。銀時ならば『それ』をおかしいと気づいて、踏み込んでくれるかも知れないと、極めて消極的な期待を、あの狡猾な少年はわざわざ置きに来やがったのだ。 呪いと言う言葉。そのもの。 ← : → |