あまいはな / 8



 掃除依頼中の家の玄関に通された土方は、先に上がった銀時の後に直ぐは続かずに、無言の侭に視線を油断なく辺りへと這わせていた。
 外された襖や雑多な物の詰まった段ボールは玄関からでもよく見えている。仕事と思って普段からそんな有り様を見ている銀時にとっては何の事もないが、事情を知らぬ他人にとってはどう映るのだろうか。
 さて、リフォーム中か家を取り壊しての引っ越しか、どちらに見えるのやら。とは言え、土方が油断なく見回すそれらの光景は、その正解を探る類では恐らくはない。単に、何かがあった時の為に家の構造や置いてある物品、障害物を確認しているだけの、職業病の様な作業だ。
 「散らかって見えるかも知れねェが、掃除はしてあっから」
 それでも一応そう言い置いて、銀時は玄関に佇んだ侭の土方の腕を引いた。『今』の土方が埃だの汚れだのを気にするかなど解らなかったが、続く沈黙を少しでも払いたかったのだ。
 重苦しさはない。ただ、居心地の悪さ、何かを過たっている様な不安定感が、掴んだ侭だった手の、されるが侭になっているだけの有様からひしひしと感じられる気がして、銀時は家財の殆ど片付いた居間へと土方を連れて入ると、そこで漸く解放された心地を憶えながら手を離した。
 「手当すっから、そこ座ってろ。座布団もなくて悪ィがよ」
 「……」
 ここまで大人しく付いて来た時点で、逆らう気は特に無かったのだろう。土方は応えず無言の侭に、腰の刀を外す事もなく畳の上に腰を下ろした。警戒していると言う風ではなかったが、何となく余計に居心地の悪さが増して仕舞った気がする。
 かと言って、刀を外せと命令する訳にもいかない。そう口にする理由もなければ意味も無い。筋合いも、無い。
 「ああ、あと、この家は不法侵入じゃなくて、片付けてくれって依頼で出入りしてるだけだからね?身寄りのねぇバーさんからの依頼でさ。何つーの、生前整理?そう言う類で…」
 だから仕方なく、銀時は一人で勝手に言葉を続けた。問う気配など相変わらずにも無かったから、ただの独り言なのは百も承知で。
 「何でも、手前ェの生きていた『証』になるものを、遺品になる家財から見つけて欲しいんだと。何か特定も物とか指定がある訳でもねェから、あれかも知れねぇこれかも知れねぇやって、もう銀さん頭抱えながら毎日掃除してる訳だよ」
 「……」
 やはり土方からの返事どころか相槌すら飛んでは来ない。銀時は諦め混じりの息を吐きつつ炊事場に向かい、この家に元からあった小さな洗面器に水を入れると、掃除の際の汗止めに使う予備のタオルを小脇に抱えて居間へと戻った。
 畳の上に洗面器とタオルとを並べると、居間の隅に置いてある、簡易的な救急セットの入ったケースを態と、座す土方の真正面へと引っ張ってくる。
 透明なケースに入ったその中身が、昨今では百円均一の雑貨店でも売っている様な応急処置道具の類である事は見て明らかであったが、やはり無言の土方は特に何も言わなかった。
 それが、信用由来の身を任せた沈黙ではなく、単に己にも他人にも関心が無いから何も口にしないだけなのだろうと解って仕舞うのが、苦く重苦しい。
 「傷」
 見せてみ?と袖を捲り上げる仕草と共に言えば、土方は隊服の上着を脱ぎ、シャツのカフスを外した。血の滲む白い布地に眉が自然と寄る。上着にはあまり染みていなかったから解り難かったが、思えば、地面まで滴るぐらいなのだから結構に深い傷の筈だ。
 銀時は土方が赤い斑模様のついた袖をまくり上げているのを横目に、タオルを洗面器の水に浸した。新しいタオルだから吸水が悪いので、口から出て行かない数々の感情と共に手のひらでぐしぐしと握り込んでやる。
 血に濡れた腕を見るだに、傷は土方の左の二の腕の側面で、どちらかと言えば肩に近い位置の様だ。取り敢えず濡らしたタオルをよく搾ると、「沁みても我慢な」と軽い調子で言いながら、銀時は血を拭っていく。湿った生地にじわと赤い色が遊離し広がるが土方は眉一つ動かさないでいる。元々痛みには我慢強い性格だったと思うが、これでは地味な部下も色々と気を揉む訳だと、思わず溜息。
 「おめーさぁ…、こんな傷こさえて放っておくとか、それマジな話で死亡フラグみてーなもんだからね?あっこに救護班とか居ただろーが、誰かに気付かせる前に手前ェで申告出来ねェとか、それ強がりとか心配させたくないとかじゃなくて、部下を信用してねェって言ってる様なもんだからね?」
 「……」
 態と煽る様な調子が思わずこぼれるが、やはり土方は何も言い返そうとはしなかった。腹の立つ様な言い方をされても何も返さない、言い分があるとしてもそれを口にしない、それはどう考えたところでまともな状況とは言えないだろう。少なくとも以前までの土方であったら到底有り得なかった筈だ。
 流れた血を拭って漸く見つけた傷口は、結構にぱっくりと裂けていた。傷そのものはそんなに大きくは無いが、出血の量からすると深そうだ。
 (…こりゃ、斬った、じゃなくて、刺した、方だな)
 相手の得物が結構な業物か何かだったのかも知れないが、そもそも防刃繊維の布も刺突に対する防御効果は万全には発揮出来ないものだ。斬りつけられる事には強くとも、力で刺し貫くのには弱い。
 腕は動かせている様だから、筋などに深刻なダメージは取り敢えず無さそうだが、見ただけでは流石に判らない。これは後からでも病院に行くことを進言すべきだろう。
 丁寧に血を拭ったタオルを洗面器へ放り込むと、続けて銀時は救急箱を開けて中から止血用のガーゼを取り出した。一枚一枚パッケージングされているそれを開封し土方の腕に当てる。
 「押さえとけ」
 今にも苛立ちの滲みそうな声音だったが、土方は存外素直にそれに従った。逆の手のひらで布をしっかりと押さえる。
 出血は多かったが、凝固するまでの分は粗方出切っていた様で、拭っても後から後から出血が止まらない、などと言う事はなかった。元より筋肉の多い部位は出血も止まり易いのだ。
 土方が素直に傷を押さえているのを前に、銀時は別の止血用ガーゼを開封するとそれに抗生物質の軟膏を塗りたくった。刃物の外傷なのだから、万一破傷風になどなったら目も当てられない。
 銀時がガーゼに薬を塗り終えた所で、得た様に土方も濡れたガーゼごと押さえていた手を傷から離した。手当の行為をされ慣れているのだなと思うが、口には出さないでおいた。
 この土方であれば、そんな揶揄ぐらいで口論を始めるとは思えなかったが。
 薬を塗ったそれを代わりに傷口に当てると、包帯をぐるぐると巻いて固定していく。
 二人の座す居間は、庭に面した窓から差し込む繁華街の遠い灯りを受けてぼんやりと明るい。その下で起きた騒動など知らぬ様に、空に照り返す薄ら明るさに縁取られた住宅街は静まり返っている。
 「…………」
 「……」
 沈黙に見守られる様な空気はひりつく様な錯覚を齎す。緊張感には至らないが、居心地は針の筵に座らされている様に悪い。今までならば、と、いちいち思わずにいられない、その差異が余計に重苦しい感覚を与えて来ている。
 包帯を巻き終えるまでの時間もそう長くはない。
 手は澱みなく動く。慣れた傷の手当の動作。時間稼ぎが出来る程に器用にはなれない。
 「……お前、部下に怖がられてんぞ」
 結局出来たのは、何の工夫もない言葉がひとつきりだった。
 無感情に敵を斬り伏せる、ある種で超然とした佇まい。戦時下であれば、戦場の只中であればまだしも、振り返れば直ぐ平和の味に満ちた空気の吸えるここでは、それは余りに異質だ。
 殺さなければ殺される。そんな必死ささえも無い無感情な殺傷は、殺戮にすら値しないただの作業に等しい。
 そんな土方を見上げた部下は、自らに刃を突きつけられている訳でもないのに、怯えて後退りをしていた。それは本能的に、それを相容れないものであるとそう認識した故の行動だ。
 土方の刃が己に向く訳ではない。だが、単にその存在が、その所業が、死や負傷よりも恐ろしかったのだ。
 少なくとも今ではそれが正しい事ではないのは明白だ。ここは戦場ではないし、銀時の知る土方十四郎と言う人間はそんな殺人者では無かったのだから。
 だが、それは糾弾されるべきものなのか。呪いだかなんだか知らないが、少なくとも部外者である銀時には何かを言えた筋合いなど無い。
 何を言いたいのかの着地点もよく見えない切り出し方だったが、先程までの独り言とどうせ変わるまいと、銀時はその侭続けようとした。が。
 「知ってる」
 果たして土方は──ずっと無関心に沈黙を続けていた男は、一言そう、酷くはっきりとした調子で答えて寄越した。
 何の言葉がその返答を引き出したのか。それとも単に事実だから肯定しただけなのか。恐らくは後者に違いないと、思わず口端を下げた銀時の顔を僅かの間だけ見て、土方は続ける。
 「…が、どうにも出来ねェしなるもんでもねェ。人並みの言葉を放った所で、感情が付いてくる訳じゃねェんだ。感情の伴わない言葉を吐く指揮官になんぞ、それこそ信など置ける筈もねェだろう」
 そこまで言うと土方は手当されている腕を僅かに揺らした。手が止まっている、と言う訴えだと気づいた銀時は慌てて、すっかり止まっていた動作を再開させる。
 「勿論俺だって実害は感じちゃいる。だが、それに対して何も思わねェってのが実情だ」
 だから、自分はただ淡々と敵を斬る職務を全うするだけだとでも言うのか。銀時は至近の土方の顔を見るが、彼は無感情な目で、手当を受けている己の腕を見ているだけだった。
 「ってもな…、」
 「そんな状態で、怖がらせてすまない、とでも口だけで言うのか?何も感じてねぇ面で、本心で、そんな事を言われて、手前ェはそれで納得するのか?」
 咄嗟に反論を上げようとした銀時を遮る様にそう強い調子で言い切ると、土方は逆の手で包帯の巻き始めを自ら掴んで結んだ。銀時の掴んでいた包帯の逆端を奪い取る様に抜き取ると、救急箱から鋏を取り出して、切る。
 鋭い音を余韻の様に残し、はら、と畳に力なく落ちる包帯の余りを見下ろして、銀時は唇を噛んだ。
 感情も、その意味も伴わない言葉に効力などないと、そんな事は誰よりも自分で解っていた事だった。
 感情を込めながらもずっと真意を何一つ含ませずに、ただ土方への想いだけをフラットに投げて転がして、己と彼との間に確かに存在していた、無責任な許容と受容の狭間だけを楽しんでいた。
 そんな銀時の想いは、果たして土方に全く気付かれていなかった訳ではないだろう。
 何も感じていない様な顔で。感情の伴わない言葉ばかりを投げられて。
 それを、土方はどう受け止めて、何を思って居たのだろうか……?







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