情熱のない犯罪 / 6 「──以上が先日の会議での決定事項になる。直接真選組(うち)の行動指針に関わりのある事じゃねェが、各隊は部下に通達を忘れんなよ」 読み上げた書類を卓に戻して一同を見渡す。各々座す席から己へと向けられている十一の視線が──否、一人寝ているので十か──それぞれの仕草で頷くのを確認して、土方は「以上。伝達事項は終わりだ」と締め括った。そして続け様、改めて本日の会議の開始を告げる。 月に一度の真選組の定例会議だ。朝議と同じ部屋で行われるそれは朝議とは異なって局長、副長と、隊を率いる幹部のみが集まって行われている。上座には局長を挟み副長二名が座し、各隊の隊長達はそれを横に見る形で対面同士で並んでいる。各々席には座布団だけではなく小卓が用意され、書類や事件のファイルを参照しながら話し合いが進められる、と言った体だ。 攘夷浪士グループの検挙や捜査に対する大掛かりな作戦提唱、それぞれの隊が抱える事件や懸案事項についての問題提起、局中法度の補填内容や組内部の細かな決まりも主にこの場で話し合いがされる。 つまり真選組の任務についてや隊内の決まり事を幹部達が総出で精査し検討すると言う、重要な会議と言える。 ………のは建前で、実質半ば儀礼的なものとなった会合である。互いの隊の捜査状況を報告し合う事すら半ば惰性で、主に予算についての要望やら文句やらと言った愚痴、決まり事についての要望やら文句やらと言った愚痴、副長のパワハラについての要望やら文句やらと言った愚痴……もとい苦情。そんなものしか概ね議題にはならなくなっている。 「まず一番隊」 「へい。隊にゃ特に変わった事はありやせんねィ。局長が不在で片方の副長の圧政が酷ェんで何とかして下せェ、て言うか土方死ね」 「局中法度で会議中の私語は禁止されてる。後で腹斬れ。二番隊は」 「特に変わりありません」 「三番隊」 「Z〜…」 「………後で腹斬らせろ。次、四番隊」 毎月大体こんな流れである。慣れた事とは言え大きな溜息をつきながらも、土方は局長不在の会議を進行させて行く。なお、坂田にも会議を進行させる発言権はあるのだが、こう言った話し合いの席での坂田は大概いつも暇そうに黙っていて滅多に口出しはしようとしない。流石に斎藤の様に大っぴらに眠る様な事は無いが、余り関心は無く熱心さも感じられない。そんな坂田の態度も会議の進行同様に最早いつもの事である。 そして順繰りに、実のない報告が十番隊まで及んだ所で、会議場の空気が少し変わった。 「十番隊(ウチ)で追ってた反幕府勢力の一つに所属してた男なんスけどね。しょっ引くにはちと証拠が弱かったんで逮捕状を請求したんですが、踏み込む前に奴さんこっちの包囲網を抜けて逃亡しちまいましてね。ああ、勿論手配は掛けてあるんですが、この間一番隊が偶々現場が浪士の溜まり場だったって事で調査した爆発火災事件あったでしょう。あそこで発見された仏さんが件の男って可能性がどうやら高ぇみたいで」 変えたのは、十番隊隊長の原田の語ったそんな内容だった。ざわ、と少人数しかいない室内を揺らしたのはどよめきではなく小さな動揺だ。或いは──憤慨。 無論、土方もその空気の中に重苦しい溜息を逃がさずにはいられなかった。 話の限りでは十番隊は恐らく正しい手順を踏んで捜査に当たっただけの話だ。真選組は対テロに対し超法規的な権限を持つが、肝心の『対テロ』の根拠が薄い対象に対しては普通の警察と出来る事に殆ど変わりは無い。逮捕状が下りなかったと言うのは、お奉行側に問題があると言えよう。 要するに、真選組への嫌がらせの様なものだ。 「ああ、死者四人出たあの事件かィ。証拠と死体拾いに行かされて焦げ臭ェ思いさせられたんでよォく憶えてら」 少し考える様な素振りをしながら、沖田。原田も応じて頷く。 土方にも記憶にある事件だ。深夜に突如爆発炎上したのは小さな個人経営の食堂で、ある攘夷浪士グループが溜まり場にしている場所、として真選組のチェックが入っていた。と言っても言葉通りのチェック程度であって監視の対象では無く、強制捜査や立ち入り検査など行われる段では到底無い様な店だった。 火元は爆発現場となった厨房地下。倉庫に置いてあったガスや燃料に何らかの原因で引火し、爆発炎上したと見られている。 死者は沖田の憶え通りの四名。閉店間際の店にはもう客はいなかったと見られ、店主とその妻、バイトの女性と身元不明の男性が一人の計四名だ。 店主と妻は一階の店内で片付け中。バイトの女性と身元不明の男性は地下の、最も爆発の酷い現場から発見されている。 地下から発見された二つの遺体は特に損傷が酷かったが、辛うじて女性が爆発のその前に死亡していた可能性が高いだろう事が解剖の結果判明している。頭蓋骨に爆発の衝撃が原因では無い鈍器か何かに因る損傷が見て取れたのだ。 これらの事から、物盗り目当てで侵入してきた男と女性とが地下で鉢合わせし、揉み合いになった末に女性が頭を殴られるか何かにぶつけるかして死亡。その後何らかの原因でガスまたは燃料が漏れ、引火したのではないかと推測されているが、詳細はまだ捜査中である。 現場となった店が真選組の予備観察対象であった事もあり、夜番だった一番隊がその取り敢えずの捜査に当たったのだ。…とは言え飽く迄真選組の捜査なので、現場に攘夷浪士の残した何らかの痕跡が無いか、或いは爆発自体が浪士の仕業では無いか、と言う点に重きを置いた捜査だった筈だ。 原田の話では、この物盗りと思われる身元不明の男性遺体が、十番隊の取り逃がす羽目になった攘夷浪士の可能性が高い、と言う事だが。 「件の男の仲間から聞き出した話じゃ、どうも店で死んでた被害者の女性と付き合いがあったそうなんスよ。で、性格上無理心中をしたんじゃないか、って噂でしてね。 いや、十番隊(ウチ)の不手際も多少はあるんスけど、元々は逮捕状がきちんと発行されてりゃ問題無かった訳で。どうにも後味が悪いったらねェ」 「……解った。無駄かも知れねェが上に話を通してみる。話つぅか苦情だな」 溜息は呑み込んで土方が言うのに、原田は「頼んますよ、副長」と拳を固めて言って来る。簡単に言われる程容易い問題では無いのだが、土方は何とかそれは表情に出さずに軽く頷いておくだけに留めた。 真選組と言う組織が出来てから、大なり小なりこんな嫌がらせは日常茶飯事だ。書類が通らない、請求一つに無駄な手順を踏ませられる、予定の伝達を直前にしてスケジュールに支障を来す、その他様々。無駄でしかない足の引っかけ合いだ。引っ張り合いにも満たない、ただの『気に喰わない』だけを動機とした虐めも良い所の些事。 それだけ真選組は幕府の他のあらゆる組織や権力者から嫌われていると言う事だ。なまじ将軍と懇意である松平の後ろ盾がある事が原因で、いち警察組織の枠を越える様なお役目が時折将軍直々から出る事もある。そう言った事が身分も確かな士や幕臣のお歴々から見れば『成り上がりの芋侍』如きに、と目障りに映るのだろう。 最初は威光で構わねェ、そっから信用を勝ち取るのがお前らの、いや、お前の戦だろ──嘗て松平はそんな事を土方に言って寄越した。あの時も今も、土方のそれに対する感想は一つだ。「簡単に言ってくれやがる」。 その頃から比べれば真選組は十分に大きくなった。これ以上この船に必要人員以外の泥や鉛を詰め込むつもりは土方には無い。組織のひとまずの活躍は認められているし、お上の憶えも良くなった。この上更に分不相応な野望を抱けば船頭が船を沈める原因になりかねない。伊東の件がその現実を今も猶土方に突きつけて来ている。 大きくなった組織の裡は知らず滲んだ澱みに因って容易く崩れ去る。なればこそ、その澱みは早々に断たねばならない。近藤の為にも、この真選組の為にも。 もどかしさと煩わしさを半々に抱きながら土方はそっと視線を動かして、すぐ隣に座している坂田の事を盗み見た。途端、「何」と言いたげな坂田の半眼がくるりとこちらを向くのに思わず目を逸らす。全く、勘の良さは野生並みの男だ。土方は胸中で思わずそんな悪態をこぼす。 「他には何か無いか?無いのなら、本日の会議はこれで終了する」 思考を振り切った土方の宣言に、誰も無用な話題や文句を投げて来る事は無かった。解散の号令と共に各々卓に用意した書類などを抱えて引き揚げて行く。斎藤も沖田に起こされて出て行った。 後に残されたのは、空白の局長席の替わりに並べられた二つの副長の席のみ。 (そう言や伊東が事を決行したのも、局長不在の時だったな。……は。何かを一つ始末する時の考えなんざ、さして変わり映えする様なもんじゃねェか) 自嘲かどうかと問えば間違いなく自嘲──或いは罵倒──でしか無いだろう思考に、ふん、と小さく息を吐いて土方は書類を卓の上で整えた。殆ど会議の役には立たなかったそれらをファイルに収めると、もうこの部屋でやる事は無くなって仕舞う。 広い会議室。幹部たちは去って今や室内には坂田と土方の二人しか残されていない。昼前の斜めの日差しは障子紙の向こうで少し眩しい。穏やかで静かなだけに、どこか怠惰な気配をそこに嗅ぎ取って仕舞うのは果たしてすぐ傍に怠ける事を憚らない男が居るからだろうか。 「上の連中の下らねェ嫌がらせ一つで、全く良い迷惑だよなァ」 不意に坂田がそんな言葉を発するのに、土方は寸時理解と反応とが遅れた。余りに唐突だったから、と言う言い訳は出来る。だが、土方は素直に己の不覚を感じて片目を眇めた。勝ちとか負けとか言う話では無いが、何となく己の裡に渦巻いている思いを考えれば不意打ちを食らった様で気分が良くない。 然し坂田の言葉を咀嚼すればあっさりと『何』の話かに思い当たり、土方は細くした片目を開く。 「……さっきの、原田の話か?」 「そそ。逮捕状がちゃんと出てりゃ爆発なんてそもそも起きなかったっつぅ話だろ」 ひらりと手を振って坂田が言うのに、土方は肩を竦めてみせる。 「さぁな。逮捕されてた所で極刑が下りる様な輩じゃねェ。手前ェ勝手な野郎なら出所しても同じ事をした可能性は高ェだろうしな」 男は逮捕状が出る寸前となって、身の破滅を予見でもして女の元を訪れたのだろう。男が望んだのは共に逃げる事かその幇助か。そうして女が返したのは恐らくは別れや破滅の類の答えだったのだろう。 結果、男は女を殺して、そうして自殺する為に火を放ったか、所見通りに殺害の際の偶発的な事故で爆発したのか──何れにしても身勝手で酷い話としか言い様の無い事件だ。 因って土方には、原田の話を聞いてこの事件に否定的な感情しか湧きそうもなかったしそれ以上の感想も興味も特にない。逮捕状を出さなかったお上にも言いたい事は山ほどあるが、事をやらかした男にも怒鳴りたい事が山ほどある。どちらも無意味でしかないものだから、胃の平和の為にもとっとと事務的に忘れるかさっぱり流して仕舞うかに限る。 「手前ェ事に、手前ェの女まで巻き添えにするって神経は全く理解出来ねェ。死ぬなら一丁前のテロリスト気取って犯行声明でも出して一人で死にやがれってんだ。その方がこっちも話が早いし楽だ」 然し、坂田がこの話に感じたのは土方とは相容れぬ感想だったらしい。苛々と吐き捨てながら煙草をくわえた土方に──いつかの禁煙騒動の名残を引き摺って、会議中は禁煙とされている──、坂田はふ、と気の抜けた様な声で言う。 「まぁ確かに迷惑極まりねェ話だとは思うわ。でも、俺ァこの男の心境ってのも解る気はするんだよな」 「何が」 咄嗟に噛み付く様な声が出た。手は出なかったが、土方の視線に乗った詰問調子をまるで躱すかの様に肩を揺らして、坂田は見慣れた人を食った笑みを浮かべてみせた。 「好きな奴がよ。どうしたっててめぇのもんになってはくれねェって解っちまったから、殺してでも手に入れてぇってそう思い余っちまったんだろ。 ……ま。理解は出来ても出来ねェけどな。理屈で解ってやれても共感する気にゃ到底なれねェよ」 だからそんなおっかない面するな、と続けられて初めて、土方は己が射抜く程に鋭く坂田の事を睨み付けていた事を知った。 二度目の不覚。舌打ちと共に坂田から視線を顔ごと逸らすと、土方は「犯罪者に共感すんのは感心出来ねェ」とぴしゃりと言い放ち、煙草に火を点けた。苛立ちと畏れとを煙の中に混ぜて吐き出すと、ファイルを抱えて立ち上がる。 「士気にも関わる。もう二度と言うな」 立ち上がり様にだらけて座す坂田を睨み下ろしてそう言えば、坂田は降参の意味合いでか両手を軽く挙げてみせた。と言ってもその表情からは反省や後悔の類は見て取れなかったが。 「へーへー。言いませんとも。 それにしてもカリカリしてんなァ。ストレス?溜まってんの?」 「手前ェの命狙われてて平然としてられる訳がねェだろうが」 これは嘘だが。降って来たその言葉に坂田は少し不愉快そうに眉を寄せた。 「手前ェが見られてる場所で何者かが刃研いでる。そんな想像が楽しいもんだと思ってんのか。苛々ぐらいさせろ」 まだだらりと座った侭の坂田に向けて慎重な声音を保って言うと、返るのは相反して笑う様な柔軟な気配。真綿か布団の様な優しげなその意図に気付かない訳では無かったが、飽く迄それには気付かない素振りで土方は会議室を出ようとして、 「護るさ。俺が」 鋭い一刺しに一瞬、足がその場に留められた。振り返るのは寸前で堪えた。胸の奥底で灼けそうに跳ねる鼓動の正体は、憤怒かそれとも憤慨か。 坂田が共に居る時に限って、狙われた命。 筒井の指摘に下唇を噛んで、土方は誘惑に縫い止められそうになっていた足をなんとか動かす事に成功した。 今は未だ駄目だ。今は未だ口には出来ない。 そうして口を閉ざす事を選んで仕舞えば、後は反論も気の効いた返事も浮かばなかったので、土方は無言の侭会議室を後にした。 坂田漸く出たと思ったらただのインターミッション。 ← : → |