情熱のない犯罪 / 7



 出掛かった欠伸を煙草を噛み締める事でやり過ごす。鼻の奥がつんとして自然と滲む涙を瞬き数回で消すと土方は連日の残務処理ですっかりと凝り固まった肩をごきりと鳴らした。
 「何。夜更かしでもしてんの」
 ぼそりと言うのは直ぐ横に佇んでいた坂田だ。土方は振り向きもせずに目を細める。感情を動かされたのではなく、眼前の酸鼻極まる惨状に最早溜息や憐れみ、吐き気さえ催さなかったその代わりにだ。
 つまりは坂田の言葉に無視を決め込むつもりで居た土方は、血に汚れた畳の上に視線を走らせ、隊士たちが極力視線や意識を向けぬ様に鑑識作業を進めている光景へと、眠気に寸時取られかけた意識を向かせた。
 過激派攘夷浪士が襲撃したとある幕臣の私邸であった。近年親天人派として台頭し、星外の交易などに関係する幾つかの不平等な条件を含む幕政を打ち立て、その承認議会を半ば無理矢理に通した。現徳川政権の中枢に潜む、天導衆の支配下に甘んじて利潤を得て私腹を肥やす古狸達はその多くが他星の商人と癒着している。そう言った連中にとっては何ら得る利のある政策だろうと、この国の人間たちの賛同を得られている訳では無い。
 故に当然の如くに民衆の反対意見や反発勢力が立ち上がったが、その効力が存分為さなかった事は結果を見ても明らかだ。
 そして件の政策の最終決議が取られる段となる直前、屋敷が襲撃された。これもまた、ある意味で当然の結果だったと土方は思う。この国には残念ながら未だに火を点ければ燃え上がる様な過激な勢力が潜んでいるのだ。それを正義と見なして、声高に吼える。天誅を、と。
 そう言った者達を取り締まるのが真選組の仕事だ。だが、対テロ特化の組織にも叶わないものがある。それが、進んだ安寧ゆえの法だ。年々減る攘夷浪士(テロリスト)の数に対して真選組の権能が未だ大きすぎると、幕軍を始めとした組織から指摘を受け、法的に警察の仕事、真選組の仕事は大幅に制限されて来ている。
 そうして、以前から過激派を疑われる者や組織を強引に取り締まれない結果、意に沿わぬ政治の流れに反してこう言った痛ましい事件が起こるのだ。
 土方の眼前に拡がる光景は無惨の一言に過ぎた。寝込みを襲撃されたのか、縁側に面した部屋の中央にぐしゃぐしゃに拡がっている布団はどす黒い赤色の血と臓物にまみれて早くも酷い腐敗臭を放っている。その上に体を二つ折りにして足は座った姿勢の侭事切れているのが件の幕臣だ。腹を斬ってはいるが首は繋がっている。介錯も無しに自らの意志で腹を斬らせたのだとすれば結構な悪趣味である。
 その近くには夫人が倒れて死んでいる。この寝室に至る迄の部屋で、目に付いた者は片っ端から斬り殺されているので、ほぼ鏖と言う事になる。
 畳には見て解る程に多くの、土に汚れた足跡。深夜に何人かで徒党を組んで襲撃したのは言う迄も無い。時間は余り掛けられないだろうに、ご丁寧に件の幕臣には腹を斬らせる見立てまでして嬲り殺しにしている。そこで時間を取られた所為か、生存者からの通報を受けて駆けつけて来た警察の気配に下手人たちは泡を食って逃走したと見られる。その為証拠はかなり多く残っているだろうが、役立つかは未だ解らない。役立てなければならないのは重々に承知だが。
 それにしたって、真選組の斬り込みだってもう少しスマートにやる所だ。思って土方は溜息をついた。また沸き起こりそうになる疲労感を堪えながら、鑑識の作業が淡々と進められている室内をぼんやりと見回す。
 不意に、坂田がその横を通り抜け、血塗れの畳の上にしゃがみ込んだ。指先でちょんと小さな血溜まりを突くとまだ乾いていない血がその指先に付着する。
 「オイ、現場荒らしてんじゃねェ」
 流石に咎めて言うが、坂田は余り気にした素振りも見せずに指をその侭引っ張った。乾いた畳の上に歪な一本線が引かれる。
 「こんな血痕の一つや二つ、何もなんねェだろ。写真はもう撮った後だしな」
 「……そう言う問題じゃねぇ」
 苛々とした声が出る。それもこれも、殆ど睡眠時間を取れない程の忙しさの所為だ。積もった残務の数々に加えて副長としての一日の業務は多い。山崎が居れば幾つか任せたい様な仕事もあったのだが、居ないものは仕方がない。新しく土方に付いている若い隊士は未だそこまで『土方の仕事』には慣れがなく、安心して任せられないと言うのが現状だ。
 更にそこに来て、土方自身の暗殺未遂事件と言う些事だ。
 今朝、筒井から掛かって来た電話で取り決められた。翌週と。翌週、また例の『会食』に土方は招待される事になっている。
 ──君の命を狙っているのはもう片方の副長だよ。
 そう囁かれた言葉を自然と思い出し土方は眼前でしゃがみ込んでいる坂田の銀色の後頭部からそっと目を逸らした。
 坂田は元攘夷浪士で、土方を目障りに思う動機は十分にあると言える。筒井は監察として真選組の内部調査中にそれを知った。坂田を排したいと言う一点で言うならば土方と筒井の利は確かに一致している。筒井が一言監察として坂田を弾劾すればそれで全ては終わる。
 だが、筒井は恐らくそれ以上の何かを真選組に求めている。土方に、「お前の命を救い、目障りなもう片方の副長を葬る代わりに真選組の力で『何か』をしろ」と告げて寄越して来ているのだ。その『何か』が全く見えて来ない為、土方は己の手をどう打ったものかを未だ計りかねていた。そちらの方面の調査の進捗はお世辞にも良いとは言えず、土方の疲労を増やす一因ともなっている。
 筒井にとっては、現状を放置して土方がいつか坂田に殺されても構わない、と言う程度の事の筈だ。真選組を土方が動かし計らう『何か』など、犯罪を黙って見過ごせ、と言った余り好ましくない内容しか想像出来ないのが現状だ。余りに無力に過ぎて、苛々もしたくなる。
 「苛々してんな。寝不足?」
 「誰の所為だと、」
 言いかけて土方は言葉を詰まらせた。無視をした筈が結局話題をそこに戻された事に気付いて舌を打つ。この寝不足や疲労の原因の主なる所は紛れもなく土方が一人で考え行わなければならない類であって、職務の一環ではないものなのだ。坂田に当たるのは筋では無いし本意では無い。
 ち、と舌打ちして土方は現場へと視線を体ごと無理矢理に向けた。背後で坂田がやれやれと言わんばかりの溜息をつく音が聞こえてそれがまた苛立ちを増長させそうになるが、何とか堪える。前からそうだった、坂田はまるで自らが親鳥か何かの様に土方の事を扱う。徒な庇護ではなく、何処か遠くから見護りでもする様に。
 「土方副長、」
 土方の想像が面白くない方向に傾き掛けたその時、現場を動き回っていた部下が近付いて来た。透明の袋に入った血に汚れた刃物を見せながら、
 「これが腹を斬らせた凶器だと思われます。所々錆びてて切れ味も悪いので……、まあ楽には行かなかったでしょうね」
 と言って来る。土方は坂田の追求から逃れられた事に部下に密かに感謝しつつ、袋の中の、言われた通りに錆びて刃こぼれをしたぼろぼろの小太刀をまじまじと見つめてみた。然しそこまで凝視しなくともただのぼろぼろの切れ味悪い刃物だ。握りにこびりついた手の痕が生々しくて思わず顔を顰める。自ら腹を斬る事が楽だなんて到底思わないし思えない。況してそれがこんなにも切れ味の悪そうな得物であれば尚更だ。切れ味が良ければ苦しくないとは言わないが、もう幾分かはマシだろうか。
 「妻か誰か、人質に取って迫ったんでしょうかね。無理矢理斬らせたって可能性もありますけど」
 言って、背後から人を抱える様なポーズを取ってみせる部下に土方は肯定も否定もせず曖昧に応じた。背後から手に刃物を握らせその腕ごと強引に行ったと言うジェスチャーだろう。どちらにしても余り楽しい話題や想像では無い。
 「楽しげだねェ、ジミー二世くんは」
 まるで土方の内心を受けたかの様に坂田が立ち上がりながら言うと、部下は「ジミー?」と疑問符を浮かべながらも、「そんな事ありませんよ」と肩を竦めた。それから思い出した様にぽんと手を打つ。
 「そう言えば坂田副長は煙草吸われるんですか?」
 「?何いきなり。まあ吸わねー事ァ無ぇけどどっかの誰かみてェにバカスカ吸ったりはしねぇな。で、何なのその質問」
 「この間土方副長に頼まれて煙草買いに行ったんですけど銘柄間違えちゃいまして…、周りに喫煙者は誰もいないしで、どう処分しようかと悩んでたんですよ」
 きょとんと問い返す坂田に、大柄な背を軽く丸めて苦笑しながら説明する部下を土方は溜息混じりに睨んだ。坂田の方を見ている部下が残念ながらそれに気付く事は無かったが。
 「そう言う事は本人の目の前で相談すんじゃねぇ」
 ついた溜息の代わりに、会話に上った事もあってふとヤニが欲しくなる。上着をまさぐれば目当てのものは直ぐに見つかった。いつも一箱は忍ばせている煙草の箱は開封済みだ。土方は特に意識はせず、一本を取り出してくわえた。一応現場汚染の可能性を考え、もう特に指揮の必要も無いので縁側の方へと足を向ける。坂田がちらりとこちらを見ている気配には気付いたが、気付かぬ素振りで火を点ける。
 息を吸えば慣れたヤニの味が──、
 「──っ!?」
 その瞬間喉を灼いたのは酷い熱と得も知れぬ薬物の味わい。土方は喉を押さえて咽せた。その場に膝を付いて咳き込めば爛れた喉が逃れ様のない痛みを訴え掠れた声を上げさせる。
 「土方?!」
 「土方副長!」
 坂田と部下が駆け寄って来る。異常な気配を察しどよめく気配。大丈夫だとも、痛い、とも叫ぶ事が出来ず土方はその場に蹲ってひたすらに空咳を繰り返し噎せ返った。「誰か、水持って来い!」声が上がる。
 口から落ちた煙草、その先から漂う煙の、鼻をツンとさせる様な異常な臭い。煙草に、恐らくは毒物が仕込まれていたのだ。
 (そんなに、消してェのか…、)
 声にならない声で土方は呻いて、傍らに膝をついた坂田の顔を見上げようとして、然し途中で諦めた。畳に額を押しつけてぜいぜいと侭ならない呼吸を繰り返して喉奥を灼いた痛みに堪える。
 坂田は果たしてどんな表情をしているのだろうか。見たかったが、見たくはなかった。
 あの、いつもの様な無関心さを潜めたつまらない視線で見下ろしているのだろうと想像したら、怖くて堪らなかったのだ。





…今更ですが色々出て来てる事件は「真選組のおしごとは色々あるよ」ってだけのフレーバーみたいなものとしての意味合いが大きいので話の本筋には関わりません。原作設定と真選組の状況がちょっと違う感じだから、と言う説明は含んでますけど個別の事件に基本的に意味は大してありません。…かもしれません。
W副長が一緒に働いてる的な画が無いとW副長してる意味が無いなと言う楽しみの為でして無駄文すみませんほんと…。

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