情熱のない犯罪 / 8



 一週間少々振りに訪れた料亭は相変わらずの静かな贅を設えて土方を迎えた。財を持つ幕臣の多くは絢爛豪華な贅を以てその権威と力とを示す事が多いものだが、真に力のある美や贅にはそんな解り易い有り様は必要無いと言う事なのだろう。高級品の目利きなど無い土方にでもそのぐらいは知れた。膳に供された、漆に金箔の粉を散らしただけに見える酒杯のひとつを取っても、華美さには決して無い重さの様なものがある。それだけでもその格は容易に量れる。
 絢爛でけばけばしい所であればただその無駄を思い、金勘定の粗さを呆れていれば良いだけだが、静かな贅にただただ囲われていると言うのは兎に角居心地が悪いものだ。場違い、と言う言葉を、高級で上品な調度や膳が四方八方から土方に突きつけて来る。
 呼び出して来たにも拘わらず、少し遅れると言う筒井の訪れを居心地の悪い部屋で一人待つ事になった土方の機嫌は頗る悪いと言えた。と言うよりは落ち着かない。煙草でも噴かせていればもう少しはマシなのだが、未だ喉が本調子では無いからと言う理由で医者に止められている。
 ……と言うのは建前で、煙草まで控えるに至った本当の理由は、度重なる暗殺未遂に土方が怖じけていると言うポーズを見せる為の一つの手段である。土方の命を狙う『犯人』がこれを機に『未遂』を終わらせ『本気』でかかって来るか、それとも怯えた様子の土方の無様を堪能してもう止めるか。それを見極めたかったのだ。
 何故ならば、今まで繰り返された暗殺未遂は、それこそ『未遂』の通りに余りに御粗末なものが多すぎたからだ。内部犯の疑いさえなければ笑い飛ばす程度で済む様な。殺人未遂と言うにも大袈裟と感じられる程の軽犯罪の数々を見れば、沖田の日頃行う本人曰くの土方抹殺計画の方が余程に過激で確実性もある。
 先週の煙草の一件も、少々喉を灼かれた程度の効果しか発揮していない。土方としては食事を摂りにくくなった、水分を摂りにくくなった、と言う実害は確かに受けているし、殺人未遂──悪意と言う意味を含めて言えばそれは確かに殺人未遂なのだが、一連の暗殺未遂に明かに『殺す』意図が一貫して行われていないのは間違い様が無かった。
 そこで内部犯の可能性を重ねてみれば、一つの像が朧気に浮かんで来る。それは所謂愉快犯、土方を殺す気は無いが苦しんだり怯えたりする事そのものを楽しんでいるのではないか、と言う可能性だ。
 狙撃や交通事故の様に一歩間違えれば命の危険に関わったものもあるが、それでさえ成功率と言う点だけを見れば低い。
 内部の人間が犯人であれば、基本的に近い場所で土方の被害や動揺を確認出来る。反応を具に観察する事が叶うのはメリットだ。確実性は低い癖に幾度も繰り返される『暗殺未遂』に、説明がついて仕舞うのだ。
 動機は『愉しみ』。寺子屋の子供らの虐め並に下らなく、残酷で、そして陰湿なものだ。
 下らない、とは心底に思うが、可能性としては低いとは残念ながら言えない。何しろ色々と前例のある話だからだ。土方個人の経験としても、真選組副長の経験としても。
 虐め、と言うと程度が低く聞こえて仕舞うが、言うなればそれは排他行為である。民族や身分、或いは己の正義の道理に従って下らない事で人は他者を簡単に排斥する。それらが段々と主目的の『排除』から、やがてそこに至るまでの過程に快楽を得る様になるケースは決して珍しいものではない。
 そしてそれが、段々と目的そのものへと変わって仕舞うケースも。
 ……つまり、『犯人』が土方の反応を愉しんでいるのだとすれば、土方が露骨に畏れたり激昂したりと言った変則的な対応を見せる事で、また動きが変わるのではないか、と言う事だ。
 この決断は土方の個人的な思いつきでしか無いが、一定の功を奏す確信は残念な事にもあった。調子づけばそこを押さえ易くなるし、逆にもう止めると言うのであればそれはそれで構うまい。別に妥協点を見出したい訳では無く、単に下らない些事に煩わされ続けているのが馬鹿馬鹿しくなったからだ。後ろ向きに見える行動であっても、打って出る方が余程自分らしい。短慮だ、と窘められるかも知れない事だが。
 細めた目を閉じて小さく息を吐く。ずっと正座で膳の前に姿勢を正した侭座っている事に無意味さは感じていたが、余り気を許しておける場所では無い。固い思考にも姿勢にも疲れを感じて土方が時計を見遣れば、約束の時間からそろそろ三十分が経過しようとしている頃だった。
 喉が渇いて来ているが、酒を飲む気はしない。茶はないのかと辺りを見回すが見当たらない。わざわざ呼びつけて茶を頼むには少々気が退ける店の風格が憎い。
 あと何分は大人しく待つ、と言う思考の繰り返しで己の忍耐を少しづつ積み上げる作業に土方が集中し始めて少し経った所で、廊下の方から足音が聞こえて来た。少し急いた、女の足音ではないだろう重たく歩幅のある音。店の主人が、下賤の客が何かをしでかしてないかと泡を食って走って来た……訳では無いだろう。土方は改めて背を正してその訪れを待った。
 「土方くん、待たせて済まなかった」
 戸を開けるなり言う男に土方は無言で頭を下げる。待たされた事を皮肉でも交えて言ってやっても良かったのだが、堪えておく。一瞬だけは気が済むかも知れないがその程度にしかならない。
 「予期せず仕事が長引いて仕舞ってね。申し訳なかった」
 言って座る筒井を見上げた土方は思わず眉を寄せた。男の様はいつもの様などこか物静かで落ち着いた風情ではなく、余程急いで来たのか少し息が上がっていた。
 たかだか狗一匹との会食程度で。その訝しむ気配を察したのか、筒井は「呼び出しておいて待たせるなど、人の風上にもおけないだろう」と苦笑してみせた。それから急いで来た事を少し羞じるかの様に襟を正し、いつも通りのゆったりとした笑みを浮かべる。
 「怒ったかい?」
 「…………いえ。ただ、その様な事を言われるとは、想像だにしておりませんでしたので」
 正直な所を隠さず肩を竦めて土方はかぶりを振った。土方の知る限りでは大概の所、身分の異なる者を相手にし謝罪されたり誠意を以て相対された事など無かった。
 言外には出来ない、曖昧な土方の表情からそれをも察したのか、筒井は喉を鳴らすと自ら徳利を手に取った。目上の者にそう求められたら応えるのが礼儀である。土方はそっと酒杯を差し出し、注がれる透明な清酒をゆっくりと干した。
 「君の知る者らを、余り比較の引き合いにして貰いたくはないな」
 「…それは失礼を」
 「彼らは真選組(君たち)をどう扱ったら良いものかの判断が未だつきかねているだけだ。幕閣の中でも、私の様な比較的に若い人間の中には実力重視の評価を正しく下せる者らも多い。君自身と、君の組織にもっと自信を持つと良い」
 筒井の言葉が嘘か誠かは知れないが、土方は曖昧に頷くに留めた。世辞にしても余り聞き慣れがなくて少々気持ちが悪かったと言うのが本当の所である。真選組最大の後ろ盾でもある松平公でさえこんな優しい評価を寄越してくれた憶えは無い。
 思えば、少し皮肉げな表情が面に乗る。
 「使い様、と言う意味では理解出来ます。我々は真選組と言う組織に誇りも自信も既に持っていますが、生憎とそれ故に正しきばかりに扱おうと言うには難がある様で」
 土方の正直な皮肉に筒井もまた曖昧に苦笑した。差し出される杯に返杯を返しながら土方はともすれば嘲りに転じかねない溜息をこっそりと呑み込んだ。
 そうして筒井の得た『どう扱ったら良いものかの判断』と言うものが、こうして組織の副長を呼びつけ、その弱味に付け入るかの様な取引だと言うのなら、納得は行くが矢張り胸は悪い。この男も口ではどうこうと小綺麗な事を抜かそうとも、所詮は腐敗した幕閣の一員と言う事だ。
 そうして酒を酌み交わす事数度。今回は土方は隠さず本題を切り出す事にした。ここに至るまで既に十分過ぎる程に待たされているのだ。酒も食事も楽しむ気分なぞ疾うにある筈もなかった。
 「……先日、また坂田の居合わせた場にて、事件が起こりました」
 声には我知らず諦念が篭もっていた。筒井が盃の上から目を細めるのが見える。
 「それは、漸く君個人としても坂田くんを疑うに足りた、と言う意味かな?」
 「………………疑念だけであれば、随分と前から。何しろ『互いに憎み合っている』そうですから」
 「それはそれは」
 皮肉げに出すのは隊内でもよく囁かれる噂だ。乾いた言葉に筒井は訳知り顔で頷く。土方は浮かんだ諦め強い感情の侭にかぶりを振って目を伏せた。意図しての事かどうか、同意や同情は易い籠絡の手順だ。
 「坂田を失脚させる手立て、以前にお聞きした通りの内容に確かな根拠はおありですか?」
 筒井は以前の会食にて、坂田を『元攘夷浪士の死刑囚』と呼んだ。そして、だがそれだけでは根拠には足りぬと土方は返した。筒井はそれ以上を特に言いはしなかったが、最低でも監察の調べがついた以上は恐らく書面の類で、坂田銀時と言う名が死刑囚の名簿に刻まれている事は間違い無いのだろう。
 それでも筒井が自ら手を下さず、坂田の罪状と暗殺未遂への関与と言う事態を土方に通したのは、恩を売る気があるからに相違ない。真選組内部で坂田に処罰を与えるには残念な事に証拠が全く足りないが、筒井が監察として何らかの証拠を土方に渡せば別だ。
 「恐らくは君の想像している通りの証拠(もの)は、こちらにあるよ。但し、信じるか信じないかでその価値はただの紙切れにも死刑宣告書にも変わるが」
 にこりと微笑まれ、土方も倣って口の端を持ち上げた。まるで三流ドラマの悪役の密会だと思えば全く以てその通りでしか無い現状に思わず鼻が鳴る。
 「そんなに坂田が目障りですか?消したい程に?」
 その笑いの侭に問えば、筒井は片方の眉を持ち上げてみせた。
 「何故そう思ったんだい?彼を追い払いたいのは君の方だろうに」
 返す声には慎重さと、そして僅かに面白がる様な成分が含まれていた。再び差し出される高級な酒杯に、土方は笑みの残滓を残した侭で徳利を傾けながら言う。
 「それについては否定しませんが、私がこの申し出に応じた事が余りに喜ばしそうに見えたもので」
 すれば、土方のその指摘は予想外だったのか、筒井はくつくつと笑いながら酒を干した。返杯の仕草に、然し今度は土方はやんわりとした拒否を返す。余り酔うと話にもこの後屯所に帰ってからの仕事にも支障が出ていけない。
 「……言っただろう。君たちと仲良くなりたいのだと」
 「どの様な仲をお望みですか」
 寄越されるのは以前と変わらぬ答え。土方は落胆した訳ではないが小さく嘆息した。この具体的な内容、天秤の分銅を知らなければ取引には足りない。それが坂田を排斥する重さに足りる必要性があるものなのかを、真選組の副長として土方は吟味しなければならない。
 然し返った答えは土方の想像の埒外のものであった。真選組副長としても、大凡予想だにし得ないものであった。
 「君だよ」
 簡潔に過ぎる一言。その指す意味と作為とを脳が理解出来ず思考が立ち往生する。
 「は…?」
 そうして漸く絞り出された言葉は問いにもならない唖然とした一音のみ。それこそ鳩が豆鉄砲でも喰らった様な表情をしているのだろう土方にもう一度笑いかけると、筒井はそっと席を立ち、続き間への襖を開いた。
 一瞬、筒井が愚鈍さに機嫌を損ねて立ち去るのかと土方は思った。だが、開かれたそこは廊下へと続く出入り口ではなく、建物の奥に面した部屋だ。窓の何も無い部屋には然し行灯の灯りが入れられ薄らと明るい。その灯りに照らされ見えたのは、延べられた床だった。
 「──…………」
 浮かんだ疑問符の延長の様な息が喉奥から漏れた。背筋が総毛立つ様な感覚と共に理解をする。
 理解は出来ても疑問は消えない。何故。何で。どうして。自分が。何の意味が。目的が。
 ぐるぐると廻る無意味な思考と返す者の無い問いに、土方は乾ききった喉を喘ぐ様に上下させた。これならば居並ぶ古狸たちの嫌味や直接的な嫌がらせの方が余程にマシだ。これなら。これに比べれば。
 「選ぶのは君だよ。合意の上ではない行為も関係も生憎望む処では無いし、足下を互いに掬われかねない。だから君にはこの取引に応じて貰って、自らの足で床へと上がって貰わねばならない」
 言って、筒井は床へと促す様な手つきをしてみせた。座した侭でも腰が退けている土方を見下ろし、段上の様な笑みを向けて来る。
 「供した酒に、ほんの少しだけ気分を高める薬を混ぜさせて貰った。君のその足と、高潔な躊躇いを軽くしてあげる為の、私からのせめてもの気遣いだ」
 それに感謝しろと言うのか。そう怒鳴り返さなかったのは寸での所で留まった理性のお陰だ。或いは僅かに横切った坂田の、土方を見下ろすあの眼差しであったのかも知れない。
 「…………これに応じたら、坂田を告発する材料を私に提供して下さると?」
 問う声は僅かに震えて上擦った。気付いた土方は直ぐさまに唇を噛むが、そうする事で益々に己の身が微細に震えている事に気付いて仕舞った。
 「言っただろう、君の知る様な者らを引き合いには浮かべて欲しくないものだと」
 肩を竦めて、そうして筒井は目を細めた。その口元だけが歪んだ様に笑んでいる。
 「以前、会合で見た時に一目で解ったよ。坂田くんは君に懸想しているのだとね」
 その吐き捨てる様な言葉に、土方は思わず顔を起こした。「は…?」再び浮かぶ疑問の音は先程よりも虚しく響く。
 「そこに来て昨今の君の命を狙う様な所業だ。あれは君を葬ってでも手にせんとする夜叉だよ。到底捨て置ける筈も無いだろう。君は彼を排斥すべきだ。その事に他に何の理由が要る?」
 「…………………」
 思考が鉛になったかの様に上手く進まない。ただ、脳裏にはいつかの坂田の言葉が刺さっていた。不快に痛んで、響く音の羅列。理解出来ない言葉。
 "好きな奴がよ。どうしたっててめぇのもんになってはくれねェって解っちまったから、殺してでも手に入れてぇってそう思い余っちまったんだろ"
 
 ──動機が、見つかった気がした。
 
 「君の事だ。真選組以外のものに興味なぞあるまい。心配せずとも、別に私と恋愛ごっこをしろと言っているのではない。余興の様なものだと思えば良い」
 笑みながら続けられる言葉は嫌に耳に反響して届いた。申し出に感謝を憶えた訳ではないが、何か諦めの様なものが胸に落ちて行くのを感じる。
 (体だけ、ね。……ならもっとずっと、楽だろうか)
 膝を持ち上げ立ち上がった時には、驚く程静かに答えは纏まっていた。否、坂田を排斥すると言う密談を受けた一週間と少し前のあの日から既に決していたのだろう。
 自らの足で立ち上がった土方は、無言の侭筒井の横を通り過ぎて床を踏んだ。す、と襖の閉ざされる音と共に、世界の全ての音が遠ざかって行く様な錯覚を憶える。
 羽織を肩から落とせば、筒井の手が背後から土方の腰を抱いた。人ひとりに触れられる不快な体温に顔を顰めない様取り繕って、目を瞑る。
 布団に背が触れた時に薄目を開けば、自らに覆い被さる男の向こうに坂田の姿が見えた気がして、土方は不快な夜の始まりに堪える為に唇を噛み締めた。
 「心配せずとも坂田くんはそう遠からず攘夷浪士と告発され、真選組から消える。君の望んだ通りに」
 その言葉だけが救いだと思った。信じるに足りるかどうかは最早、問うまでも無い。男が密やかに嗤う。それを見上げながら、土方は満足した素振りで忍び笑った。





幕土カットされましt。

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