深淵に臨んで薄氷を踏むが如し / 13



 土方の命は攘夷浪士の手の内に在る。
 端的にそうとだけ伝えた電話は直ぐさまに切られたが、坂田がそれに頓着する事は無かった。未練がましく不通となった事を示す音を響かせる通話を切って、電話帳を素早く開いて操作する。
 (くそ、連中やっぱりただの馬鹿共とは違う)
 舌を打つ代わりに唇を無理矢理湿らせ、坂田は再び暗くなった携帯電話のディスプレイを見下ろした。坂田へと土方の拉致を知らせて来たのは紛れもなく土方の携帯電話だったが、何も告げずに通話を切ったと言う事は、それを使い続ける事で自分たちの居場所を探知されるのを防いだと言う事だ。
 だが同時に、これで確信も得られた。金をばらまかれて容易くひとごろしに繋がる所業をやって除けて仕舞う様な若さと無知さ故の馬鹿共と、土方を拉致し計画的に坂田へとその犯行を表明して寄越した連中とは。格も、目的も、本質も。何もかもが異なっている。
 坂田は真っ暗になったディスプレイを見つめながら相手の次の出方をじっと待った。土方の命運は自分たちが握っていると宣告しつつ、真選組屯所やマスコミにではなく坂田個人へと連絡をして来たと言う事は、坂田の行動次第で土方の身の安全は保証されなくなると言うメッセージでもある。
 つまり、自ら攘夷志士を名乗ったあの連中──我々、と口にしたので複数人数なのは間違いない──は、坂田に対して有効手となる取引の札を手に入れたのだと承知の上で居るのだ。
 (ヅラの警告通りだったって事か、これは?)
 昨晩の今朝でこの様とは、偶然にしても酷すぎる。そうして坂田が苛々と見つめる先で、やがてメールの着信を知らせる表示がディスプレイに点灯した。差出人のアドレスはフリーのものなのか適当な文字列。見覚えなど当然無いので、構わず素早くメールを開いてみれば、そこにはURLと、ランダム生成された様な文字列とが並んで記載されていた。どうやらここにアクセスしろと言いたいらしい。
 幸いにか坂田は仕事用のこの携帯電話の他に、個人用に小型タブレット端末を所持していた。斬られた時に刃とか受け止めてくれそうじゃね?などと以前巫山戯て口にしたそれを内ポケットから取り出すと、メールに記載されたアドレスを手動で打ち込んでみる。
 すると、画面に表示されたのは個人用の非公開動画サイトとそこへのログインを求める表示だった。動画を閲覧するには動画をアップロードした者の作成したパスワードが必要になる、風俗や動画の違法シェアなどに用いられる形式のサイトの様だ。
 成程、そのパスワードって訳か、と坂田は眉を寄せつつ、メールに記された文字列を打ち込んでゲストログインを行う。
 (準備も、手際も良すぎる。とても一日二日で考えた計画じゃねェなこれァ。だとしたらいつからだ?土方が負傷してからって可能性が一番高そうだが)
 こうなって来ると土方の方も予め行動把握をされていた筈だ。負傷且つ謹慎中の土方が外に出るのは病院ぐらいのものだが、それには山崎が護衛として付いていた。それだと手負いの人間一人の襲撃よりも成功率が下がる上に、真選組全体に事が露見して仕舞う。
 坂田に個人的にメッセージを伝えて来たと言う事は、真選組には知られずに土方を拉致する、それこそが狙いだった筈だ。だから護衛のある時に手は出さなかった。
 然し昨晩土方は一人で外に出た。そのイレギュラーと言って良い行動に、何らかの呼び水となる出来事があったのかどうかは解らないが、ともあれ昨晩何故か土方が単身で外に出た事で、機を感じ計画を実行に移したのは間違いない。
 (……狙いは、俺か)
 行き当たる可能性に歯を軋らせ、坂田はぐしゃりと己の頭髪を毟る様にして掻いた。攘夷志士を名乗っていた坂田が真選組につき、幕府の狗と言う『裏切り者』となった事を憎む者も居るかも知れない。否、居る、のだ。桂の警告の言葉を思い出してみれば、彼も志士らの中にそう言った声があった事を恐らく知っていたのだろう。
 土方とて攘夷志士には隙あらば命を狙われる程には嫌われている男だ。こうなった全てが坂田の責任であるとまでは思わないが、拉致と言う現状を招いたのは紛れもなく坂田の責任──とばっちりだ。
 護る、と口にした行為が──或いは好意が──、信用の揺らぐ関係性と立場ではこんなにも難しいものだったのだと思い知った気がして、坂田は己の為体を罵倒しながら、畳の上へと腰を下ろした。膝上に乗せたタブレット端末の小さな画面には、余り映りの良くない、画質が悪いと言うよりは光源がよくない所為だろう、暗い映像が映し出されていた。
 カメラは薄暗い部屋の隅を中心に据えて置かれているらしい。斜めに映る奥の壁には、両腕を身体の前で戒められ、壁に寄り掛かって両足を前に投げ出し座している土方の姿が画面の中央からややずれて映り込んでいた。腕を戒めている枷から伸びる鎖の長さには大した余裕もなく、すぐ隣の壁の配管に固定されている。
 画面の暗さの所為か顔色は酷く悪く見えたが、生きてはいる。余計な事を喋られない為にか、猿轡の様なものを噛まされている様だ。
 散々抵抗でもしていたのか、暴れるのは無駄と悟っているらしく、大人しく座っている。或いは怪我をしているのかも知れないが、何かしら負傷があるのかないのか、またその程度などはこの映像だけでは伺い知れない。
 たっぷり数十秒は土方のそんな様子を坂田へと見せつけてから、やがて映像の中に、笠を目深に被り口元に覆面を巻いた男が映り込んで来た。
 坂田は動画の音量を上げる。スマートフォンか何かを固定しているだけのものなのか、映像を映しているカメラの位置を確認する様な仕草をしてから、男は意識してだろう、土方の姿を隠す様に立って喋り始めた。
 《まず、この映像が録画ではなく現在撮影中の動画である事を証明しようか》
 そう言うと男はちらりと背後の土方を振り返る様な動作をしてから続ける。
 《あの狗に、伝えたい事があるなら言うと良い》
 言うなり、坂田の携帯電話に再びメールの着信が入った。先程と同じアドレスからだ。どうやらこれで言いたい事を送信しろと言いたいらしい。
 「……」
 坂田は少しの間だけ考えてから、"お前の考えは正しい"とだけ打ち込んだ。暗号や符丁など潜ませていないと伝える為の、極力短く、然しきっと『伝わる』だろう事を願った、たったの一言。
 送信ボタンを押すと、ややあって動画の中の男は仲間から携帯電話を受け取り、そのディスプレイに表示された坂田からの短すぎるメッセージを一瞥するなり肩を竦める。
 《情人に告げる言葉にしては色気の無い》
 嘲弄の色を孕んだ声で言うと、男は動画を撮影しているカメラに、坂田のメッセージの表示されたディスプレイを映してみせてからカメラに背を向けて、壁際に囚われている土方の方へと歩いて行った。
 男が、坂田からのメッセージの表示されているだろうそれを見せると、土方は轡の奥で唸る様な声を上げ、己の様子を映し続けているカメラを──その向こうに居る坂田を、鋭い視線で以て睨んで来た。
 土方がこの言葉をどう受け取るのか。それは坂田にとって紛れもなく賭けの一つだった。桂にでも問いてみれば、恐らく勝算は限りなく低いと呆れられそうな賭けだが、今の坂田はそこにしか伝えられそうなものを持たない。
 激しい瞋恚を宿した眼差しにカメラ越しに睨まれながら、坂田は心の中で土方に向けて密かに謝罪した。土方からの信用を完全に得られていないと思うのは、その事実は、どう言い訳を連ねてみた所で坂田自身の行動や言動に由来していると自覚があるからだ。信じさせて欲しいと希った土方に、言葉ではなく行為でしか応える事を選ばなかった。
 そしてその不誠実さはきっと土方を連日の間幾度も苛んだ筈だと。
 (じゃ、なきゃ、こんな今にもブッ殺しかねねェ目で睨まれたりしねェわな)
 動画を通してでは坂田の、この情けなく項垂れる様子は伝わりはしない。せめて電話口で喋らせて貰えれば、と一瞬思ってから苦笑する。そう言った悪足掻きを許さぬ故の、動画を通した現状説明なのだ。無理に決まっている。
 どの道上手く伝えられる気はしない。身体を重ねる仲なんだから信じろ、などと、どんな御粗末な言い種だ。普段はそれで何とか良いとしても、(恐らくは)疑心の末の生死さえ定かでは無くなった状況でそれを理由に信じるなどと言える程に土方は愚鈍でも馬鹿正直でも無い。
 《この動画が録画では無い事はもう解っただろう》
 土方の怒りを堪能すると、そう言いながら男はカメラの前へと戻って来て、今し方坂田からのメールを受信した携帯電話を操作した。すれば坂田の携帯電話が着信を訴え震え出す。
 「で、お宅らは何が望みなの」
 通話ボタンを押すなりそう投げ遣りに言う坂田に、動画の中の男はどうやら笑った様だった。選択肢の無さと交渉の無用さを飲み込んだ、坂田の理解の早さに満足げに頷いてみせる。
 《我らの望みは、同胞ら攘夷の徒のみで集った、行く行くは国となり幕府と対等に渡り合う同盟の結成。坂田銀時、貴殿には白夜叉の名で再び同胞たちに号令を掛けて貰いたい》
 言葉の端々から感じられる熱情。本来ならば対等にもならぬだろう交換条件の提示に、余りに荒唐無稽なその望みに、坂田はただただ呆然とせずにいられなかった。




ちょっとごちゃついたので刻みます。

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