ねがいよかなえ / 2 元々十四郎は鴉だった。…らしい。少なくとも物心(?)がつき──自意識がはっきりと己と言う実存を認識した時の姿は鴉だった。より正確に言うのであれば、鴉の変じた妖怪であった。 そんな十四郎を人の姿にしてくれたのは銀時だった。小さくて脆弱な化け鴉でしかなかった十四郎に彼は自らの妖力を与える事で、十四郎に合った造形を取らせてくれたのだ。 妖の眷属にするならば鳥の姿の侭で良かったのでは無いかと思うのだが、銀時は己と同じ年頃の見てくれの人型へと変じた十四郎の姿を殊の外に気に入ったらしく、元の姿には戻してくれなかった。別段それで十四郎に不便が生じたと言う事も無いからそれ自体は至って構わない事なのだが。 通常、動植物が変じた妖と言うのは、永い刻を経てゆっくりとその身を変化させるものだと言う。それを僅かの期間で為して貰ったのだから、十四郎も当初よりそれを分不相応なのではないか、と感じてはいた。 だが、そうは言っても今ではすっかりと人型の姿に慣れて仕舞った。銀時と過ごす生活に慣れて仕舞った。まるで昔から人型の存在であったかの様に馴染むのも早く、最早鴉の姿であった記憶の方が薄く感じられるぐらいだ。 衣服を身に纏い、背の翼で飛び、不足しがちな妖力をなんとか扱って、人の真似事をして過ごす。銀時は十四郎を行く行くは己の妖力の補助無くとも存在を保てる程の妖にしたい様であったが、それには未だ時間が必要であった。本来の変化に必要な過程を大幅に省いているのだから已む無い話だが。 因って十四郎の現状は、まだ半端な妖と蔑まれても仕方の無い様な身と言える。元々化け鴉でしか無かったのを短期間で人型にまで仕立て上げられた事自体がそも、銀時の莫大な妖力とその尽力の賜物なのだ。 人の姿を取っている事だけでも、本来であればまだまだ有り得ぬ様な事だ。鳥天狗と言う種に一応は類すれど、十四郎の身はまだまだ不安定で、そして未熟である。妖力が足りず飛ぶのに失敗するのも、意識せずとも眠りへと落ちて仕舞うのも、下手をすれば死と隣り合わせにあるのも、それ故の事だ。 だからと言って十四郎が銀時を恨む事は無い。羨む事も無い。この九尾の大妖怪は、何の気紛れなのか、つまらぬ化け鴉の一羽でしか無かった十四郎に、新たな生を与えてくれたからだ。十四郎がそれに対する恩義を感じても、負い目を抱いても、気にするなと言ってくれる唯一の存在であったからだ。 人に近い情としてそれを表すならば、親愛や好意と言えるものなのだと思う。尊崇や盲信とは異なった、だが唯一信頼出来るそれをごく自然に受け入れて十四郎は生きている。 そんな様をして、九尾が野の鴉を飼っている、などと口さがなく言う妖も居る。その事は単純に悔しい。己が貶められている事と言うよりも、銀時の呉れた情を否定されると言う事が十四郎には酷く腹立たしかった。 己がもう少し強ければ。強くなれれば。樹上で眠りこけた挙げ句に落下するなどと言う無様を晒さない様になれば。思う度、分不相応な高望みであるとは気付くのだ。気付いても、理解があっても、己の身の脆弱さを悔しく思う。 もしも、己が銀時の様にもっと永い刻を生きた存在であれば、などと言う、大それた望み。そう夢想せずにはいられぬ程に、十四郎は妖として余りに脆弱であった。まるで人間の様に、無力であったのだ。 * 社は外見だけがそれっぽい様であるが、その内部は見た目通りの姿形をしてはいない。戸より内側は銀時の妖力の敷いた『線』の裡であり、言って仕舞えば銀時と彼の許したものだけが入れる極小の位相空間となっている。 …と、言葉にするととんでもない様な事なのだが、銀時ほどの大妖怪になると別段難しい事では無いらしい。曰く、妖も神の位も似た様なもの、だそうだが。 ともあれ一見洞穴にぽつんと存在するだけの社のその内部は外見とは全く異なった隔世の世界で、見た目は人里の外れにぽつんと存在するあばら屋と小さな田畑と言った風景をしている。何でも、人間の棲む村落を銀時なりに思い描いたものだと言う。 何故なのかと問えば、妖になる以前の銀時の記憶にこう言った印象の風景が残っていたからだと答えが返った。特段思い入れのあるものでは無い筈なのだが、心がそこに引き摺られる様な、居心地の良さ、或いは憧憬の様なものは大妖怪になろうが神になろうが多少は残るのだろう。そう十四郎に語ってくれた銀時の横顔は、妖のそれでも狐でも無い様に見えた。 銀時と十四郎はこの小さな世界で日々の糧を得て過ごしている。田畑を耕して作物を収穫し、肉や魚や果物などの、家では得られぬものは山に出掛けて獲って来る。家の『外』である山もまた銀時の領域である為、庭へと出向く様な感覚だ。 散歩──途中から居眠りに転じたが──ついでに採って来た山菜や木の実を炊事場に並べて洗っていると、ふとその十四郎の手の上に銀時の手がそっと重ねられた。 「無理しねェでも良いって」 「こんなの無理の内には入らねェよ。なあ、水多めに汲んで来るから、今日は精の付きそうな鍋でも作ってくれよ。確かまだ猪肉が残ってたろう」 「精なら有り余ってんだけど…、更に付けて欲しいって十四郎くんてば大・胆」 「……阿呆か。そりゃお前だけの話だろうが」 空の水桶を抱え上げた十四郎を背後から抱き込み、銀時はにやにやと嫌らしい笑みを浮かべて言う。その助平面した顔面の中心に肘を叩き込んでやりたい衝動に駆られたが、十四郎は目を細めて堪えた。銀時の事は好きなのだが、こう言った下世話な冗談を十四郎の羞恥でも煽る様に言う所は余り好んでいなかった。この銀時の悪癖を人間風に言うならば、オッさん臭い、と言った所か。 「水は俺が汲んで来てやるから、オメーは大人しく待ってなさいよ」 果たして十四郎からの冷たい呆れの視線を受けてか、銀時はぱっと腕を放すと次の瞬間には十四郎の手から水桶を奪って歩き出していた。ひらひらと手を振って歩いて行く背を半ば茫然と見送ってから、休んでいろと言う銀時の気遣いに感謝して十四郎は板の間に腰を下ろした。まだ草履すら脱いでいないのだが、一度体の動きを休めて仕舞えば、全身に満ちる酷い倦怠感を思い出してもう碌に動く気にもなれなくなる。 身体がまるで己のものではない様だった。指先も羽の先までもが重たい泥でも流し込まれた様に侭ならず苦しい。 そんな苦しさの合間に、ふわりと眠気が漂って来るのに任せて仰向けに倒れ込み、十四郎は目蓋を下ろして喘ぐ様に呼吸した。 (鴉が、分不相応なものなんざ、得たから) 過ぎる考えは、銀時に言えばそんな事は無いと断じられるだろう。だが、十四郎は何処かでそれを──或いはその様なものを解っていた。未だ未熟な妖の身には、人の姿形を取る事でさえ本来であれば許されざる、叶わぬ事なのだ。畜生は畜生らしく野山で屍肉でも突いていた方が、きっとよりそれらしい。 それでも、銀時にこの姿形を取れる程に妖力を与えて貰って暫くの間は安定していたのだ。未熟な妖である事実に変わりは無かったが、それまでは少なくとも樹上で眠りこける様な失態はやらかさなかった様に思う。 それが、こうなって仕舞ったのはここ最近になってからだ。理由は解らないし原因にも思い当たらない。どうしてだろうか、と考え出すとどうしたって模範解答は、化け鴉であった己の脆弱さにあると言う所へと落ち着いて仕舞う。 鬱々とした感傷を態とらしく大きな溜息と共に吐き出すと、十四郎は重たい身体に鞭を打って身を起こした。こんな所で転がっていてはまた銀時に心配を掛けて仕舞う。これ以上無様な為体を晒し続けるのは御免だった。 (草履を脱いで、足を洗って、それから──、) 野菜を洗って米を研いで、食事の支度の手伝いぐらいはしよう。正直身にのし掛かる重たい倦怠は尽きないが、伏していると銀時が心配するし悲しそうな顔をする。それは十四郎にとって嫌な事だった。己が未熟で足手纏いにしかならぬと言う事は、想像するだけでも堪え難い程の痛みを以て十四郎を苛む。 早く強くなろう。そうして一人で立派に、銀時に寄り添える様になりたい。きっとそれが十四郎が銀時へと報いれる唯一の事だった。 何も持たぬ小さく脆弱な鴉一羽に出来る精一杯の、恩返し。その為にも。 。 ← : → |