ねがいよかなえ / 9



 都は長い戦乱の時代からひととき解放され、以前見た時よりも大分平和に落ち着いて発展している様に見えた。往来を行く人々の表情には暗さばかりではなく、日々を必死で生きようとする力強さがあり、少なくとも見てはっきり解る様な災禍には晒されていない様であった。
 (流行病も飢饉も自然災害も無ェ。戦も取り敢えずは起きそうには無ェ様だな)
 銀時の感覚で探ってみても、悪い妖や良からぬものの気配は無く、民の心も比較的に明るい。人間の政の世界には疎いが、統治者が民に寄り添い上手い事やっているのだろう。
 戦の気配は無いが、歩く人々の中に少なくはない数の武人が混じっている事は、妖らしい方法を使わずとも目で見ただけでも知れる。彼らの役割が都の治安維持の為なのか、いつか来る戦への備えなのかは知れぬが。十四郎は無意識になのかそれらが気になるらしく頻りに目を向けていた。
 妖力に不安のある今の十四郎では、妖気に満ちた山奥や都外れの忌み地であればともかく、陽の気の増えた都では満足に飛ぶ事も出来なかった為、銀時は彼の身体を抱きかかえた状態で行動する事にした。だが、珍しいのかそれとも懐かしいのか、身体の距離は近いと言うのに十四郎の視線も心も都の光景にずっと向けられ続けた侭でいる。
 こんなにも平和になった都では妖の存在など珍しい以前のものだろうが、そもそも銀時が妖力を駆使して気配も姿も隠しているので、二人の妖の姿は人間の目には映りすらしない。因って二人は誰にも気取られる事も見咎められる事も無い侭、都を飛び回って土方十四郎の生前に繋がるものを探していた。
 死ぬ寸前の、何者かに襲撃されていた様子、それに応戦していた様子などからも、銀時は彼が誰かに仕える武人だったのではないかとは当たりをつけていたのだが、こうも武人が多く都を歩いていると、その中の誰かが彼の嘗ての仲間や知り合いだったと見出すのも難しい。干し草の中から針を捜す様なものだ。
 「名前は、近藤勲」──そう語った十四郎は、己の探すべき人物の情報については殆どそれしか思い出せていない様だった。
 何でも、近藤何某と他派閥の武人たちとの間で諍いがあって、敵中に潜入した十四郎は曰く近藤との暗殺計画を知り、それを防ぐ為に動いていたのだと言う。
 だが具体的に、誰とどう争っていたとか、近藤の屋敷が何処にあったのかとか、そう言った部分は思い出せない侭だった。尤もそれは記憶が喪われた、と言うよりは、死んだ、と言う方が正しいので、思い出せなくて寧ろ当然の事なのだが。
 手紙の内容も、自分で書いておきながら憶えていなかったぐらいだ。中身を読めば届ける者への手がかりも何かあるのではないかと銀時は提案してみたのだが、これは届けられた相手の見るものだから、多分自分が見たら意味が無くなって仕舞う気がする、と、申し訳無さそうに、然しはっきりとそう十四郎は拒否した。
 (まあ確かに、悔いになってるのが『それを届ける』事だしな。開けちまったらもう届ける意味が無ぇって事を、理解以上に実感しちまうって所か)
 立った屋根の上から都を睥睨した銀時は、何かを思い出せそうなものや事を探す素振りをしながら、腕の中で大人しい十四郎の様子をちらと伺い見る。じっと都の大路を見つめる彼の目は相変わらず刀を差して都を歩く武人たちの姿を追っていた。
 悔悟と羨望と憧憬と──、その眸の中に宿っているあらゆる感情は言葉では言い尽くせぬ程に大きく複雑で、そしてそれら全てが無意味であった。或いは、それが十四郎自身の実感では無いからこそ、訳も無く惹かれるのやも知れない。
 彼の死からは、人間の時間で果たしてどれだけの時が経過していたのか。人間の尺度で時を数える事など疾うに忘れて仕舞った銀時の、いい加減な憶えで振り返ってみても、最低でも十年か、それよりもっと多くかの時は経ているだろう。都の姿はきっと十四郎の記憶に薄らぼんやりと残るその様とは大きく違うだろうし、道行く者らの中に憶えのある姿を見つける事も難しい筈だ。
 土方十四郎と言う名で呼ばれていた人間は死んで、彼が過ごし感じて来た時間は停まり、それ以上は流れない。妖に魂ごと喰われて同化し、人格や魂の一部を辛うじて引き継いではいても、十四郎は鳥天狗の妖であって最早人間では無いのだ。
 「当時は、戦が終わって余り間も無い頃だった。だから都はもっと物騒で、功を得た乱暴な武人たちが我が物顔で闊歩していて、あのひとは、そんな武人を纏めて、力ある者こそ民の為に尽くすのが正しい在り方だって説いて、」
 ぽつりと吐き出された小さな呟きに銀時が視線を落とせば、十四郎の表情は眼下の風景ではなく遠い奈辺へと向けられていた。見えぬ筈の記憶をそこに見ているのか、そこから見て取っているのか。同じ方角へ顔を向けた所で銀時には何も見えそうもない。
 思い出したと言うよりは自然と出て来たものなのかも知れない。彼は自分でそう口にしながらも少し困惑を示す様にかぶりを振って、それから都の中央の方を指さした。
 「そんな武人たちが棲んでいたのは、多分都の真ん中の方だ」
 「解った。じゃあ行ってみるか」
 頷いて銀時はそちらに向け跳んだ。確かに、十四郎の指した方角には土地を大きく取った屋敷や寺社などが多い様だ。塀に囲まれた、濃い緑を蓄えた邸宅たちは都の中央に位置する内裏を護る様に、或いは威嚇する様に周囲に立ち並んでいる。
 幾百年か前の事であれば、陰陽師が内裏や側近たちの邸宅を守護していたのだが、それらもいつしか途絶えて久しい。大きな力を持った妖は人間の国に害を為せる程に多くは無くなったし、人間の世界に干渉しようとも思わない者が今では殆どだ。
 とは言え、宮中にまで立ち入れば彼らの祖先の残した結界の類があるやも知れないので、目指す近藤何某が内裏の中には居ない事を願うほかない。
 こうして容易く都の内側へ入り込んでいるとは言え、飽く迄銀時と十四郎は人間ではなく妖だ。人間によく似た暮らしをしていようが、その存在が妖と言う人間にとっての異物である事に変わりはない。どうしたって妖は人間に畏れられるし忌み嫌われる存在だ。
 人間とは狭量な生き物だ。己の種族、一族、家族でさえも時に排する。そんな人間が『人間ですらない』妖の存在を正しく認めておく訳は無いのだ。わざわざ好んで人に手を出し人に討伐されるは余りに馬鹿馬鹿しい。
 陰に潜んで生きる妖の存在は、存在としては一応認められてはいる。但し、人間には関わりの無い神の位や自然現象としてだ。人間と同じ価値観で大体のものを見て、人間の築き上げた社会や歴史に容易く介入出来て仕舞う様な妖は『天災』と同じであって、決して存在を許せぬ類のものとしてしか扱いようがない。
 きっとそう遠からず、人は妖の存在をもっと遠くへと遠ざけるだろう。迷信や伝承の中だけにだけ存在を許される様なものとして扱い、関わりを断つ様になり、いずれは忘れて行く。
 妖であると言うだけで人間に畏れられ、狩られるやも知れない。全く、平和主義の妖には生きにくい世の中になったものだと常々銀時はそう思っていたが、こうして容易く都の内側にまで入り込んで好き勝手に行動出来る程に、人界から妖の気配が減った事だけは有り難かったと今は思う。
 (人間は妖を排斥するもんだ。恐らくは本能で。……だが、人間の魂を持った、妖にもまともに至れてねェ奴の事は、どうだ…?)
 目に付いた、内裏に近くて最も大きい屋敷の外塀にそっと着地して、銀時は腕の中で辺りをきょろきょろと見回す未熟な妖の青年を見遣る。翼を出していない今の十四郎の姿は殆ど人間と変わりない。否、まるで人間と同じ姿形と言っても良い。
 もしも、この侭の姿形で十四郎の生が留まれるのだとしたら、彼は人間の世界に戻れるかも知れない。
 それはいつか己の願って叶わなかった事だ。畜生がどれだけ力を得て、どれだけ人間の姿を模倣して、どれだけ人間に憧れて演じてみた所で、銀時が人間に近付く事は無かったし、人間として受け入れられる事も無かった。
 (……馬鹿か。妖が人間に成るなんて事は有り得ねェだろうが)
 寸時浮かんだ考えを直ぐ様に消して、銀時は十四郎を塀の上へと座らせた。塀は高く、もしも人間がよじ登ろうとしたら否応無しに目立つ。梯子でも掛ければ楽に叶うだろうが、屋敷を囲う塀のあちこちには見張りが立っている。もしも何者かが侵入しようとすれば忽ちに騒ぎになる事だろう。
 当然だがそんな人間の警戒意識には全く掛からずにいられるのは銀時の妖力の賜物だ。塀の内を歩く見張りも、門に立つ歩哨も、塀の上の二人の妖の姿を見咎める事は無い。
 すると、不意に十四郎が塀の内側へと降りた。結構な高さの浮遊の最後を、翼をばさりと拡げてふんわりと着地する。
 「十四郎?」
 「ッ……、憶え、は無い筈なのに、この空気、感覚…、なんだ、これ」
 声を掛けて慌てて後を追った銀時の前で、膝をついた十四郎は頭を抱えて呻く。その顔面は蒼白で、肩は僅かに震えていた。
 「……懐かしい?」
 取り敢えず付近の人間の気配は無い。辺りを見回しながら問う銀時に、十四郎は「わからねぇ」と言いながらふらふらと立ち上がった。
 「多分、ここだ。記憶は無ェし理屈も解らねェが、それでも解る。ここに、あのひとが居るんだって」
 「………」
 冷たい汗をかいて屋敷を見遣る十四郎の側頭部を抱き寄せて、銀時は優しくその頭を撫でた。
 銀時が選んだこの屋敷は、この辺りでは最も大きく最も立派なものだった。内裏にも近い。大勢の武人たちが勤めて、鍛錬をして、暮らしている。
 そんな屋敷に暮らして、多くの部下や仲間を抱えている、近藤と言う男はきっと十四郎の──土方が仕え、そして死んだ頃より出世し立派にな将にでもなったのだ。将でなかったとしても、この様な地位の屋敷に仕えているのだとしたら、武人として名を相当に上げている事だろう。
 十四郎は恐らくは感覚──空気や匂いと言ったものから、在りし日の光景をこの場所に見出したのだ。
 だとしたら、十四郎の抱く困惑は、恐らくは寂寥だ。
 自分はここに居た。自分はここには居られなかった。悔しい様な悲しい様な、己の感情には至りはしない記憶や憧憬の見出した感覚を前に、どうしたら良いのかが解らないのだろう。
 声もなく涙をこぼす十四郎の感情が落ち着くまでの間、銀時は黙ってその身を抱え頭を撫で続けていた。
 人間になりたいと、果たして彼は願っているのだろうか。そんな想像をしながら。







  :