けだものたちの百の企み / 10 賑わう街の気配が遠ざかるまで堪えたのが最後の理性だった。薄暗い通りに差し掛かるなり、銀時は五歩ぐらい先を歩いていた土方との距離を一息に詰めると、その腕を引いて路地裏へ半ば放り込む様にして入り込んだ。 銀時に押し出される形で隘路へと追い込まれた土方は、数歩たたらを踏んでから振り返り、暗く狭隘なその道の唯一の、薄ら明るい街路との接点を塞いで立つ銀時を見た。殆ど顔には出ていないが、僅かな不安や怯えの気配をそこから感じ取って仕舞い、銀時は満足感にほくそ笑む。怖れられる事に悦を憶えると言う、碌でもないけだものじみたその発想に、嗤う。 土方を街中で見かける、今まで有り得た大体の場合と同じだ。『こう』なる事を解っていて、それでも自ら進んで部下を置いて歩き出したのだから、これは互いに了承済みの事なのだ。 振り向いた土方の目は、飢餓感に喘ぐ銀時の裡の有り様を当たり前の様に見抜いて仕舞ったのか、そんな思考を彼はあっさりと肯定する。 「……何の用、ってか、訊くまでも無ェか」 恐らくは、常の態度を殊更平静に保つ事で、己の感じた筈の怖れに気付かぬ素振りをしたかったのだろう。声音は常よりも渋々と言った様子で吐き出された。 だがそこで己の、隊服と言う恰好が気になったのか、答えず一歩を詰める銀時に押されて半歩を下がりながら、土方はまるで子供でも宥める時の様な調子で言う。 「一旦戻って着替えさせろ。そうしたらいつものホテルで──」 「随分久し振りじゃねェ?」 「…って、」 然し土方の要求を無視して、銀時は隘路の入り口を自らの身で遮りながら、更にもう一歩を詰めた。びくりとほんの僅か跳ねる肩を押して奥へと進み、横の壁に背を押しつけさせる。 「オイっ、聞いてんのか万事屋」 「あんまり長ェ事見てねぇからさ、おっ死んじまったか、左遷でもされたかとこれでも心配してやってたんだよ」 噛み合わぬ銀時の返答に、土方は露骨に舌を打った。力に抗おうと引きつる肩を、押さえつけている銀時の掌には血管が浮かび、骨がみしりと厭な音を立てる。 ぐ、と痛みに顔を顰めた土方の両手が、己の肩を強く壁へと押しつけている銀時の腕を引き剥がそうと掴んだ。靴底が音を立てて地面を擦り、蹴り上げて無理矢理に振り解く事も出来るんだぞ、と言う土方の抵抗の意思を教えて来る。 どうやら、殺意も敵意も悪意も無い、ただの暴力にも似た力を土方は害とは取らなかったらしい。むきになって応じるのも恥ずかしいと、高い自尊心が思わせただけやも知れないが。ともあれ、銀時への信頼も多分にその結論に含まれているのだろうとは察せられたので、少し満足が行って手の力が弛む。 「生憎、この通りの健康体だし左遷もされちゃいねェよ」 「一ヶ月?二ヶ月か?そんな間屯所から一歩も出ねェなんて事あるたァ思わなかったわ」 「別に全く出てなかった訳じゃ…、」 そこに来て土方は漸く、銀時が会話でのコミュニケーションを端から拒否している事に気付いたのだろう、どうせ聞き流されるに違いない反論を中途で諦めると、露骨に呆れた仕草でかぶりを振って嘆息した。 「酒臭ェぞ」 酔って絡んでいるのだろうと結論付けたらしい、土方の顎をぐいと鷲掴んで銀時は顔を近付けた。酔ってはいない。酔い切れてなんていない。寧ろべろべろに酔って全部流して仕舞いたいのに、そう出来ないのは。させてくれないのは。 「ひょっとしたら新しい奴とイイ仲になった訳?」 誰の所為だと思っているのか。『何』の所為だと思って、、 きっと酒臭いのだろう、至近の呼気に顔を顰める土方へと、銀時は中途半端な嗤いを浮かべてそう問いた。すっかりと憶えの悪くなった、最後に会った日から刺さった侭の、棘や爪痕にも似た気懸かりを。酔いにすら流す事の出来ない、その痕の残し続けている不快感を。 「……は?」 銀時の剣呑な問いに、然し土方はきょとんと目を瞠らせた。心底に訳が解らないと言った表情を形作った侭、ややしてから漸くそれが『何』を指しているかに思い至ったのか、眉間に皺を刻む。 「だからさ、こっちの棒はもう必要無ェってなったんじゃねぇの?」 「…ンな事してねェよ。屯所を余り出なかったのも、単に仕事が忙しかっただけだ」 今のてめぇに言っても解らねェかも知れねぇが、と吐き捨てる様に付け足した土方の、あからさまな不機嫌顔を目の当たりにして、銀時の裡で再び熱が灯る。 熱の正体は多分に、憤慨とか純然たる怒りに即したものであった。だが銀時はそれを衝動に変換した。無理矢理に、ずっと望む形で解消される事の無かった性的な欲求を引っ張り出そうと、片膝を土方の足の間に割り入れて股間を刺激する。 「っだから待て、こんな、」 場所で、なのか、恰好でなのか、拒否の理由を聞く前に土方の口を掌で塞ぐと、ベルトを緩める為にその腰に手をやった。 「!」 掌の下で息を飲む気配。悪戯な膝の動きか、それともベルトを外そうとする手からか、遁れようと土方の身体が無意識に後ずさろうとして、壁に更に背を押しつける。両腕は苦しいのか、鼻と口とを塞いだ銀時の腕を必死で掴んで──、眼は常にはない行為の進行に怖れて忙しなく游いでいた。 いつも、この関係で行われるセックスは、作業の様に始まって、ひととき情熱的になって、また作業の様に終わるものだった。故に土方は銀時が突如として了承も得ずに開始した、この行動の意味を理解出来ないと言う意思を込めて藻掻いたに違いない。行為そのものが意に沿ったものだとして、『こんな事』は知らないし予想だにしていなかったのだろうから当然だ。 銀時は己の邪推が外れていた事には──土方が銀時にも気取られぬ様な嘘をついている可能性は除外して──確信を既に得ていた。 つまりは、銀時の想像しては不快を覚えていた様な事は土方の身には起きておらず、そうなれば単純に時間が空いただけと言う事になる。 時間が空いたと言う事は。逃げも拒絶もせずに歩き出した事には。求められた意味はいつも通りの、一つだけと言う事だ。 「仕事、忙しかったんだって?なら丁度良いだろ。前に言ってた、ストレスって奴、相当溜め込んでんじゃねェの」 初めての展開に対する土方の動揺に、銀時は免罪符を与えてやる事にした。最初に誘いの言葉を掛けた時同様に、耳の奥底に直接、毒を吹き込む。 「──、」 二度目の毒は果たして甘美なものであったのか。ごくり、と土方の喉が鳴るのが聞こえた。あの時と同じ様に、否、今度ははっきりと欲情の正体を理解しているから、期待したのだ。 鼻と口とを押さえていた掌をゆっくりと外しても、薄く開かれた口は呼吸を整える以上に荒い呼気を繰り返して戦慄いている。 こんな場所で。或いは、こんな恰好で。それともその両方か。先頃言わせなかったから解らないが、その何れかの理由に羞恥や躊躇いを棄てきれずにいる土方の身体をぐるりと反転させ、身体の前面を壁に押しつける事で視界と言う意識を奪ってやると、銀時は寛げた土方の下肢へと手を差し入れた。 「!」 ひ、と鋭く息を呑んだ土方は、未だこの状況に羞恥や理性を棄て切れてはいないのだろうが、解り易い抵抗は無かった。視界が遮られた事も大きかったのかも知れない。 賑わう通りから幾つか裏へと入った、誰もこんな時間では歩かない様な、それも小汚い路地裏の一角だ。街灯の光も届かないし、隣接するビルは借り手の無い空きテナントか何かの雑居ビルで、窓も裏手には無いし誰の気配もしない。 歓楽街の見えない場所には、こうやってまるで設えた様な空隙が幾つかあるのを銀時は知っていたし、警察である土方も知っているだろう。犯罪の温床にしかならない様なそんな、誰にも気付かれない小さな暗がりに、声を必死で殺す土方の息遣いと、濡れ始めた性器の立てる露骨な音だけが密かに響く。 「、んんッ、ん、、っよ、ろず、やッ!」 上下に動く銀時の手の中で、土方の訴える声と共に性器がびくびくと震えた。限界が近いのを感じて、銀時は着衣越しに土方の太股や尻に擦りつけていた自らの性器を片手で取り出して、一緒になって扱き始める。 まるで用を足す時の様に前だけを寛げさせられた土方の姿は、背後の銀時から見れば黒い隊服そのものの姿にしか見えない。そんな恰好で土方は銀時に下肢を弄ばれているのだ。そんな、どこか倒錯的な画と、つい先程まで真選組の副長として立っていた筈の男に、己しか知らない姿を曝させて、己の好きな様にしている事実。 (そうだ、未だ誰も知らねェ筈なんだ。俺以外には、誰も、) 言い聞かせる様にそう胸中で唱えた、その言葉に後押しされる様にして、銀時は土方を一気に追い上げた。 「イっちまえよ」 囁けば、呼吸を乱す口を自らの手の甲に押しつけた土方からはこくこくと頷きが返る。苦しげに喉を反らせて喘ぐ顔を脳裏に思い出して描きながら、銀時が手の動きを早めてやると、土方は喉奥から声にならない切なげな音を上げて達した。 どろりと手を濡らす体液とその熱との、確かな存在感と意味とに小さく笑うと、銀時は土方の腰からズボンを下着ごと引き摺り下ろした。厚手の生地は下まで落ち切れずに膝の辺りでたぐまって止まったが構わず、剥き出しになった臀部に固く反り返った性器を押しつけ扱き上げながら、銀時も精液を吐き出した。 狙い違えず土方の尻に降り注いだ白く濁った液体は、粘ついて滴ってはその膚を汚して尻肉の狭間を濡らした。どろりと濁って存在を主張するそれが、まるで己の裡の激情の様だと思って、銀時は未だ興奮に荒い息の中、更なる手を伸ばした。 「っ…、よろずや、」 完全には萎えなかった性器を狭間に擦りつけてやると、土方が蚊の鳴く様な声を上げる。不安か期待かそれとも両方か。明確な拒絶が無い以上はどれでも同じかと、銀時はひくひくと震える孔の入り口に自身の尖端を押しつけて、幾度か扱いてから腰を進めた。 「──っ、、ッッ!」 「っく、」 流石に一ヶ月や二ヶ月の空白は長かったのか、土方の後孔は抵抗を示してキツく締まったが、それは肉体的な反応であって土方自身の拒絶の意思では無い。 痛みに小さく喘ぎながら土方が懸命に息を整えるのを銀時は尻肉を撫でながら待ってやった。そうする内にその身は男を受け入れていた事を思い出してか、段々と馴染んで来る。 「あぁッ!」 弛んだ隙に腰をぐいと突き入れてやれば、痛みに萎えていた筈の土方の性器がまるで悦ぶ様にぶるりと震えるのが解った。思わず上がる声を必死で堪えようと土方は壁に縋り付くのに、腰は続きを求める様に揺れ動く。 応えて、銀時が動き始めると、土方はくぐもった声で啼き喘ぎながらも、溜め込んだストレスとやらの所為もあってか貪欲に快楽を貪って溺れた。場所も、恰好も忘れて、喰われながら喰っているけだものの痴態に煽られる己を実感しながら、銀時も夢中になって土方の身を喰らうけだものになった。 『これ』が──憤慨や歓喜から始まった今日の『これ』が、いつもと違う事に銀時は既に気付いていた。 動機が違うのだ。セックスをしたくて近付いた訳ではなかった。探していたのにも、必要以上に餓えを憶えたのにも、辻褄の合う解答に気付いて仕舞った。 土方が、他の男にも抱かれるのかと──或いは既に抱かれているのかと言う想像を置いていかれた、その事に対する苛立ちと不快感と、比例して涌いたのは独占欲。 貪っても貪っても、足りる筈が無かった。代わりの行為で埋められる筈も無かった。 銀時がしたかったのは性処理の為のセックスではなくて、土方を抱いて独占している事の方にあったのだから。 けだものが得たかったのは餓えを満たす為に喰らう肉ではなくて、追い詰めた獲物に自らの牙を突き立てる事の方にあったのだから。 (俺は、) 喘ぐ男の腰を押さえつけて、幾度も啼かせる。そうしてこの男を独占していられる時間を充足と共に噛み締めながら、動物がマーキングでもする様にして、その体内に好き勝手に欲をぶち撒けて。 そうやって初めて見えて仕舞ったのが、顔が見たいとか、声が聞きたいとか、キスがしたいとか、そんな衝動であった事にはもう驚かなかった。 だが、土方はきっとそうではない。そう言う関係じゃない、と以前彼が口にした様に、土方にとって銀時は、偶々目の前に居て、丁度良い時に手を伸ばしてくれる、セックスフレンド未満の棒なのだ。 互いに気持ちが良くて、金払いも絡んで来なくて、秘密も守ってくれて、感情も伴わない。そんな関係を望んでいた筈の己と、そうだなと肯定した土方と。 噛み合わなくなった歯車はいつか何かを壊して弾けるのが必定。 だから。 「………」 切れ切れの息に、どれだけ己が今必死で土方の身を貪っていたのかと言う事に気付かされて、銀時は泣きたくなった。そうまでして土方の事を犯したかった。抱いて、箍を外させて、身体の一番深い所で己の熱や想いを知って欲しくて、子供の様に必死だった。 それでも、土方の身体や脳はストレスの発散と言う理由で、抱かれもすれば人斬りもする。ただそれだけの反応を返すだけだ。 性器が後孔から抜けると、楔を抜かれた様に土方はその場にへたり込んだ。久々のセックス、それも今までには無い状況にアテられてか、息のすっかり上がって仕舞った彼は未だぼんやりとしている。 この侭ホテルになだれ込むのは簡単だ。この場で続けるのであっても同じだろう。ストレスを貯めているのであれば土方も、この続きに否とは言うまい。 だが、銀時はそっと自らの身支度を整えると、土方の腕を引いて立ち上がらせてやり、下肢だけ乱した着衣を直すのを手伝ってやる。 「……………」 銀時の手つきや態度から、この続きは無いと察したのか、土方は手伝う手を払って自らで衣服を整えてから、そっと一歩を離れた。銀時は、今度は追わなかった。 「お疲れさん」 「……」 正直な労りを込めて言うと、返事も反応も待たずに銀時は隘路から出て歩き出した。少し遅れて土方も出て来て、別の方角へと歩き出す。帰る場所が互いに違うのだから、それはごく当たり前の光景だった。筈だった。 帰る場所も歩く道も違う。異なる二つのそれを結びつけるに足る、情と呼べるものは、然し銀時と土方との間には存在しなかったし、必要ともされていなかった。 当たり前の様な、ただそれだけの関係性。そう望まれる事が正しいのだと、銀時は解っていたし、土方も思っている。そして、ただそれだけの関係の二人は、二人でなく三人でも四人でも問題無く継続されるだろう。 (………俺、は) 去っていく土方の足音を振り返る事が出来ぬ侭、銀時は拳を握りしめて軋む心をその裡で潰した。 これが、恋だの愛だのと呼ばれる綺麗で柔らかな印象を与える様な感情なのかどうかは解らない。ただ一つ解るのは、『こんな関係』にあるのも、その目的でしかない行為をするのも、土方以外には厭なのだと言う簡単な答えだけ。 あの男が欲しい。自分以外には喰わせたくない。その首に噛み付いて命を啜る事が赦されるのが自分だけであって欲しい。犯すも生かすもこの腕以外には委ねさせたくない。 ──あいつじゃなければ厭だ。そしてそれはあいつにとっても同じであって欲しい。 何て愚かな。愚かな間違いを犯したのだろう。情なんて必要ないから良いと、ずっとそう言い聞かせて来たと言うのに。一体いつからその線引きを見誤って仕舞っていたのか。 それとも初めからずっと謬った侭だったのか。 銀時がこの、己の裡に涌いては消えない厄介な感情を自覚して仕舞った以上、銀時の事をセックスフレンド未満の棒で良いと認識している土方とは、どうしたって噛み合わないし、決して相容れはしないだろう。 元より余計な情が伴わないからこそ成立した様な、利のみで繋がる他無かった関係だ。片方に執着や独占欲が加わって仕舞ったら、それは過干渉になる。利も害も、一致あってこそのものは一致しなくなったら歪むしかなくなる。 (もう、手を放した方が良い) 土方を他の誰かに取られるのは悔しくて苦しい。だが、土方が銀時を受け入れながらも何の罪悪も無く他の男を──もう一人の棒を手に入れると言うのは、益々に厭だった。 手放したくない。だが、手の中に居ながら己だけのものには決してなってくれないのは堪え難い。 銀時しか知らなかった筈の有り様を他の誰かに平然と晒して、何事も無くこんな関係を続ける事など出来る筈も無かった。過分な情がそれを邪魔する事は解りきっている。独占欲が嫉妬を憶えて苦しい、その感情がいつかどう言う形になって土方へと向くのかなど、想像したくもない。 (誰かの元に居るあいつの姿を黙って見てる事なんざ、俺に出来る訳ねェだろうが…!) 他の誰かが触れたものを愛するぐらいなら、壊して仕舞った方がマシだと裡のけだものが寂しく吼える。そんな土方の姿を見て仕舞う事があればきっと酷い事をして仕舞うだろうと、知ったばかりの感情が虚しく嘆く。 即物的で、実にけだものらしいと思えるその衝動を、然し銀時は人間らしいと感じた。食欲でも遊戯でも無く、感情で他者を殺めたいと思えるのなどは、人間しかいない。 下手に獣が人の振りなどしようとするから、こんな事に気付いて仕舞うのだ。情の無い事が辛いだなんて、知らなければそれで済んだ筈なのに。 。 ← : → |