けだものたちの百の企み / 3



 店を離れて、目抜き通り沿いに賑わう花街から少しづつ遠ざかって行く。この侭行けば吉原の出入り口の方角だ。
 何も言わず銀時に背を押される侭に歩いて来た土方もその事には気付いているのだろう、多分に『そう言う』目的でわざわざ真選組の屯所から遠い地下の吉原にまで来たと言うのに、連れ出されては叶わないと思ったのか、不意にその歩みを止める。
 「万事屋、」
 「俺が抱いてやろうか」
 口を開きかけた土方の側頭部をぐいと寄せると、銀時はその耳元に小声で囁いた。
 「……」
 流石に驚いたのか、銀時の掴んでいた肩は大袈裟な程に揺れたが、その頭は寧ろゆっくりと動いて、己の耳元に毒を吹き込んだ男の方を無言でただ睨みつけてくる。
 どうして、とか、何を言ってるんだ、とか、馬鹿か、とか、ふざけるな、とか。こちらを向いた眼にはそれらの言葉を抱えた感情が渦巻いているのに、戦慄くのを堪える様にぐっと引き結ばれた唇はその何れも紡ごうとはしない。普通ならまず出て来る筈の当たり前の罵声すら。何も。
 周囲にはまだ花街の名残を引き摺る人々が歩いている。満足そうな者も多いが、消沈している者も多い。昔は、通う焦がれた妓の元を離れるのが辛い男は、吉原を去る事を名残惜しむ様に大門の傍にある柳の樹の前で振り返ったと言う。だが今、昇降機で俗世と言う現実と花街と言う一夜の夢とを隔てられて仕舞う事となったこの町では、そんな寂しげな情緒は存在しない。ただ、華やかな世界を背にして吸い込まれる様に小さな昇降機の中へと消えていくばかりだ。
 堀や門ではなく、地と地の底と言う遠い距離に隔てられた事で、この町はより欲望や虚構や夢を明け透けに魅せて、現実との境界をより深くしたのやも知れない。
 そんな男や女の歩みの中に、取り残された様な二人の男。皆己の事で一杯だから、誰も彼らに頓着などしない。少しぐらい大きな声で騒いだ所で、ただ酔っ払いだと思われるのが関の山だ。
 それでも銀時は、敢えて秘め事の様に潜めた声で続ける。己をじっと睨むその眼の奥の深い所で燃え燻っている、容易に晴らせそうもない情の灯をひたと見据えながら。
 「どうせ目当ても無ェんだろ。なら、とっとと江戸(上)に戻ろうや。連れ込みが出来る様な宿は生憎吉原(ここ)には無ェんだよ」
 「……」
 銀時の具体的な提案に、土方は不快そうに眇めた目とは裏腹に確かに肯定を感じていたのか、重ねて押し黙る。だからこそ銀時はより深い確信を得た。ひとつの目的を果たせずに躊躇う、本来ならば容易く崩れて仕舞える男の常識的な理性に若干の呆れと同情とを憶えながら。
 これはきっと利害の一致になるのだろうと。降って来たちょっとした幸運と呼べるだろうと。ただそれだけの事に訳知り顔を装って、殊更にゆっくりとした調子で続ける。
 「そう言う目ェして歩いてんの、バレバレ。箍が外れるくれェ激しいセックスがしてェ、なぁんにも余計な事考えずに溺れるだけで良いセックスがしてェって、そのクールぶった面に、らしからぬ事が書いてあらァ」
 つん、と頬を突いて笑う、銀時の手と申し出とを、土方は顔を顰めたものの振り解きはしなかった。
 それを承諾だと取った銀時は、彼の気が変わらぬ内にとその背を抱いて吉原から出ると、近くの歓楽街へと向かった。
 行き先は何処でも良い。だから、適当に目についた安ホテルへと土方をいざなった。
 
 *
 
 部屋に入り、オートロックの扉が閉まった途端、土方は己からするりと離れて歩き出した銀時の背に向けて「何でそう思った」と固い声で訊いて来た。
 「だから、顔にはっきり書いてあったって言ってんだろ」
 主語は無かったが質問の趣旨は解る気がして、木刀を置いた銀時は肩を竦めながら扉の所に佇んで動かない土方を振り返った。
 果たして己はそんなに解り易かったのかと不安を覚えたのだろう、俯き加減に視線を落とす彼の手を引っ張り寄せて銀時は溜息をつく。
 「まあ誰もが解るってもんじゃねーだろ。俺は偶々、おめーが花街を行ったり来たりしてる癖に何するかすら決めかねてる様な風だったし、いざ近くで見てみりゃ何か相当に溜め込んでそうな愁い顔してるからね?こりゃキてんなーって解っちまったってだけで」
 「……」
 銀時のそんな解答に、一応は納得と言うか安心感を得でもしたのか、土方は漸く自らの足で歩いて室内へと進み出ると、刀を置いて押し黙った侭ベッドに腰を下ろした。ぎしりとスプリングが軋む。
 「女抱くんじゃ面倒くせェ。手前ェが滅茶苦茶になりてェんなら、そう言うサービスしてるお姉ちゃんや、抱いてくれる男に売りに行きゃ良いが、それには流石に抵抗があった、と。大体そんな所だろ」
 「…………」
 銀時のそんな半ば出任せの指摘に、然し図星だったのか、舌打ちせんばかりの表情を形作った土方は、煙草をベッドサイドに置いてあった灰皿でぐしゃりと潰した。
 解り易いにも程があるそんな土方の態度に内心で忍び笑うと、銀時は羽織と白い着流しとを脱いで椅子の上へと放り、ベッドの足側に座っている土方の前に立った。
 「男と寝た事は?」
 「……ねぇ」
 短く、しかしはっきりと答えると、土方はまたしても舌打ちでもしたげに眉を思いきり寄せて、銀時から目を逸らす。
 「ふぅん。そりゃ意外」
 そんな、思わず揶揄する様な言葉が出たのは、抱いてやる、と言われて易々応じた土方の様子から、ひょっとしたら男に抱かれ慣れているのではないかと思っていたからだ。男女問わず評価のあるだろう、彼の容姿を見ればそう想像するのも割と当然の流れだと思うのだが。
 見下ろした、忌々しげな土方の表情は先頃と同じ、図星のそれで。銀時は、変な所は正直な男に少しだけ、普段は無い種の好感を覚えた。
 「てめぇは、どうなんだ」
 土方の覚悟は兎も角、とっとと準備を進める銀時が、ベッドサイドに置かれた物入れの中から袋入りのローションを幾つか取り出してシーツの上に放ると、彼は苦し紛れの様にそんな事を訊いて来る。
 男に抱かれる、と言う言葉が漸く現実実を帯びて来たのだろう、放られたローションの袋を追う目には、未知の経験に対する揺らぎは確かにあったが、然し逃げたり怖じ気たりする気は土方には微塵も無い様だった。恐らくは、そんな躊躇いよりも、晴れず留まり続けている鬱屈の方が苦しかったのだろう。
 「俺?俺もねーけど。まぁおめーも何となく解るだろ、男所帯で猥談になるとそう言う知識って自然と耳に入るっつぅか」
 「………」
 戦場では平和であってもそうでなくとも、自然と出て来る話題だ。特に長い事遊郭のある町に近付いたりしていないと、自然とそうなる。
 命を削る日々に、生の実感が欲しくなったり、血に酔って興奮したり、現実をただ忘れたいだけだったり。理由は様々だったが、そう言う時にはきっと手近に居る仲間に手を、堪らず伸ばしたくなるのだと思う。
 然し生憎とそれは、血にも人斬りにも慣れ過ぎた銀時には無縁の悩みであったのだが。
 真選組の事情は、銀時の知るその頃よりは遙かにマシだろうが、それでも一応は心当たりがあったらしく、土方は黙り込んだ。何処だろうが何歳になろうが、男所帯と言うものは下半身の話題から逃れられないものらしい。
 とは言え今は戦場でも無ければ有事でも何でも無い。わざわざ男に手を伸ばすぐらいならば、女に手を伸ばす方が余程に楽だ。最悪、金さえ払えば抜く事も抱く事も容易な御時世なのだから。
 だが、それでも銀時は手近なそれを選んだ。昔の、冗談程度に耳にしていた猥談由来の興味がここに来てむくむくと沸き起こる事に、今更疑問は特にない。
 金を払う必要が無くて、滅多な事はしない知り合いで、だからこそ互いに醜態を晒しても呑み込む他無い奴で、顔がそこそこ良くて、欲望を鎮めてくれる役に立つだろう孔があって、この互いに降って湧いた衝動に対する利害はそれだけで一致している。
 「じゃ、はじめるか。お望みの激しい奴にしてやるから、おめーはただ黙って悦がってりゃ良い」
 そう宣言し、銀時は土方の肩を押した。
 シーツに倒れ込む寸前の土方の表情に、確かに期待の色が過ぎって喉が鳴るのを銀時は聞き逃しはしなかった。







  :