けだものたちの百の企み / 5 銀時が軽くシャワーを浴びて部屋に戻ると、土方はまだベッドの上に転がっていた。先頃と違うのは、俯せに倒れていたのが仰向けになっている事ぐらいで、殆ど動いた様子すら無い。 恐らくはいつも通りに事後の煙草を吸いたかったのだろう、ベッドサイドに置いてある机に乗っていた灰皿が端の方へと寄せられていた。だが、肝心の煙草はと言えば、ベッドから随分離れた床上に銀時の着衣と混じって落ちている、土方の脱がされた着流しの何処かに埋もれて仕舞っている。 狭いラブホテルの一室では距離にすれば僅か数歩程度。だが、身を起こしてそこまで行く気力が無かったのは、仰向けに所在なく転がっている土方の表情が物語っている通りだ。 その怠惰さに銀時は苦笑すると、「煙草」と要求されるより先に、床に抜け殻の様に散っている黒い着物を探り、袂から煙草の箱を見つけ出すとそれをベッドの上に転がる土方に向けて放ってやった。このラブホテルの一室に入るなり、がっついてんじゃねぇ、と言う制止も聞かず着衣をひん剥いてそこらに散らかしたのは誰あろう銀時だったからだ。多少の面倒ぐらい負ってやるのは吝かでない。 軽い箱は、ぺち、と言う気の抜けた音を立てて土方の、緩やかに上下している胸の上へと弧を描いて落ちた。ちらりとそれを見ると礼も言わず、土方はのろのろとした手つきで煙草を一本唇で取り出し、「火」とさも当然の様に要求を投げて来る。 「その前に起きろって。危ねーだろ」 煙草の箱と同じ様にして探り出したライターをこれ見よがしに片手で弄んで、銀時は腰に巻いたタオルを落ちない様に直しながら立ち上がると言ってやる。幾ら何でも、可燃物の多いベッドの上で仰向けに煙草を噴かすなど危なっかしくて堪らない。 銀時の呆れ混じりの言葉を受けて、土方はその手の中のライターを暫し見つめる。まるでお預けを食らった犬の様な顔だと自分で気付いているのかいないのか。彼は唇の狭間の煙草を揺らしながら不機嫌そうに眉を寄せはしたが、結局はニコチンを吸いたい欲求に正直に動き出す事を選んだ。 「ん」 ずりずりと尻で移動して、背に枕を挟んでベッドボードに寄り掛かると、土方は顎を擡げて煙草に火を点ける事を促して来る。その姿勢は座ったと言うよりは上体を少しずり上げた程度だったが、まあ良いかと銀時は火を点けたライターをその口元に差し出してやった。 はあ、と深い息を吸ってから吐き出して、漸く望みのものを得た土方は気持ちよさそうに苦い煙草を味わう。見ればその身体は未だセックスを終えたその侭の有り様で、土方の下肢が移動した分だけ、シーツの上には生々しい染みの道が出来ていた。 言うまでもなく、己が先程彼の体内に無遠慮に吐き出した欲の証である。土方に恥じらいが無いのではなく、単に怠くてそこまで気が回らないだけなのだとは見て取れたが、全く何もかも隠そうともしないその様に脳の奥で本能的な疼きが首を擡げるのを感じながら、銀時は口中にじわりと涌く唾を呑むとベッドの上に座った。ちらりと伺えば、小さなタオルの下で己のものが現金にも反応しかかっているのが見えて、己の事ながら少し笑えた。 (元気で何より) 思うが、まあ放っておいても収まる程度だ。別にわざわざ放っておく気も無いが。 銀時の欲は大体がこうして解り易いもので出来ている。単純な性欲は脳から動物的に沸き起こって、満たされれば消える。実に簡単だ。 ちょっと前までは大概の場合一人で解消していたそれは、今では丁度良い相手を見つけて行われている。少し手間は増したが、その分の楽しみの様なものは見出しているし、解り易い目的ありきの事に変わりは無い。 銀時の目前で今、無造作な──言って仕舞えば性的な意識を煽る様な真似を、恐らく全く意識せずにしている男は、そもそもにして性欲解消と言う目的に至る発端が、銀時の単純なそれとは異なっていた。 "多分ストレスとかそう言うものだ" とは、いつか土方が自ら説明して寄越した事だ。そんな言葉を聞き出した切っ掛けはよく憶えていないが、確か余りセックスの開始に積極的では無かった彼の態度に、「最初は渋ってても、おっ始まるとノリノリになるよねお前」、とかそんな揶揄をした時だったと思う。 あの冬の日に吉原で声を掛けた時から始まって、こうして今に至るまで銀時と土方とのよく解らない──否、最も解り易く単純明快な関係は続いている。 感情なんて望む必要が無く、互いに熱烈に或いは真摯に手を伸ばすだけでセックスは出来る。そうなると後はもうどれだけ気持ち良く、もしくは効率よく目的を果たせるかどうかだけで、それについては思いの外にあっさりと進んだ。 最初の時にはそれなりに苦戦したものの、元より『そうなりたい』意識があってこその行為だったからか、土方の身体は柔軟にも銀時に使われての絶頂を憶えて、銀時も土方の身体を使って気持ち良く達する事に専心出来た。 互いに、じゃあ次はいつね、などと取り決める様な事も無く、ただ溜まるものに気付いて堪らなくなれば気安い会話の間でも誘いを掛けるし、同時に手も伸ばす。それは銀時から仕掛ける事が殆どだったが、土方も普通にそれに応じるし、銀時の指摘通りに、ベッドの上にひん剥かれて放り投げられればちゃんと奔放に与えられる行為を受容し楽しむ。 それをして土方は、ストレスがどうとか、先の言葉を口にしたのだった。 ニコチンでも紛れない様な重たいのが時々来るのだ、と。仕事や信念や上下関係や鬱屈や忍耐やその他諸々が積もりに積もって身の丈を越えると、限界まで嵩張ったそれが一気に崩れて押し潰しに来る。そうなると易々晴れやしない。 ふう、と身体に悪い煙を至上のご馳走の様に吸っては吐いていた土方の息遣いがやがて途絶えた。と、思えばすっかりと短くなった煙草が灰皿の中でぐしゃりと潰されて、燃え滓から沸き立つ煙は強い臭いを辺りに散らして消えて行く。 次の煙草を探ろうと、シーツの上に転がした煙草の箱を土方の手が拾うより先に、銀時はそれを取り上げるとぽいとベッドの下へと放り棄てた。 「吸わせろ」 右手の人差し指と中指とで煙草を吸う仕草をしながらむっとした顔を形作る土方に、銀時はかぶりを振って言う。 「ストレス発散してーなら、ニコチンよりもっと良いもんが目の前にあるだろうが」 露骨に、ぱっと見でも兆しているのが伺えるだろう、自らの股間を覆うタオルを指さしてにやにやと笑う銀時に、土方は呆れた様に口端を下げてみせた。 「……足りねェ分、いちいち埋め合わせてたらキリがねーだろうが」 第一体力が保たねぇだろう、と続ける土方に、銀時は首を傾げた。シーツの上に役割を失って落ちているライターを拾ってベッドボードの上へ置きながら訊く。 「何、おめーもやっぱまだ足りてねェって事?」 「…………」 銀時の指摘に、土方は露骨に、失言だった、と言いたげに顔を顰めると、手持ち無沙汰になった手で頬杖をついて目を逸らした。どことなく湿った溜息を大きくひとつ。 「………………ここの所、特に大きな事件もねぇし、面倒臭ェ机仕事と下らねェご機嫌取りばっかりなんだよ」 「何、ストレス溜まり放題な訳?最初の時みてーに?」 あの冬の日の土方の、飢餓感に訴える様な目を思い出して銀時がそう言えば、「あんな事は滅多にねぇ」と言い、土方は目を背けた侭片方の口端を器用に釣り上げてわらう。 「何せ血腥い生業だ、ストレスなんざ大概は人斬ったり暴れたりする事で自然と、少しずつは消えて行ったり薄まったり解消されていくんだが」 そんな物騒な事を、きれいな顔で当たり前の様に口にするチンピラ警察に、銀時はくっと喉を鳴らして苦笑した。他人の事を言えた口では無いが、この男も大概螺子が外れていると思う。 「人を斬れねェで苛々するとか…、大凡まともな警察の言って良い台詞じゃねェよなァ?」 「別に、斬りてェってだけじゃねぇよ。暴れられりゃ普通にストレス発散になるし、命の遣り取りの中に居ると、ストレスなんざ吹き飛ぶぐれェ充実感が涌くってだけだ」 (……それがまともじゃねェって言ってんだけどな) さらりと言う土方の横顔を見遣って、銀時はそう思いはしたが口にはせず、ただそっと肩を上下させた。同意とも否定ともつかぬ仕草だ。 人斬りに慣れて何も最早感じないのと、人を斬って鬱屈を晴らすのと、果たしてどちらがよりマシなものだろうか。考えかけてから苦笑する。どちらも鬼畜生の所業である事に違いは無い。けだものであるなら大差なんて無い。 「死ぬかも知れねェ、って所に置かれたり、痛ェなって感じる傷を負ったりしながら戦ってると、頭も冴えて気分がすっきりする。お偉いさんに向かって下らねェ挨拶したり、机に向かってどうでも良い仕事したり、そんな日々じゃ絶対ェに味わえねェ感覚だ」 それを、良い、とも、悪い、とも言わずに、土方は目を細めて微笑んだ。銀時はそれを、恐らく自嘲なのだろうと思ったが、矢張り何も言わずにおいた。 関係のない話だからだ。どうでも良い様な感想だからだ。それはセックスの延長線上にあるこの時間に別段必要なものではない。 それを言えば、この全てが無駄話と言う事にもなるのだが、まあ、気怠い空気を楽しむ情緒ぐらいは別にあっても良いだろう。取り敢えず今の銀時が欲しいのは、兆しかけた性器と気分と、それを解消する為の行為だ。この会話が、感想が、全部無駄な時間つぶしであれども、最終的にそこに至れるのであればそれで良い。 果たして、セックスを人斬りの代替行為と言ってのける土方はどう思っているのか、何を思っているのか。肩越しに伺い見たその顔から答えの様なものは見つからず、銀時は容易く目的を達成出来ない──或いはしない──事に対して、何処かすっきりとはしない感情を密かに持て余した。 ストレスの発散。互いに目指しているものは、至る手段は同じだと言うのに。それが土方にとっては煙草の本数を増やすよりはマシな程度で、人斬りとか喧嘩とかそれ以下の効能しかもたらさない行為だとしても。 それを已めようと言い出さないのであれば、銀時とのセックスは土方のストレス発散方法として一定の効果は得られているのだろう。だからこそ『これ』は今までずっと利害或いは利の一致と成り得ているのだ。 だから、土方の抱えた理由も鬱屈も、その善し悪しにも興味など無くて良い筈だと言うのに。胸中に涌くのは気休めや同意や同情に類した言葉ばかりで、銀時は少しそんな己に狼狽した。 きっと、長話をし過ぎた所為だ。そろそろ飽きている。だから。きっと、そうだからだ。 切れ目が悪いですさーせん…。 ← : → |