けだものたちの百の企み / 7



 多分、平和だったのだ。江戸の治安が適度に悪いのも、万事屋の経営状況が火の車なのもいつも通りの事。世界に大きな変化や騒ぎがあるでも無い以上、ひとりひとりの人間に降る出来事にはそれぞれ悩みや各種の感情が伴えど、ただただ流れる日々は平和としか言い様のないものだ。
 万事屋などと言う職業を営んでいる銀時もその例には漏れない。稀に依頼に因って面倒事が生じる事もあるが、そんなものは正しく分析すれば稀どころか極稀の話だ。依頼の九割以上は平凡で何と言う事も無いもので、それに因って何かトラブルめいた事件が起こる事は殆ど無いと言って良い。
 つまり、銀時の生活には余り煩雑で面倒な事は起こらないと言えた。だから、土方に言わせれば自堕落な日々とやらの中で、若い男性らしくごく普通に欲求が募れば、ごく当たり前の様に下の欲の一つや二つ満たしたくなる。
 神楽と言う居候や、新八と言う未成年の出入りが出来てからは、以前よりも家から外にそう言った下半身事情を持ち出す事が多くなったのは已むない話と言える。日頃彼らにも下ネタを平気で投げつける銀時だが、言う程に慎ましさが無い訳では無いのだ。気を遣って仕舞う、と言う言い方も出来るが、何と言うか──単純に、同じ屋根の下に子供が居ると言う事自体がそう言った欲の解消と言う行為をやり辛くしたのである。
 とは言ってみても、かぶき町に各種溢れる風俗関係の商売を頼るには、当然だが先立つものが必要となるし、なまじ顔見知りが多いと下手に行き辛いと言う事情もある。
 さて、そんな最中に請け負ったのが吉原での用心棒の依頼だった。運が悪いと言うべきか、銀時が吉原(あの町)の顔役と顔見知りと言う背景もあって──つまりは信用がある為に──、似た様な依頼は度々持ち込まれるのだが、何しろ場所柄が問題だった。
 流石に銀時も良い歳なので、刺激的な光景にいちいち情けなくも下半身を持て余す様な事は無いのだが、肚の奥底に溜まるものはある。日頃堪える衝動は以前にも増して発散すべきタイミングを失って積もり、煮詰めすぎた鍋の様に銀時の裡でただただ持て余されて忘れられて来ていた。
 そして、そんな銀時の前に降って涌いて来たのは、ある意味で似た様な鬱屈を抱えた男だった。
 『男』だ。しかも知り合いの。それは解っている。だが、金がかからず、引っかければ大概応じられて、面倒な感情の一切が必要無くて、互いの事情も承知している。更に、下品な言い方である事を承知で言えば、気持ち良くしてくれる孔が備わっている──それだけ揃って仕舞えば、最早男だろうが女だろうが構わない、否、寧ろ同性だからこそのそれだけ整った条件と言えた。
 銀時はそう言う意味では土方の事を丁度良い存在だと思っていたし、見てくれも良く、具合も良く、多少乱暴に扱っても問題も無いと言う点もあって、セックスの相手としては好いていた。深夜に何をしようが、翌朝出会えば何事もなく口喧嘩に興じれる程に、『それ』と日常とは切り離されていて、だから楽だった。
 そしてあの関係性を断らない以上は、土方も同じ穴の狢なのだろうと銀時は思っている。
 恋や愛は無く情も不要で、気遣いも要らない。互いにただ溜まった欲を互いの身体を使って解消する術を知っているだけの二人。そんな関係は他者に好きこのんで吹聴するものでは無いが、いざ露見した所で必死になって隠し通す気もしない。
 それだけの関係は、セックスフレンドと言うにも多分足りない。フレンドなんて言葉は必要ない。ただの、セックスの相手。目的ありきの利の一致した知り合い。いっそ棒と孔と言うそれだけの関係性と言うのがきっと一番適切なのだろう。
 それは、大凡人間と言うイキモノの築く関係性とは言えないかも知れない、と銀時は自覚していたし、土方は自覚していたとしても恐らく気にしていなかった。
 それだから、なのかどうかは解らないが、二人はいつも獣じみたセックスを好んだ。
 繋がって、吐き出す。不毛なその行為にこそ何故か非道く溺れて、身体を重ねる度に遮二無二欲した。恐らくは、不毛だから解り易かったのだ。『それ』が何の為の行為なのか、と。
 銀時は土方を熱烈に、或いは酷く扱う事で彼のストレスとやらの解消の手伝いをしてやっているつもりに段々となって行ったし、きっとそれもまた土方とて同じ様なものなのだろうと思っていた。
 ……その日までは。
 
 *
 
 「野郎とホテル通いしてるのがバレた」
 いつも通りに入ったラブホの一室だ。そこではベッドに入るまでは特に無駄口も叩かず、いつも二人は事務的に行動する。荷物を置いて、衣服を脱いで、シャワーを使って、そしてベッドに入って行動開始。最早それらは慣れ過ぎて一種の作業の様になっている。
 大体の場合は銀時が特に断りもなくさっさと先にシャワーを浴びに行き、その間土方は煙草を噴かして銀時を待つ。銀時が出れば次は土方が──屯所で風呂に入って来ていない場合のみ──シャワールームへと向かう。取り決めた訳では無いがいつも何となくそう言う手順になっていた。
 土方からそんな言葉を投げられたのは、いつも通りに、さてまずは身一つになってシャワーを浴びて来ようかと、銀時がすっかりと慣れた行程に取りかかった所であった。
 「へ?」
 ベッドに腰を下ろして煙草を噴かし始めた土方が唐突にそんな言葉を放ったので、銀時は浮かべた大きな疑問符と共に眉を寄せて彼の姿を見遣った。いつもながら無造作に纏った黒い着流しと言う恰好で、土方は煙草の先に出来た灰を灰皿にとんとんと落としている。
 そんないつも通りの様な態度で居た土方だったが、動きを停止させて固まっている銀時の視線から漸く疑問の正体を悟ったのか、ややあってからひらひらと片手を軽く振った。
 「ああ。いや、口止めで脅されたとかそう言う深刻な話じゃねェんだ」
 「…………はあ。そうなの」
 正直どうリアクションを返したら良いのか解らず、困惑した侭の表情から元に戻せぬ銀時がそう呻く様に言うのを見て、土方は軽く肩を竦めながら指の間に挟んだ煙草をゆっくりと吸った。
 単なる世間話ではあるまい。何しろ言って寄越した内容が内容だ。銀時の様なただの万事屋ならともかく土方は公の身分を持つ、しかもモテ男として通っている様な男だ。バレた、と言う言い方からしても、どうにも碌な話である気がしない。
 故に浮かんだ不快感を消せない侭、帯に手を掛けた所で中途に固まっていた銀時へと、土方は視線をはっきりと向けてくる。端から銀時のリアクションの類に期待はしていなかったのか、彼は酷くつまらなそうに続ける。恐らくは本題となる言葉を。
 「ただな、まあ相手は警察絡みの幕臣殿なんだが、俺がそっちも行けると知ったってんで、それなら僕と寝ないかって誘われたんだよ」
 「……はぁ?」
 「心に決めた相手との関係なら無理にとは言わないし答えも急がねぇって言われたんでな、取り敢えず「そうですか」って保留にしておいたんだが」
 「…………」
 想像した以上の──否、想像の埒外の内容に、銀時は眉をハの字に寄せると口端をぐんにゃりと下げた。てっきり、バレたから関係を解消しようとか、相手を亡き者にしようと思うとか、そう言った物騒な方面に行くかと思っていただけに、少々拍子抜けした。
 どうやら話を聞くだに件の幕臣殿とやらは、衆道に恋愛事としての理解がある人物で、別に土方に無理強いをしたりバラすと脅したりする輩、と言う訳では無さそうだ。まあ、そう言う話だったとしたら、現在土方がこんな風に落ち着いてのんびりと煙草を噴かしていられる訳も無いが。とっくに暗殺計画の一つや二つ立てている事だろう。そればかりか、既に実行している頃かも知れない。
 「…要するにおめーに、セフレにならないか、とか、付き合わないか、とその幕臣殿は仰せって事?」
 「多分な。まぁ思い起こせば前々からそれっぽい誘い文句みてェなものは掛けられてた気がしねェでも無かったなと、後になって気付いた」
 ふう、と紫煙を吐き出す土方の、平時とまるで変わらない様に見える態度や所作をまじまじと見つめて、銀時は胸中で密かにその幕臣殿に同情した。彼の望みが前者ならともかく、もしも後者だとしたら余りに恋としては気の毒な話である。
 知らぬ幕臣殿の顔を適当に思い浮かべ、彼が土方に恥を忍んで告白したが梨の礫だった、と言う想像を中途まで描いた所で、その余りの無意味さに気付いた銀時は溜息をつくと止まっていた手の動きを再開させ、帯を解いて着流しを脱ぎ捨てた。
 先頃まで、とっととシャワーを浴びてとっととやる事をやろう、と考えていた筈の事務的な思考は既に何処かへ消えて仕舞っていたが、何故か逆に仄暗い衝動が胸の中に涌いた事に気付き、銀時はそれに押される侭にベッドに近付くと土方の手から煙草を取り上げ灰皿へと放り込んだ。
 気分を害した、どころか、逆に肚の底で沸々と何か熱いものが滾るのを感じる。恐らくそれは怒りとか苛立ちとか、或いはそれ以外の何かだ。理性的な思考がその中で煮崩れて形を失って行きそうになっているのに気付けば再び困惑が過ぎる。
 「つーかさ、何で俺にそんな事言うの?」
 煙草を奪われた土方は暫し名残惜しそうに灰皿から立ち上る煙を見ていたが、銀時に両肩を押されてベッドに背から倒れ込んだ事でそこから外れた。漸く至近で目が合う。
 「……何でだろうな?」
 余り難しげな表情は作らなかったものの、心底不思議そうにそう返され、銀時はうんざりと息を吐いた。ホテルに入る前はセックスへの没入感を深める為に口接けでもしてやりたい所だった筈なのに、そんな疑問を形作った唇に触れるのが何故か躊躇われ、代わりに鎖骨に歯を立てて土方の顔を顰めさせた。
 「正直、余り乗り気になる様な提案でも無ェってのは確かなんだが…、」
 手の甲を額に乗せて、指の狭間から銀時の顔を見上げながら独り言の様に吐く、土方の表情には迷いらしきものは確かに見当たらなかった。だが、困っている様には見えた。だから銀時は鼻先で肌蹴た着物の下から覗く土方の皮膚に指先で触れながら言った。
 「なんか断る理由が必要で──、止めて欲しいってんなら止めてやるけど?」
 指の腹で触れた膚は肌理が細かくて薄い。引っ掻いたり吸い付いたりすれば直ぐに紅い痕が残る。それは皮膚の下にたくさんの繊細な毛細血管が蠢いていて、その一本一本が土方と言う人間を形作って生かしているものだからだ。そこに刻んだ瑕は痛みを伴ってきっと暫くの間は残される。当たり前の、人間の肉体。当たり前の、生命の反応。
 白いそこを無性に食い破りたい様な衝動に駆られる。肉を喰らう獣よろしく血を啜りたい訳じゃなく、単純に何かをそこに思い知らせたくて。
 「…………………いや」
 少し長い間の後、土方はそう言って自らの顔から手を退けると、自らに覆い被さる様にしている銀時の頬に手の甲でそっと触れてきた。触れた骨の尖りが、愛おしむ様な仕草と言うよりも、まるで殴られでもした時の様なじりじりした不快感を伝えて来る。
 「なんて言うか…、俺らの関係ってのは、そう言うのじゃ無ェだろう」
 「……………だな」
 頬に慰撫する様に柔く触れていた土方の手が殴る事を思い出すその前に、掴んで引き剥がした銀時は煮えた肚を瞬時に冷ました感情その侭に、そう同意を吐き出した。
 掴んだ手の指の背に、がり、と歯を立ててからその侭シーツの上へと押しつけて、眼下でびくりと震える土方の身体に体重をかける。それこそ、いつか土方の口にした様に、血でも見ればこの冷めて醒めそうな感情は忽ちに興奮する事を思い出すのだろうか。
 「おい、まだシャワー浴びてねェんだ、」
 「良いよもう、面倒くせェ」
 身を起こそうとする土方の動きを、身体をぴたりと重ねる事で封じて、銀時は今日は風呂を使って来なかったのか、ほんのり汗の塩味を舌先に伝えて来る膚を構わず舐った。
 悪酔いした時にも似たすっきりしない感覚を肚の底に抱えた侭、銀時はセックス前の準備と同じ様に半ば事務的に行為を進めた。恐らく今ではもう、土方当人よりも知り尽くしている自負のある彼の身体が、最も顕著に反応する箇所ばかりを狙ってやれば、土方はその度に啼いて身を跳ねさせ精を吐き出して感じ入った。
 それを見る内満足したのか、或いは生理的な反応なのか、抑えきれない性欲をようよう思い出した愚息を使って、銀時は土方の事を喰って、喰らい尽くした。それが、彼を感じさせて啼き喚かせている事実にいつにない程の充足感を憶える。
 「その、新しいお相手になるかも知れねェ野郎は、お前をこう、ちゃあんと悦くしてやれんのかね」
 荒い呼吸に交えて腰を突き動かす、銀時の口から思わずこぼれた嘲りにも似た言葉に、土方はその背に縋り付きながら小さく笑った。
 「一丁前に、嫉妬でも、してんの…っ、か、ッ、〜ッ、あっ、あ!」
 「別に、そう言うんじゃねェ、けど。ただ、気になっただけだっ…、て」
 やっぱ同じヤるなら、より気持ち良くなれる方がそりゃあ良いだろう、と。銀時の吐き捨てる様なそんな言葉は、絶頂感に意識を飛ばした土方の耳には多分届いていなかったし、その体内へと欲を好き放題にぶち撒けながら快楽を貪っていた銀時自身の耳にも、余り意味のある言葉としては残らなかった。






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