けだものたちの百の企み / 8 「昔からだ。よく、男女とか構わず、遠回しだったり直接的だったり色々だったが、誘い自体は結構かけられてた」 身に纏い付く様な怠惰な事後の空気の中で、ぐたりと枕に顎を埋めて伏していた土方が、突然そんな事を呟いて寄越すのが聞こえて来たので、意識をそちらへと向ける。 ミネラルウォーターの瓶を小刻みに傾けて喉を潤しながら、銀時はその言葉に特に何か解り易い反応を示してみせたりはしなかったが、聞いていようがいまいが恐らくは構わなかったのだろう、独り言の様な土方の言葉は続く。 「だからってよく知りもしねェ、商売でも無い相手に色々と晒すにはリスクのあり過ぎる立場にもなっちまってたし、気付いた限りのものは片っ端から断ってたが」 「……で?何それモテ自慢??何が言いてェんだよ」 要するに。顔だけは平均以上のものを持ち合わせている男に、更に幕臣と言う地位まで付属した事で擦り寄る手は数多だったが、知らない相手に無防備な己を晒せる程に彼は馬鹿では無かった、と言う話だろう。 銀時とて土方の見目が良いのは承知の上だ。例えば、近藤の『お迎え』ですまいるに顔を出せばあっと言う間に、自分に指名をと望む女の子で人垣が出来るのだとは、同じ男としては少々業腹な話だが、知っている。 そんな土方だ、女ばかりか男にもモテるだろう想像は易い。衆道の習わしは旧態依然とした武家の幕臣の家柄であれば多く残っているだろうし、そこに来て多様化の認められる時代だ。男同士の恋愛事の対象として、土方の見てくれは良い方向(かどうかは定かではないが)に作用もするだろう。 実際、銀時が彼にこの関係を申し出た時にも、その見た目はプラス方面に考慮されていた。 そんな、当たり前の様な事を今更つらつらと述べる理由が見えて来ず、銀時は土方に背を向けた侭で肩を竦めてみせた。苛立ちの僅かにこもった大きな動きに、腰掛けたベッドが僅かに軋む。 「だから、耐性があったんだろうよ、多分」 銀時の問いに一応は答える形になるのだろう、土方は溜息混じりにそんな事を言う。 ぎし、と再びベッドが軋む音を立てた。土方が起き上がるなり寝返りを打つなりしたのだろう。思わず振り返って確認したくなる心地を堪えて、銀時は手元にあったペットボトルのキャップを思いきり締めた。 苛立ったのは、結論の見えない話にか。それとも、結論が見えたからこその話にだったのか。 「何の」 半ば想像はついていた。然し銀時は敢えてそう問いを重ねた。 無駄だ。碌でもない話の先には実も意味もありはしない。そう囁く理性に逆らって、固くキャップを締めたペットボトルを投げ出す様にして置く。 銀時は己が何かしらに憤っているのかと思ったが、置かれたペットボトルの中身は穏やかに揺れていた。思った程に荒れた心地は行動に出てはいなかったらしく、それが何処か気味が悪い。嵐の起こる寸前の海を自らの裡に覗き込んでいる様な落ち着きの無さが、向けた背の先に在る。そんな感じだった。 そこから発せられる、嵐を起こすやも知れぬとは到底思えない質の穏やかな声。 「男に好意を寄せられたり、男に抱かれたりする事にだ」 曇ったから雨が降った、そんな言葉と同じでまるで当たり前の事をただ読み上げただけの様な、感情など大凡込めていない声。そして言葉。その内容。意味。 「………」 噛み締めるより先に呑み込む事を放棄して、銀時は座した寝台を軋ませながらゆっくりと振り返った。 一体どんな顔をしてそんな言葉を紡いでいるのか。見てやろうと思った。 土方の顔は思いの外近くにあった。彼はベッドの上で半身を起こして、立てた膝に横頬を乗せて銀時の方を見ている。 その表情はと言えば、微笑むでも無く悲しむでも無く憤るでも、かと言って無でも無く──二人のこの関係が始まってから向こう続いていた、『やる事をやる』為の事務的な作業と同じ様に、ただただ平坦で淡々としたものだった。 当たり前の事を口にするのだから当たり前の様な表情をしている。ただそれだけの。 「少なくともてめぇに、抱いてやろうかって言われて、断るとか気持ち悪ィとか感じねェ程度には、俺の中で『これ』は有り得るもんだったって事なんだろうな」 弧を描くと不敵で、然し何処かその不遜さが魅力的に見える、そんな表情を形作る唇が、今は大した動きも無く淡々とつまらない事を口にする。 そんな事は知っていた。知っていた筈だった。銀時と土方との間にあるこの奇妙な関係は、フレンドにすら満たないただのセックスの相手。銀時は溜まるものを消化したくて、土方は日々の鬱積を晴らしたくて、利害の一致した『この』手段を選んだ。選ばせたのは、互いに打算と事務的な心地だけだったのだから。 銀時は何故だろうか、そんな平淡で当たり前で解っていた筈の言葉を受けて波立ち始めた己の感情を持て余して、気取られぬ程度に軽く舌を打った。吐き捨てたかったのは、畜生、なのかすら解らない侭にその感情を飲んで、無理矢理に溜息に変える。 想像通りで下らなくて意味が無くて、セックスをするだけの間柄には不要な情報の込められた無駄話をこれ以上続ける意味など無い。そう思うのに、気付けば溜息に乗せて言葉がぽろりと落ちていた。 「………じゃあ、そのおめーに誘いかけてきた幕臣だかオッさんだかにも、断るとか気持ち悪ィとか、そう言うのは無かったと?」 「ああ。まあ危険がねェって身辺調査が終わるまでは、そう言う意味でも近付く気はねぇが」 「……」 またしても当たり前の様に言ってこちらを見る土方の顔は、まるで同意を求めている様だったが、銀時はそれに、沸き起こった不快感の侭に口端を歪めてみせた。へらりと軽く笑ったつもりだが上手くいかなかった気がする。 この──『この』関係は、身体を繋げて互いに埒を開けて得るものを得るだけのものだった。銀時はそう認識していたし、土方とてそうなのだろうと言う事には確信さえ抱いている。 だから、事前であろうが事後にであろうが、緩やかに煙草を楽しんだりどうでも良い意味の大して無い言葉を投げ合ったりする時間は、言って仕舞えば余計な事だ。 気分を損ねなければ、或いはそう言う気分に再びなればもう一戦ぐらいやらかす、その程度にしか意味のない時間で良い。 互いの事情を語り合ったり、趣味や生活の話をしたり、仕事の話をしたりなんて言う事は、紛れもなく『余計』な事だ。ただの棒と孔と言うだけの関係性しか持たない男と男の間には、ロマンチックな時間も、欲を吐き出すと言う目的以外の思考も必要無い。 だから、今日の土方の打ち明け話は銀時にとって不快で不満の味わいしか得られぬ様なもので、余計で意味がなくて下らなくて解りきっていた事で──無駄話を、それも気分を悪くする様な類の話を投げられるだけの内容でしか無かったのだ。 土方に『その気』が少なくとも無ければ、あの冬の日に銀時の告げた提案になど乗らなかった筈だ。利も害も一致せずにその侭別れてそれで終わっていた筈だ。 それが『こう』なっているのだから、土方には元からそう言った傾向があったのか──男所帯で暮らす内に同性に傾倒して仕舞う事は珍しくもない──、興味や願望があったのか、経験があったのかの何れしか無いだろう。少なくともあの瞬間の彼は、女を抱くぐらいでは己の裡で燻る鬱屈を晴らせなどしないと半ば無自覚にも認識していたし、恐らくは銀時の提案は渡りに船であったのだ。 それは今更改めて事細かに説明されるまでもなく、銀時とて薄らとは気付いていた事だ。そうでなければ端からあんな提案持ちかけてなどいない。 そうして受け取った、坂田銀時と言う手段と利とに、土方はきっとそれなりに満足を得ていた。だからこそこの関係はだらだらと、明確な形を作らぬ侭に、またはそれを良い事に続いていた。 では、多分に恋愛の形を申し出て身体の関係を願い出た幕臣とやらに対してはどうなのか。恋情を与えられて受け取って、男同士のごっこ遊びでも楽しむつもりなのか。 それとも銀時とは別の、情の不要な棒が一人増えるだけなのか。 その想像が、己で想像した以上に不快で、銀時は歪めた口元を無理矢理に吊り上げた。今度は少なくとも笑えたのだと思う。多分に大凡友好的な表情とは言い難い質だっただろうが。 「じゃあおめーさ、ひょっとしてだよ?本当は近藤に抱かれたかったんじゃねェの?」 度々誘われたから、土方の認識として男同士の関係に耐性があったとして。 それを己の身に見出してみれば、土方にとって真っ先に浮かぶのは、彼が盲目的に尊崇している男こそがその最終的な対象に成り得るかも知れぬと言う可能性なのではないだろうか。 そんな、最も有り得ない事だと身の内から否定の返りそうな言葉を、銀時は敢えて口にした。 己の知る土方と言う男ではそれは有り得ないだろうと、彼を知悉しているつもりになった心はそう即答して寄越したが、もしも有り得て仕舞うのであれば、己にとっても土方にとってもそれが最も業腹な事だと思ったからこそ、敢えて。 「──は?」 果たしてそんな下衆の発言に、土方は疑問符を口にしながらも、表情を忽ちに不快のそれに歪めて銀時を睨み見て来る。 そうしてさも、不潔だ、不快だ、と言いたげに形の良い眉と唇とを、怒る一歩寸前にまで強張らせてみせる土方へと、銀時は揶揄の笑みを投げ返す。 「あの人はそう言うんじゃねェ。そう言う対象として見た事もねェ。二度と巫山戯た事は口にすんな」 銀時が本気で口にしたのか、からかっただけなのか、と言う点には触れようとすらしない侭、土方はきっぱりとした強い口調でそう断じると、顔をついと背けて寝台から立ち上がった。 「ああそう?あんまゴリラ過保護だから、ひょっとしてそう言うもんかと思ったわ。男の恋愛や関係に耐性があるって、自分の願望を前提にしたって可能性もあるんじゃねぇかって」 土方が余りに取り付く島も無く言い切るから、銀時は態と軽くそう続けた。だが、からかわれているにしても、冗談にしても、本気にしても、この議題が土方の怒りを買うものである事は矢張り変わらなかったらしい。 「いい加減にしろ、万事屋。それ以上は黙ってられねェぞ」 床に散った着物を拾い上げ、さっさと身に纏いながらのそんな押し殺した声からは、土方の本気の怒りしか嗅ぎ取れはしなかった。図星とか的外れとか言うよりも、純粋に銀時のその発想が腹立たしかったのだろう。 「はいはい、悪かった悪かった」 向けられた背に軽くそう投げると、銀時はベッドにごろりと横になった。もう口喧嘩はお終いだと言うそのジェスチャーに、然し土方は振り返ろうとすらせずに身支度をさっさと整えると言う態度だけで答えて寄越した。 「あれ、もう帰んの?」 土方が、帯を締めて刀を腰に差すのを待ってから銀時は、さも今気付きましたと言う様に訊く。すれば彼は、煙草を取り出す動作のほんの僅かの空隙の間だけ銀時の方を見遣り、ライターの火を灯した。 「明日は忙しいからな。…端から泊まり込んで行くつもりは無かった」 気分を損ねて帰る、と言う態度に羞じでも憶えたのか、まるで言い訳の様に──まあ本当の事なのだろうが──少し早口で付け足すと、「じゃあな」と一言だけを残して、結局明確に銀時の事を振り返り見つめる事はせずに、土方は立ち去って行った。 「………」 静かに閉ざされた扉の方に背を向けて転がると、銀時は足で手繰り寄せた毛布に潜り込んだ。自然と出る溜息の由来がよく解らず、眉を寄せながら枕の方へと手を伸ばせば、まだ人肌に温まったシーツの感触が掌に返る。 その事で、ラブホテルに入ってからの一連の会話の全てを仔細に思い出して仕舞って、銀時は片目を眇めた。 (到底、ついさっきまで手前ェを抱いてた男に向けてする様な話じゃねェだろうが) 甘い空気も関係も不要だが、だからと言って殊更に不快を示し合いたいなどとは、普通なら思わないだろう。少なくとも『こんな』関係なのだ。気持ちの良い行為の後ぐらい気持ち良く別れたい。 (……そもそも、何でアイツはあんな話を俺にわざわざしたんだよ) 止めて欲しい訳でもないと、そう言いながらもどうして銀時へと件の経緯を打ち明けたのか。幕臣殿からのアプローチなど、土方が黙ってさえいれば銀時が知る事など無かった様な事だ。 (『そう言う』関係じゃねェってのは解ってら。深入りなんて互いに望んじゃいねェ。じゃあ何で──、) 何で、土方は話したのか。 何で、己は不快を抱えているのか。 そこで思考が途絶する。不快感を掻き分けるのにも疲れ、もう眠って仕舞えと銀時は目蓋を無理矢理に閉ざした。どうせ朝までの料金は支払い済みなのだから、こんな時はとっとと寝るに限る。 掌の下の、自分以外の者がそこに居たと言う僅かの痕跡は、あっと言う間に己の体温へと変わって仕舞った。混じって解らなくなって仕舞った。 。 ← : → |